第二夜 不邪淫のかい
きっもちよかった~…………。
どの道地獄で修行を積み重ねる身、最後の手土産に極楽にトばせてやる、と言われ、やけくそに身体を重ねたのだが、死ぬのが恐ろしくなるくらいには、気持ちよかった。
全く経験がない、どちらがいいとかもない、と、言うと、相手の赤毛の男は、
「じゃあ、どっちもやってから死のうぜ。」
とあっけらかんと言ってのけた。赤毛の男の部屋に着いて、いくら行きずりでも、と、名前を聞いたところ、
「お前の想い人でいいよ。まあ、見かけは似てないんだろうけど、視界がぼやけるくらいには悦くする自信はあるぜ。あ、そうそう。俺がネコになる時、なんて呼ばれたい?」
そう問われて、彼は少し困った。
男は僧侶である。と言っても、
過酷な修行も、何年も会えない日々も、ただ、「良くやった。」と、その男が言ってくれるのを夢見て、ひたすら耐えた。この数年間が終われば、彼の生涯に付き添っていられる。それだけが心の支えだった。
無事、修行を終えて下山したのが一昨日。寺に戻ったのが昨日。
そして、修行者からの密告の手紙によって、寺から追放されたのも、昨日だった。
「この寺にホモは要らない」「気持ち悪いホモなんかがいたら檀家が逃げる」「ご住職は素晴らしい方なのに、この寺は由緒ある寺なのに、ホモ1人で潰すなんて、仏罰が下る」…などなど。
少なくとも、男が学んだ仏の教えとは、甚だしい乖離のある罵声ばかりだった。
何も同衾なんて望んじゃいなかった。そりゃあ、まあ、処置はするけれども、だからといって、その為に彼の法衣を盗みだそうなんて考えていない。何だったら、彼が跡継ぎのために、結婚しても、その妻に尽くすし、彼に子供が出来たら、一番の遊び相手になるつもりだった。
ずっと巣立たない、弟子でいるつもりだったのだ。自分が男であることも、彼は跡継ぎが必要な男であることも分かっている。そばに居て、力になりたかった。
けれども、日本は、初めて見る「ホモ」という言葉を使いたくて堪らず、突然持ち込まれた新しい価値観で、誰かを叩き潰したくて仕方なかった。戦後が終わり、高度経済成長を迎える中で、取り残されていく貧困者達のコンプレックスを解消するには、どう努力しても上に上がれない自分達と同じように、どう努力しても変われない下賎の者が必要だったのだろう。
何よりショックだったのは、彼が何も言わなかったことだ。「やめなさい」とも、「ホモは出ていけ」とも言わなかった。目を背けて、独り罵声を浴びせられる自分に背を向けて、本堂のある方へ歩いていった。
誰にも見つからないところで、我欲、愛欲、と、罵られたこの想い諸共消えようと、船に乗った。涙よりも乾いた雪が消えていく、そんな海路の上で、身を投げようとした時―――その赤毛の男は現れた。
「なあ。俺、猛烈に童貞が喰いてぇんだけど、お前美味そうだな。死ぬ前に喰わせてくれよ。どうせ死ぬ気なんだからいいだろ? 極楽行く前に極楽にトばしてやっから。」
そうとも、本当であれば、彼に愛されたかった。男が妻にするように、女が夫にするように。自分らしい恋も出来ない試練に、一生をかけて挑もうという気骨は、ただ、先進ぶりたい我欲によって砕かれたばかりだった。
やけくそだったのは確かにそうだ。だが自分のこの気持ちを、邪淫にするには充分過ぎるほどの、慈悲だったのだ。
心残りは確かにもうないな、と、意気揚々と甲板に出て、時代遅れの上に道具も何も無い
音に聞こえし東京大地震もかくやという、凄まじい衝撃が船を遅い、ひょんっと男の体が浮いた。続いて、床に叩きつけられたかと思うと、足を何者かに引っ張られた。否違う、船が傾いて、自分は落ちて行ってるのだ!
「うわあああ!?」
どこかが再び壊れたのか、衝撃でもう一度身体が浮く。何もない床に掴まることができる訳もなく、調度品が叩き割った窓から、海に投げ出された。
硬い水面に全身を叩きつけられて、うっと頭がぐらつき、意識が遠くなる。
そのまま、水圧に押しつぶされて、男は海に吸い込まれていった。その時にはもう、意識が途切れる寸前で、不思議と苦しさはなかった。
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