げるが げた

三屋城衣智子

 げるが げた

  げるが げた。




 大変な事である。

 何せ今は命大事にの時代だ、 げられなければ寿命は縮む。




 国家のドンたる首相、森直太なおたも今、首相官邸で頭を悩ませていた。

 実はまだ噂程度ではあるが、 くが げたという情報が、まことしやかに世間で囁かれているのである。

 愛犬と共に写り、恐妻との日常を切り取った話をアップしているエンスタにも、幾つかリプライコメントが既に来ていた。

 だが首相の悩みはそれではない。

 内閣総 職である。


 そう、恐妻から がれ愛人と第二の生活を始めようとしていた彼はしかし、 職の の字が書けずに困っていたのだ。




 それは日本の各地にじわりじわりとシミのように広がっていた。

 ブラック企業では たい職届としか書けない絶望から感情が反転し、徒党を組んだ社畜が下剋上を敢行し運営権を奪取。

 押しつけにより 任に追い込まれていた人達は、思い思いにその空欄に夢を託し漢字を当てはめ自身を鼓舞し、居座った。




 さて。

 場所を移して首相官邸である。

 彼はいよいよ窮地に立たされていた。

 なんと愛人と夫人が何故か二人して乗り込んできたのだ。


「あなたがうちの主人をたぶらかしたのね! はっ、品のない格好だこと」

「五月蠅いわね、なおくんはアタシがいいって言ったの。皺れババア!」


 挨拶がわりの罵り合いのゴングが鳴り。

 二人はすぐさま次の動作へと移る。

 幾どかの殴り合いの末。

 夫人は愛人の髪の毛を引っ掴み顔面へと膝を打ち、離して右ボディーブローを入れようとしたところに、愛人がその腕を自分の左脇に流しながら引っ張り上げ右肘でよろけた夫人の背を打った。

 なかなかの見どころのあるキャットファイトである。

 夫人はグフッと言いながら床に打ち付けられた。


 それにすかさず押さえ込みを掛けながら、愛人は言った。


「アタシとこいつ、どっち取るの?!」


 愛人は期待している。

 首相は逡巡しゅんじゅんした。

 そこをひとにらみされ、観念したのか彼は口を開いた。


「……前にも言った通り、君といたい」

「じゃあこれ」


 愛人は胸の谷間から一枚の紙を出してきた。

 そのときである。

 紙からはらりはらりと何かが落ちた。

 その何かには足が生えやがてどこへともなく消えていく。


 見れば、


「なんなのこれー!!」


  婚届の の文字が無くなっていた。
















「なんでもかんでも、俺に頼るんじゃねぇ!」


 離の文字はいたくカンカンに怒っていた。


「落ち着いて、落ち着いて」

「そうだよ、僕達人助けしてるんだからさ」


 それを退の字と逃の字とが宥めている。


「そうはいってもさぁ」


 目の前には金網越しに炭に火が入っており、上にはダクト。

 どうやらロースターがあって、ここは店のようである。

 机の上には銘銘めいめい好きな種類のお酒がコップになみなみ注がれていた。

 まだ一ミリも減っていない。

 だのに離の字は既に酔っているかのようであった。


「気持ちがわかる部分もあるよ、だってさ、人生乗っかっちゃってるもんね」

「そうだよねぇ」


 退の字の言葉に、辞の字がどこか遠くを見ながら同意した。


「まぁ、ないと困るだろうから」

「そうだね」

「焼肉カッ食らってスタミナつけたら、戻るか」

「うん」


 そうして、チェーンの焼肉屋で慰め合い酒をかっくらい肉をしこたま腹に溜め。

 明日また頑張ろうね、と言い合って各々元の場所へと帰って行ったのだった。

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 げるが げた 三屋城衣智子 @katsuji-ichiko

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