第31話
ふと、大きな足音がこの部屋へと近づいていることに気が付いた。
一人——いや、二人だ。
大きく開け放たれた扉の前には、篤司と瑞希が立っていた。
「暮葉、こんなところに……」
「何してるの……? 二人とも」
ついに見つかってしまった。篤司も瑞希も、死者蘇生には反対派の人間だ。
「暮葉、何を泣いて——」そこで篤司の目線は、私の持っているアルバムの方を向いた。「おい、まさか」
篤司が踏み潰すような力強い足取りで真音に近づき、胸ぐらを掴む。
「——篤司」
「ちょっと、篤司さん!」
瑞希も止めようと近づいて篤司の腕を掴むが、真音から離れる気配は全くない。
「お前、何てことしてくれたんだ!」
「違うんだよ」
「何が違うんだよ!?」
篤司が鬼気迫る表情で私の方へ向く。その瞳は血走っており、今にでも真音を殴ってしまいそうだった。
「私が頼んだんだ」
篤司を興奮させないよう、つとめて平坦な声を作る。
「は……?」
「私が自分の意思で真音と会って、私の意思でここまで来たんだよ。真音に無理やり連れてこられたわけじゃない。そこは安心してほしい」
「でも、だって真音はお前を——」
「それは確かに怖かったが、今ではその気持ちも理解できるんだ。私と真音は意気投合したんだよ」
篤司の握力がわずかに緩んだのを見逃さなかった真音は、すぐに手を振りほどいた。苦しそうに口を押え、何度も咳き込んでいる。だが、篤司はそれを意にも介さなかった。
「お前……あの言葉、本気だったのか?」
「ああ、本気さ」
「馬鹿かお前は! 死者蘇生とか、お前、本当に信じてるのか?」
「ああ。辻褄が合うところがあるからね」
「そんなわけがないだろ……! お前は騙されてるってことにいい加減気が付けよ」
篤司の目尻にはわずかに涙が溜まっていた。
「篤司はさ。死んだ人は絶対に蘇らない、なんて言える?」
「言えるに決まってるだろ」
「全てを見てきたわけでもないのに?」
「そういう前例がないからな」
「そんなことばっか言ってたら、人類は月に行けてないだろうね」
篤司は言葉を失った。それ以上理由が思いつかないのか、あるいは呆れてしまったのかは分からないが、とにかくチャンスだと思った。
「前例がないなら、私が最初の前例になってみせるよ。アポロ十一号というわけだ。それにほら、私は百音と会話ができるんだ。これは前例としてカウントしちゃ駄目かい?」
「昨日、言ってたやつか」
「そう」
「お前が」
篤司は力を失ったようにその場に座り込んだ。私も篤司と同じ目線の高さになるようにしゃがみ込む。
「認めたくないのは分かる。おれだって、百音を蘇らせたいという気持ちは同じだ。でもな、世の中はそう上手くできてない。いいか? 人は死ぬんだ、暮葉。その先に道なんて続いてない。半分に折った紙の折り目を消すのが不可能なのと同じで、死にはどうやっても抗えないんだよ」
「私は自然法則にもこの地球にも歯向かう覚悟だよ」
「……分かった。なら、お前に真実を全部伝えよう。自分の目で確認するより、おれが話した方がきっと——」
「やめて!」
篤司の声を遮ったのは瑞希だった。彼女はボロボロと涙を流し、千切れんばかりに首を横に振っている。
「水木。たぶん、これ以上隠したって無駄だ。ここまで知ったら、監禁でもしない限り知ろうとするに決まってる」
「篤司さんは、すぐ側で見てきたんでしょ……? 前の暮葉ちゃんがどれだけ——」
水木はそこで言葉に詰まり、嗚咽を漏らし始めた。
「暮葉」篤司は観察するように私を見つめる。「覚悟を決めろ。今からお前に全て教える。だから、約束してくれ。絶対にリストカットをするな。絶対に自殺しようとするな。これだけは……これだけは、約束してくれ。お前はおれの、たった一人の家族なんだ」
私はうなずいた。そして、篤司は震えた声でその過去を語り始めた。
*
私は真っ白な病室で、これまた真っ白なベッドの上に寝そべっていた。ナースコールを押そうにも、全身が痛んで全く動かせない。特に痛むのは首の辺りだ。
「暮葉」
ベッドの脇から声がした。だが、その方向に顔を向けられない。恐らく篤司の声だろうということだけが分かる。
すると、一人の女が私の顔を覗き込んだ。祖母ではない。多少年を取っているが、まだ若い。真っ赤な目でこちらを睨むようにじっと見つめている。それが百音の母親だと気付いたのは、彼女が口を開いてからだった。
「人殺し」
心臓が握りつぶされそうな怒気をはらんだ、冷たい声だった。明らかに私に対して敵意を持っていた。
そして、私はその敵意の意味を正しく理解していた。
篤司は何も言わなかった。私から視線を外し、膝に乗せた拳をぎゅっと握りしめているだけだった。
「お前が、百音を……!」
彼女はそこで口を閉ざした。唇の両端を下げ、大粒の涙を流し始めた。そして、ベッドに顔を埋め、
*
「なんで、学校に来てくれないの?」
私は車椅子に乗った百音に問いかける。
「行きたくないからですよ」
百音は
「なんで? てか、なんで敬語なの?」
「どうでもいいじゃないですか。私のことなんか」
百音は私と視線を合わせようとせず、淡々と答える。
「どうでも良くない!」
「だったら——どうしてあの日、一緒に帰ってくれなかったんですか?」
「え?」
「忘れもしませんよ。五月十七日の金曜日。あの日、一緒に帰る約束、しましたよね?」
