第10話 『《魔獣(ベスタ)》』

 先を急ぐエルシェに急かされ、ぐいぐいとせわしなく袖を引っ張られながら、俺はレーヴェのメインストリートを再び歩いていた。


 歩くと言っても当然二人でのんびりと散歩を満喫しているわけではない。競歩の如きスピードで風を切り、俺は切羽詰まった様子のエルシェの後を追っている(というか引っ張られている)のだ。


「なぁエルシェ。ベスタ……って言ったっけ、さっきも聞こうとしたけどさ、あの蛇みたいなヤツがそうなのか?」


 俺の問いにエルシェは一瞬だけ立ち止まると、こっちを向いて頷く。二つくくりの青い髪が風になびき、彼女の顔の半分にかかった。


「はい。あれはベスタ……主に大陸にて活動する他の生物の姿形を象った、異形の存在です。高い知性と凶暴性、そしてオリジナルの原種にはない異常な生態を併せ持ち、人類に牙を向く忌まわしき獣です」


 というと今のエルシェによる説明を聞く限り、あの蛇もどきはそのベスタなる凶暴な生物?の一種ということだろうか。


 もしかしたらあれがこの世界における一般的な蛇であり、あんなのがそこら中にいたらどうしようかと内心ヒヤヒヤしていたのだが、さすがにアレはスフィリアにおいてもイレギュラーな存在だったらしい。


「な、なるほど。ちなみにそのベスタっていうのはこう、結構出てきたりするのか? 例えば、月に一回とかそのくらいのペースで」


 エルシェは再び俺をジト目で見つめてきた。口にこそしていないが「はぁ、全くコイツは……」というため息が勝手に脳内で再生されるような顔だ。やめてよ、そんな顔しないでエルシェさん。


「何を言っているんですか。あんなのが一杯出てきてたらとっくにスフィリアは滅んでますよ。本来は大陸の一部地域に広がる《観測領域》と呼ばれる場所にしか生息しておらず、連邦においても人の前に姿を表すことは滅多にありません」


「滅多に、か」


「もっとも、その数少ない遭遇したケースでは……ほとんどの場合悲惨な話しか聞きませんが。ですから少年、お前は本当に運がよかったですね。ベスタ相手となるとたとえ騎士であるこの私をもってしても勝てるとは……あっ、なんでもありません! 勝てます。いえ、勝ちます。なんと言おうと騎士ですからね、ふふん」


 こんな時にもエヘンエヘン胸を張り始めるエルシェのことはひとまず置いておくとして、やはりアレはスフィリアでも相当に危険な生物ということか。


 まぁ、たしかにあれだけ巨大で毒? を分泌できて、おまけに強靭な生命力を持っているような怪物がわんさか存在するようであれば、孤島の上にこんな綺麗な街並みの水上都市を築くことは難しそうだ。


「だからこそ、そんな危険な生き物が裏路地の奥に現れたってことは島や国の存亡に関わる一大事になりかねない、ってことか」


 俺は今になってようやく事の重大さを少しずつだが理解し始めていた。


「はい。ベスタの巣窟である《観測領域》と地続きで繋がっている連邦の本土ならまだしも、大陸とは海によって隔てられているこのレーヴェにベスタが現れることなんて本来ありえないことなんです。最悪の場合、まだ他にも奴らが島のどこかに潜んでいる可能性すら……」


 俺はゾッとした。俺はたまたま使えた神の力、神格とやらによってなんとか事なきを得たが、あれを撃退するに足るだけの力をスフィリアの一般人が有しているのかはわからない。おそらくそうではないだろう。


 あの黒蛇もどきの大蛇(エルシェは蛇種の『サエル』だとか呼んでいた気がする)は裏路地の最奥に潜んでいたが、もし奴が市街地に出ていたらどうなっていたんだろうか……ちなみに奴の亡骸(?)は現在、縄であの裏路地にとんでもなくグルグル巻きに拘束されている。


 エルシェは初め目的地に持っていこうとしていたようだったが、重さで引きずることが難しかったことと大衆の前にこの亡骸を晒すことによって起こりかねないパニックを考慮して、ひとまずはあの場に置いておく決定を下していた。


