第20話 『二度目の《神格化》』
「な、なんなんだあの野郎は!? おい! 囲めッ!」
「まだあんなのがいやがったのか! クソッ!」
忌々しげに舌打ちした男たちが、武器を構えて俺とエルシェを取り囲む。
猛烈な敵意と殺意のこもった視線が雨のように降り注ぐ中、俺はエルシェに木剣を手渡した。
「大丈夫か? エルシェ」
「あ、はい……でも少年、今のは一体……」
ああ、これはあとでしっかりと真実を話さなきゃいけなくなりそうだな────と苦々しい思いが脳裏をかすめる。
が、今はひとまず頭の片隅へとそのことを追いやり、目の前の事象に意識を集中させる。
敵はざっと7人、いずれも武装したそこそこ屈強な男たちといったところか。
先ほどのような敵の予備戦力も警戒する必要があるが、彼らは二手に分かれて行動していたと言っていたし、まずはこの7人を真っ先に片付けることを考えなくてはならない。
幸いエルシェなら自分の身は守れるだろうし、すぐに片は付く。
『覚醒』がいつ解除されるかわからない以上───望ましいのは早期決着だ。
「行くぞ」
地面を踏みしめて走り出し、一瞬で一番近い場所にいた男との距離を詰める。
「ひぃっ……う、うわぁぁぁぁぁぁ!!」
男は恐怖を感じたのか、半狂乱になって手に持った斧を振り回す。
だが、裏路地で戦ったベスタの俊敏な動きに比べればそれはあまりに遅かった。
「ぐは……ッ」
男の頬を殴り飛ばし、振り向きざまに肘打ちで斬りかかってきたもう一人を沈める。これで二人。
「んの野郎、死ねッ───」
ヒュンと風を切って飛んできたナイフをかわし、投手の男に接近。ゴッと脚をかけ、体勢が崩れたところに蹴りを入れる。三人。残り四人。
「おらァッ!!」
いつの間に接近されていたのか、男たちの中でも一際体格のいい男が背後から正拳突きを繰り出した。丸太のような太い腕が風を切って迫る中それを片手で受け止め、がら空きになっていた胴体を空いていたほうの腕で殴りつける。
衝撃が走り、
「が……ッ」
だが、男はまだ倒れない。意識が飛ぶ寸前のところで持ちこたえると、再び拳を握りしめて振りかぶった。
ふむ、なかなか頑丈だな。
今のに耐える人物がいるとは驚きだ。それこそベスタぐらいしか今まで耐えたのはいなかったからな。だけど、
「うおおおおおッ!!」
勇ましい雄叫びとともに飛んできた拳を、身を屈めて回避。
今度は頬にこっちの拳を思い切り叩きつけてやる。ゴッという鈍い音がその場に響き、まるで糸が切れたように男はダウンした。
「ぐふ……ッ」
これで残りは三人だ。
見れば、怯んでいる彼らの瞳にはたしかな逡巡の色が浮かんでいた。
彼らが考えているのはおそらく───逃走すべきか、あるいは戦うべきか。どちらの選択肢を取るのか判断しているのだろう。その姿にはまるでつい先ほどまでの俺にも重なるものがあった。
さて、どうするんだ? いずれにせよ、逃がすつもりなど毛頭ないが。
「このガキ、地獄に堕ちろ───!!」
三人は互いに目線を合わせ、しばし無言で話し合っていたものの───この場から逃げることはできないと判断したのか、同時に息を合わせて飛び出してきた。
それぞれの得物を構え、一心不乱に突撃してくる。
「来るか」
まずは手前にいた男に向かって跳躍。そのまま空中で相手の顎に膝を入れ、地面に着地すると同時にもう一人の男にも回し蹴りを食らわせる。
男たちは仲良く泡を吹き、力なく倒れていった。
「ひぃ……ッ」
これで残るはラスト一人だ。
「こ、このバケモンがぁああああああああッ!!」
追い詰められた最後の男は、刃の湾曲した独特な形の剣を構え、俺に向かって振り下ろす。懐に入った俺たちの距離は近く、剣の届く間合いだった。
───化け物、か。そうだ、あながち間違っちゃいないかもしれない。どうやら俺は人間などではないらしいのだから。
「これで……終わりだッ!!」
剣が到達するよりも一歩早く、振り抜いた拳が男の頬を穿った。
一陣の風が吹き抜け、世界が一瞬静寂に包まれる。
「が……はッ……」
男の手から離れた剣が、カランと地面に転がった。それが紛れもない決着の合図だった。
地面に膝をつき、バタリと倒れ込んでいく男の姿を俺はしっかりと見届ける。
「はぁ……なんとか終わった、か」
安堵に大きく息をつくと、その瞬間全身に駆け巡っていた熱がフッと消えた。
きっと俺の『神格化』が解除されたのだろう。なんとか発動時間以内に彼らを片付けられたのか、それとも無意識下に俺自身が解除のタイミングを制御しているのか、答えはわからないままだった。
