第3話 『“はじめまして”は牢屋越し』

 ◆連邦スフィリア第12自治区:レーヴェ島 某所◆


 これは、どういう状況なのか。


「……マジかよ、おい」


 眼前に広がる重厚な鉄格子を前にして、俺は呆然とする。


 目覚めてすぐ、訳のわからない自称女神の少女シロに『力』とやらを託され、おまけにどうやら人間ですらなくさせられてから───いったいどれだけの時間が経ったというのだろうか。


 それすらもわからない。


 半ば無理矢理に起き上がらせた身体は重く、意識もまだはっきりとは覚醒していない。

 目覚めてからずっと感じていた柔らかく暖かい感覚に下を見てみれば、そこにあったのは白いシーツのかけられたベッドだった。


 得られたわずかな情報から察するに、どうやら俺はこのベッドで眠っていたらしかった。


「ベッド……いやそれよりも、ここは、何処なんだ……?」


 首を回し、改めて周囲を確認してみる。思ったよりも広い空間のようだ。


 鉄格子のかけられた正面を除けば、このベッドを中心に部屋三方向を囲むものは壁紙もかけられていない無骨な灰色の壁。


 一見すれば家具の類は何一つなく、まさに牢屋といった風格の重々しい部屋だが───それにしてはやたら広い上に、このベッドはフカフカだった。


 ベッドから降りて地に足をつけてみたところ、床は冷たく硬い。

 材質は石だろうか。

 靴は履いておらず、裸足だったのでひんやりとした感覚がダイレクトに伝わってくる。


 そのまま歩いて鉄格子にまで近づくと、鉄格子の向こう側の景色が目に入った。


 ここが俗に言う監獄なのであれば向こう側にもう一つ牢屋があるのではないかとも思ったが、実際見てみれば特に何もない。


 この牢のすぐ先は通路になっているようで、ここから見えるのは木造の壁だ。


 その壁はなんというか、こう……木材特有の暖かみを感じる色をしており、とてもじゃないが監獄の通路の壁には思えない。


 ───なんだ、本当にここはどこなんだ。俺はどうすればいいんだ。


「あのぉー……誰かー……いませんかー……?」


 格子を掴み、とりあえず外に助けを求めてみる。しかしいくら待てども、何かしらの反応が帰ってくる気配はない。人の気配がまるでないのだ。


 おい、どうすればいいんだコレ。


「ん?」


 俺は外に助けを求めることを一旦諦め、再び檻の中───部屋のほうを見てみると、なにやら隅のほうに細長い物体が置いてあることに気が付いた。


 埃を被りすぎて半分壁の暗さと同化してしまっていたため、まるで気が付かなかったが、寄って埃を払ってみれば、それは古い鏡だ。


 そして、その鏡の中に映っていたのは───。


「これが、俺か」


 紫がかった紫黒色の髪に、紫紺の瞳。若干の藍色に染まっている右端の髪が特徴的ではあるが、それ以外はこれといって目立つ要素のない容姿。

 歳は十代の半ばか、やや後半あたりだろうか。


 体格はお世辞にも恵まれているとは言えず、やや華奢ですらあり中性的な顔立ちからは性別を間違えられることさえありそうな───待て、俺は男だよな?


 なぜかこう、アオイという自分の名前とともに自らの性別についてもこれといって根拠のない確信があるが、その真実ははたして───⁉


「あ、男だよな。そうだよな」


 そうですよね、知ってました。ちなみにどうやって性別を確認したのかについてはここでは明言しないが、概ね想像通りの方法である。ふぅ安心した。


 と、安堵に一息ついたのも束の間。


「……っ⁉」


 突然牢の向こう側から響いてきた靴の音に、俺は思わず息を殺す。


 今まで人気のなかった通路に、突如として人のシルエットが現れたのだ。


 ───誰だ?


