第19話 『《騎士》と《半神》の戦い』
───ギラリと光る刃が、女の子の首元へと向けられている。
女の子は恐怖で声を出すこともできないのか、真っ青な顔でガタガタと震えていた。
「悪いね、お嬢ちゃん。これも仕事なんだ」
風の勢いがこっちに向いて、今や男たちの声ははっきりと俺に聞こえるようになっていた。
昼間とはまるで纏う雰囲気の変わった初老の男は、冷酷な顔で女の子にナイフを向ける。
そして大きく振りかぶったかと思えば、その勢いのままに無情な刃が女の子の首元を切り裂く───ことはなかった。
倒れゆく男の顔には、何かがめり込んでいた。
それは棒───否、木でできた剣だった。刀身70cm程度の木剣が、男の顔面に叩き込まれている。
「ぁ、が……」
男はナイフを取り落とすと、白目を向いてそのまま後ろ向きに倒れていく。
その場を一瞬の静寂が支配し、やがて空気が一斉に変わった。
「な、なんだお前は! お前ら構えろ‼」
「コイツ、確か昼間の……!?」
次々に行商人の格好をした、殺気立った男たちは武器を手に取る。そんな彼らに囲まれてもなお、木剣を彼らの仲間の男の顔面に叩きつけた張本人の少女───エルシェは一切怯むことなく、女の子を庇うように立っていた。
「よかった、間に合いましたね。怪我はありませんか?」
「え、えっと……うん! ありがとう、おねえちゃん!」
「騎士として当然のことをしたまでですよ。いいですか? ここは危険です。今からお姉ちゃんがこの人達を止めるので、あっちのメインストリートに続く道まで走っていってください。できますか」
女の子は戸惑いながらも、状況の深刻さを感じ取ったようで大きく一度頷く。
エルシェは彼女に優しくほほ笑みかけると、再び男たちのほうを向いてきっ、と睨みつけた。
「現行犯ですね。あなた方が何者なのかはまだ確認が取れていませんが、こんな小さな子に刃物を向けた時点で有罪です」
「何を……! テメェこそ何者だ!」
「このレーヴェ、いえ連邦全土の平和と秩序を守る誇り高き騎士───それだけです!」
エルシェがそう叫ぶと同時に、彼女と男たちの戦いが火蓋を切った。
「今のうちに逃げてください!」
女の子はしばしうろたえていたものの、意を決したように頷いてみせると指示された方向へダッと駆け出した。
「待て!」
男たちの一人が斧のような武器を持って女の子を追いかけるものの、顔面に飛んできた木剣がそれを阻む。
「ぐ……⁉」
バタリと崩れ落ちる男を一瞥し、エルシェは自分に向かってきていた棍棒を木剣で受け止める。そしてそのまま押し戻すと、体勢を崩した相手に容赦なく振り下ろした一撃を与え、ノックダウンさせる。
「コ、コイツ強いぞ! 油断するな、全力でいけッ!」
「ふん、このくらいなんてことありませんよ!」
「……あいつ、凄ぇな」
そんなエルシェの戦いっぷりを見ながら、俺は呆然としていた。
あの足の速さに重い荷物を軽々と持ち上げるような膂力。
身体能力が高いことには薄々感づいていたが、まさかこれほどまでとは思っていなかった。
ふと逃げていった女の子の方を目で追う。あの様子なら、もうすぐ大通りに出られるだろう。あそこまで行ければひとまずは安全だ。
やがて女の子が無事大通りまで逃げおおせたのを確認し、ほっと息をつく。
あとは物陰からエルシェが男たちを片付けるのをここで待つしかない。
「───ッ!」
「ぐはぁ⁉」
それにしてもいつもマントと同時に肌身離さず持っていた鞘に収められていたのは、あの木剣だったのか。
エルシェは男たちの攻撃を尽くかわし、避け、時に反撃する。
結論から言えば───エルシェ、彼女は強かった。
間違いなく、強い。以前ベスタの話をしている時に『いくら自分でもベスタ相手に勝てるかはわからない』的なことを言っていた気がするけれど、こないだの黒蛇もどき(サエルだっけ?)程度が相手ならば普通に勝てそうなくらいだ。
そして、気づけば。
「く、クソ……! こんな、ガキに……ッ!」
「ふぅ……これで全員ですかね」
男たちは尽く全員が、木剣の前に倒れ伏していた。
いやあいつ、すげぇな。めっちゃ強いじゃん。その、剣とか教えてもらうことってできるんだろうか。もしよければ今度指南してほしい。
エルシェは一息ついて木剣を鞘に収めると、「さて」と守る者が誰一人としてなくなった荷車に近づく。
「その大荷物の中身、見せてもらいますよ」
まるで荷物を覆い隠すようにかけてあった布を掴み、一気に引っ剥がす。
ズルズルと地面を擦れる音と共に、暗がりにそのシルエットがほのかに浮かびあがり、謎のベールに包まれていた荷物の中身が明らかになっていく。
「……これは」
現れたのは───檻だった。
鉄なのか、それとも別の素材を用いて作られているのか。
灰色と黒の入り混じった特殊な色をした巨大な檻は、その中にこれまた巨大な黒い影を収納していた。
生きているのかが疑わしいほどにに黒い影はピクリとも動かず、ただそこに鎮座していたが───遠目からでもわかる。あれは禍々しく、不吉なオーラを放つモノ、否、
「やっぱり、私の見立ては間違っていなかったようですね」
「ベスタ……‼」
エルシェはくるりとこちらを向くと、俺に向かって呼びかけてきた。
「片はあらかた付きました。少年、すぐに憲兵局を呼びましょう。幸いにもこのベスタはまだ休眠状態ですし、この人達もしばらくは動けないはずなので───」
───その時、俺は見た。エルシェの後ろにゆらりと立つ、人の影を。
「待て‼ 後ろだ‼」
「ぐっ……‼」
途端にエルシェは背後から伸びてきた腕に羽交い締めにされ、顔を歪める。
「エルシェ‼」
「まだ……仲間がいましたか……‼」
「そういうこった、お嬢ちゃん。まさか二手に分かれて行動してた別働隊からガキに壊滅させられそうだ、なんて応援を呼ばれた時はどうなると思ったが、ギリギリなんとか間に合ったようだな」
「へっへっへ、随分強かったみてぇだな。俺らと組まねぇか? お前さんほどの腕がありゃあ荒稼ぎできるぜ? あぁだけどよ、残念だ。その中身を見ちまったからには生かして帰すわけにゃあいかねぇ」
「おいお前ら、来い!」
彼女の周りを、どこからか現れた何人もの男たちがぞろぞろと取り囲む。
まずい、まさに窮地だ。どうする? 俺は、どうしたらいい?