「さてと。エルシェ、大丈夫か?」
見れば少し離れたところで、エルシェは呆気に取られたような表情で俺を見ていた。
……わかってたけど、やっぱり見られてたのよな、今の。
これは後で真実を話す必要がありそうだ。
「あ……はい。でも少年、今のは……」
「……まぁ、後でちゃんと説明するよ。それよりも、今はこいつらを……」
ふと周囲を改めて見回す。するとそこでは、気を失い倒れていた男たちが縄でぐるぐる巻きに縛られていた。
「……はて、これは一体?」
「あっ、拘束はもうできてます。全員軽傷で、大きな怪我もありませんでした」
え、エルシェいつの間に? というか、その縄はどっから調達してきたんだ? まさか常備してるとか? そんな俺の心を読んだかのように、エルシェはいつものように胸を張ってみせた。
「騎士の掟第4条、『備えあれば憂いなし』です。こういう時のためにロープはいつも……って、今はそれよりも先に言うべきことがありますね」
「ん、言うべきこと?」
あとその掟はなんか聞いたことあるぞ、もはやただのことわざなのでは───? と思ったが、突っ込むのはやめておいた。そもそも記憶がない俺のあやふやな知識ではスフィリアにあることわざについては詳しく知らないしな。
「ええ」
エルシェは俺のそばへと近寄ると、両手で俺の手をぎゅっと取った。
その瞬間。偶然か運命の悪戯か突然外灯の明かりが灯り、エルシェの笑顔がぱっと照らされる。この時初めて、俺はエルシェの心からの笑みを目にした。
「───ありがとうございます、少年」
彼女の優しい笑顔は、まるで輝いて見えた。
相手の体温が、握った手を通して伝わってくる。熱い───いや、これはあたたかかった。人のぬくもりというのは、こんなに温かいものなのだろうか。
「い、や……俺は、なにも」
エルシェは少し俯き、視線を俺から逸らす。心なしか、いつもとは若干雰囲気が異なるような、そんな気がする。
「まさか私が少年に助けられる日が来るとは、正直思ってもいませんでしたよ」
「まだ会ってそんなに経ってないだろ」
「あははっ、そういえばそうですね。どうもそんな気がしませんでした。不思議ですねっ」
思えばエルシェがこんな風に声を出して笑うのを見るのも、初めてかもしれないな。
なんというか、年相応の一面らしい部分が見れたというか。そんな感じがする。
不意に地下牢で出会った頃の記憶が蘇ってきた。
『───ふ、ふふ、はーーっはっはっは!! ようやく目覚めましたか、少年!!』
……いや、あれは高笑いだもんな。ノーカンだよな、うん。
つい出そうになる苦笑いを押さえながら、俺は男たち───の荷物のほうに顔を向けた。
「さて、あとは……このベスタと男たちを衛兵局に引き渡さなきゃ、だよな」
「そうですね。急いだほうがいいです、行きましょう」
重厚な檻の中に鎮座する、黒い塊を見つめ俺は言う。
「そういえば、こいつら最初から今まで全く動かないけど一応は生きてるんだよな? さっき休眠状態だって言ってた気がするけど……休眠状態ってなんなんだ」
「あっ、説明していませんでしたか?」
エルシェは身体を横に傾けると、人差し指をぴんと立てて得意げに語りだした。
「実はベスタには一定の温度や湿度、その他特殊な条件によって休眠状態になるという生態があるんです。当然、人間に対しては本能的に暴れまわるベスタを休眠状態にすることはそう簡単なことではないのですが……密輸などで生きたまま運ぶ必要がある時は主にこのような手法が用いられる、と副団長から教わりました」
なるほどな。しかしエルシェは色々と物知りだと思っていたけど、その一部の知識はロアさんから教わったものだったりするのか。
たしかにあの人はいつも葉巻と一緒に本を読んでいることが多いから様々なことを知っていそうなイメージはあるが。
「となると……この状態のベスタはある程度安全ってわけか。それにしたって不気味だが」
「はい、余程の衝撃や轟音がない限りは目覚めないはずですよ」
であれば安心だ。そういえばエルシェの話を聞く限りでは、このベスタには黒蛇もどき……蛇種、サエル意外にも別の種類が存在する様子だったが、他にはどんな姿のベスタがいるんだろう?などと、呑気なことを考えていた俺だったが。
「……え?」
───ふと、異変を感知する。
その時ガシャン、という音が突然その場に鳴り響いたのだ。
音? あれ、おかしいな。一体どこからだ?
