第28話 『穏やかな昼下がり』
◆ベイルーニャ繁華街:とある喫茶店◆
「───勘違いしないでもらえる? これは誤解よ」
喫茶店にて、席に着くや否やそう早口で切り出したのは何を隠そう魔獣専門の殺し屋にしてレーヴェでの俺の同居人、レイナその人である。
屋内だからかフードを外しており、艶やかなミディアムヘアの黒髪を顕にしている彼女はカウンター席の右隣から俺に鮮血のように赤い瞳を向け、話しかけるなと言わんばかりのオーラを全身から発しつつこちらを睨みつけていた。
「黙って」
「さすがに横暴が過ぎるだろ!? まだ一言も発してないぞ、俺!?」
「私は別に、貴方達と一緒に入ろうとここで待っていたわけではないの。それだけはここで否定させて。ただ、空港までの道中にちょうどこのお店があって、足をつい止めてしまって……それだけだから。わかった?」
「ああ、うん、だよな……」
それは何も言われなくても、はじめからわかっていることだ。レイナが跡から心変わりして、あるいははじめから俺たちと一緒にお茶しようとここの前で待っていた───というのは、そもそも考えつかない発想である。
先程の発言から考えるにおおかた、俺たちと別れた跡一人で空港へと向かっていたが、途中で気になるお店に遭遇し───そこを俺たちと鉢合わせてしまった。そういうことなのだろう。
「もし勘違いしているなら、そういうことだから今すぐ認識を改めなさい。もし、改めないようであれば」
「あれば?」
「殺す」
「殺す!?」
「ごめんなさい、やっぱり半分だけ殺すことにするわ」
「おい、このやり取りほんの数日前にやった気がするぞ!」
相変わらず真顔でとんでもないことを言い始める少女だ。最も恐ろしいのはそれが冗談なのかどうか微妙にわからないラインである部分である。
「そんなに慌てなくてもいいわ。私はあくまでベスタ専門の殺し屋───貴方からお代は奪わ……いえ、受け取らないから」
「今、最初のほうで俺の死体から金を奪おうとしてなかったか?」
「……冗談よ」
「その妙な間はなんなんだ!」
彼女の『冗談』を聞くのは、これで二回目になるのだろうか。
相変わらず背筋の凍りつくようなユーモアセンスだった。
「それにしても、です。やっぱりレイナも気になってたんですね、ベイルーニャの喫茶店!」
と、レイナのペースに乗せられつつあった(というか乗せられていた)俺に助け船を出すように、今度は左隣の席から明るく声がかかる。
身体を若干食い気味に前にと乗り出させていたエルシェは、頭を横に向けて楽しげな様子でレイナに話しかけた。
「いやー、まさかお店の前に立っているとは予想外でした。レイナはさっき先に空港まで行っていると言ってましたから。やっぱり気になりますよねこの看板。わかります。騎士の掟第11条『美味しそうなお店と悪人は逃がすな』、です」
腕を組み勝手にウンウン頷くエルシェ。レイナは少し困ったように沈黙していたが、
「違うわ。いえ……はぁ、もう否定しても仕方ないわね。今更店を出るわけにもいかないし」
やがて諦めたようにため息をつくと、テーブルに置かれたメニュー表を手に取って眺め始めた。
「ご注文は何になさいますか?」
俺たちの会話が一段落するのを待っていてくれたのか、この店の店主らしき禿頭の男性が注文を聞いてきた。落ち着いた雰囲気の男性だ。
眼の前にメニュー表がなかったため、隣からレイナの持っているメニュー表をチェックしようと少しだけ身体を傾けると、俺が手元のそれを見ようとしていることに気づいたらしくレイナは若干位置を左側にずらし、俺にも見えるようにしてくれた。
……なんか、こういうところは優しいというか、普通なんだよなぁ。
「えーと、どれどれ? お、なんかいっぱいあるな。これ、どれにすればいいんだろ」
「私はストレートティーを」
「決めるの早っ!!」
即決で注文を決めるレイナさん。紅茶にはやはり強いこだわりがありそうだ。
一方エルシェはといえば自分のほうに置いてあったメニュー表を手に取り、顎に手を当ててむむむと悩ましげに唸っている。
「うーん、難しいですね。じゃあ、私はココアを……じゃなかった! このコーヒーをお願いします。ブラックで」
「エルシェお前、それ苦いやつじゃないのか? 大丈夫か?」
「む、なんですか少年、その目は。大丈夫ですよ。私はこれでも立派で誇り高き騎士なんです。苦いものくらい、ちょちょいのちょいなんですからね」
