第24話 『半神と騎士と殺し屋と』

「……待ってくれ」


 俺は半ば無意識に、その背中を呼び止めていた。


「……何? まだなにかあるのかしら」


 少しして、再びぱさりとフードを外したレイナは目線だけをこちらにやった。


 赤い瞳がまっすぐに俺を射抜く。

 俺は言葉に詰まりながらも、なんとか一言一言喉の奥から言葉を絞り出そうとする。


 数秒間の沈黙が続き、やがて俺は確かな覚悟とともに次の言葉を口にした。


「俺も、同行させてくれないか」


「……へっ⁉」


「……」


 突然素っ頓狂な声をあげたのはエルシェだった。レイナは無言のまま、瞳をすうっと細め俺を見る。


「理由を聞いても?」


「次の目的地……第4区のセルビオーテだったか、同行させてもらうのはそこまでで構わない。俺は……この世界のことを、連邦スフィリアのことをもっとこの目で見て、知りたいんだ。それにあの自称女神シロの話……三年以内に、スフィリアで《神》を見つけなきゃいけないってのもある。だから俺も、旅に出てみようと思ったんだ」


「……私に付いてくるの? 言っておくけど、決して愉快なことにはならない。むしろ生半可な気持ちでいたら命を落とすことになるかもしれないわ。それだけの覚悟が貴方にあるのかしら」


「……」


 彼女の言葉は重く、心に響くものだった。


 連邦における帰属を示す《記章クレスト》を持たない素性不明、それでいて異様なまでに高い身体能力でベスタへの強い執着心を示すベスタ専門の殺し屋、レイナ。


 たしかに彼女の言う通り、これから俺が歩もうとしている道のりは決して楽なものではないのだろう。

 危険もきっと数え切れないほどあるだろうし、時に大いなる困難に衝突することもあるかもしれない。


 でも、そうだとしても。


「勿論そういう事もあるだろうな。だけど……レイナ。俺はお前のことも、もっと知りたいって思ったんだ」


「……私のことを?」


 俺はこの少女について、まだ何も知らない。


 強いて言うとすればベスタに対し強い敵意をもっていて、強くて、ムチとダガーナイフのような獲物を所有していて、そして大変に口の悪い紅茶愛好家だということくらいだ。


「ああ」


 ───だから彼女のことをもっと知りたいと、俺はそう思った。

 どうしてかはわからない。でも、このまま終わらせたくはなかった。


 終わらせてはいけないような、そんな気がしたのだ。レイナだけではない。

 レーヴェについても、セルビオーテとやらの国についても、この世界はわからないことだらけで未知に満ち満ちている。


 この海の向こうにはどんな景色が広がっていて、どんな人々が住んでいるのか。

 俺は知らなければならない。いや、知りたいのだ。


 いつの日にか世界のどこかにいるとされている《神》を倒し、失われた俺の記憶を取り戻す───その日がやって来るまでは、旅をしなくてはならない。


 この身が半神から人間に戻るまで、ついでに世界の滅亡を防げるその日まで。


 それが今の俺の進むべき道なのだと、そう思った。


「ほんの数日間、部屋を共有しただけの付き合いだけど……でも、この数日で俺はお前のことや世界のこと、色々なことを知りたくなった。それにもう少しだけお前といられれば、何かが変わるような気がする。だから……もし良ければ、セルビオーテまで一緒に行かせてほしい。頼む」


 きゅっと目をつぶり、頭を下げる。部屋に沈黙が流れ、ややあってからレイナがため息をつく音が聞こえてきた。ダメ、か……?


「……はぁ、まったく随分といい趣味の持ち主ね。いいわよ、セルビオーテまでなら。好きにしなさい」


「いいのか?」


「ただし」


 目を開き、勢いよく頭を上げた俺の視界に飛び込んできたのはレイナの人差し指だった。見れば彼女は無表情のままびしっとこちらを指差している。


「二つ、条件付きよ」


「条件?」


「ええ。一つ、互いに余計な詮索はしないこと。二つ、あなたに横取りされた私の獲物ベスタ一体分、私の『仕事』を手伝うこと。この二つの条件を飲むというのなら、第4区に辿り着くまでの間、貴方の同行を認めてあげる。いい?」


 一つ目の条件はともかく、はてレイナの獲物の横取りなんてしたことあったかな……と腑に落ちぬ部分があったため、ぐるぐる(覚えている限りの)過去の記憶を辿ってみる。しばらくしてああ、もしかしてあの最初の裏路地で戦った黒蛇もどきの事か、と納得した。


「……わかった。約束する。ありがとう」


 上体を起こしながら俺がそう頷くと、レイナはふいっとそっぽを向き、いつもの定位置である自分のベッド側のソファに腰を下ろした。


 そして再びいつの間にかテーブルの上に展開されているティーカップにポットからとぽとぽ音を立てて紅茶を注ぐ。


 ……いや、マジでどうなってんだそれ? 

