第12話 『黒の少女』
「その部屋は二人で共有だ。悪いが今日からキミには、しばらくの間彼女とルームシェアしてもらう」
「───」
赤い瞳に、艶やかな黒い髪。
そこにいたのは、何を隠そうあの黒髪の少女だった。
「君、は……まさか、あの時の……⁉」
「なんだ、知り合いだったのか? だったら話が早いな」
「……」
少女は何も答えない。ただ黙って静かに眺めているだけだ。冷たい眼差しからは一切の感情を読み取ることができず、俺は困惑する。
「ロアさん、彼女は一体なぜここにいるんですか?」
「ん、彼女か? そうだな、あれは今から約一週間ほど前だったかな。エルシェが彼女をここに連れてきたんだ。なんでも宿を探していたそうでね。どうやら
それで、彼女と部屋を共有することになったと言うわけか。
いや待て。というか、そもそも彼女は誰なんだ?
「ああ、安心しろアオイくん。先ほど聞いたが、そこの彼女も君と部屋を共有するのは構わないそうだ。ま、君達なら見たところ歳も近いし仲良くやっていけるだろう。あとはよろしくやってくれ。私は寝る、おやすみ」
「ああっ、ちょっ……!」
ロアさんは一度大きくあくびをすると、我関せずといった様子で廊下の向こうへと歩いていってしまった。たちまち暗闇に見えなくなっていく背中に、その場には俺と少女の二人だけが取り残された。
「……」
「……」
当然、会話はない。
完全なる沈黙。無音だ。大いなる静寂が場を満たし、少なくとも俺にとっては気まずすぎる空気が流れる。
俺たちはしばし意味もなく見つめ合っていたが、やはりあの時と同じように少しすると少女は目線を下にやった。冷たく、興味を失ったような眼差しだった。
俺はしばらく立ち尽くしていたが、やがてこの空気に耐えられなくなってくる。
彼女とのコミュニケーションを図るべく、まずは話しかけてみることにした。
「その、入ってもいいか?」
「ここは貴方の部屋でもあるんでしょう。なら、好きにすれば」
意外なことに、少女からはすぐに反応が帰ってきた。
「そっか。じゃあ入るよ」
俺たちの間でまともな会話が成立したのはこれが初めてかもしれないな、と思いつつ扉の奥へと足を踏み入れる。もっとも、先ほどの返答からは喜びや歓迎といった友好的な感情の一切を汲み取ることはできなかったが。
この部屋にはベッドだけでなく、中央に大きなテーブルを挟んでソファが向かいになるように置いてある。
少女はそのうちの一方、俺から見て右側のソファに腰かけている。俺は彼女の反対側、左のソファにあえて目の前ではなく少し離れた場所に座った。
「えっと……俺はアオイだ。よろしく。君の名前は?」
「……」
なんとなく自己紹介をすれば会話が続くだろうか、と思い名乗ってみるも、今度は少女からの反応はない。ダメか……。
よく見れば、彼女は手に何かを持っていた。
あれはティーカップだろうか?
中には琥珀色の液体のようなものが見える。俺は意味もなくそこからもわもわと立ち昇っている湯気をぼんやり観察していると、
「……よろしく」
不意に聞こえてきた声にハッとなった。
えっ、今のは彼女の声だろうか? あわてて部屋中を見渡してみるも、三人目のルームメイトが天井やベッド裏に隠れているような様子はない。
じゃあ今のは彼女の声か。どうやらかなりの時間差で返事をくれたらしい。だが、名乗ってはくれなかった。
「それ、何飲んでるんだ?」
「紅茶」
「紅茶か。美味しそうだな」
「……」
ダメだ、会話が続かない。
ふと目線を上の方へとやってみれば、壁にはあの真っ黒なコートがかけてあった。やはりあの時の彼女で間違いない。
まぁ、今もさして変わらず真っ黒な服装に見を包んでいるのだが。
「あ、あのさ。今日、水上都市の噴水広場近くの橋で俺を助けてくれたのって、君だよな?」
「覚えてないわ。悪いけど私、あまり人の顔を記憶しないから」
少女は吐き捨てるようにそう言うと、再び手にしたティーカップに口をつける。
一瞬これはスフィリア流、あるいはレーヴェ流のひねった冗談なのかと思ったが、彼女の声のトーンからしてそれはおそらくないだろう。
───嘘でも冗談でもない。これは本音だ。まだ会って一日とないが、俺の直感が彼女は冗談を言うタイプではないと言っている。
一体、この少女は何者なのか。
せめてもう少し話に乗ってくれるとありがたいのだが……。聞いた話では、スフィリアにおいて自らの帰属や出身を示す
つまりは、俺と同じくどこからやって来たのかもわからない謎の存在ということだ。
俺は一瞬この話をしてみるべきかと思ったが、すぐに首を横に振り直した。
俺はただ記憶がないだけだが、人によってはデリケートな理由や複雑な事情があるだろう。初対面では絶対にやめておいたほうがいい。
「そ、そっか」