「そういえばレーヴェでもなんか挑戦してたっけか。たしか……ボルトカジュースとか……」
「あー! あー! 何言ってるのか聞こえませんね! 全ッ然! それよりも少年、お前は何を注文するんですか! 決めてください!」
「そうだな……」
見ればメニュー表には、様々な飲み物らしきものや料理の名前が羅列されている。なぜかどういうものなのかなんとなく察せるようなものから全く検討もつかないようなものまでよりどりみどりだ。
だが、ここまでせっかく来たのだから紅茶を頼んでみるか。
紅茶にしても種類が色々とあったが、ひとまず一番上にある定番そうなものを選んでみることにした。
「じゃあこれで」
「かしこまりました」
注文を受けるとマスター(かどうかはわからない)は頷き、何やら手元でカチャカチャと音を立て始める。紅茶やコーヒーを淹れる工程がどのようなものかはよくわからないが、多分今作ってくれているのだろう。
しばらくして、ちょうど三つのカップが俺たちの前に差し出された。
「お待たせしました」
中を覗き込むとカップの中にはそれぞれ黒、茶色、薄茶色の液体が注がれており、何やらいい香りが湯気とともに漂ってくる。
「へぇ、これが紅茶か。レイナの飲んでたやつとはなんか違う見た目だし、紅茶にも色々と種類があるんだな」
「銘柄にしても、ミルクや砂糖の種類にしても色々ありますよ。まぁ紅茶に関しては、私もあまり飲まないので詳しくはないのですが」
三つのカップのうち俺が注文したのはどれだろうと取りあぐねていると、左右からエルシェとレイナがそれぞれ黒色と茶色の液体が入ったカップを持っていく。最終的に余ったこれが俺のだということか。
「では失礼……」
俺はおそるおそるカップを口元へと運び、ふーふー息を吹きかけて冷ましつつ、ついに意を決して───。
「待ちなさい」
───飲もうとしていたところを、ギリギリで隣の黒コートの少女によって止められた。
「ん? なんだよレイナ」
「それ、使わなくていいわけ?」
「それ? あ、これのことか」
それと彼女が示す方向を向くと、そこには小さな二つの入れ物がテーブルの上に置かれていた。その内一つはまるでポットのような形状をしており、触ってみるとほんの少し暖かい。
「あれ、なんだろうこれ。こんなもんさっきまであったっけか」
俺の記憶が正しければ───記憶喪失になった人間、否、半神の記憶など、信用できないかもしれないが、このような容器はテーブル上に置かれていなかった気がする。
見落としていたのだろうか? だがしかし、さすがにこれだけ大きなモノがあったら気づくはずだ。お茶と一緒に出されたもの、と考えるのが妥当か。
「それはお好みで加える砂糖とミルクよ。私は入れないけれど……貴方は始めてだし少し入れたほうが飲みやすいんじゃないかしら」
レイナにしては信じられないほど普通のアドバイスだ。だが、意外とレイナは質問したことには答えてくれたりもする。とっつきにくい性格だけど、なんだかんだ良い所もあるよな───と、脇道に逸れかけた思考をあわててリセットする。
「なるほど、そういうことか。ならやってみるか」
ちなみに、こういうのはどのくらい入れればいいんだろう?
なにせ記憶がないもので勝手がわからない。
とりあえず容器の蓋を開き、角砂糖を一つ投入。
熱された紅茶に溶けていく角砂糖の姿を眺め、その短い一生を見届けると今度はポットのような容器を手に取った。多分こっちがミルクだよな。
「こぼさないように、そーっと、そーっと……」
ちなみに今の台詞は俺のものではなく、隣で俺の紅茶デビューを見守っているエルシェから発されたものだ。彼女は俺の姉かなんかなのだろうか。
とはいえ慎重にやらなければならないのは確かだ。俺は注ぎ口に全神経を集中させ、ゆっくり、ゆっくりと注いでいく。容器の口から紅茶へとトポトポトポと注がれていく白いミルクを、じっと眺める。
……あれ、これいつまで入れてればいいんだ? 誰もストップをかける様子がないということは、まだまだ入れろということか? なら続けるか。俺は迷いながらも容器を傾け続ける。い、いいのか……?
トポトポトポ。
トポトポトポ。
トポトポトポ───。
「……」
「───うわぁ!?」
───その瞬間。いきなり隣から腕をガッと掴まれ、俺のミルクを注ぐ作業は突然強制的に中断されたのだった。
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