 さっきまで机の上にはカップ一つとしてなかったぞ。目にも止まらぬ速さでさっと広げているのか、しかしそれにしたってそのお湯はどこから沸かしてきているというのか。

 レイナさん七不思議(今勝手に考えた。なのでこれが記念すべき最初の一つ。残りの六つも順次加えていきたい)である。


 というか、やっぱりあのお茶セットってレイナの私物なのか。この部屋には一応年季の入った棚が備え付けられているが、ヒビの入った食器やよくわからない壺のような容器ばかりでティーカップはどこにも置いていなかった。


「……」


 ふと、レイナは俺が手元のカップを眺めていることに気がついたようだった。俺の顔を見て、手元のカップを見て───それらを怪訝な顔で交互に何回か見つめたあと、両手で俺から守るようにカップを遠ざけ、一言。


「……あげないわよ?」


「いや、だからいらねぇよ!?」


「そう、なら良かった。明日の夜明けには出発するから準備しておいて」


 澄ました顔のレイナは俺の渾身のリアクションを軽く受け流し、くいっとカップを傾ける。この紅茶愛好家……。


「ちょ、ちょっと待ってください少年! 旅に出るって、このレーヴェを出て他の連邦加盟国に行くってことですか!?」


 慌てふためきながら声をあげたのは、今まで黙っていたエルシェだった。


「そんな、危ないですよ! まだ知らないこともたくさんあるのに……他の連邦加盟国の中は、レーヴェと全然違う国もあります! 治安だって悪い所もいっぱいあるし、道中には賊やベスタもきっと出てきます……! それに、それに……!」


「エルシェ……」


 俺はエルシェの方に姿勢を正して向き直り、不安げな顔で俯く彼女の顔を正面から見据える。


「……心配してくれて、ありがとな。俺はお前に迷惑と心配かけてばっかりだよな。ごめん」


「迷惑だなんて私は一度も……っ、誇り高き《騎士団クラン》の騎士として当然のことをしただけです! 私はただ……」


「ああ、わかってる。お前は本当に強くて優しくて、立派な騎士だよな。俺の身を案じてくれるのは、たぶん連邦でお前とロアさんぐらいだよ。ありがとう」


「なら……」


「けど、大丈夫だ。これ以上お前とロアさんに……《騎士団クラン》に負担をかけたくない。それに、知りたいんだ。自分が誰なのか、ここはどこなのか───だから、さ。俺からもこれ、受け取ってくれないか」


「え……?」


 俺はポケットに手を入れ、がさがさと弄る。たしかこの辺に……あった。

 先日ベスタと戦った際にその報酬として憲兵局から受け取った銀貨や銅貨。それをまとめ、しまっていた巾着袋をエルシェに差し出す。


「これ、この間の……」


「ああ。レイナに比べたらしょぼいもんだけど……それでも受け取ってもらえると、嬉しい。この数日間、ほんとに世話になったからさ。せめてものお礼……ってほどじゃないかもだけど、俺が感謝の気持ちを伝えられるのはこのくらいしかなくて」


「わ、私は見返りが欲しくて少年を助けたわけじゃ……! それに、こんなに受け取ったら少年は一文無しになってしまいます!」


「俺はほら、一応昨夜もらった分の報奨金があるからな。しばらくはそれでやりくりしてくつもりだよ。見たとこ、なんとかある程度はやっていけそうだしな」


 これはレーヴェで過ごしたこの数日間でわかったことだが───ベスタを衛兵局に引き渡した際にもらえる報奨金はそれだけで職が成り立つだけのことはあり、なかなかの高額だ。単価は相当に高く、当面の間は旅費にしてもこれで賄えるはずだ。


「だから、心配しなくて大丈夫だ。本当にありがとな、エルシェ。恩返しはいつかちゃんとさせてもらう。だからそれまで、良ければその巾着は預かっといてくれないか」


「……わかりました」


 エルシェはしぶしぶといった様子で巾着袋を受け取り、眺める。だが、顔を上げ手元の巾着袋からこちらにキッとした目線を向けると、


「騎士は潔い存在なので、その巾着はひとまず預かります。けど、預かるだけですからね。絶対取りに来てもらいますからね。途中で死んだりしたら許しませんよ」


「ああ、わかってるよ。安心しろ、俺は人間じゃなくて一応は半神らしいしな。そう簡単には死ねないはずだ。それに途中まではあれだけ強いレイナも一緒にいてくれるらしいし───」


「いえ、私は同行するからって別に貴方を守るつもりは毛頭ないのだけれど?」


「おい! お前そこは嘘でも守るって言えよ!!」


 こんな時にだけ会話に入ってくるルームメイトの少女に思わず突っ込むが、彼女は相変わらずの済まし顔だ。


「ふふっ……あははっ。変な人達ですね、まったくもう……」


 エルシェの顔に、温かな笑みが戻る。


「出発は明日の早朝、ですね。わかりました。なら今日は早く寝ないとだめですよ、少年!」


「はは、そうだな。ちょっとでも寝坊しようもんならそのままレイナに置いて行かれそうだし、今日はさっさと休むことにするよ」


 ───こうして俺がレーヴェで、そして《騎士団クラン》の本部のこの部屋で過ごす最後の一日は、刻々と過ぎていった。


 何にせよ───どんな夜も、いつかは明けてしまうもので。


 俺たちの旅立ちの朝は、もうすぐそこまで迫っていた。

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