彼女は相変わらず優雅にティーカップを傾けている。
ただ紅茶を飲んでいるだけ、それだけの動作であるにも関わらずその姿勢や立ち振る舞いはなんというか、洗練されており並々ならぬ品格が漂っていた。まるで俺のことなど微塵も気にしていないような、というかまともに認識すらしていないような───いや、多分本当にそうなのだろう。と、いきなり彼女が「ねえ」とおおむろに口を開いた。
「貴方はそちらのベッドで構わない?」
この部屋にはベッドが二つある。だが彼女の目線が指し示す先を見るに、おそらく俺の腰かけているソファの背後にあるベッドのことを言っているのだろう。俺がいない間にロアさんが掃除してくれたのか、それとも彼女が普段から清潔にしているのかは不明だが、シーツにはシワ一つなく真っ白だった。
「あ、ああ。君はそっちで寝るのか?」
「他にベッドがあるのかしら。貴方にはそことここ以外にベッドが見えるの? あらそう、随分冴えた目を持っているのね。羨ましい限りね」
……うん、なるほどな。
なんというか、こいつはエルシェ以上の曲者な気がする。いや、絶対そうだ。
ろくな会話はほとんど俺たちの間で交わされていない。だが、この短い時間でなんとなくこの少女の人物というものがわかってきた。少なくとも、一癖も二癖もあるであろう人物であることだけはわかった。
「じゃあ、私はもう寝るから。明かりはこのまま消さなくても構わないけれど、あまり騒がしくはしないでもらえると助かるわ」
気づけばティーカップは目にも留まらぬ一瞬の速さで片付けられており、少女はスタスタとベッドの方に向けて歩きだしていた。
もう寝るのか? というか、俺が言うのも何だが会ったばかりの他人の前であっさり眠ってしまっていいのだろうか? 不用心というか……もし俺が不埒な考えを持った悪人だったなら、などとは考えないのだろうか。
気になったがその事には触れず、俺はふと聞いてみた。
「ちなみに騒がしくしたりしたらどうなるんだ?」
「殺す」
「殺す⁉」
「ごめんなさい、やっぱり半分だけ殺すことにするわ」
「半分⁉ 半分ってどういう意味だ⁉」
冷静で淑やかな印象の少女から突然飛んできた思いもよらぬ物騒な返答に俺は度肝を抜かれる。危ない、うっかり不用心に物音を立ててしまえば大変な目に合わされてしまうかもしれない。
元から起こそうとするつもりなどなかったが、これは細心の注意を払う必要があるな。
少女はそれ以上俺の言葉に答えることなくベッド脇までたどり着くと、そこで光っていたランプを消す。
そして、着替えることもせずそのままこちらに背を向けて横になってしまった。
たぶん就寝姿勢だ。
寝てしまったということは今日の会話はここまで、ということか。
「はぁ……せめて、名前ぐらいは聞かせてほしかったんだけどなぁ」
結局、彼女に関してはよくわからなかった。
今のやり取りの中で数少ない得た情報と言えば紅茶をおそらく愛飲しているということ、かなり癖の強い人物であるということぐらいか。俺、このままこの部屋で彼女とやっていけるのか?不安で仕方ない。
人間はファーストインプレッション、即ち第一印象でその人のイメージのおよそ9割が決まるというが、俺が彼女に抱いたイメージは毒舌で冷酷な紅茶愛好家の美少女というこれまた謎なモノになってしまった。
……なんだこいつ?
まぁ、今日のところは仕方ない。
色々あった───というかありすぎた一日だったけど、俺ももう寝ることにしよう。一人で起きていてもしょうがないし、明日からまた何が起こるのかわからないし。
俺は部屋の明かりを消す(やり方がわからなかったので、かなり手間取った)と、自分のベッドに思いっきり倒れ込んだ。
「あ~~……」
フカフカだった。地下牢のベッドと変わらない品質で、お日様のいい匂いもする。
この分の疲れだと少し気を抜けばすぐに眠りに落ちてしまいそうだ。
ふと、お隣が気になった。
数メートル離れた隣の少女は既に寝ているのだろうか。寝息どころか物音一つ立てないのでわからない。いや、静かすぎないか? ちょっと怖いんだが。いきなり襲ってきたりしないよね?
───依然として謎の多いルームメイトに、見知らぬ世界、見知らぬ組織。
まだまだ俺を取り囲む状況はわからないことだらけで四面楚歌の状況だ。
けど、やれるだけやってみよう。
俺はいつの日か絶対に《神》とやらを見つけて、記憶を取り戻してやる。
そしてついでに世界滅亡を阻止し『神格』を捨てて、ただの人間に戻るんだ。
その時まで待ってろよ、シロ。
ああ、なんだか明日からは大変な毎日になりそうだ───そんなことをぼんやりと思いながら、俺の意識は闇に沈んでいった。
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