第5話 『大変な一日』

 ◆『騎士団』本部 2F◆


「ここが少年の部屋ですよ」


 そうエルシェとロアさんに案内された部屋は、牢よりも一回り、いや二周りは大きいであろう広さの空間だった。


「おお……!」


 目の前に広がっている光景に、思わず感嘆の声が漏れ出す。


 絢爛豪華、とは少し違うかもしれないが、広い部屋には見ただけでふかふかだとわかる二対の立派なソファが上等そうなテーブルを挟み、天井にはシャンデリアのような照明が備え付けられていた。

 応接室(先ほどの部屋をそう呼ぶらしい)にあったものとなんら変わらないように見える質の家具に加え部屋の左端、ソファの向こう側にあるベッドはこれまた良質なものだろう。


 定期的に掃除をしているのかどうやらそれらの状態も清潔に保たれているようで、あの地下牢とは違い何処を見ても埃を被っているような所はない。


 一人で使うにはもったいないほどの広さだし、何一つ文句の付けようもないような立派な部屋である。


 そういえばエルシェ曰く《騎士団クラン》の本部であるこの建物は横よりも縦に大きい……というより長い4階建ての建物らしく、島の郊外にしてはそれなりに巨大な建物であるとのことだった。


 部屋の数も相応にあるにはあるのだが、何せ今は二人きりでここに住んでいるせいで管理が行き届いていないらしく、その大半は倉庫やらに使われているとのこと。


「そんなわけで、今すぐに使える部屋はここぐらいですね」


「い、いいのか? こんなに広い部屋借りちゃって……」


 すると俺の横でロアさんが頷く。


「ああ、構わない。ただちょっとこの部屋には事情があってな」


「事情?」


 事情とはなんだろうか。見た限りでは特に何の変哲もない上に文句のつけようもないような立派な部屋だ、どこかに問題があるとは思えない。


「それについてなんだが、説明するよりも実際に見て……というよりも、会ってもらったほうが早いだろうな。ちなみに一応聞くが君、記章クレストは持っているのか?」


「クレスト?」


「これですよ」


 ロアさんの言葉にエルシェが胸元のブローチのようなものを外し、俺に見せてきた。

 大きさは俺の手のひらに収まるぐらいだ。


 一見鉄のようなものでできているように見えるそれは、噴水かなにかかのシルエットをあしらったかのような不思議な形をしている。


記章クレスト。このスフィリア、連邦を構成する各12の構成国及び自治区をそれぞれ象徴するデザインの記章ですよ。スフィリアにおける身分証明書の代わりになるもので、これを提示することで自らの所属や出身を証明するんです」


「持ってないな……」


「やはり、そうか……ならば、だな。記章クレストを持たない者同士、きっと助け合えるだろう。彼女にも一応許可を取らなければならないが、生憎とまだ帰ってきていないからな。少し時間が必要になる。エルシェ、せっかくだから彼にレーヴェを案内してやってくれ」


 途端に自らを指さし、素っ頓狂な声をあげるエルシェ。


「えっ? わ、私ですか⁉」


「お前以外に誰がいるんだ。それに、街を歩いているうちに彼が何か思い出すこともあるかもしれないだろう。いいから行ってこい」


「……」


「副団長命令を拒否するなら明日のおやつは抜きだぞ」


「そ、そんなぁ⁉ それはやめてください! わかりました! 行きます! 行きますから‼」


 こうして俺は、どうやら俺を保護してくれたらしい青髪の『騎士』であることにやたらとうるさい少女───エルシェとともに街に出ることとなった。


 ◆レーヴェ 水上都市◆


「ここが、レーヴェ……」


 眼前に広がった巨大な水上都市の姿は、圧巻というほかなかった。

 あまりの衝撃に俺は開いた口が塞がらず、その場にぽかんと立ち尽くす。


「ここが島の中央、言わばメインストリートですね。運河で街全体に水を行き渡せているので、行き来はゴンドラのほうが便利なのですが……まぁ乗せてもらうお金ももったいないですし、歩くとしましょう」


 蒼穹が広がる青空のもと、白を基調とした清潔感のある街並みに建物の間を縫うようにして通っている運河。


 なるほど水上都市という名は伊達ではなく、まるで街そのものが海に浮かんでいるよな、そんな印象を受けた。


 近くを通り過ぎるゴンドラの船頭の声、遠くから響く鐘の音が俺の耳をくすぐる。

 陽の光を反射してキラキラと輝く水面は眩しく、純白の街並みと相まってまるで島、いや街並みそのものが光を放っているようだ。


 行き交う人々の生み出す喧騒と流れる水の音は交互に折り重なり合い、都市の活気を演出している。ところどころに設置された船着き場や水門が印象的だが、いったいあれは何に使うのだろう。


