process 4 期待と不安
興が削がれたとはまさにこういうことを言うらしい……。別に気にするようなことじゃない。分かってはいるが、感情とは厄介な代物らしく、論理的思考は役に立たなかった。
今日はもう帰るしかないと、読書を中止して研究室を出たのだった。
廊下の窓にわずかな水滴が貼りついている。まだ雨は降っているようだが、さっきより弱くなっている。今ならタクシーを使うほどの雨じゃない。
関原は歩を速めて集合ロッカーに向かう。
「今日はご足労をおかけしました」
前から浜浦教授の声が聞こえ、物思いに
「いえ、浜浦教授もお忙しい身でありますから」
とっくに今日の終業時間は過ぎている。この時間になると校内の廊下は閑散とし、人の姿はほとんどない。
「今度詳しいお話をさせていただけませんか?」
「ええ、私も興味があります」
近くで誰かと話しているようだ。すると、関原の行く先の角から、浜浦教授と黒いスーツを着た2人組の男性が出てきた。中年男性と長身の青年。大学では見かけない顔だった。
「ありがとうございます。また改めてお約束を取りつがせていただきますので、その折りにはよろしくお願いいたします」
「はい。できるだけ調整させていただきますよ」
3人は関原に背を向けて歩いていってしまう。まったく気にならないわけじゃないが、図らずも行く先は同じみたいだった。
関原は穴が空くほど見つめながら後を追う。
3人は玄関で立ち止まり、浜浦教授とスーツを着た2人組の男性は向き合った。
「では、またご連絡させていただきます」
「はい。いつでもお待ちしております」
2人組の男性はビジネス鞄を片手にさげて去っていく。
男性たちが背を向けたのを見計らって、浜浦教授に歩み寄った。
「浜浦教授」
浜浦教授が振り向くと、白い髭から覗く口を緩ませた。
「ああ、関原君か」
「今の方たちは?」
「お役所の方だよ」
「役人が先生になんのようで?」
「ふふ、少し話を伺っただけさ」
浜浦教授は笑ってはぐらかす。
関原も立ち入ったことを聞いたと思い、口をつぐんだ。
「関原君はこれから帰るのかな?」
「ええ。あ、そうだ」
関原は思い出したようにポケットから取り出す。
「落としてましたよ」
関原は微笑みを作ってカードキーを差し出した。
「ああ、ありがとう! 探してたんだ。昨日なくなっていることに気づいてね」
浜浦教授は心底安心したかのような声色でカードキーを受け取る。
「どこにあった?」
「……研究室のPCフロアに落ちてましたよ」
「まったく、歳は取りたくないものだな。研究には欠かせないものだったから、こじ開けて出そうかと考えていたところだよ」
「そうですか……」
関原は苦笑いで受け答えをする。
浜浦教授が唐突に切り出した。
「ああ、ついでと言ってはなんだが、君に聞きたい」
「なんですか?」
妙な切り出し方をされた関原は、何か重要なことだろうかと
「木城君のことなんだが……」
口にするのをはばかるように声が小さい。
ついさっきのこともあり、名前が出た途端、関原は心臓をつつかれた気分だった。
「その、何か忙しそうにしてなかったかな?」
回りくどい言い方だった。要は木城がコンテストに出す作品の提出に関して何か知らないかと、暗に聞いているみたいだった。関原は顔に困惑を貼りつけ、鈍くなった口を開く。
「学業の合間に色々やってるみたいですね」
「そうか……」
白髪の頭に手をやり、軽く髪をすいた。
「もしこのままコンテストに出さないのなら、A評価はできないな」
「技実がB評価以下でも、木城なら他で充分な成績を
関原は当たり前のように口にしたが、浜浦教授の顔は優れない。
「確かに全体はいい。問題は、彼女の進路が狭まってしまうことだ」
「え?」
「君も知ってると思うが、NWRCは世界中のロボット工学の権威たちが集う場でもある。最先端を行くロボット産業企業にヘッドハンティングされもする。若い人材にとって、あのコンテストは大手ロボット産業・研究機関などに就職できる自己アピールの場所。毎年コンテストの参加名簿に大学名が載るだけで注目される。個人でコンテストに優勝すれば、引く手あまたになる」
関原も、コンテストに出れば就職に有利だという話を聞いていた。他の学生もコンテストに出る主な理由はそんなところだろう。
「大手や研究機関には採用条件がある。コンテストに3年連続で出場することだ。必ずではないが、もしできなければ採用側からの評価はぐんと下がってしまう。木城君がこの大学を卒業した後、就職したいのはそういった企業だ。私もその方が彼女のためにはいいと思っている。時々、進捗状況を聞くようにしているが、いつもはぐらかされてしまって詳細を語ろうとしない」
浜浦教授はひとしきり話した後、深いため息を零した。
「心配なんだよ」
浜浦教授の言葉の節々から木城への期待が存分に滲み出していた。だからこそ、コンテストを飛ばすことになる近々の未来を信じたくないのかもしれない。間近で直接聞いてしまい、関原は疎外感のような寂しさを抱く。
「すまないね。愚痴っぽくなっていなかったかな?」
浜浦教授は額に皺を作り、弱々しい笑顔を映やす。
「気にしないでください。困ったものですね。あいつは」
関原は努めて明るく言った。
「ふふふ、ま、信じるしかなさそうだしな。首を長くして待つとするよ。じゃ、私はそろそろ帰るとするよ。またな、関原君」
「はい、お疲れ様です」
関原は玄関の隣で鎮座する集合ロッカーのあるスペースへ向かう。均一に並べられたロッカーの間を通り、1つのロッカーの前で立ち止まる。
ロッカーの扉につけられたセンサに学生証カードをかざし、扉を開ける。唾を飲み込んだ音は、ロッカーが軋んだ音に隠れた。
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