第27話 『あらためての再出発』

「レ、レイナ……いたんですか……!?」


「ええ、先程まで少し席を外していたけれど」


「い、いきなり気配を消して後ろに現れるのは心臓に悪いからやめてください! 寿命が縮むかと想いましたよ!」


「……? 驚かすつもりはなかったわ」


 若干腰が抜けた態勢のまま振り向き抗議するエルシェに、真っ黒いコートに身を包んだ人物が悪びれもなく平然と応える。

 頭から爪先に至るまで、手元以外に一切の露出のない黒を基調とした衣装。

 そしてその上から更に纏った漆黒のコート。


 黒、黒、黒───顔の見えないこの状態では、彼女を構成する色素のほとんどが黒一色だった。

 この黒すぎるがあまりに、一周回って周囲から目立っている少女───レイナ。

 俺のレーヴェでの同居人にして現在の道連れである彼女もまた、相変わらず深く被ったフードによって顔をほぼ隠していた。


「レイナか。安心したよ。さっきてっきり俺とエルシェをおいてどっか行っちゃったのかと」


「……」


 エルシェに続く形でまた俺も話しかけてみたが、案の定というべきか何も応答はない。

 無視、それも圧倒的なガン無視である。しかしこれがいつもの彼女といえばいつもの彼女なので、大して気にはならない。これがレイナという人間なのだ。


 ……まぁ、だからといって全く傷つかないと言えばそれもまた嘘になるのだが。


「あれ? レイナ、その手に持っているものはなんですか?」


 突然、何かに気づいた様子のエルシェがレイナの手元を指差す。

 釣られてその先に視線を送ると、レイナは手に小さなシワの刻まれた紙袋を抱えていた。


「これのこと? これは先程買った茶葉よ。最近、ストックが無くなってきたから。本格的なものはセルビオーテやキュラスぐらいにしか売っていないけれど、ラヴァケルク産ならここでも手に入るわ」


「あー……」


 さすがはレイナ、決してブレない紅茶愛好家っぷりだ。俺はレーヴェにいた頃からずっと、レイナとは紅茶とベスタ以外で会話をしたことがない気がする。


「お前、紅茶以外でなんか趣味とか好きなものとかあるのか?」


「そうね。好きなものと聞かれると難しいけれど、少なくともそこに貴方が絶対に入っていないことだけは確かだと自信を持って言えるわね」


「相変わらずだな……」


「生憎と、私はいつまでも変わらないの。これが他ならない私だから」


 レイナが口を効いてくれるときはたいがいこんな調子である。ま、彼女のこの態度にはもう慣れているから別にいいのだが。


「紅茶、ですか。そういえば少年は、紅茶を飲んだことはありますか?」


 おもむろにエルシェがこちらを向き、話題を振ってきた。


「紅茶か。いや、ないな。レーヴェにもたぶん喫茶店はあったと思うけど」


 言われて《騎士団》のベッドで目覚め、レイナやエルシェとの出会いを経てレーヴェを旅立つまでのこの数日間のことを回想してみる。しかし、ボルトカジュースや水とは異なり、紅茶を飲んだ経験は俺にはまだなかった。


「えっ、ないんですか!? レイナと同じ部屋で暮らしていたのに……意外ですね」


「いや、こいつ俺には絶対紅茶振る舞ってくれないんだよ。なんでか知らないけど」


「……」


 当の本人はそしらぬ顔でそっぽを向いている。

 面と向かって紅茶をくれと要求したことあはないが、それをしたところで「いいわよ、なら一緒に飲みましょう」などと言ってくれる魔獣専門の殺し屋さんではあるまい。逆に言われたら怖い。命の危険を感じてしまう。


「そういうことなら───」


 エルシェはぱちんと両手を合わせ、俺とレイナを交互に見上げる。


「今から三人で喫茶店に行ってみませんか? まだ空港───飛行船の発着所となるステーションで飛行船の搭乗券が売られるまでには時間もありますし、港から空港のある中央区までには大きな繁華街もあります。きっと喫茶店もたくさんあるはずです」


「お、いいな。この暑さだし……とりあえず屋内で休憩するか」


「決まりですね! では早速───」


「ちょっと待って」


 嬉しそうに頷き、街の方へと駆け出そうとしたエルシェを静止したのはレイナだった。


「な、なんですか?」


「どうしてその頭数に私も含まれているの?」


「え……? だって、レイナも紅茶は好きですよね?」


 提案に待ったをかけられ、エルシェは困惑の色を青い瞳に映す。レイナはそんな彼女をまるで諭すように、頭をゆるゆると横に振りながら続けた。


「……否定はしないわ。けれど、何も私と貴女達で常に行動を共にする必要はないでしょう? 私のような人間と茶を嗜んだところで、誰も楽しくはないでしょうし。むしろ困らせてしまうから」