百音は今度は私としっかり目を合わせ、責め立てるように訊ねる。逆に私が彼女から視線を逸らしてしまう。
「それは……部活が長引いたし、グラウンドの整備もあったから」
「そんな、そんな普通の理由で、ですか」
落胆するような、怒りに打ち震えているような声色だった。
「それが、百音が学校来ない理由と関係があるの?」
「話したくもありません」
百音は車椅子を引いている男——彼女の祖父である修に対し、帰るよう促した。
修は苦い顔をしながら私に向かって小さく会釈し、そのままどこかへ行こうとした。
「待って」
それはほとんど反射的な行動だった。私の声で車椅子が動きを止め、その隙に私は百音の手を取った。そして、百音が抵抗しないと察するや否や、私は彼女をむりやり背負った。
百音は呆気に取られていたようだが、すぐに「馬鹿、何やって――帰らせてよ!」と叫んだ。彼女の小さな拳が私の背中を叩く。
「うるさい、行くよ!」
私は百音を背負い、制服姿のまま街を駆け出した。ローファーじゃ走りづらいが、履き替えるような時間も残されていなかった。
——今日諦めたら、もう二度と君とは会えなくなる。
きっとそんなはずはないのだが、そう思ってしまうのだ。
日差しで熱された黒い道路をローファーで走るたび、小気味いい音が辺りに響く。頬を撫でる風が涼しい。四方八方から蝉の鳴き声が聞こえる。まるでマラソン選手にかけられる歓声のようだ。
背中の方から百音がすすり泣く声が聞こえる。それがどんな感情か分からないが、私の行動はきっと間違っていない。どれだけ拒絶されようと、私は百音と話したい。
学校には行かない。私と百音はもっと話し合う必要がある。隠し事をせず、お互いの胸中を吐き出す必要がある。
だったら、あそこが適当だろう。瑞希にも篤司にも百音にも知られていない、二人だけの場所へ。
私は日慕山に着き、草むらをかき分けて、目的地に着くまで山道を上り続けた。
ようやく到着したそこは、この町を展望できる場所であった。わずかに木々の葉が邪魔だが、それでも申し分ない景色だった。
北を見れば、鉄塔や緑に染まった田んぼ、住宅街などが見える。
東を見れば、青々とした葉に包まれた山が連なっているのが見える。
西を見れば、雲間から差す夏の太陽光を受けて煌めく海が見える。
目をつむれば、しゃわしゃわ、と騒がしい蝉の鳴き声が聞こえる。
*
「あなたが殺したのよ」
私はうなずく。
「だったら、どうすればいいのか分かるかしら?」
「……埋め合わせ」
「そうよ。あなたは逃げちゃ駄目。あなたはずっと生きて、ずっと罪を償わなきゃいけないの」
私はうなずく。
「どんな職業に就くかは、正直どうだっていいわ。あの子にも明確な夢があったわけじゃないしね。でも、あなたは——決して長谷川暮葉として生きちゃ駄目」
私はうなずく。
「あなたが、百音の代わりになるのよ」
私はうなずく。
私は古橋百音だ。真音の妹だ。
私はそういう人間。それが私。
これから私は、そうやって生きていくのだ。
*
「強姦、という言葉を知ってますか?」
「……え?」
私はその言葉を何となく聞いたことはあったし、どのようなものかも知っている。だが、そんな言葉が唐突に彼女の口から飛び出たことに、驚きを隠せなかった。
私の背中に体を預けている彼女も、かなり緊張しているのが伝わる。彼女の心臓が激しく鼓動しているのが、背中越しにも分かる。
「先生は、その——自動車事故って、説明してると思います。……全部、嘘なんです。あの日の帰り道、私、暮葉を待ってたんです。でも、日が沈んでも暮葉は来てくれなくて。仕方なく一人で帰ることにしたんです。そしたら——」
私の肩を掴む手にぐっと力が込められる。私は思わず立ち止まる。
私は、百音の不登校の原因を担っている。
「だから、私は——」
「分かった。それ以上は、大丈夫。……本当にごめんなさい。謝って許されるものじゃないって、分かってる。だって、そんなの、もう誰も信じられなくなるに決まってるから」
「何より嫌なのは、あれからお父さんが怖くなって……あんなに好きだったのに、今はもう――」
すすり泣く声が聞こえる。私はできるだけ慎重に山道を下りる。
「私、大人になったら、探偵になるよ」
「……どうして?」
「私がその犯人、捕まえる」
「……警察じゃないんですね」
「警察だと逮捕とかしなきゃだし。そんなの嫌だ」
「探偵に犯罪者を罰する権利もないと思いますけど」
「分かってるけど」
分かっている。こんな茶化すようなことしか言えない自分が心底嫌になる。それでも、言わないといけない。
なんて卑怯者なんだろう。こんな言葉でしか、私は彼女と接することができない。
自分の罪の意識から、少しでも逃れるために。体裁だけの罪滅ぼしをするように。
私は山道を下り続ける。
最愛の親友を背負って。
守るべき親友を背負って。
彼女の心を死なせてしまった罪を背負って。
「……話してくれて、ありがとう」
「あなたと私の両親しか知らない秘密、ですよ」
「言いふらしたりなんかしないよ。誰がするもんか」
ふと、木々の中からひと際大きな小鳥の鳴き声が聞こえた。
——あ、ホオジロの鳴き声。
そして、ふいに私は足を踏み外した。
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