process 3 一時のバカンス

 質素な自室についた関原は、棚の横から生えるように出ている突起にリュックをかけると、椅子に腰かけた。

 机の上で黒い画面で待機しているノートパソコン。画面に映るのは苦悩の横顔。片肘をつき、自分の部屋のくうを見つめる。


 大学に残るか、浜浦教授についていくか。簡単に決められなかった。

 浜浦教授についていきたい気持ちはある。自分が作ったロボットで誰かの役に立ちたいとも思っていた。だが、自分に務まる話だとも思えなかった。

 なんせ国防に関わる話だ。もしその話に乗ってしまえば、簡単に辞めたいなどと言えないだろう。

 求められる技術が自分に備わっているのか。評価によっては辞めさせられることもあるだろう。そうなるくらいなら、ちゃんと大学を卒業した方がいいんじゃないか。それから浜浦教授がまとめるチームに志願することもできるはずだ。


 2年後になって防衛省の技術士に応募したからといって、自分の希望が通る保証はない。不合格となったとしても、今や世界でロボット工学を扱うところはごまんとある。他に就職してもいい……。

 浜浦教授のもとで、自分が目指す研究者ができるだろうか。社会人とは言えない自分が、日本の防衛に携わる重要な機関にいきなり入っても、足手まといになるだけじゃないか。


 関原は椅子の背にもたれ、重たい吐息を零した。


 静かな緋色ひいろが朝を振り撒いていく。

 容赦ない冷気がすべてのものを凍えさせる。それでも、花は強く、小鳥は元気な声を上げている。産声に似た声なき声は、朝を迎えるたびに喜びの音色を伴ってきらめていた。


 建物の中にいようと、朝日も寒気も届いている。当てつけのような冷たさが頬をつついた。浮き上がってくる意識が半透明の光を見る。ささやかれるみたいな波の揺れが起こしてくる。


 ベッドの中で体をのそりと上げ、右に左にと顔を動かす。左に体を寄せ、手を伸ばした。ベッドのそばに手が下り、床の上でさまよう。

 2、3度空振りし、指先に目的の形をした物体の感覚が伝った。掴み上げ、寝ぼけまなこが画面をじっくり捉える。午前11時。いつもならとっくに起きてる時間だった。


 凡庸ぼんような休日の朝。喉のひっかかりが気になり、咳払いをして整えようとする。スッキリしない。

 休日は朝ごはんを食べたら勉強するのが関原の習慣だ。だが、今日は気分が乗らない。こんな状態でやっても、何も頭に入らない気がした。


 カップみそ汁と白ごはん、ほっけの塩焼き、ナスのお浸しを腹で満たしていく。気晴らしに何かするかと思案してみる。が、普段やってる余暇は全部ロボット工学に関することだった。


 余暇らしい余暇なんてここ数年やっていなかったせいか、何をやっていいのか分からない。箸をお椀に置き、苦い顔をする。作業机でスリープするスマホが点灯した。最先端科学の情報アプリが通知していた。


 関原が頼れる知人は少ない。余暇に詳しそうなヤツと言えば、彼しか思いつかなかった。



 時期としてはまだ早過ぎる。そう思っていた関原だったが、杉崎の言うように、海には多くのサーファーがいた。

 さすがに海水浴を楽しんでいる人はいないようだが、冷たいはずの海に入っても、そんな素振りを見せる者はごく少数だ。いるとしても、寒い寒いと歓喜する声が湧いている。

 関原はその歓喜の集団にチラリと横目で捉える。ゼミ仲間の後輩と同期を杉崎が集め、およそ10人規模のアウトドア休日に同行していた。


 杉崎は輪の中心になって、キャッキャと話を盛り上げている。関原はああいう雰囲気に入る気になれず、遠巻きに眺めて砂浜で棒立ちになっていた。

 みんなと同じようにウェットスーツに身を包み、片手にサーフボードを持つ関原。形だけ見ればサーファーだが、違和感が胸の中で渦巻いており、杉崎に相談したのはやはり失敗だったかもしれないと思い始めていたのだった。


「みんなが楽しそうにしてるのに、何をそんな渋柿みたいな顔してるのかしら?」


 体の大きな関節という関節に、赤いラインをつけた黒いウェットスーツを着込んだ木城が、関原の表情を軽くなじった。


 関原は木城の顔をいぶかしげに見つめたまま緘黙かんもくする。


「なによ」


 関原の何か言いたげな顔つきに冷めた口調で投げる。


「いや、眼鏡をかけてないと童顔になるんだなと思ってな」


「ロリコン」


「人聞きの悪いことを言わないでくれ」


 木城は関原のしかめっ面に満足し、クスっと笑みを零す。


「君が来るとは思わなかったよ」


 木城は不敵な笑みを作り、晴れ渡る太陽の下で波打つ海に目をやる。


「たまにはこういうのもいいかなーと思ってね」


 以前の杉崎からの頼みを聞き入れ、関原は木城と杉崎の仲を取り持つ一助を実行した。しかし、いきなり杉崎とデートしてほしいと頼んでも、簡単に引き受けてくれるようなヤツじゃない。


 木城はそういうヤツだと知っていた。

 そんなことを頼めば、即答で「行かない」などと言いかねない。仮に首を縦に振ったとしても、交換条件を提示してくる。

 そして、交換条件の提示先が、必ずしも杉崎に向かうとは限らないのだ。

 なので、少しハードルを下げて、木城も誘ったらどうかと関原は提案した。もちろん、断る可能性は充分にあったが、ダメ元でもやってみるべきだろうとネガティブになる杉崎を励ましたら、切り替えの早いこと早いこと。


「あなたこそ、典型的な陰キャのくせにどういう風の吹き回し?」


 木城は腕組みをして薄い笑みで関原に視線を注ぐ。

 関原はどう言えばいいか少し迷い、木城から視線を逸らす。波の音が耳朶じだを打つ。急に関原は遠い目をしてぼーっとし出した。木城は反応の鈍い関原に戸惑い、顔を覗き込む。


「どうかした?」


「……君と同じさ。何も考えず、楽しみたかったんだ」


「……」


 木城は関原の返答に意外そうな顔をする。変な関原だったが、問い詰めるほどじゃないかもしれないと納得させた。

 すると、関原は不意に笑みを零す。


「さ、せっかく来たんだ。さっさとやろう」


 そう言って、関原は杉崎に歩み寄り、声をかける。

 木城はふと感じた関原の異変に、まったく似合わないサーファー姿の関原の背中を、神妙な顔で見つめていた。

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