「はな、しなさい……!」
「どれだけ暴れてもこの人数差じゃあどうにもならねぇよ。まずはその物騒な武器を捨てな。おい、これ奪え」
エルシェは必死に抵抗するも、体格で劣る相手にがっちりと拘束されていてはどうしようもない。
別の男がエルシェから木剣を強引に奪い取り、これ見よがしに地面へと放り投げた。
カランという乾いた音を立てて転がったそれはそのまま砂埃を巻き上げつつ、俺の足元にまでやってくる。
「おっと、そういやさっきそっちに向かって話しかけてたな。誰か隠れてんのか?」
木剣を放り投げた男が、不意に俺が隠れている方向へと歩みを進めた。ザッ、ザッ、ザッと足音がゆっくりと迫ってくる。
「お嬢ちゃんの方はそうだな、ここで死んどくか。あばよ」
また別の男はまるで先ほどの子供と同じように、エルシェの喉元に突きつける。
状況は最悪。まさに、絶対絶命だった。
絶望に世界の音が、遠のいていく。
───俺は、どうするべきなんだ?
エルシェを助けるために、奴らに立ち向かうか?
それとも一刻も早くこの場から脱出して、助けを呼ぶべきか?
エルシェの方を見ると、彼女は声には出さず口をパクパクと動かして俺に意思を伝えていた。
───行って。行きなさい、早く、と。
ナイフをすぐそこに突きつけられて、自分も怖いはずなのに。身近に迫った死の恐怖に内心は震えているはずなのに。それでも他者のことを、俺のことを慮っているというのか。
やはりエルシェ、彼女は強かった。立派な騎士だった。
人間でもなく、神でもなく、自分のことも何一つわからない上に行動すら起こせないような俺とは違う。
人のことを思い、人のために動ける子なんだ。
それに比べて俺は───どうするべきなのかもわからない。
奴らに立ち向かい、エルシェを救出する?いや、ダメだ。
俺一人が奴らと戦ったところで、この戦況が覆せるとは思えない。最悪の場合俺もエルシェも殺されて終わりだろう。
あの力を使うにしてもあれは代償付きだし、そもそも『神格化』がどのくらいの時間持つのかはいまだ不明のままだ。
となると残された選択肢は一つ、できるだけ奴らの気を引いた上でこの場を離脱し、すぐに助けを戻るしか───いや、それもダメだ。
奴らに少しでも隙を与えた場合エルシェの命が危ない、でも。どうする、どうするべきなんだ。考えるんだ、最善策を。
───いや、違うだろう。
何を言ってるんだよ。何を考えてるんだよ、俺は。
そうじゃない。エルシェは俺が、スフィリアで目覚めてから最初に出会った人だ。
何者なのかもわからない、得体の知れない俺を助けて《
そんな人が今、目の前で命の危機に晒されているというのに。
恩人が今、刃を突きつけられて恐怖に震えているというのに。
それを無視して、自分だけが逃げるなんて絶対にできるわけがない。
ああ、それならば───答えは決まっているじゃないか。
「あばよ、お嬢ちゃん───」
突如、エルシェにナイフを突きつけていた男の身体が宙へと吹っ飛んでいった。
「ぐぼぉッ⁉」
「……は?」
男はくるくると回転しながら、他の男を巻き込んで地面に叩きつけられる。
それは男自身の声だったのか、はたまた別の人の声だったのかは定かではない。
だが巻き上がった砂埃が晴れると、そこには白目を向いて倒れ伏す男の姿があった。
「少……年……?」
男たちとエルシェの間に立つと、俺は右腕を押さえてゆっくりと振り返る。
全身が焼けるように熱かった。それでも不思議と、嫌な気分ではない。
「───それ以上、彼女に触れるな」
さぁ、やるだけやってみようか。
この力には代償が伴う。だが、それでも。
これがこの世界において二度目となる───俺の『神格化』だった。
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