紡ぐ

 大学を卒業して直ぐに、姉は学友だった男性の元へと嫁いでいった。

 実家に残されたピアノを弾く者は居なくなり、かつて音の絶えなかった家には、沈黙と静寂が奏でる不協和音が響いている。

 父は人が変わったように、寡黙になった。

 母は眠りから覚めたように、家を空ける事が多くなった。

 姉のピアノは、今もまだリビングの片隅に置かれている。触れることを禁じられていたそれも、今は咎める者は誰もいない。

 椅子に腰掛け、鍵盤の蓋を上げる。目の前に現れた白と黒の鍵盤は、その時を待ちわびていたかのように、静かに光を湛えていた。

 強張る指先を、白鍵に置く。わずかに力を込めると、ゆっくりと沈んだ白鍵が、弦を叩き、音を鳴らす。

 音色と呼ぶには程遠い、不細工な音だと思った。姉はどうやってこの音で、あれだけの音色を紡いでいたのだろうか。

 結婚式で、ウエディングドレス姿の姉がピアノを弾き語るのを、父と母は涙を流して聴いていた。新郎まで泣いていたのは、酷く頼りなく見えてしまったけど、少し安心したのを覚えている。

 もう一度だけ、指先に力を込める。

 再び奏でられたその音色が、家族のいなくなったリビングに響くのを、私は一人で聴いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る