 カツ、カツ、カツ、と軽い音を立てながら、足音がこちらへと近づいてくる。

 その音が大きくなってくるとともに俺の鼓動もドクンドクンとまた、早く、強く脈打つようになる。


 カツ、カツ、カツ。


 徐々に鼓動と足音とがシンクロし、どんどん大きくなっていく。


 カツ、カツ、カツ、カツ、カツ、カツ。


 ついには胸の高鳴りはピークを迎え、俺はごくりと唾を飲み込むと息を潜めて鉄格子の向こう側を見つめる。


 足音は牢からすぐそこのところで止まった。

 近い、いやもうすぐそこにいる。


 ついに、ついに記憶を失ってから初めて俺は人と対面するのだ。


 おそらく初めての人間と、おそらく初めてになるコミュニケーション。この状況もあり、俺は否が応でも身構えてしまう。一体どんな人間が、現れるというのか。


 筋骨隆々の大男か? あるいは、全身を甲冑に包んだ兵士だろうか? いずれにせよ、少しでも穏やかな人物であることを祈るしかない。


 俺はこれから何をされるんだ。尋問、拷問、人体実験───おおよそ物騒で穏やかではない単語がいくつも脳裏によぎり、首の後ろに嫌な汗が流れる。


 緊張で爆発しそうになる胸を必死に抑え込みつつ、鉄格子の向こうからは目を逸らさない。

 そしてついに足音は牢の前まで到達し、止まる。

 その瞬間ぶわっと光が晴れ、シルエットの正体、即ちその人物の恐るべき姿が露わになり───。


「───ふ、ふふ、はーーっはっはっは‼ ようやく目覚めましたか、少年‼」


 ───そこに立っていたのは、青い瞳をした小柄な女の子だった。


 ……はて、女の子?


「ふっふっふ、もう逃げられませんよ! 騎士の掟第17条『怪しき者はとりあえず拘束せよ』、です! 私がここにいる限り、この島に悪が栄えることはありません!」


「えっと、君は……」


「この地はレーヴェ、大陸から離れた絶海の孤島! そして! さらにここはレーヴェの、いえ連邦スフィリア全土の平和と安寧、秩序を守る誇り高き私たち《騎士団クラン》の中枢! いかなる大悪党も悪さはできません、さぁ───白状するなら今のうちですよ少年‼」


 目の前に立つ少女は腰に手をあてながらこれでもかとふんぞり返る。


 いや、誰なんだ君は。


 頭の後ろで二つに縛り腰の当たりまで伸ばした、青色の髪。一見活発ながらもどこか知性的な印象を与える、切れ長の青い瞳。


 歳は俺よりも少し幼いくらい……ざっと14、5歳あたりだろうか。もっとも自分の正確な年齢など知る由もないのだが、だいたいそのくらいに見える。


 そして服装はといえば、真っ先に目を引くのは彼女のまとった大きな紺色のマントだった。

 やたらと裾の長いそのマントは、華奢な体躯の少女が羽織るにはやや、というか異常にサイズが大きいように思えるが、当の本人は何も気にしていないようだ。


 むしろそのマントをぶんぶんと振り回し、大げさな手足の動きを交えつつこちらに胸を張る様子からは自慢げな雰囲気すら漂っている。


「ちょ、ちょっと待ってくれ。その……君は一体誰なんだ? それに、俺はどうしてこんなところに……」


「むっ。なんですか、何も知らないふりですか? そうはいきません。私の目はごまかせませんよ。真っ昼間からあんな場所で倒れているなんて……この重大事件のにおい、騎士として見逃すことなどできません。きっと連邦スフィリアを揺るがすようなとんでもない陰謀があるに違いありません!」


