process 3 不祥事の未遂

 本を置いたまま、研究室の中を移動する。移動する間、生ぬるいどろりとした目だけを木城に向けている。木城もまた、関原の動きを注視している。

 関原が研究室の壁沿いを舐めるように移動していくと、木城は関原の視線をさえぎるように立つ。まるで背にしている物を隠すみたいに……。


 研究室の教壇の前を横切り、教壇の左にあるキャビネットに向かう。二段の大きなキャビネットは180弱ほどある関原の身長を越えている。

 アルコールランプ、試験管立て、ビーカーなどのガラス製の物がキャビネットの上段にあることが、両扉のガラスからうかがえる。関原はキャビネットの前に立つと、しゃがんでスチール製の引き戸を開けた。


 キリキリと擦り切れるような音を立てて戸が開く。

 電子顕微鏡、PC接続型のオシロスコープ、3Dプリンター、プログラム設計ファイルが入ったUSBケースなどが置かれている。


 関原は何度もこの棚から物を出し入れしている。いつもならここにはカギがかかっているはずだが、すんなり開いてしまった。

 誰かがカギを開け、そのままにしているということだ。そして、何かしら用があり、ここから何か取り出したか、あるいはしまったか。しかし関原は答えを出していた。


 2年もの間、思い入れの深い研究室を利用していれば、棚に何があるかくらい把握することはできる。棚に入っている物を見て、そこに入っているはずの物がないことも……。


 関原は戸を閉めて立ち上がる。確信に変わった疑念の目を惜しみなく向ける。

 木城の顔は微笑んでいた。いつもの余裕げな笑みはなく、取りつくろった笑顔。そんな木城の様子がおかしいことは、よく比較されてきた関原なら数秒足らずで感じ取れた。


 関原は木城にゆっくり迫っていく。関原の顔は睨みを利かせるように険しい。木城は逃げ腰になって顔を引きつらせる。


「ち、ちょっと、なんで近づいてくるのよ」


 木城は手を後ろに回して下がっていく。

 木城が後ろを見ずに下がったため、後ろの椅子に足が当たって動いた。ズゥという床に引きずった音が鳴って、木城は背後を一瞥いちべつする。

 なおも関原は木城に迫り、2人は少し手を伸ばせば触れそうな距離になった。


 木城は顔をゆがめ、関原を見上げる。蛇に睨まれた蛙のように固まっていた。

 片や関原は、真剣な表情で木城を見下ろしている。押し黙ったまま、視線を木城の左手に注ぐ。すると、関原は勢いよく木城の左手を掴んだ。


「……ッ! 何すんのよっ!」


 木城は身をよじり、抵抗する。その時、ガシャンと何か派手な音がした。それは床で鳴ったようだ。

 2人が視線を投げると、大きな青い巾着袋からはみ出した、ドローンが転がっていた。


「ああぁーーーー!?!?」


 木城は床に落ちたドローンの様を見るなり、大声を上げる。

 UFO型のドローンは胴体を2つにわかち、機体の中身であるシート電池や基板が露出してしまっている。


 外形の激しい損傷を見る限り、まず動かすことは無理だろう。電源が入るかどうかすら怪しい。

 もしただ床に落としただけなら、あんな激しく外形が壊れたりしなかっただろう。不運にも巾着袋の上に、卓上型のUV照射機が落ちたようだ。卓上型のため、持ち運びができる設計となっている。基板製作の一般化に貢献した非常に優れた作製ツールだ。

 それでも、お手製のドローンを壊してしまう重さはあったようだ。


「どうしてくれんのよもうー!」


 木城が悲愴感を漏らしながら、床で無惨に砕けたドローンを見下ろす。その時、再度木城の左手が掴まれ、強引に上げられた。

 手首に感じた圧迫により、木城は弾かれたように視線を引き戻す。

 関原の真剣な顔つきと、木城の手にある物が視界に収まった。


「高速画像処理プログラム設計ツール。浜浦教授しか開けられないケースから盗むとは、大したもんだな」


 冷たく皮肉を漏らしながら木城からUSBを取る。

 木城は観念したようで、苦々しい表情をしてそばにあった椅子を乱暴に引き寄せて座る。机に頬杖をつき、ふて腐れる顔つきのまま目を瞑った。


「どういうつもりなんだ」


「なんでもいいでしょ」


 言葉少なに反抗期の学生みたいな態度を取る木城。

 関原は呆れながらも言葉を続ける。


「これは浜浦教授が開発者の友人から譲り受けたものだ。このプログラムがあれば、多岐に渡る産業に役立つ高速画像処理プログラムを作製できる」


 関原は様子をうかがいながら木城の意図を探っていく。

 木城は顔を背け、目を瞑ったままだ。


「売ろうと思ったのか?」


 木城の表情が一変し、強い視線が差した。


「バカ言わないで。私はお金儲けをするために科学者になりたいわけじゃないわ」


 木城の態度の変わりようは関原の驚きを誘った。

 のらりくらりとかわして自身の心を探らせない木城が、直接的な感情を表に出すとは思ってもみなかった。

 木城の攻撃的な視線を浴びながら、関原は喉奥に留まったえぐみを絞り出すように聞いた。


「ならなんでこんなことをしたんだ? バレたらゼミを追い出されるぞ」


 木城の視線が惑う。憂いを帯びた視線が落ちて、床で転がる自作のドローンを見つめる。


「……関係ないでしょ」


 そう言うと、重い腰を上げてUFO型のドローンの前でしゃがむ。残骸を集め、巾着袋にしまうと、浅葱あさぎ色のカードキーを机に置いて部屋を出ていった。

 関原はカードキーを手に取り、確認する。浜浦教授の名前がローマ字で刻印されたカードキー。高速画像処理プログラム設計データが保存されているUSBケースのカードキーに間違いなかった。


 関原は視線を上げ、木城が出ていったドアを見つめる。あまりに寂しそうな木城の背中が、目に焼きついて離れなかった。

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