「いえ、そんなことは」


「私は先に空港に行っているから。あとは二人でゆっくり楽しんでもらって構わないわ」


「あっ、ちょ、ちょっとレイナ!?」


 次の瞬間エルシェが引き止める間もなく、レイナは踵を返し颯爽と歩き出した。

 まるで、俺たちと一緒に行くつもりなどはじめからさらさらないと、そんな拒絶の意を言外に背中で示すようにして。


「レイナッ」


 遠ざかりみるみるうちに小さくなっていく黒い後ろ姿を、俺たちはただただ眺めることしかできなかった。


「……行ってしまいました」


「……だな」


 ふと、あの裏路地でのレイナの台詞を思い出す。

 彼女はあの時もこんなことを口にしていた。


『───貴方は、私に深く関わるべきではないわ。貴方だけじゃない。きっと誰にとっても、それが最善だから』


 彼女が俺たちと───否、おそらくほぼ全ての人間との関わりを拒絶し、距離を置こうとする理由はわからない。

 だが、彼女の言うようにわざわざ一緒にいることにこだわる理由もないのかもしれない。そもそも俺たちはあくまで次の目的地、謎のベールに包まれた、旧列強が一国───第4区連邦加盟国、セルビオーテまで彼女に同行させてもらうだけの立場だ。


 無理は言えないし、彼女が嫌がっているのならそれをすることはできない。だが。


「はぁ……レイナと仲良くなれるきっかけになればと思ったのですが……残念です」


 エルシェがしょぼくれた様子で肩を落とし、ため息をこぼす。


「まぁ、そうだな。でもあいつにも色々込み入った訳がありそうだし、無理に仲良くしようとするとかえって迷惑になるのかもしれないな」


「それは……そうですけど」


 エルシェは納得がいかない様子でうつむき、黙り込んでしまう。

 だが、これ以上ここでいくら考え込んだところで、俺たちにできることはない。


「とりあえず、街の方まで行ってみるか。今ならまだレイナに追いつけるかもしれないし」


「……ですね。行きましょう、少年」


 そうして俺たちは港近くの公園(ベンチがいくつかあるだけの広場に過ぎないが)から移動し、ベイルーニャの内陸側───連邦スフィリアがその約半分を占めるとも言われている、広大な大陸が広がる向こう側へと動き出した。


 そのまま歩くこと数十分。

 俺たちは人という人でごった返し、レーヴェを凌ぐほどの喧騒と熱気で包まれた繁華街へとたどり着いた。


「すごい賑わいだな。どこもかしこも人だらけだ」


「暑さもそうですが、人の密度もレーヴェのそれとは段違いですね……こ、これが大陸……いえ、レーヴェを代表する騎士としてここで気後れするわけには……! 負けませんよ、ベイルーニャ……!!」


「お前は何に闘志を燃やしてんだよ」


 俺は街を眺めながら、何やらメラメラと燃え上がり始めてしまったエルシェをなだめる。この暑さで横のエルシェまで燃え上がられたら堪らない。

 ああ、レーヴェの暑さを吹き飛ばしてくれた爽やかな風とあの冷たそうな運河が早くも懐かしく感じる……。


「しかし驚きましたね。ベイルーニャに来るのはかなり久しぶりですし、ここまで人が多かったとは思ってませんでした」


「前にも来たことがあるのか?」


「そうですね。以前、《騎士団(クラン)》の任務の関係で四年ほど前に団長に連れてきてもらった記憶があります。まぁ、今となっては暑かったことぐらいしかほとんど覚えていませんが」


「実質初めてみたいなもんか」


「そんな感じですね。なのでお店、喫茶店がどこにあるのかとかも私はほとんど知りません。でもこれだけ大きな街なら必ずどこかに───あっ!」


 いきなり立ち止まったエルシェが前方に見える一軒のお店を指差した。


「あそこなんか良さげじゃないですか? ほら、あそこの看板に描いてあるのって」


「ティーカップ……だな」


 そこにはやや古びた木製の釣り下げ式看板に、空のティーカップと紅茶を注ぐティーポッドのイラストが描かれていた。


「喫茶店ですよ! ほら、行きましょう少年!」


「おおっ!?」


 嬉々として叫んだエルシェは、俺の手を引いて勢いよく駆け出す。

 俺はバランスを崩さないように必死に踏ん張りつつ、引っ張られるがままにしていると───エルシェはおもむろに立ち止まった。


「え?」


 彼女らしからぬ急停止。何事かと正面を見ると、その理由がすぐに俺にもわかる。

 何故なら、そこには───。


「あっ」


「「あっ」」


 ───店先で看板に描かれたティーカップに足を止めていた、黒コートの少女と俺達の声が発せられたのは、全くの同時だった。

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