process 5 未来の選択

 関原と木城は車から降り、杉崎が運転する車を見送った。


「じゃ、私はこっちだから」


「ああ」


 誰もいない公園の街灯が関原の顔を照らす。深く疑念を刻んだ表情と瞳が、木城の背中に向けられていた。


「あの時、なんであんなことを言ったんだ?」


 関原の声に立ち止まった。振り返り、疑念の眼差しと視線を交わす。


「なんの話?」


「僕が浜浦教授の下へ行くなんて、君には一言も言っていないはずだ」


「あら、てっきり行くものだと思ってたけど、行かないの?」


 木城は不敵に微笑んで問いかける。


「勝手なことを言わないでくれないか」


「いいじゃない。あなたが改めて説明すればいいだけの話よ」


「それはそうだが……」


 木城は隣でひっそりとたたずむ公園を眺める。


「今日は久しぶりに楽しかったわ。海に触れられることもなくなるでしょうから、今後は希少な体験になるわね」


 砂場には小さなバケツと子供用のスコップがそのままになっており、ブランコのそばにはサッカーボールが放置されている。


「これから世界は変わっていくわ。当たり前にできていたこともできなくなっていく。私たちが描いていた未来は、もうなくなってるかもね」


 関原は意図を汲めず、黙って聞く。


「あなたが未来に不安を感じているように、世界も同じよ。人が描く未来なんて、1つの未来でしかない。この世に神がいたとしても、神が私たち人間の味方をしてくれる保証なんて、どこにもないわ」


 木城の真剣な表情が関原を真っすぐ見据える。


「研究室に泊まったあの夜、あなたが語った夢は未来にあるかしら?」


「どういう意味だ」


 関原は表情を険しくする。


「未来の可能性。1秒1秒を克明に刻み続け、現象により得られる結果。それを未来とするなら、様々な現象のパターンの数だけ、未来は分岐している」


「バタフライ効果を説いているのか?」


 木城はあえて関原の言葉を無視して続ける。


「世界は少しずつ変化している。私たちに観測できないほど小さくね。それが積もり積もれば、大きな変化だって起こせる。あなたの決断と行動が、世界の未来を決めることだってある」


「僕にそんな大層な力はないよ」


「最初は誰だってそうでしょ。偉大な功績を上げた研究者は、ただのいち研究者でしかない。でも、その研究が誰かを救うと信じ、不確かな未来を薄暗い場所でひたむきに向き合ってる」


 木城は小さくため息をつき、呆れた顔をする。


「ま、どうするかはあなた次第。腑抜けてるあなたと張り合っても面白くないから、これくらいにしといてあげる。でも、もし本当にあなたが夢を現実にしたいなら、時には無謀だと思える場所に身を投じる必要だってあるのよ」


 木城は関原に背を向ける。


「今後一切言わないから、よく聞きなさい」


 滅多に心を映さない木城の瞳は、哀しく揺らいだ。


「私は待ってる」


 最後にそう言った木城は離れていく。

 木城の最後の言葉は嫌に耳に残った。それを助長しているのは、儚くも脆い木城の哀しげな表情が、関原の目に焼きついたからに違いなかった。



 慣れないことをしたせいか、鉛の粒子を体内に蓄積させたような疲れが、関原の体を支配していた。それなのに、まったく眠くならない。解けない問題に悪戦苦闘していた。

 気晴らしにゲームをしようと思い、しばらく携帯のアプリゲームをやっていたが、実力の半分も出せなかった。やることがなくなり、ラジオアプリをインストールして、特に聞いてもいない音を垂れ流している。

 ベッドに背を預け、ただただ天井を見つめている。はたから見れば、暇を持て余した苦学生。頭の中は歯車の音が絶え間なく鳴っているみたいにフル稼働している。


 自分の夢とはなんだったのか。揺るぎない目標……だったはずだ。

 浜浦教授の下でやっていけるのは、関原にとってその目標へ近づける一歩になる。臆病になったのかもしれない。木城の言うように、腑抜けているかもしれない。


 今がどんな状況か。正直現実味はない。地球外生命体が人を襲い、脳を喰らうなんて。だが実際に、各国政府は警戒を促す事態にまでなっている。今日行った海だって、もうすぐ遊泳禁止の措置が取られる予定だ。

 確実に世界が変わろうとしている。そんな奇想天外な未来は予測できなかった。だとしても、やれる場所はあるはずだ。


 今回の件で、ロボット工学の需要はより一層高まる。浜浦教授のチームに入らなくても、高みは目指せる。介護分野、災害現場の調査・救助、医療の補助など、ロボット工学の英知は応用されていくだろう。


 ……もし、全部なくなっていたら?