「い、陰謀? それはどういう……」


 それに先程からレーヴェやらクランやら、なにやら初めて聞くような単語がちらほらと出てきている。


「問答無用! さぁ! まずは知っていることをこの場で洗いざらい吐いてもらいま───ひゃあッッ⁉」


 その時、視界の外からまるで落雷のように突如として少女の頭に落下したゲンコツが、彼女の台詞を打ち切った。



 ◆レーヴェ 《騎士団クラン》本部 応接室◆



 牢から開放されてかれこれ一時間は経っただろうか、俺は今その奥の部屋へと通されていた。


 二つのソファがテーブルを挟むようにして向かい合っている部屋で、その場には俺とその対面にもう二人がそれぞれ腰掛けている。


 流れる沈黙を破ったのはよく透き通った、それでいて確かな芯のある声だった。


「すまなかった。どうか許してほしい」


 いっそ冷たく思えるまでに淡々とした語り口でありながら、どこか同時に誠実さをも感じられる声が謝罪を告げる。


「い、いえそんな!」


 目の前で頭を下げているのは、色素の薄い緑色の髪の女性だ。


 女性は俺の言葉に顔を上げると、ゆっくりと机の上に置かれた葉巻を手に取り火をつける。


 改めてよく見てみれば、相当な美人だった。

 まるで彫刻品のように繊細に整った目鼻立ちは品のある雰囲気を醸し出しており、すべらかな肌にはくすみ一つない。


 ただ目の下に広がる巨大なクマが圧倒的な存在感を主張しており、それは彼女に暗く陰鬱でダウナーな雰囲気を漂わせていた。


 なんというか、色々疲れていそうで心配になるような人だ。


「感謝する。コイツは後で、私が制裁しておく」


「……」


 葉巻の煙を天井近くにまでくゆらせつつ、女性はその隣で拗ねたように口を尖らせている先程の青髪の少女に目をやった。


「全く、いくらなんでも道端で倒れていた人様を勝手にうちの地下牢に入れるのはやり過ぎだろう……エルシェ?」


「ぎくっ」


 エルシェと呼ばれた青髪の少女は女性の目配せにびくんと反応し、俯いたままごにょごにょ反応した。


 借りてきた猫よろしく女性の傍らですっかり小さくなっており、先程の威勢は一体どこへ行ってしまったというのだろうか。


「だ、だって仕方がないじゃないですか……悪い人かもしれないし、あのまま放っておくわけにもいかないですし……」


「たしかにそれはそうだが、しかしただ目的が保護だけならば地下牢に入れる必要はなかっただろう。おおかた初めて見る顔と事件の香りに興奮して、勢いのままに突っ走ったというところか」


「ぎくぎくっ」


「はぁ、全くお前は……改めて申し訳なかった。キミ、名前は?」


「あ、アオイです」


「アオイ? ふむ、珍しい名前だな。私は一応ここの《騎士団クラン》の副団長を務めているロア。ロア・リッツァルテだ。そして私の横にいるこの青いのが」


「……エルシェです」


 ふむ、ロアさんとエルシェか。二人はどういう関係なんだ?

 いや、そもそもここはどこなんだ?俺が口を開く前に、ロアさんが言葉を発した。


「どうした、アオイくん。何か気になることでも?」


「いえ、あの《騎士団クラン》っていうのは一体……」


「ああ、一応説明すると私たち《騎士団クラン》というのは……既にここのエルシェが言っていたかもしれないが、この島レーヴェの治安を守る組織、ということに名目上はなっている組織だ」


 ソファに体重を預け、葉巻の煙をぷかぷかくゆらせながらロアさんは続ける。


「そしてこの建物はその本部……まぁ《騎士団クラン》なんて仰々しく名乗っちゃいるが、実際は構成人数約3名、今は二人きりの自警団みたいなものだ。対犯罪のプロフェッショナルでもなければ、そのような仕事を請け負うこともない。そういうのは衛兵の仕事だし、そもそも連邦屈指の治安を誇るここレーヴェじゃ事件も犯罪もめったに起こらない」


 再び登場する、レーヴェという単語。


 推測するにレーヴェというのはここの地名であり、簡単に言えば騎士団という組織はそこの治安維持に勤める組織……ということだろうか。


 しかしどうやら衛兵と呼ばれる人々もここにはいるらしく、騎士団はもっぱらそちらに仕事を任せているらしい。


「まぁだから団長殿が不在の今でも、こんな所にたまに舞い込んでくる仕事は副団長の私とこいつの二人きりで回せてるわけだ。例えば、失踪したペットの捜索だとかな」


「ちょっ、副団長! そういう事は言わなくていいんです!」


 気怠げに煙を一気に吐き出しつつ話すロアさんに、横からエルシェが慌てふためくように割って入ってくる。


「ちなみにこの建物は団長殿が安く買い叩いたオンボロ中古物件でな。あの地下牢も正直なぜあるのかわからない。当然あそこを今まで使ったことなどなかったのだが……この建物が《騎士団クラン》の拠点になって以来君が初めて入った人間ということになるな」


 なるほど、道理で鏡やら何やらが放置されたままになっていたわけだ。


 しかしだとすると疑問も残る。

 ならあのベッドは何なんだ?ふかふかでシーツも見た限りでは清潔に保たれていたし、とてもじゃないが古いようには思えなかったが。


「まぁそんな事はどうでもいいな。すまない、話が逸れた。それでは今度は君の話を聞かせてもらうとしようか、アオイくん。だがその前に───」


「っ!?」


 一瞬、光ったようにも見えたロアさんの瞳がこちらを射抜く。

 その視線に俺は一瞬たじろぎ、思わず息を飲んだ。


「───君、お腹は空いてるか?」

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