第8話 『はじめてのたたかい』

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッッ⁉⁉」


 道行く人々が聞けばギョッとすること間違いなしのとんでもない悲鳴をあげながら、俺は来た道を全力疾走で折り返していた。先ほどまでとは攻守の交代した追いかけっこである。


 なんだ、なんなんだアレは。


 一体俺が何をしたというのか。いやいやたしかに黒髪の少女と影を追い、自分の意志で裏路地の奥深くまで入っていったのは俺なのだが。

 しかしそれにしたってコレはやりすぎだろう。まさかあそこに大蛇(と、呼んでいいのかどうかは怪しいが)が潜んでいるとは思わないじゃないか。


 今までチラチラと見えていたのは多分、アレの尻尾の先端だったということか。


 クソ、どうすればいいんだ。背後に振り返る余裕はないが、時おり聞こえるシャーという音と何かが地面を擦れるような音は、先ほどの蛇もどきの存在が相当なスピードでこちらを追いかけているであろうことを示している。


 今現在自分がどれだけの距離を走っているのか、あとどれだけの距離を全力疾走すれば出口へと出られるのかは不明。先ほどの追いかけっこで既にかなりの体力を消耗していることもあり、このまま行けば追いつかれてしまうかもしれない。


 というか、ヤツは既に真後ろでその真っ赤な口を大きく開き、今にも俺の首元に飛びかからんとしているのかもしれないのだ。


 考えろ、考えろ。

 なにかこの状況を打開する策があるはずだ。俺はこれまでの記憶を必死に辿り、打開策のヒントを探す。そんな時、俺の脳裏にふとあの自称女神───シロの姿が浮かんだ。


 何でも一つ望んだ願いを叶える代わり俺に「三年以内に《神》を倒すこと」なる条件を突きつけ、祝福として半ば一方的に神の力とやらを授けて、そして俺を半神半人の身とした謎の少女にして摩訶不思議な存在。


 ───そうだ。目覚めてからあまりに多くのことがありすぎてすっかり忘れてしまっていたが、俺は人間ではなかったんだった。


 とはいえそう言われてみても、これまでを振り返って自分が特に普通の人間と変わっている点があるようには思えない。たしかベレン……だったろうか、あの赤くて甘酸っぱい果実を《騎士団クラン》にご馳走してもらった時は普通に美味しく食べられた。


 と、いうことは。

 人間ではないらしいこの身体も人並みに食事を必要とするはずだし、体力だって普通に人並み程度かそれ以下ぐらいにはある。現に今俺の息は切れているし、気づけば喉もカラカラに乾いていた。

 息は苦しく喉は渇ききっているが、それが逆に人間として生きているという実感を生み出している。


 だが。

 だがシロは、たしか俺のことをこう言っていた───神の力の一部をその身に宿した、人間とも神様とも解釈できるあやふやで曖昧で、未知なる存在───曰く、半神と。


 ───であればもしかしたら俺は、案外強いのではなかろうか?


 だって半分が人間であるとはいえ、もう半分は神様でもあるのだ。


 神様がどれほど強いのかなど知る由もないが、少なくとも上位存在ではあるはずだ、少なくとも俺の背後の黒蛇もどきよりかは強いだろう。

 ならば、多少なりともその力を得ている俺もそれなりには強いかもしれない。さっきは突然のことに逃げ出してしまったが、あるいは戦ってみるのも、悪い選択肢ではないのかもしれない。戦って、みるか……?


 その時、俺ははっと自分の右手に握られているモノに気づいた。


「これ、さっき拾った木片か……!」


 そうだ。思い出した。

 つい十数分前、あいつを追いかけている最中に拾った、先の尖った棒状の木片。薄暗く不気味な裏路地を一人で進む以上、心細い心理的に捨てる気にもなれず、何かあったときのためにと護身用にそのまま持ち続けていたのだ。


 まさかその『何かあったとき』が拾い上げてからほんの十数分後にやって来るとは思いにもよらなかった事態だが、ここで使わなければどこで使うというんだ。


 よし、これであいつを撃退しよう。


 あの長い胴体に一発これを打ち込むことさえできれば、倒すまでは行かずとも退散させるにはきっと十分だ。

 少し可哀想な気もするが、相手との対話も望めないこの状況ではやるしかない───やらねば、こちらがやられてしまうのだから。


「行くぞ」


 俺はふっと息を吐き出し覚悟を決めると、足を止め振り向きざまに片手で木片を構え───黒蛇の胴体に狙いを定める。


 突如スローモーションになる世界で、見れば黒蛇は口を開け牙を覗かせてこちらに噛みつこうとしていた。チャンスは、一瞬。できるだけ頭に近い部分を狙い、この木片を突き立てる。


「来いよ、黒蛇もどき───!」


 ゆっくり、ゆっくりと時の進んでいく世界で俺と、黒蛇だけが動いていた。


 詰まっていく距離。黒蛇は牙を向き、俺は木片を振り抜く。一騎打ちだ。大丈夫、俺なら大丈夫だ、と必死に自分に言い聞かせる。半神とやらは、俺はきっと強い。大きさといい色といいこの黒蛇もただの黒蛇では無さそうだが、こいつにだって勝てる。はず!


