第14話 『《騎士団》での日々』

 夕暮れ、作業を終えて帰宅した俺がガチャリと私室の扉を開けると、既に中にいた同居人の少女と目が合った。ちなみに同居人というのは同じ建物、屋根の下に住んでいるという意味ではなく、同じ部屋を共有しているという意味での同居人である。


「……」


「……」


 赤い瞳に、相も変わらず艶やかな首あたりまでの長さの黒髪。


 少女はやはり、今日も右側のソファに座り静かにティーカップを傾けていた。


「……えっと、おはよ……う……? いや、こんばんはか?」


 彼女は一瞬だけちらりと視線をこちらにやったが、すぐにそれを手元に移すと再び優雅な手付きで紅茶を嗜む。

 ……無視か。まぁなんとなくそんな気はしてたけどさ。


「そういえば、朝いなかったけど君は外出してたのか?」


「……」


 答えは帰ってこない。会話のキャッチボールはこっちから投げたっきり、これではもっぱらお一人様でのピッチング練習である。そのうち鋭い投球ができるようになりそうだ。


 俺はなんとか会話を試みるべく、適当な話題を必死に探す。


「いやー、今日はいい天気だな。この島は気候がいいのかな? いつもこんなぽかぽか日和だと昼寝とか洗濯が捗りそうだよな。ははは」


「……」


 なるほど、昨日は初日だったからか、あれでも相当サービスして会話してくれていたらしい。俺のくだらない話などまるで耳にも入っていないかのように、少女にはさっきから何一つの変化も反応もなかった。


 いや、もしかしたら事務的な会話には応じてくれるのか?昨日もたしか、お互いに使うベッドを決めたりしたからな。そういった話題なら必要最低限は喋ってくれるのかもしれない。


 ……もっとも、口を開いたとしても罵倒や皮肉もセットで付いてきそうなものだが。


「なぁ、少しいいか?よかったらちょっと教えてほしいんだけどさ。このランタンってどうやったら消せるのかな」


 そういえば一つ、消し方のわからなかったランタンがあったなと俺は聞いてみることにした。正直少女がこれを教えてくれるのかについては確信が持てなかったが、それでも何かしら会話の糸口になるものが欲しかったのだ。


 ふと、俺は疑問に思った。


 なぜ俺は、こうまでして彼女と話したがっているのだろうか。


 もちろん同じ部屋に住むもの同士互いに色々、せめて名前ぐらいは知っておかないと不便だからというのもあるが、それだけじゃないはずだ。

 退屈を紛らわすため? 少しでもスフィリアやこの世界に関する情報を集めたいため?どれも間違いではないはずだが、いまいち釈然としない。


 だったら何故だ。

 そんな思考の海に沈みかけていると───。


「はぁ……ランタンの消し方がわからない? 冗談でしょう」


「うおっ」


 本日始めて耳にした、少女の声が部屋に響いた。

 見れば少女は立ち上がっており、いつの間にか俺の隣で腕を組んでいる。


「これ?」


「あ、ああ」


 少女は俺とランタンを交互に見やると、額に手をやって大きなため息をついた。


「……貴方、今までどうやってスフィリアで生きてきたわけ?」


「いやー、その……」


「ああ、話さなくて結構よ。貴方の身の上話に興味はないもの」


 ようやく喋ってくれたかと思ったら相変わらずの悪態っぷりである。お前が聞いてきたんだろうがというツッコミはさておき、彼女はランタンのある部分を手に取ると、回してそこを外した。


「ここをこうもって回すとここが外れるから。あとは適当に息を吹きかけて消して。わかった?」


「わかった。ありがとな。えっと……名前はなんていうんだ?」


 会話の中でさり気なく聞いてみたつもりだったが、少女からの答えはなかった。


「名前? 私が貴方に名乗る必要があるの?」


「いや、言いたくないんだったら別にいいんだけど……でも不便じゃないか? 色々とさ」


 俺の言葉に少女は小首をかくんと傾げる。そこには悪意や含みがあるわけではなく、ただ純粋に理解できないといった様子だった。


「不便? なぜ? そもそも、私と貴方が必要以上に関わる必要はないでしょう。たしかに部屋を共有する以上ある程度の意思疎通は必要だし対話もあって然るべき。私もそういった最低限の話には応じる。けれど、私たちの関係はそれで終わりでしょう。ただのルームメイト、それだけ。違う?」


 どうやら彼女には、これから人間関係を発展させていくつもりがまったくもってない様子だった。人と生きていく上で必要最低限の関わり以上のものを持たないようにしている、ということだろうか。