 介護も、医療も、災害の調査も、人がいるからこそ意味がある。生活という守るべきものがあるから、ロボットは誰かにとって必要とされる存在になれる。

 この世界に人がいなくなったら、大切な記憶も、夢も、すべてなかったことになってしまう。


 関原は体を起こし、ベッドから下りた。

 携帯から流れてくる軽快な会話に混じって、ガサゴソと物音が挟まれる。

 クローゼットの奥にしまわれた段ボールを引っ張り出す。段ボールの側面には、『貴重品』とマジックペンで書かれていた。中身をお披露目させると、雑然といろんな部品や工具、紙、ノートが入っていた。


 関原はそれらを避け、底にある1つのお菓子箱を取り出す。アルミ製の箱の蓋を開け、懐かしい形態をした姿を目にする。ぷちぷちの梱包材の上に手作りロボットが寝かされていた。

 おもちゃ屋に売ってそうなプラモデルみたいなロボットを手に取り、背中を振り向かせる。

 畳まれた羽がついているが、飛べはしない。あくまでビジュアルの増強だ。回転関節を使い、羽を広げたり畳めたり自由自在。更にプラスチック製の羽を削って質感をリアルに演出させていた。


 長い間箱にしまわれていたせいか、色褪せてはいない。これがわずか10歳の女の子が作ったとは思えないほど、細部までこだわっているのが分かる。

 関原はそれを一度カーペットに置き、ぷちぷちの梱包をどける。説明書だ。この説明書もまた、小学生らしくない。まず小学生じゃ習わない漢字が使われており、関原が書き足したフリガナが振られている。


「コントローラー……ゲーム機のか」


 関原はもう一度段ボール箱の中を探してみる。


 段ボール箱の中を隅々まで探したが、ロボットを動かすためのコントローラーらしきものは見つからない。片付けが苦手な自分を突きつけられているみたいで嫌気が差す。

 自室はいい年だからと戒めた関原が大人になった面も見受けられるが、片付けが身についているまでには至っていない。棚の引き出しを開ければあっという間にガサツな一面が露呈する。


 綺麗に整えられている部屋は、単純に物を置かないようにしたから成り立っているに過ぎない。増えた物が出てきたら、なるべく捨てられる物を探して捨てる。そうなったらいささか自棄やけになりながら断捨離していく。


 捨てているうちに捨てることが何よりも優先され、深く考えもせず捨てて頭を抱えた。何度経験しても学ばない自分にとことん愛想を尽かしたものだ。

 そうなると、ロボットを動かすコントローラーもこの部屋のどこかにあるんじゃないかと期待を抱いてしまう。あるとしたらどこか。自身の性格と規則性を踏まえて思索しさくすると、すぐに思い当たる場所が浮かんだ。


 関原はベッド下の引き出しを開ける。ゲーム機器がまばらに入った引き出しも、例に漏れず雑然を通していた。

 この箱には配線コードとテーブルコンセント、そしてコントローラが入っている。その中から1つを選んで手に取った。

 半球型のワイヤレスコントローラの裏には、『GAS-5』という文字が彫られている。日曜大工が好きな父親に彫ってもらったものだ。

 GAS-5。グリフィンアサルトスピア5号機。小学生の考えた名前らしいなと、かつての親友に薄く笑みを零した。


 コントローラは充電するタイプのようだ。11年もの月日がたっている機器が今でも動く可能性は低い。あまり期待しないで充電器を差し込む。

 充電を始めたことを示すランプが赤く光った。関原は妙な緊張感を覚えながら5分ほど待つことにした。


 関原は今一度、かつての親友の記憶を思い起こしてみる。顔も名前ももやがかかったように思い出せない。あるのは出来事の記憶のみ。互いの力作を交換し合う仲だったにもかかわらず、露ほどにも大切な友人と思っていなかったのか。

 茫漠ぼうばくなノスタルジーに意識を注力させたが、気づけば携帯画面の時刻に何度も目を配っていた。

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