 今だ!


「うぉぉぉぉぉおおおおおおおおおっ───!」


 再び、時が動き出す。木片は黒蛇の胴体へと質量を持って突き進み、そして───到達した。


 勝った───物体を押した確かな手応えに俺は勝利を確信し、もしかしたら飛んでくるかもしれない返り血に備えて目を細め、その時を待っていた。


 しかし。


 数秒間待ってみても、真っ赤な蛇の血が飛んでくることはなかった。


 うん?おかしいな。今、確かに黒蛇に木片を刺したような手応えがあったはずだけど。俺は目を開け、現状を確認してみる。


 するとそこには、驚くべき光景があった。


「え」


 木片は、黒蛇の胴体に確かに到達していた。物体を『押した』という俺の感覚は、決して間違ってはいなかったのだ。


 だが───木片は、突き刺さってはいなかった。


 黒蛇の肌によって止められ、その表面をぐぐっとわずかに沈めているだけだったのだ。


 そんな馬鹿な。こんな事があり得るのか?自分で言うのもなんだが、相当な力と勢いを込めたはずだ。少なくとも蛇、もしかすれば人間の肌すら突き破ってもおかしくないくらいには力を込めた。


 だがしかし、実際に今この黒蛇は木片を胴体の表面で受け止めている。


 皮が硬い───刃が、通らない。木片が、刺さらない。


 これは由々しき事態だ。ヤバい。とてもヤバい。史上かつてないヤバさ、全世界ヤバいコンテストが開催されていたらまず優勝間違いなしのヤバさだ。なんだよ全世界ヤバいコンテストって。


「……え、えーっと……その」


 震える頭でなんとか頭上を見上げてみれば、そこには黒蛇さんの開かれたお口が。


「……あの、黒蛇さん? 違うんですよこれは。そのー、なにかの手違いでして」


 世界の一体どこを探せば手違いで相手の胴体に木片を突き刺そうとする狂人が見つかるのかはわからないが、ともかく俺はできる限りの笑顔でにこやかに黒蛇に語りかけた。対話を試みるのだ。

 話せばきっとわかってくれる、文化人たるもの武力に訴えかけるよりも先に交渉で問題解決を図るべきだ。


 そうそう、これでいいんだよね。うんうんやっぱり暴力なんて良くないよ。


 戦争が産むのは死と憎しみだけ、ってどこかで聞いたことある気がするし。

 だからさ、ここは一つ腰を据えてお茶でも飲みながらじっくりのんびりと話し合おうじゃないか。ね? 


 さて、相手方の反応はいかがかな───。


「シャアアアアアアアアア───‼」


 はい、ダメでした。


「あああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ───っっ⁉」


 もう、逃げるしかない。ほんとに逃げるしかない。


 俺は木片を放り投げ決死の思いで背を向けると、再び逃走を開始した。ちくしょう、あの自称女神め!何が半神だ!なんかあの蛇みたいなヤツ相手に全く太刀打ちできないじゃないか!これで死んだら恨むぞ───‼と、


「痛っ……⁉」


 走っている最中、右腕に鋭い痛みが走る。


 噛まれたか⁉とも思ったが、着ている服に穴が空いた様子も蛇の頭部が腕付近にある気配もない。筋肉痛の痛みとも違う。なら、これは一体なんだ。まるで、まるでこのタイミングで存在を主張するような───。


『もしこの力───わたしの力が必要になったらその時はアザを押さえて、君の願いとともに祈ってほしいな』


 そこで再びシロの言葉が脳裏によぎった。


 そういえば、俺は彼女によって右腕にアザをつけられていた気がする。そして彼女は言っていた。もしこの力が必要になれば、その時はアザを押さえて祈れ、と。


「くっ……!」


 ならば使うしかない。

 今がその時だ。たしかシロはあまり無闇に使ってほしくない、などと言っていたが、この状況を突破するためにはこの神の力とやらに縋るしかない。


 俺は走りながらも左手で右の腕をぎゅっと押さえつけ、強く念じた。これが祈りなのかどうかは怪しいが、それでも今はこうするほかにないのだ。


 頼む、何か起きてくれ。


 誰か、誰でもいいから助けてくれ───すると、そこから熱を帯びたかのような感覚がじわっと広がっていくのを感じた。

 そしてそれは、瞬く間に全身へと伝わっていく。なんだ、何が起きた?


「身体が、熱い……!」


 ───次の瞬間、視界は真っ白に染まった。

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