 であればその気がない相手を無理に会話に付き合わせるのも気が引ける。


 それでもやっぱり名前ぐらいは聞かせてもらいたいものだが、今焦って強引に聞き出す必要もない。


「そ、そうか。ならいいんだ。教えてくれてありがとな」


「……」


 少女はくるりと背を向けると、自らの定位置に戻っていく。


 この日も結局、俺たちの間にこれ以上の会話はなかった。


 ☆


 あれから三日が過ぎた。


 三日というのは、慣れない生活の中で実に目まぐるしく過ぎ去っていくものだ。

 大抵の場合、いかにそれまでとは異なる環境の中にあっても三日間という時間を過ごせばある程度には環境に慣れてくるものだが、それは俺にしても例外ではなかった。


「えっしょ、よいしょ……と」


 渡されたシャベルで土を掘り起こし、穴を作る。


「エルシェ、大きさはこのぐらいでいいか?」


「はい、大丈夫です。でも深さはもう少し欲しいですね」


 俺は相変わらずエルシェと、そして時にはロアさんと共に農作業やその他雑用に励み続けていた。聞けばロアさんは《騎士団クラン》の事務作業や管理などの裏方を担当しているらしく、毎日農園を訪れるわけではないとのこと。


 そして俺は作業に従事するうち、少しずつではあるがこれらに慣れ始めていた。

 土の耕し方やプフェロの収穫の手順などをなんとか身体で覚え、現に今日も新しい苗を植えるための穴を掘っている。


 だがその一方で───同居人の少女との関係はといえば、あのまま全くといっていいほど進展していなかった。


 相変わらず俺が目を覚ますよりも前、早朝かあるいは深夜には───既に部屋から忽然と姿を消している。

 おそらく《騎士団クラン》本部を出て外出していると思われるが、行き先は不明だ。ついでに彼女が起きるところも一度として目にしたことがない。


 そして夕暮れ時には帰ってきて(俺よりも早く帰宅している場合もあった)、紅茶を嗜み、そして就寝する。この三日間全く同じルーティンを繰り返しており、会話の前にまず彼女と長時間接触すること事態が困難を極めるのだ。


 朝と昼はいないし、夜にはすぐに寝てしまう。


「うーむ、やっぱり気になるよなぁ……」


「少年、次はこれをあそこのお店まで運んでもらえますか?」


「あ、これな。はいはい了解、っと」


 初日ほどのサイズはまだ持てないとはいえ、最近はなんとか中くらいの大きさの木箱であればコツを利用して抱えられるようにはなっていた。

 俺はエルシェと一旦分かれると目的地まで果実の詰まった木箱をバランスを取りながら運んでいく。

 道中の道のりもいまだにちょっと気を抜けば迷ってしまいそうになるものの、農園か《騎士団クラン》本部から一部のお店までのルートであれば概ね覚えられていた。


 結果として多少時間はかかってしまったが、俺はえっちらおっちらなんとか運搬を終えた。


「ふぃーっ、いい汗かいたぜ」


 適度な肉体労働で流す汗というのは思いのほか気持ちがいい。


 額に浮かぶ汗をぬぐい、達成感に打ちひしがれながら俺は帰路を歩んでいた。


 エルシェが待っているのでなるべく早く戻らねばならない。が、白く整備されたレーヴェの街並みは自然と俺の目を引き付け、ついそちらに意識を持って行かれてしまう。


 最初訪れた時も思ったけど、やっぱりこの水上都市は綺麗だよな。


 あちこちに張り巡らされた運河に引かれている水の質がいいのは一目でわかる通りだが、こう街全体が一つの芸術としてデザインされているような気がする。


 連邦にはきっと有名な相当に腕前の良い建築家がいるに違いない───なんてことを考えていると、ふと俺の目にとある景色が映った。


「あれは……たしかあの時の、裏路地?」


 建物と建物の間を縫うようにして通っている、まるでトンネルのように奥の見えない裏路地の入り口。俺があの少女を追って中へと入り、結果としてその最奥で待ち受けていたベスタと激闘を繰り広げることとなったあの場所だった。


 てっきり憲兵局によって封鎖されているものとばかり思っていたが、まだ入れるのか?


「……」


 なんとなく、気づけば俺はその入り口へと立っていた。

 特に理由があるわけではない。ただなぜだろう、ここに行けば何かがまた動くような気がしたのだ。


 あの日俺をあの橋の上まで連れて行った、理由のない直感にも近い感覚。


 ここは危険だ。そう頭ではわかっていても、回れ右で立ち去るつもりにはなれない。


 この先に行けば───彼女に会えるような、そんな気がした。


 俺は目を閉じて再び一歩を踏み出すと、少し入った先で立ち止まる。


 まさか本当にいるわけがない。いくらあの時少女がここへと入っていって姿を消したとはいえ、彼女がまたここにいるとは限らないし、その可能性は限りなく低い。


 だからこそ───しゃがみ込んだ黒い人影をそこで見つけた時は、俺は自分の目を疑った。


「……君は」


 声をかける。びくんっ、と背中が震えた。


 それは黒いコートを纏った、紛れもないあの少女の背中だった。

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