process 5 不器用な心

 月の光が差さない夜というのは黒幕が濃いものだ。知る人ぞ知る大学でなくとも、歩行に問題があるほど外灯が設置されないことはない。学生寮も備えている大学ならばなおのこと。


 講義が終わっても大学に残る者も多い。サークルや部活をしていれば、外はあっという間に暮れてしまう。

 暗闇にかすかな人影が歩く。特に行き先もなく、仲間との時間を漠然と会話に費やす者たちがいても不思議ではない。

 夜は時にロマンスを生む演出家である。神秘的な創造に寄り添うかのように、夜の隅でこっそりと情事を交わす者たちもいた。色事に比べ、味気ないと言われてしまいそうな夜を過ごす者も当然いる。木城は1人研究室にこもってドローン製作に励む。


 木城に言わせれば、色事よりも濃厚なスパイスを持っており、他の時間を削る価値がある過ごし方であった。

 すでにコンテストの提出期限まで1週間に迫っている。不慮の事故が災いし、提出できない可能性が濃厚であった。提出さえすれば、コンテストに3年連続で提出したことになるのだから、少々欠陥のある作品でも出せばいい。


 木城がそんな選択をするはずがなかった。周囲の期待に応えたい思いと、長年温め続ける誓いが、綺麗なままであってほしいという願いがある限り、木城は楽な選択をしない。


 過去の栄光にかかわらず、実用性と応用性、費用対効果があると言わしめる作品にすることが、木城のロボット工学に懸ける情熱の表れであった。だから、提出だけすればいいなどと、口が裂けても言わない。


 木城の集中力と動作は正確かつ速い。コンテストに間に合わせるために、昔の親友だった子に見せても恥じない作品であるように、全精力を注いでいた。


 はたから聞けば、高尚で感に触れる信念を持っていると思えたかもしれないが、コソコソと隠れるように暗い研究室で作業していては締まらない。

 わざわざスタンドライトを持参し、窓には厚いカーテンをかけ、更にはドアレバーのすぐ下に電源を落とした掃除ロボットを置いて、レバーを下ろせないように侵入を阻んでいる徹底ぶり。

 誰も使用しない時間を狙って研究室を独り占めし、知らぬ顔して「問題はなかった」と、最後よければすべてよしに持ち込もうとしていた。しかし、招かれざる客は往々にしているものだ。


 暗い研究室で鳴り物は木城の作業する音だけだった。そんな静かな空間で、突然1台の清掃ロボットが勝手に電源が入った合図を鳴らしたのだ。木城はまず聞くはずのない音を耳にし、視線を振り上げた。


 ステンレス製の2階通路の上で掃除を始めてしまったロボットは、不快極まりない音を鳴らす。通路の床表面はデコボコしているため、ロボットの足となるプラスチック製のローラーが集中を削ぐ音を鳴らす。

 そんなことより、なぜ勝手に清掃ロボットの電源が入ったのか。不可解な現象は警戒を誘発する。木城の視線は2階のドアに固定されている。そして、木城の疑問に答えるようにドアが開かれた。


 正体はドアの間から入り込む光を背に受け、2階通路から木城を見下ろした。


「研究室で籠城とはいい趣味してるな」


 関原は笑いもせず、嫌味っぽいセリフをぼやいた。


 木城は、ぼんやりと暗がりに立っている関原の手元に視線を留めた。長方形の箱のような何かの機械か。照射口らしき部分も見受けられる。

 清掃ロボットの不自然な挙動の原因を察し、木城はめんどくさそうに顔をしかめた。


「女の秘密を覗く趣味よりマシでしょ」


 関原は引き返してきた清掃ロボットに目線を移す。階段を下りられない清掃ロボットは引き返す他なく、ドアの方へ戻ってくるしかなかった。

 開けっ放しにしていたドアからロボットが出ていくと、関原はドアを閉めた。すると、ステンレス製の通路を歩き出し、階段を下りていく。


「何しにきたの?」


 木城は冷めた顔をして問いただす。

 関原は木城の質問に答えず、木城に歩み寄っていく。木城が席につく机の周りは、普段等間隔にパソコンが並べられているが、今や木城の作業のための机と化しており、木城が使うパソコン以外は大きな机の端に寄せられていた。


 関原は机に置かれたタブレットを取り、画面をタッチする。


「これが設計書か」


 そう呟くと、タブレットを顔の前から下ろし、ふて腐れる木城に視線を投げる。


「何が終わってないんだ?」


「は?」


「終わってないんだろ? コンテストに提出する作品」


 関原を見上げる木城の顔は戸惑いを隠せない。疑念は口から零れる。


「どういうつもり?」


「コンテスト提出期限まで残り1週間。君なら間に合うと思ってたけど、この設計書を見る限り、さすがの君でもこれは手こずるだろうな」


 関原はそう言いながら、タブレットを机の上に置いた。


「僕がやったわけじゃないが、間接的には僕にも非はある。手伝うよ」


「別にいいって……あなたのせいとも思ってないし」


 木城は力なく息をつき、パソコン画面に視線を戻して作業を再開する。


「そう言う割には、あの時すごい剣幕で怒られた」


 関原がそばに立って手伝いを申し出ているが、木城は無視を決め込んでいる。

 関原は机を背にし、丸椅子に腰をかける。


「君は才能にあふれてる。僕なんかよりずっと。多才で斬新、君の発想は、誰もが魅了される」


 関原は広い研究室を眺めながら、湿っぽい口調で木城を褒める。


「君に唯一欠点があるとすれば、他人に頼れないところだ」


 木城のキーボードを打つ指が止まる。


「孤高の天才を演じるのは君の自由だ。でも、1人でできないことを1人でやろうとするのは、合理的じゃない」


 木城は右肘をつき、視界に入る関原を隠すように肘をついて額に手をやる。スタンドライトとパソコン画面の光だけが、2人だけの空間を照らすも、数秒の無音が続いた。

 関原も、木城も、視線が交わることはない。平行線のまま、時が刻々と過ぎていく。


「偉そうに……」


 木城の呟きが無言の間を裂いた。呆れ交じりに零したのを聞き、関原は視線を投げる。


 木城は関原が置いたタブレットを取り、操作し始める。関原がそれを見守っていると、木城がタブレットを差し出した。


「アクチュエーターの設計書。機構のつくりも書かれてるから、あなたはそれをやって」


 木城は不愛想に指示する。

 関原は木城からタブレットを受け取ると、「ああ」とだけ言い、微笑んだ。


 関原は隣の机に移り、パソコンの電源を入れる。

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