偽り

「何か飲む?」


 ベッドに腰掛けた彼の指先を乾いた瞳で見つめていた。横たわる私の髪を、爪の短いささくれ立った指先が、労わるように撫でている。


「……お酒以外がいい」

「ごめん、水しかないかも。いい?」


 声を出すのも億劫になり、そのままの姿勢で首を縦に振る。身体も心もアルコールに委ね、不本意に始めた行為の後は、いつも酷く喉が渇いた。

 彼の体重を失ったベッドが、寂しさを訴えるように小さく軋んで鳴き声を上げた。二人の身体を預けるには少し窮屈なパイプベッド。薄いマットレスの下に感じる堅い感触にもすっかり慣れてしまった私の身体を覆う毛布は、私の知らない煙草の匂いが染み込んでいる。

 仰向けに寝返りをうつと、シーツの濡れた部分が肌に触れた。不快感を覚えても、それ以上身体を動かす気力は私の中には残っていなかった。息を吐き出すと、部屋の暗闇が仄かに増したような気がした。

 暗がりの中、冷蔵庫の庫内灯に照らされた彼の身体が浮かび上がる。猫背の上半身は裸のまま、グレーのニットトランクスだけを履いている。

 セックスの後、すぐに下着を履く男は心のどこかで罪悪感を抱えている──友人が冗談交じりに言っていた言葉を、馬鹿らしいほどに信じている私は、いつか偽りの愛に溺れて死ぬのだろうか。だとしたら友人の言葉は真実であり、見返りを求めないことが真実の愛などと嘯く歌姫よりも、彼女は世界を正しい方向へ導く存在たりえるのかもしれない。

 早く別れた方がいい、私の愛すべき友人はそんなことも言っていた。

 私の嫌いな硬水のペットボトルを手にした彼が、慈愛に満ちた笑顔を浮かべてベッドに戻ってくる。


「起きれる?」

「……寝てたい」


 苦笑を浮かべて、水を口に含んだ彼が顔を近づけてくる。

 ざらついた唇。冷たさを孕んだ他人の熱。嘘を受け入れた見返りに手に入れた愛は、仄かに血の臭いがして、私の身体がそれを拒絶する。

 むせ返る私の背中を這い回る何かに、強烈な吐き気がこみ上げてくる。


「大丈夫?」

「……もっと」


 

 音を立て、それを嚥下する私を見下ろす瞳は、私が注いだ偽りの愛で満たされていた。

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