 エルシェと俺は運河の傍らの道を進み、色とりどりの看板が立ち並ぶメインストリートでも一層賑わっていそうな通りへと入っていく。


「あらエルシェちゃん! ちょっと久しぶりじゃない!?」


 突然横から飛んできた威勢のいい声に目を向ければ、魚を片手に持った恰幅のいい女性がこちらに笑いかけていた。


「お久しぶりです、メアリーさん」


 エルシェは女性の方へ行くとぺこりと深くお辞儀する。


「いやー、騎士団さんのプフェロはいつも質が良くて助かってるわ! こんどまた街に来たらその時はよろしくね!」


「はい! 私たち《騎士団クラン》を今後ともよろしくお願いします! 誇り高き騎士として、今後ともおいしい果実を育てていく所存です!」


 ……なんというか、やはりこの《騎士団クラン》……というかエルシェとロアさんは、農家なんだろうな。あれだけうまい果実を栽培しているのだから当然と言えば当然か。


「あら? エルシェちゃん、その隣の方はどなた? この辺じゃ見ない顔ね」


「あ、彼は《騎士団クラン》が保護した少年です。どうやらレーヴェに来たばかりのようでこの辺を知らないみたいなので、今案内してるんです」


「あらそうなの? エルシェちゃんは偉いわね~! あ、そうそう。これあげるわ! 持って帰ってそのお客さんと食べなさいな!」


 そう女性が差し出したのは、大きなかごだった。

 中身を覗き込んでみれば先程のベレンなる果物よりも二周りほど大きなサイズの赤い果実がゴロゴロ入っている。


「うちで採れたばっかりのプフェロよ。騎士団さんのに比べたら大したことないと思うけど……よかったらもらってちょうだい」


「わぁ、いいんですか? ありがとうございます、メリーさん! 副団長もきっと喜びます!」


 満面の笑みでかごを受け取り、エルシェはまたしてもぺこりと律儀に頭を下げる。

 そして女性と別れ、またもや街を案内してもらっていると───。


「おっ、エルシェ! 今日も元気だなぁ! コレ持ってけよ!」


「エルシェちゃんは偉いねぇ……そうだ、飴ちゃんあげようね」


「きしだんのおねーちゃんだー! さっきぼくがつったおさかなあげるー!」


 行く先々で会う人々は皆エルシェの顔を見るなりその表情に明るいものを浮かべ、次々とその時持っていたものを彼女に渡していた。


 ◆レーヴェ水上都市中央区 噴水広場◆


 レーヴェの水上都市中央区、その中のさらに中心に設置されているのは巨大な噴水だった。

 レーヴェの記章クレストのデザインととしてもあしらわれているこの噴水は、文字通りまさにこの水上都市を象徴するモニュメント───らしい。


 常時絶えず水を放出しているためだろうか。近寄ってみると周囲はひんやり涼しく、気持ちのいい風が吹き通っていた。


「この街の人たちに、好かれてるんだな」


 噴水をぐるりと取り囲むようにして広がっている広場のベンチに腰掛け、俺とエルシェはもらった果実やら肉やらお菓子やらの品々をかごに詰め直す作業に励んでいた。


「私だけが好かれてるわけじゃなくて……レーヴェではみんなこうなんですよ。皆さん本当に良い人たちなんです」


 俺に見られたのが恥ずかしかったのか、エルシェはしかめっ面気味でかごのほうに目を向けながら黙々と手を動かしている。心なしか、その顔は少し赤くなっているように見えた。


「あ、それは傷みやすいから上のほうに入れてください。こっちのは下にしても大丈夫ですよ」


 彼女は慣れた手付きでてきぱきとかごを埋めていく。あらゆるスペースを最大限活用し、かごの中の一切の無駄を産まない。俺たちが街の人からいただいた食料品の量は率直に言えば尋常ではなく、持ちきれなかった分は上に積み上げたりなんかしてここまで持ってきたのだが、この調子ならすべてかごに収まりそうだ。


 だが、しかし。


「う……入りきりませんね。これ、いつもより量が多いかもです」


 額に流れる汗をそのやたら長いマントで拭い(いいのか?)、神妙な面持ちで腕を組み始める青髪の少女。


「少年がいるせいでしょうか」


「え、俺のせいなのそれ!?」


 唐突に話の矛先を振られ、俺は衝撃のあまり大きな声を出してしまう。ていうかだからなんだよ少年って。アオイって名前で呼んでくれよ。まだその呼び名で呼ばれてたのかよ。


 隣の彼女を見てみると、彼女は腕を組んで何やらしばしうんうん唸っていたが、やがてすっくと立ち上がるとこちらのほうを向く。


「たくさん頂けたのはありがたいですがー……ううむ、仕方がありませんね。少年、私は今から急いで《騎士団クラン》の本部に戻って、これらを置いてきます。ちょっと待っててください」


「ん? ああ、わかった」


「あんまりここを動かないでくださいね。私がいない間にどこにも行くなとはいいませんけど、怪しい場所には絶対入っちゃダメですよ。レーヴェは基本的に治安が良いですが、全く危ない場所がないわけでもありませんから。───では」


「うお!?」


 エルシェは俺にそう釘を刺すと、来た道に向かってダッと走り出した。小柄で華奢な体躯からは想像できないほど強く一歩地面を踏みしめたかと思えば、風が吹き次の瞬間には彼女は現在地から遠ざかっていた。


「……あいつ、速すぎだろ」


 彼女もまた、色々と気になる点の多い少女である。


 瞬く間に小さくなっていく青い背中。一人取り残された俺は、空を仰いだ。

 白い街を燦々と照らす太陽が眩しい。


 そんな中、とあるものが視界に入った。


「ん、あれも……運河か?」


 ふと俺の視線の先に見えたのは───小さな橋だ。


 中央にある噴水から伸びる運河に架かっている橋のようだが、一見これといって特別なものがあるわけではない。


 土地にいくつも架かっているような、至ってシンプルな普通の橋だった。


 しかし───俺はいつの間にか無意識にそちらへ足を向けていた。


 なぜかはわからない。これといった理由があるわけではない。しかし、にも関わらず、小さなその橋を目指して歩きだしていたのだ。


 ───あそこには、何かがある。何かがいる。


 そんな根拠も何もない、しかし確かな直感に従って、俺は一人その橋へと向かった。


 ※


 ちなみに記章クレストは偽造防止のため、非常に特殊かつ希少な金属と特別な技術を用いて作られています。服に縫ったりエルシェのようにバッジのようにして身につける者もいますが、必ずしもそうしなければいけないものでもありません。健全なスフィリア市民のみんなは偽造はやめようね!

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