第7話 『裏路地の先にあるモノ』
◆怪しい裏路地 入口付近◆
───黒髪の少女を追って裏路地への一歩を踏み出した俺は、その入口に向けゆっくりと歩を進めていた。得体の知れない恐怖に怯えながらも、なけなしの勇気をなんとか奮い立たせてじりじりと歩み寄っていく。
「何も起きるなよー……何もいるなよー……?」
今も背中を這う恐怖を少しでも紛らわそうと声を出してみるものの、情けないことに出てきた俺の声までもが足腰同様に震えていた。
まずは入口。何に使っているのか、木箱やら木材やらが無造作に積まれていたり立てかけられているおかげであちこちが影になっており、たとえそこに恐るべき存在が潜んでいようとも気づくことはできなさそうである。
先程からチラチラと飛び出し、動いている影は間違いなくあの入口付近にいるはず。
俺は大きく息を吸い込み吐くと、一息にずんずんとそこ目掛けて歩きだした。
きっとあそこにいるのは猫やネズミのような小動物の類だろう。危険はないはずだ。
大丈夫、大丈夫。
ここまで来てしまったからには、もう引き返すことはできない。行け、行くんだアオイ!
「……っ、行くぞッ!」
競歩のような勢いのまま裏路地に突入し、すぐに向かって右側、壁に斜めに立てかけていた大きな木箱をキッと睨む。
ひどく傷んだ、ボロボロの木箱だ。表面には塗料でなにやら文字が書いてあったが、雨風に晒されまるで読めなくなっている。
───あの不審な影は、この木箱のすぐそばから見えた。つまり、この木箱を開けるか、あるいはどかすことで影の正体がわかる可能性が高いということだ。
俺はおそるおそるフタに手をかけ、軋んだ音とともに開く。
てっきり木箱を開けた瞬間に中からなにかが飛び出してくるのではないかとも考えていたが、いくら待とうとその様子はない。幸いなことに考え過ぎだったようだ。
ふと中を覗き込んでみる。そこにあったのは、酒のようなものの空き瓶と破損した木箱の一部だけだった。
「何もない、か」
ここはハズレ。だとしたら、残る選択肢は一つ。
「くっ、重……‼」
木箱の下部を掴み、どかそうと試みる俺だったが───想定外の重さに苦戦し、なんとか横に動かすことしかできなかった。
一度中身の空き瓶やらその他のゴミを外に出し重量を軽減させるも、木箱自体にそれなりの重さがある。というかこの細身の体格からして、ただ単に想像以上に俺の筋力がないだけかもしれない。
少々長くなったためここでは割愛するが、ともかく数分間にも渡る悪戦苦闘の末に、俺は足を使ってなんとか壁から木箱をどかすことに成功した。
ふぅ、一仕事終えたぜ……ってオイ。
額に流れる汗を拭い空前の達成感に浸っていた俺だがそんな呑気なことをしている場合ではないことに気づく。
そうだ、俺は今黒髪の少女を追って路地裏に入り、何やら蠢く怪しい影の正体を暴くべくこの木箱と周辺を調べていたのだ。
影は、影はどうなった。
慌てて壁と、その周りを探してみるも生き物らしきものはネズミ一匹見当たらない。
かろうじて先ほど蟻のような極々小さな虫が木材と地面の隙間から出てきたが、まさか影の正体がこれではないだろう。シルエットが違うし。
「ここにも、何もいない……」
そんな馬鹿な。ではあの影はどこに行ったのだ。
もしや近づいてくる俺の気配を察知し、どこかへと逃げていったのだろうか。
仮に危険な生き物だった場合顔を合わせずに済んだのは幸運というべきだろうが、しかしそれでは結局影の正体が謎のままになってしまう。さてどうしたものか。腕を組み、しばし思案にふけっていると───
「……また向こうで、何か動いたか?」
ほんの3、4メートルほど先で、一瞬また先ほどと同じように黒い影がシュッと動いたような気がした。
あまりに素早い身のこなしだったためよく見えず『黒い』以外の情報は何もわからなかったが、それでも先ほど入口付近で俺が見た影とたった今見た影がおそらく同じものであろうことは容易に想像がつく。
俺はまた奥へと進み、影の見えた場所へと接近していく。
未だ恐怖心も拭えなかったが、その一方で俺の胸にはだんだんと単純な好奇心も湧き上がりつつあった。
すると突然カラン、と軽快な音を立て、正面に積み上げられた木箱の上からなにかが地面へと落ちる。
一体なんだろうと拾いあげてみれば、それは棒状になった木材の破片だった。
滓のように細かくなっていたそれまでのものとは異なり、これは軽いナイフほどの大きさはある。
割れた先端はまるで杭のように鋭く尖っており、頭に直接落ちてきていたら大怪我をしていたかもしれない───などと考えあり得たかもしれない可能性に寒気が走った。
が、今考えるべき事項は別。なぜこれがいきなり落ちてきたのか、についてだ。
まるで俺の接近に反応するように、影の正体がその先に逃げていったように───。
「あっ、また!」
そう、俺が木片を拾い上げた途端、再び数メートル先、今度は右前方の壁際で物音がした。
間違いない、ヤツはやはり俺のことを認識している。
