幕間 異形の夜

 ◆???◆


 ───天井から滴り落ちた一滴の水滴が、床に広がった水溜りに波紋を描く。


 その場所には、一切の陽の光が差し込んでいなかった。


 窓もなく、蝋燭やランタンすらそこにはない。どういうわけか完全に光を遮断されているために異常に暗く、周りの様子はまるで伺えない。

 パチパチと音を立てて燃え上がる篝火だけが唯一の照明となって、石造りの床やうっすらと見える玉座の端をわずかに照らしていた。


 閉め切られた閉鎖空間に漂う異臭と瘴気は、まるで身体に悪影響を及ぼすのではないかと思うほど濁りきっている。

 そして、それこそが同時にこの空間に平然と存在している者たちの特筆すべき異常性を証明していた。


『───計画は、どうなっている?』


 そんな暗く、冷たい陰鬱な雰囲気の立ち込める空間に突如として声が響く。


 声は低く───そして深く地の底から響き、聞く者の本能的な恐怖と嫌悪を掻き立てるような、濃密な威圧感を孕んでいた。何も知らない一般人が偶然この声を耳にすれば、たちまち襲い来る得も言われぬ恐怖にすくみ上がり、動けなくなってしまうだろう。


 それほどまでに、声は尋常ならざる重みを伴ったものだった。


「全て予定通りに」


 ややあって、声に別の声が応じる。石造りの空間に重く響く、恐ろしげな声にも一切の恐怖の色なく至極淡々と返してみせたそれは、若い女の声だった。


 女性にしては落ち着いた、やや低めの声だ。声だけでは女性のはっきりとした年齢は推し量れないが、張りのある声音からはかなり若いようにも思える。


『───そうか。それは喜ばしいことだ』


『───ああ、全くだ。実に申し分ない』


『───だが油断はするな。先はまだ長い。着々と準備を整え、万全を期すのだ』


 声は口々に喜びの言葉を口にする。だがしかし、そんな言葉とは裏腹にまるで感情というものの色は伺えなかった。


「承知しております」


『それで良い』


『時は近い』


『───この者共も、来るべき日の気配に昂ぶっている』


 次の瞬間まるでその声に応えるように、玉座を取り囲む無数の影が蠢く。


 玉座の周囲にはぐるりと一周する形で、暗闇にワラワラと盛り上がった『何か』が存在していた。


 それはまるで巨大なヘドロの塊が、意志を持って動いているかのような───否、そこにいるのは、いずれも人ならざるモノ達だ。

 蛇、狼、蜘蛛───数を数えることすら恐ろしく躊躇われるような異形の群れが、まるで中央の玉座に頭を垂れるように集結していた。


「───」


 それらは声に喝采するように、喜びのあまり暴れ狂うように悶え、吠える。


 うっすらと浮かぶシルエットだけを一見すればオリジナルの生物と大差なく、ただ異常に巨大な体躯を持つだけの蛇、狼、あるいはその他の生物にも見える彼らだが、よくよく目を凝らし見てみれば気づくだろう。彼らの常軌を逸した、姿形に。


 総じて彼らに共通している点は二つだ。

 それは、皆一様に黒い身体を持っていること。そして───その身体のどこを見ても、瞳が存在しないこと。


 吠え、叫び、深淵の如く広がった闇に蠢く漆黒の獣らは、名をベスティアと呼ばれていた。

 あまりにも禍々しい、あまりにもおぞましい、目を背けたくなるような光景。


 地獄と見紛うような───およそ、この世のものとは思えないような空間だ。

 もし世界のどこかに楽園というものが存在するのなら、今この場はそれと最も遠くかけ離れている場所、概念であると言っていい。


 そんな楽園の対極に位置するかのような空間に、再び声が響く。


『忘れるな』


『恐れるな』


『怠るな』


 まるで恨み言のように吐き出された言葉が、歪んだ『城』に満ちていく。

 無数の影が蠢く中、声は続けた。


『計画を実行へ移すその日まで』


『我らが悲願を果たすその日まで』


『───偽りの神を地へ落とし、この世界に“我々”が産み落とされた本懐を果たすその日まで』


 その言葉を皮切りにボッと篝火が一層激しく燃え上がり、そして消える。

 後に残ったのは圧倒的なまでの純粋な闇、ただそれだけだった。

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