辺りを見回し、音の発生源を探る───そして気づいた。いや、気づいてしまった。
何よりも恐るべき事実に。
先ほどの音は───ベスタの、あの檻から聞こえた音だった。
「は……?」
いや、まさかそんなはずはない。きっと何かの聞き間違いだ、そうに決まっている。
だって、まさかそんな、ねぇ。冗談だよな? 何かの。
「……最悪ですね」
隣から青髪の騎士の声が聞こえてくる。その場の空気が、信じられないほど一瞬で、再び緊張感の漂うものに様変わりしていた。
「なぁエルシェ……あれ、どういうことなんだ? だって、ベスタは休眠中なんだろ? あの檻からは出てこれないはずだよな」
「そうですが……どうやら私たちは派手に戦いすぎたみたいですね。不幸なことに、起こしてはいけないモノを起こしてしまったようです」
木剣を構え、彼女は俺を庇うように前に進み出た。
ガシャ、ガシャンと再び金属音がレーヴェの空に鳴り響く。
そしてそれが四回目に達した瞬間だろうか、ベスタを収容していたはずの檻は大きく音を立ててねじ曲がり、まるで真っ黒なヘドロが漏れ出したかのように───中からナニカが、這いずり出てきていた。
黒く、禍々しく、どこか非生物的な雰囲気を纏った、ナニカが。
「……っ、まさかお前とまた戦うことになるなんてな」
俺は再び右手をぎゅっと握りしめると、強い意志を込めて祈る。
もう一度、もう一度だ。『神格』よ、来い───!
───だが、待てど一向に身体に熱が駆け巡る感覚はこない。
「そんな、まさか……」
できない───その時、俺の脳裏に一つの考えが浮かんだ。
まさか『神格化』には一定時間のクールタイムが存在する?
それは『神格化』に関わる一つの新しい発見だった。だが、こと重要なこの局面においてはあまりに残酷な真実でしかない。
『神格化』していない状態でアレと戦うなど、正直考えたくもなかった。というより、考えたこともなかった。
「……どうやら戦うしかなさそうですね、これは」
這いずり出てきたおぞましい『ナニカ』を前に、俺たちは構える。
奴はゆっくりと頭を上げ───そしてくぱぁ、と口を開いた。
それは、まるで嘲笑うかのように。まるで檻の中より解き放たれた歓喜に打ち震えるかのように。
俺には目の前の奴の口角が上がって見えた。
黒い全身とはアンバランスなほどに真っ赤な口内に覗くのは、鋭い牙。そしてチラチラと揺れ動く、長い舌。
「黒蛇……!!」
かつてあの裏路地で戦った、黒蛇もどき───なんということだろう。まさか再び、こんなにも早くベスタと戦う機会が訪れようとは思わなかった。
しかしあの時の力───『神格化』は今使えない。実質戦えるのはエルシェだけ。
状況は当時よりもずっと悪い、言ってしまえばピンチだ。とはいえこのまま逃走し、奴を放置して街に放つわけにもいかない。万一メインストリートにでも出られれば大惨事だし、そもそも隣の青髪の少女はそれを決して許さないだろう。
つまり俺たちは、ここで戦うしかないのだ。
「……くっそ、マジかよ……!!」
「さぁ、来ますよ───少年!」
「シャアアアアアアアアア───ッ!!」
ぼんやりと浮かぶ夜空に向けて、禍々しい黒蛇もどきの雄叫びが放たれる。
二度目となる『神格化』を使った俺に待ち受けていたのは、二度目となるベスタとの遭遇だった。
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