ネズミか猫か、あるいはそれ以外は知らないが、なにかがそこにはいるのだ。そしてそのなにかは、明らかに俺から逃げている。
ならば追うしかないだろう。俺は再び駆け出し、その正体不明の存在を追いかけ始めた。
「ま、待て!」
───こうして、俺と謎の存在との追いかけっこが幕を開けた。
姿の見えない相手とのチェイスというのは、当然ながら初めての経験である。
障害物が多い上に薄暗いせいでよく視えない視界に、空き瓶や木材の散乱している足場。時おり足を引っ掛けて転びそうになるのをなんとか堪え、俺は必死になって追跡を続ける。
前へと進めば進む度に数メートル先でがしゃん、がさがさと鳴る物音に、ちらちら見える黒い影。しかしこれほど追いかけてもなお、その正体を肉眼で確認することはできなかった。
「くそっ、ちょこまかとッ……!」
───気づけば十数分は経過していただろうか。狭い裏路地で全力疾走を続け、体力もいい加減限界へと到達しつつあった。
痛む横腹を押さえ、俺はぜーはーと肩を激しく上下させながらなんとか一歩一歩歩みを進めていく。正直かなりキツいが、ここまで来て諦めるわけにはいかない。
なんとしてでも、この影の正体を掴んでやるのだ。すると、そんな執念に燃える俺の姿を神が哀れんだのか───無論ここでいう『神』とは間違ってもあの白髪黄目の自称女神のことではないが。
「はぁ……はぁ……この先は、行き止まりだ……!」
裏路地に現れた行き止まりを、かつてこれほど嬉しく思ったことはない。
おそらくだが、失ったはずのこれまでの記憶にもないだろう。
現在地から進行方向におよそ10メートルほど先、そこには石造りの巨大な壁が路地の終着点として広がっていた。
ついに、ついにだ。
ここに足を踏み入れてどれだけ歩いたのかはわからないが、とにかくやっとの思いで俺はこの追跡撃に終止符を打つことができるのだ。最後の体力を振り絞り、壁に手をつきながらもなんとか先に進んでいく。
さぁ観念しろ影よ、お前ももはやここまでだ。
ネズミだか猫だか知らないが、随分と苦労させてくれたじゃないか。今こそお前の全てを白日の下に晒し上げ、俺たちの追いかけっこを終わらせてやる。
壁から手を離して一度深呼吸すると、俺はできる限り目をかっ開いて影のいるであろう場所を凝視した。
だが、そこにあったのは───宙に浮かぶ、黒い楕円形の物体だけだった。
「……へ?」
理解が追いつかず、俺は間抜けな声をあげてしまう。
だが、違う。
よくよく見てみれば、これは宙に浮かんでいるのではない。吊り上げられている───というより、俺の視界よりも上から伸びてきている、というべきだろうか。
物体の大きさは俺の指を伸ばした手と同じくらいだが、材質はよくわからない。表面には鱗のような模様がうっすらと並び、時おり陽の光をテラテラと照り変えして点滅するように輝いていた。
そう、まるで生物、さらに言ってみればこの黒い楕円形のフォルムといい、鱗のような表面といい、まるで蛇の頭のような。
……蛇の頭のような?
その途端、突然物体を横走るように亀裂が走り、それは上下にくぱぁと分かれた。
二つに分離した上のほうを見れば、弧線を描くようにして鋭く光り輝く二本の牙が涎のような透明の糸を引いていた。
「え?」
それが何を意味するのか、もう俺にはなんとなく、なんとなくだがわかっていた。
下半分から覗くのは、これまた立派な二本の牙。
そして、チロチロと動く細長い真っ赤な舌。黒い大蛇───どうやらそれが、俺と仲良く追いかけっこをしていた影の正体だったらしい。
いや、正確にはコレを蛇と呼んでいいのかはわからない。
異様に大きな体躯、真っ黒い身体。そして、何よりも特徴的なのが、頭のどこを探しても目が見受けられないことだ。
俺の知る限り───記憶を失っているはずなのに、こういった知識がどこから出てくるのかは謎だが、蛇にはたしか頭に二対の目があったはずだ。
しかし今、目の前で俺にその巨大な口を開く黒い蛇にはそれらしきものが一切見当たらない。どこか非生物的な、それでいて禍々しいような。これは果たして蛇か、蛇とそう呼称していい存在なのだろうか?
「あ」
「───」
低く、獲物に狙いを定めるように喉を鳴らす黒い大蛇。
「……」
俺は今世紀最大の震度でガッタガタに揺れる足をなんとか動かし、踵を返す。
一歩、そして二歩。ほんの少しだけ歩くとかすかな希望を込めて振り返ってみるが、やはり大蛇はそこにいた。
「……すぅーっ……」
あ、やっぱりそうですよね。いますよね。はい。知ってました。さて、どうしようかな。えーと、えーと。
「……う、う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!?!?」
そんな俺の情けない悲鳴をゴングに、今追いかけっこの第二ラウンドが始まった。
今度はもちろん、攻守交代で。
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