第8話 変異
『隊長。民間の人間がいます』
耳をつんざくような音は隣の倉庫で捜索していた《オプション》の声だった。
『感染率は?』
『感染していますが。“ノー・ネーム”化する数値は低いようです』
『そうか。ならば直ちに民間人を保護。他の《オプション》は捜索を続行しろ』
会話が無線から聞こえていた。
「民間人?」
僕は後ろにいたイリスに顔を向ける。
イリスもこの事態を不思議に思っているのか首を傾げていた。
ふと男のことが気になり、窓の外に目をやる。
しかし、クレーン車の上にはなんの姿もなく、風が吹いているのがわかるくらいだった。気のせいだろ。
そう、“ノー・ネーム”との戦闘に緊張しているのだろうか?
らしくもないなと自嘲し、笑みがこぼれてしまう。
そんな僕を不思議に思ったのか、イリスが片方の手で僕の腕の裾をつかみ、僕の顔を覗きこんでいた。
まるでどうかしたのと聞かんばかりの顔だ。「大丈夫だよ」
僕はイリスに微笑みながら言った。
イリスはじっと僕の顔をみたまま、頷いた。彼女の手が掴んでいた僕の腕の裾を離す。
ふと何かが動く音がし、僕とイリスは一瞬で身構える。
拡張現実には何の表示もない。
僕とイリスは武器を構えながら音がした方向へと慎重に歩んでいく。
倉庫内は入り組んでいるが人二人が歩ける幅はある。
音がした場所はすぐコンテナの角を曲がったところだ。
僕とイリスは目配せし、コンテナの角を勢いよく飛び出した。
するとそこには人が踞っていた。
「人?」
僕は思わず呟いた。
人は身体を震わせ、何かに怯えるようだった。
僕とイリスはまた顔を見合わせる。
表示抜けしたのか、僕はチタンブレードを鞘に納めた。
「増原教官に連絡だね」
僕とイリスは顔を一瞬、見合わせる。
通信機のスイッチを押し、本部に繋ぐ。
『増原隊長。こちらも民間人らしき人を確認しました。どうすればいいでしょうか?』
『黒田訓練兵。その場にいる民間人をつれ、そから離脱しろ』
『了解』
通信をおえ、民間人らしき人を連れ出すため警戒をとかせようとする。
僕は怯えて踞る人に慎重に近づく。
「大丈夫ですか?」
人は声をかけられ身体をビクッと反応させこちらを見る。
「く、くるな……。き、来たら大変なことになる」
男だったが腕を付きだし、僕を寄せ付けないように身構えていた。
僕は警戒を解こうと慎重に一歩ずつ近づく。ダストのエンブレムが入った証明書を取り出し、男に見えるようにする。
「落ち着いてください。《ダスト》の者です。僕らは貴方に被害を加えません」
「ダメだ、近づくな。来たら本当に大変なことになる。俺は嫌だ」
男は声を荒げ、目の焦点も会わず、瞳孔は開いている。
拡張現実には男のバイタルサインも表示され、推測の心拍数などが写し出される。
しかし、そんなものに頼らずとも男が興奮しているのは歴然としてわかる。
何に怯えているのだろうか?
僕は頭の中で冷静に男をなだめようと言葉を選ぶ。
「大丈夫ですから。一緒に倉庫をでましょう。ここは危険です」
「く、くるな。お、俺はあんな化け物に」
「落ち着いてください。この辺りに出現していません。私たちと一緒に……」
「俺は、俺は……」
ダメだ。
完全にパニックに陥っている。
僕は歩みよるのをやめ、その場で止まる。
足を止め、完全に僕が制止したと同時だった。
通信にノイズの混じった増原教官の声が聞こえた。
『各ユニットへ。そこにいるのは民間人ではない。“ノー・ネーム”だ』
「え?」
僕が増原教官の言葉の意味を理解する前に僕はいつの間にか宙を舞っていた。
視覚でそれを認識した時には近くのコンテナに叩きつけられていた。
「ぐあっ……」
痛みで息がもれる。
「クロ!」
イリスの叫んだ声が聞こえた。
地面に這いつくばりながら、自分がいた場所に目をやる。
そこにはさっきまで怯えていた民間人の男がこちらを見ていた。
違うのは一目でわかるほど肥大した左腕だった。
肥大した左腕は肌色を残したまま、グロテスクな形をしている。
指は大きな爪のようになっていた。
「嫌だ。化け物……に、なり……たく」
男は血の涙を流しながら、ぶつぶつと言っている。
僕はすぐに立ち上がり、チタンブレードを鞘から抜き、構える。
「なりたくない……」
そう呟いた後だった。
一瞬で身体が膨れ上がり、身体がさっきより大きくなる。
まるでホラー映画のような感じだ。
男はある程度、人間の姿をしているがほとんど原型を止めていない。
顔は原型を止めているが苦痛に歪んでいる。「あぁぁ」
苦痛の声がもれだす。
「殺してくれ。俺を」
男は叫ぶと此方に向かって突進をかけてくる。
僕は息を整え、足に力をいれる。
“ノー・ネーム”化した男は腕を振り被る。すかさず近くにいたイリスは振り上げた腕に向かい、銃弾を撃ち込む。
「ああぁぁぁ」
苦痛に歪んでいた男の顔は更に苦痛によって歪む。
僕は構えていたチタンブレードを一閃する。銃弾を撃ち込まれ振り上げられた腕を叩き斬った。
「ああぁぁぁぁ。殺してくれ」
男は痛みと絶望を感じていたのかで涙をながしている。
“ノー・ネーム”化した男は怯むことなくもう一方の手で攻撃をかけてくる。
僕は体勢を低くし、かわす。
その間にイリスは男の背中に向け銃弾を撃ち込み続ける。
「あぁぁぁぁぁぁぁ。殺してくれ」
男はなおも叫び続けながら攻撃の手をやめようとはしない。
男はすばやい動きで僕からイリスに向かって突進をかける。
イリスはコンテナの影に隠れるようにしながら走り出した。
男はイリスを追いかけていく。
僕もすかさず、後を追う。
男はイリスを見失い、標的を僕に変える。
しかし、扉が空いていたコンテナからイリスは身体半分をだし、男に向け、銃を撃つ。
弾は下腿に当たったのか、男の動きが鈍る。そこを狙い、僕は踏み込み、“ノー・ネーム”化した男の間合いに入る。
「すまない」
僕は呟き、そのまま、男だった成れの果ての首に向けチタンブレードを一閃した。
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