process 7 追求するもの

 パソコンフロアのフローリングで椅子が引かれた。

 木城は席から立ち、段差を下りていく。


「終わったのか?」


 関原は口に入った菓子パンを飲み込んで尋ねる。


「大方ね。あとはチェックするだけ」


 流し台に近づき、複数の銀色のコップがトレーに並べられた中から2つを取る。


「コーヒーいる?」


 木城は関原に背を向けたまま、コーヒーを用意しながら聞く。コップにインスタントコーヒーの粉を入れ、電子ケルトの電源を入れる。


「あー……ありがとう。すまないが、」


「ブラックでしょ」


 関原は台詞を奪われ、出かかった言葉を吐息に変える。


「よく知ってるな」


「ゼミで何度も聞けば嫌でも覚えるわ」


 電子ケルトが赤いランプを消す。木城は手前に並ぶ2つのコップにお湯を注ぐ。1つは黒く、1つはクリームが混ざったミルクブラウン。湯気がほのかに立ち昇り、すぐに透明の中に隠れる。


 木城は2つのコップを持って机の上を滑らせるように関原のそばに寄せると、机の端にもたれてコーヒーを口につける。関原は妙に優しい木城に困惑しながら、コップを取ってコーヒーを口にする。


 木城なりの感謝の仕方なのだろうかと推察しながら、隣の机の端で腰を据える木城を見つめる。すると、関原は突然眉をひそめ、コップを口から離した。いつも自分が飲むコーヒーより濃い。

 思い出せば、木城がゼミでコーヒーを入れているところなんて見たことがなかった。何か飲むかと浜浦教授に聞かれた時、いつも断って、持参したミネラルウォーターを飲んでいた気がする。


 ますます不自然な状況に、何か不吉な感じがしてならない。これも外からもたらされる嵐のような天気のせいだろうか。根拠薄弱な仮説すら、本当にあるんじゃないかと思えてしまう。


 とその時、部屋の電気が消えた。

 2人は天井を見上げる。その疑問に答えるように、外から雷鳴が低く響いてきた。


「これで帰宅できる可能性も消えたってわけね」


 木城は停電に狼狽うろたえることもなく、独り言をぼやく。


 関原は立ち上がって、携帯の明かりを使ってスタンドライトを探し当てる。

 つまみを左に傾け、電池式に切り替える。ボタンを押し、小さな光が狭い範囲を照らした。すると、関原は思い出したように瞠目どうもくし、パソコンフロアへ視線を振る。


「おい、今のでデータって消えてるんじゃ……」


「データは自動で私のクラウドに転送されてる。問題ないわ」


 木城は落ち着き払って言うと、そばにある椅子を引き寄せて座った。コーヒーを口にし、吐息が漏れる。木城は神妙に顔を曇らせ、湿った口が開いた。


「悪かったわね。付き合わせて」


 不意に、木城がしんみりとした口調でささやいた。


「何が?」


「全部よ。製作を手伝ってくれたこととか、他の人に協力を仰がなかったこととか……。カードキーのことだって、浜浦教授から何も言われなかった」


 木城の顔が右に少し振られ、偏った瞳が関原に投げられる。


「隠したんでしょ? 私が盗んだこと」


 関原はばつが悪そうにこめかみを掻き、目線を外すと、メロンパンをかじる。関原がうんともすんとも答えないと察し、木城は視線を戻した。


 木城は背にする机にコップを置き、片肘をかける。


「関原は、ここに何を求めてきたの?」


「……いきなりだな」


「いい職に就いて、安定した生活を確保したいから? 誰かの役に立って、褒め称えられる人になりたいから?」


 関原は机に食べかけのメロンパンを置き、小さな灯をぼんやり見つめる。


「人員不足で悲鳴を上げている場所に派遣されたり、人が入れない火災現場にロボットが入って中から火を消したり。親が仕事で子育てできない時に世話してくれるロボット。独り身になってしまった高齢者の心の支えになるロボット。そんなロボットが、人を救う未来を創りたい」


 関原は優しく笑う。


「そしたら、この世界はもっと幸せな人が増えていくと思う」


「ぷっ」


 木城は口を押さえると、顔を伏せて笑いをこらえる。


「そ、そんなに笑うことないだろ」


「……ごめんなさい。恥ずかしげもなく模範解答を素で言ってるヤツ、初めて見たから」


 木城はなおも笑い続ける。関原は唇をゆがめ、モヤモヤした気分をコーヒーで流す。

 ひとしきり笑った木城は顔を上げ、息を零す。静寂の間が流れ、穏やかな空気に溶けて呑まれる。木城の表情がすっと和らいだ。


「でも、私よりマシよ」


 木城はしっとりと自嘲じちょうした。


「私の親は父親だけだった。手作りの時計を売ってた、さびれた店でね。でも、私は父が大好きだった。一緒に時計を作ったりもした。そのたびに、父は褒めてくれた。私の興味ある物と言えば、大体科学系の話。学校じゃ友達の話についていけない。頑張ろうとしたけど、これの何が面白いの? って感じだった。化粧とか、アニメとか、ファッション雑誌とか、そんなの見てるくらいなら、もっと有意義なことした方がいいのにってね」


 木城はおおげさに肩をすくめる。


「まさか学校の友達に言ってないだろうな?」


「もちろん言ったわよ」


 木城はあっけらかんと言い切った。


「普通の人なら分かることも、私は知らなかった。完全な変人扱いよ。学校に置かれてる勉強サポートAI。諦めたわ。すり寄っても心は弾まないし、時間の無駄。学校で学べることなんて、人の顔色をうかがいながら対応しろってことくらいよ」


「大学に通ってるヤツが言うことか?」


「しょうがないでしょ。個人で研究に必要な機材や資格を手に入れるのは骨が折れるもの」


 関原は苦言を呈したものの、木城らしい考え方だと思った。


「そんなんだから、家の中しか居場所がなかった。よく言えば職人、悪く言えばただの根暗ね。作り過ぎて、家の中で作れる物はだいたい作れた。自分がワクワクできる物がなくなっていく喪失感に耐えられなくなって、たくさん勉強するようになった。もっとワクワクできる物を作れば、みんな喜んでくれる。お父さんに褒めてもらえる。私には、それがすべてだった」

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