「けど、そんなヤバい事態ならまずはどこかの行政機関に報告したほうがいいんじゃないか? あのベスタの処理だってやってもらわなきゃいけないだろ」


「ですから今向かってるんです」


「え? だからどこにだよ」


「それはもちろんレーヴェの事実上の安全、治安維持を担当する行政機関───島の衛兵局です」


 ◆怪しい裏路地:中部◆


「たしかに死体を回収した。通報感謝する」


 封鎖された裏路地でベスタの亡骸を取り囲むのは、重厚な甲冑に身を包んだ数人の男。彼らは息を合わせて黒蛇もどきの死体を持ち上げると、巨大な麻の袋の中に入れてそのまま持ち去っていく。その鮮やかでプロフェッショナルな手際に、俺はただ黙って見ていることしかできなかった。


「レーヴェに出現した『サエル』の情報は、我々がただちに公開したのち島の全域に向け注意喚起を行う。勿論我々も島の安全を守れるよう全力を尽くすが、君たちも気をつけるように。次またベスタがどこに現れるかわからないからな」


 衛兵局、とはつまるところこのレーヴェにおける警察機能を果たしているらしき組織だった。一応は《騎士団クラン》も島の治安維持を行う組織だとロアさんとエルシェは言っていたが、さすがにこの事態は彼女らの手には負えないのだろう。


 俺とエルシェは簡単な状況説明と取り調べを行った後に例の現場である裏路地まで案内するように言われ、そして今に至るわけ。


 ちなみに記憶喪失であるが故におそらくかなり不審がられるであろう俺は、彼らによる取り調べを切り抜けられるのか不安で腹が痛くなったが、幸いにも俺自身に関することはあまり聞かれず、それ以外の質問にはエルシェが代わりに答えてくれるなどしてなんとか無事に突破することができた。


「これは報酬だ。受け取るといい」


 と、気づけば甲冑の男たちの中でもリーダー格に位置するのだろうか、他の男たちに対して死体処理の指示を出していた男が俺に数枚の銀貨を差し出していた。


「えっ……ええっ⁉」


 びっくりして変な声を出してしまった俺に、横のエルシェがそっと囁く。


「連邦全体にとっての脅威であるベスタの死体は、ほとんどの場合スフィリア各国各自治区の行政機関でそれなりの額で買い取ってもらえるんです。中にはその利益だけで生活し、ベスタ狩りだけで生計を立てるハンターや旅人もいるくらいですから」


「これ、受け取っていいのか?」


「せっかくですし、もらっておきましょう」


 しばしひそひそとやり取りをした後、俺は男の手から数枚の銀貨を受け取ると、男は先に行った仲間を追いかけるようにガチャガチャと金属音を立てて去っていった。


「よし、後は衛兵局が適時適切に対処してくれるはずです。ひとまずは終わりましたね」


「《騎士団クラン》はそういうのには関わらないのか?」


「いえ、もちろん私たちも独自に動きますよ。特にベスタがどうして大陸から離れているはずのレーヴェにいたのかは気になりますし……まぁ、副団長は面倒くさがりそうですが」


 果実を収穫しながら、エルシェに対してあからさまに嫌そうな顔をしているロアさんの姿を思い浮かべて少し吹きそうになってしまった。───と、その瞬間。


「……っぁ⁉」


 突如右腕に走った鋭い痛みに、思わず膝をつく。


「少年っ⁉」


 エルシェがあわてて近寄るが、俺は痛みのあまり大丈夫だと答えることすらできなかった。


「なんだ、これ……!」


 痛みは右腕から徐々に全身へと広がっていく。まるで、『神格』を使った時右腕に生じた熱のように。この痛みの中心は、もしかして右腕のアザか?まさか、これが───


「あの時シロが言い淀んだ、理由、か……⁉」


 ダメだ、少しでも気を抜くと意識をもっていかれそうになる。

 全身、特に痛むのは右腕と脇腹。だがしかし、出血している様子もなければ肌が変色していたりする様子もない。おそらくは内側から生じている痛みだ。


「少年、少年⁉ 大丈夫ですか⁉ しっかりしてください‼」


 身体をぶんぶん揺すっているのはエルシェだろうか?いや、それ以外にありえないよな、はは。クソ、でもこれはキツいな。どうすればいいんだ。


 ふと顔を上げると、半泣きになった青髪の少女が視界にぼやけて映った。


 何か一言、言わないと。大丈夫だって、伝えないと。


 それがわかっていながらも俺はただ、右腕を押さえ続けることしかできなかった。


 ───『神格』の代償は、どうやら思ったよりも強烈なようだ。

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