process 8 ふたりの思い出

 木城は目の前で雨に打たれる窓を見やる。瞳は激しく音を鳴らす窓の向こうをぼんやりと据える。


「そんな時ね。お父さんが亡くなったのは。8歳の頃だった。無理が祟ったのよ。時計だけで、子供を育てるお金を稼げなかったから。病院で診てもらったけど、もう手遅れだった。お父さんは必ず治るとか方便垂れてたけど、父の顔見れば分かった。顔色悪いし、どんどんやつれていくし」


 古くなった糸を手繰り寄せるように、木城はしっとりとした雰囲気を纏いながら続ける。


「私は信じようとした。見て見ぬフリをしたの。父を信じて、待ってた。でも予想通り。父は死んだわ。その後は、よく覚えてない。何も考えようとしなくなった。父の死後に関わる、やらなければならないことがあれよあれよと進んで、父の姉夫婦に引き取られた」


 木城は視線を落とし、薄く笑みを見せる。


「すべて投げ出したわ。学校も製作も。父がいなくなった世界は、何をしてても楽しくなくなった。長く感じる時間を潰すために、ネットゲームばかりやってた。ふふっ、もはや廃人ね」


 今の木城からは想像できない過去に、関原は食べることも忘れて聞き入った。


「そんな私を見かねた姉夫婦は、科学ミュージアムに連れ出した。姉夫婦の気持ちもよく分かってたから、乗り気じゃなくても工作体験に参加した。簡単過ぎてつまらなかったけど。そしたら、突然知らない男の子が声をかけてきたの。『お前もうできたのか。すげえな』ってね。僕にも教えてくれって頼まれたから、仕方なく付き合ってあげた。ロボットを作って戦わせるの。もちろん、私の圧勝だったけどね」


 木城はコーヒーを口にして、一息をつく。銀色のコップを机に置き、再びしんみりとした様子で語り出す。


「私が完膚なきまで負かしてやったら、そいつ泣いたのよ。それがおかしくてさ。『次は僕が勝つからな』とか、雑魚キャラみたいなセリフ吐いて逃げ帰ったわ」


 木城は嘲笑を含んだ声色で楽しそうに話す。でもそれは優しく、温かな色を持っている気がした。


「私が何かを作るのは、父が喜んでくれるから。けど、彼が私に意味を創ってくれた。もっとすごいロボット作って、負けたら罰ゲームだとか言ってね。小学生の考える罰ゲームだから可愛いものよ。デコピンとか、今好きな子を暴露するとか。でも、私は楽しかった。学校じゃ誰も私と話さない。父が亡くなってから、喧嘩したり、笑ったりできなかった。初めて、私に友達ができた」


 すると、木城はもたれた机から背中を離し、左手でくように髪を触り、雑っぽい語り口調で話し出した。


「10歳の頃よ。おじさんの仕事の都合で、県外に引っ越しすることになったの。その男の子ともお別れ。それが嫌だって、ぐずって泣いたのよ、私。そいつ狼狽うろたえちゃってさ。そしたら『すごいロボットを作れるようになって、いつかまた戦おう』とか言い出したの。バカでしょ? そう思ったけど、そんな約束に嬉しくなっちゃう私もバカ。……私たちはまた会おうって、約束して別れた」


 木城は振り向き、机に置かれたドローンを引き寄せて持ち上げる。中央をふっくらさせた円盤を掌の上で回し、細部を確認しながら話す。


「それからは、電子メールで連絡を取り合ってたけど、————年齢を重ねていくうちにやりたいことも、やらなければならないことも増えていって、自然と連絡しなくなった」


 そう言って、木城はドローンを置いた。


「今もロボットを作ることが楽しいと思えてる。作りたい物があれば、それに必要な知識を徹底して学んだ。なんでも作れたら、すごいロボットも作れるんじゃいかって」


「じゃあ、君がロボット工学科にいるのは……」


「そうよ。その子との約束のため。帝明光大学ロボット工学科の首席候補が、昔の約束を果たすために科学者を目指してるの。笑えるでしょ?」


 微笑む口が寂しげに終止符を打った。

 関原は呆気に取られ、声にならず口が小さく開いて閉じる。


 戸惑いを表情に映した関原だったが、その顔に柔らかな笑顔が見えるまでに、そう時間はかからなかった。


「僕もいたよ。そういう友達が」


「え?」


 木城の瞳が驚きをはらんで関原に注がれる。

 関原は面映おもばゆいという風に長い髪をクシャクシャと掻いて、木城の目線を避ける。


「小さい頃の記憶だし、遊んだのも数年だけだったと思う。名前も忘れるくらいだしな。僕より作るのがうまくて、教わってばっかだった。ロボット製作の小さな大会に出ては、いつもその子に負けてた。なんで同い年で女の子に、僕が負けるんだって、悔しくて泣いてたよ」


 関原はスタンドライトの光を見つめながら破顔はがんさせる。


「僕がよく通ってた地元の施設があってね。そこはロボティクスが学べる子供向けの体験場所だった。学校から真っ先にそこに通って、スタッフの人にいつも質問攻めしてた。きっと、迷惑な子供だったろうな」


 木城は腕組みをしてほくそ笑む。


「あなたのことだから、マニアックな質問をして困らせてたんでしょ?」


「……」


 関原はジロリと陰湿な視線を投げる。


「あっさり見透かされるとしゃくだな」


「あなたが分かりやすいのよ」


 気を取り直し、関原は再び話し始める。


「そこで出会ったんだ、彼女と。いつも競い合って、いつも負けてた。でも、あの子がいたから、今も夢を追いかけられてる気がするんだ」


「その子とは、どうなったの?」


「親の仕事の都合で遠くへ行くって相談されてな。珍しくその子が泣いて、どうしていいか分からなかった。初めて見たからな。あの子が泣いてるところなんて。だからもう一度会う時は、すごいロボットを作れる技術者になってまた戦おうって、啖呵たんか切ってたな。全然勝ったことないけど……。それで、引っ越しをする日に見送りに行った。約束の印だって、お互いの最高傑作を交換したんだ」


 おぼろげな記憶が沸々と甦ってくる。

 別れた男の子と作品を交換した記憶。ロボット製作をする子供同士の別れにはつきものなのだろうかと疑問を抱くが、当時の心境なんてほとんど覚えてない。木城が覚えているのは、変化していく環境と目の前のことに必死だっただけ。


「ある日を境に、彼女のアドレスが使えなくなっててね。それからずっと音沙汰なしだ。ま、今頃少し気の強い女性になって元気にやってると思うけど」


「つまりあなたがフラれたってことね」


 関原は不本意と言いたげな顔をして木城を睨む。


「彼女とはそういう関係じゃないよ」


「はいはい。今でも引きずって、彼女との唯一の思い出となってしまったロボットを作ることに、未練がましくすがっていると」


 関原は付き合いきれないと嘆息たんそくする。


「なんでこういう話になるとみんな男女の関係に結びつけようとするんだ」


「ただからかっただけよ。お子ちゃまくん」


「……君にだけは言われたくないよ」


 同じ空間で、木城と関原が他愛もない話をしている。いつも対抗心むき出しの2人を知っている者なら、目を疑う光景だっただろう。それぞれ違う方向を向いているものの、小さな光は2人を包むように灯し続けた。

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