process 2 天ぷらとスイカ

 ゼミを終え、関原は学内の食堂でチャーハンをかきこんでいく。口をもぐもぐさせる関原の隣で、食事を共にしていた杉崎東里すぎさきとうりは、友人の鬱憤面うっぷんづらがおかしくてニヤけてしまう。


「まあまあ、そんなに落ち込むことねーって。お前の時だって教授は褒めてたんだからさぁ」


「僕は落ち込んでないよ」


 関原は仏頂面で口にチャーハンを含みながら応えると、豆腐とわかめのみそ汁を口に流す。


「木城の研究発表に最後までついていけんの、教授とお前ぐらいなんだから。俺なんかポカーンだぜ? 教授がいるから、みんな当たりさわりのないこと言って議論してるように見せてるけど」


「分からないことがあるなら質問すればいいだろ」


「あの木城だぜ? そんなことも分かんないのーって感じで懇切丁寧説かれるの分かってて質問できっかよ」


 杉崎は沈殿するウンザリ感を顔に表出させ、B定食のメインであるハンバーグを一切れ口に運ぶ。


 杉崎はテーブルに頬杖をつき、叶わぬ理想像に思いふける。


「あの嫌味な性格さえなけりゃもろタイプなんだけどなー」


 杉崎の独り言が隣から流れてきても淡々と食事をする関原。


「なぁ、木城って彼氏いんのかな?」


 関原は目線だけ杉崎に向ける。


「いるんじゃないか」


 関心がないと言いたげにボソリと答える。


「だよなぁ。いるよなぁ」


 杉崎は両眉を下げて深いため息を零す。


「色々うまくできてないよなぁ」


 関原は胸やけを起こしそうな杉崎の恋色の悩みからさっさと退散しようと、食べ終えてすぐに席を立った。


「じゃ、僕は調べ物があるから」


「おう」


 杉崎と別れ、関原は図書館へ向かう廊下を歩いていく。

 左手の壁は外界を見通せるガラス張り。快晴を仰げる空は眩しく、鮮やかな色合いに洗練された構内の造形物を美化させている。

 関原にとっては見慣れた光景だ。

 視線は再び長い廊下の奥へ引き戻された。その時、怒鳴り声が関原の耳に届いた。


「ふざけてんの!?」


 関原は異様な怒り方に何事かと思わず立ち止まった。どこからか聞こえてくる声に聞き耳を立てつつ、なるだけ足音を立てずに歩き始める。


 どうやら話しているのは女性らしかった。『Aー5』のドアの前に来ると、今まで断片的にしか聞こえなかった声がはっきりと聞こえる。

 今はどこも講義をしていない時間のはずだ。つまり、中にいるのは在学生の可能性が高い。そして、その1人は間違いなく木城のものだった。

 関原は『A-5』の講義室の壁を背にして留まった。


「それって、私に言うべきことなの? 私は、あなたの説明が間違っているから違うと指摘したまで。むしろ、あなたにとって必要なことを言ったつもりなんだけど?」


 木城はかったるい様子で白い長机の上に座って、数メートル先で門番のように立つ女性たちに、とても面倒な相手だと主張する瞳を向けていた。


「それであたしの評価が下がったらどうするのよ! あんたが指摘しなければ、先生は気づかなかったんだから」


 長い茶髪の女性はキリリと鋭い目で食ってかかる。


 女性の後ろで同じく怒りの表情で木城を睨む女性2人も、悪びれもしない木城に不満の念を沸き立たせている。


「間違った知識を覚えても何にもならないじゃない。せっかく高い授業料払ってるのに、間違った知識教えられて嬉しいの?」


 木城は理解不能と言いたげに問いかける。


「もっとやり方があるでしょ!? あとでこっそり教えてくれたらいいじゃない!」


 茶髪の女性の後ろでライトシルバーのジャケットを着る小柄な女性は、前のめりになって声を大にする。


「講義を聞いている人たちも私たちと同じでしょ。間違った知識を持って、いざその知識で実験して失敗するより、正しい知識で実験をしてみて、成功の確率を上げた方が効率いいでしょ? あなたたちはそれでいいかもしれないけど、他の人たちも聞いてたのよ? それとも、私が講義を聞いていた人たちを集めてさっきのあなたの説明は違ってましたって、わざわざ言えっていうの? そんな手間のかかること、お金でも貰わないとやってられないわ」


 木城は腕組みをして鼻で笑う。茶髪の女性は悔しそうに噛みしめる歯を小さく開口させて、拳をグッと握りしめる。


「祐美子は……特待生制度のためにいい評価が必要だったの。次の評価で免除制度が更新されるか、ギリギリの瀬戸際なの。もし、免除制度が更新されなかったら、もう大学行けなくなるかもしれない。木城さんは知らないからそんなことが言えるんでしょ」


 茶髪の女性を援護するもう1人の女性は、震え声で木城をたしなめる。木城は大きなため息をついて、大げさに愕然がくぜんとした様子で頭を抱える。


「いい? うちの大学の特待生制度は、1年に2回の成績評価時に平均値GPA3.5以上が条件。期末試験の点数、講義の出席頻度、レポートの提出の有無、レポート内容の評価で決まるの。別に講義で間違った知識を披露して、先生からいい評価を貰えたとか、そんなんで評価が下がるとか上がるとかないの。それに、仮にそれで評価が下がったとしても、期末試験まで4ヶ月もある状況で不安がることないでしょ。これから上げればいいじゃない。いくらでも挽回できる時間はあるでしょ。何をそんなに焦ってんだか」


 3人は険しい顔をして押し黙ったまま睨みつける。すると、茶髪の女性は黒いブーツの底を床に叩きつけるようにきびすを返した。


「もういいっ!!」


 女性たちは『A-5』のドアを乱暴に開けた。関原が右に視線を投げると、女性たちが足早に去っていく後ろ姿を目にする。


 関原のすぐ近くの扉が開いた。眼鏡越しの瞳が流れ、関原に止まる。木城は口元に笑みを零す。


「女の話を立ち聞きするなんて、趣味悪いわよ」


 関原は動じることなく木城に視線を投げ、呆れた表情になって唇をゆがめる。


「たまたま耳に入っただけだよ。気にさわったなら謝るけど?」


「いいわよ。あなたの趣味にはお似合いだし」


 木城は関原に背を向け、女性たちが去っていった方向とは反対の方へゆったりとした足取りで歩いていく。その背中は勝ち誇っているかのように堂々としている。


「君の言ったことは正論だ」


 木城は足を止め、怪訝けげん面持おももちを関原に向ける。


「それが?」


「間違ってない。けど、ならわざわざ指摘する必要もなかったんじゃないか?」


 木城は眉をひそめ、気だるげに体の正面を向けて、関原と対峙する。


「何を言ってるのかサッパリなんだけど。用があるなら早く済ましてくれない? 私、これから光電子工学の実習で、大学から出なきゃいけないんだけど」


「面倒なら指摘しなきゃいいんじゃないか? そうすれば、わざわざああやって絡まれて、時間を無駄にすることもないだろう。他の人間のことなんて考えず、自分のことだけ考えるなら、彼女たちや他の講義を聞いている人のことも考える必要もなくなるだろ?」


 木城は軽く握った手を口に添えて失笑する。


「なにそれ。アドバイスのつもり?」


「いや、君が効率的にやりたいと思っているらしいから、間違っていると指摘しただけだ」


「ご忠告どうも。それじゃまたね。正義のヒーローさん」


 木城は嘲笑ちょうしょうを残して去っていく。関原は険しい顔つきで木城の悠々とした歩みを見送った。

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