第11話

 私がそう言うと児玉は少し苦い顔をして、「そう、ですよね」と呟いた。

「まあまあ、そう焦ったって意味ないよ。児玉くん」

 目黒がそうたしなめると、児玉は気まずそうに私から視線を外して「すみません」と呟く。なんとなく二人の力関係が分かるようなやり取りだった。

「ずいぶんと幽霊の噂にご執心のようだね」

「どうもすみません。児玉くんは新聞の記事作りとなるとやけに情熱的になるというか、視野が狭くなって、がむしゃらになってしまうんです。それが彼のいいところでもあり、悪いところでもあるんですけれど」

 羨ましい。私は少しだけそう思ってしまった。なぜそう思ったのか少し考えて、それからすぐに答えに行き着いた。私の人生に児玉のような熱中できるものが何一つとしてなかったからだ。決して何にも心が動かなかったわけではないが、ずっと穏やかな湖のような日々ばかり送ってきていた。

 彼は自分の幸せを知り、正しく生きているのだ。

「いやいや。いいことだよ。私も君のように、何かに対して情熱を持てればいいんだが」

 私は褒めたつもりだったのだが、意に反して児玉は神妙な表情を浮かべた。

「いえ、い……目黒さんの言う通りです。は悪いことの方が多いんです。あの、好奇心は猫を殺すっていうイギリスのことわざ、あるじゃないですか。あの言葉って本当に正しくて、未知に好奇心で近寄るのは良くないことだと二年前に知ったんです」

「……何やらわけありのようで」

「父を、見殺しにしました」

 思わず眩暈めまいがした。それと同時に、心臓をぐっと掴まれるような強い動悸に襲われる。父親を見殺しにした。両親を殺した犯人を追うために探偵を始めたと言っても過言ではない私にとって、それは最も理解できない内容だった。

 それと、そんな心の虚を平気で口に出すことも私には信じられない。

 ——しかし、私は本当に親を見殺しにしていないと胸を張って言えるだろうか。あの日。あの朝、両親が出かけるのを止めていれば、二人は死なずに済んだのではないだろうか。親を見殺しにしたという罪を被っているのは果たして、私の目の前にいるこの青年だけなのだろうか。私は、傷をロングコートとあっけらかんとした口調で覆うだけの私は——。

「無理しなくてもいいんだよ」

 目黒の声で、私は思考の渦からどうにか脱出することができた。現実世界に引き戻された私は、目の前にいるの少年——児玉に何の声もかけられなかった。

「彼の父は、事故だったんです。絶対に避けられない事故で」

 目黒はただそれだけ言ったが、私はその時点で何かを察しそれ以上は追求しようとはしなかった。誰しもが秘密を抱えて生きているのだ。それを詮索する権利は誰にもない。

「……まあ、私の知っていることはその辺りまでだよ。逆に君らはこれ以上何かを知っているのかな? こちらも一応は仕事だから、できれば教えてくれると助かるのだが」

「私たちが知っていることで目新しい話はないですね。一応、千駄咲神社の御神体が別の神社——確か方戸神社だったかな——に移されているらしいので、そっちの方にも取材をしようと思っています」

「お、そうなのか。であれば、その情報をこちらにも流してもらえると助かるのだが」

 すると、目黒と児玉は互いに見つめ合って妙な顔をした。何やら悩んでいるようだった。

「どうする? 児玉くん。これはルールに反するのかな?」

西川にしかわ先生に確認を取らないと判断はできないと思いますね……」

「そうだよね」

 二人がひそひそと会話をしている間に、私は無意識に手をコートの内ポケットに入れてタバコに手を伸ばす。しかし、中身が空だったので私はそのまま箱を握りつぶした。

「私のような素性もよく分からない人間に情報を渡すのは不安かな?」

 私が言うと、目黒は慌ててそれを否定した。

「いえ、そういうわけではないんです。ただ、私たち新聞部には代々守られてきた鉄則がありまして……その、外部に取材内容を漏らしてはいけないんですよ」

 一端いっぱしの新聞部どころか、まるで本物の新聞社のようだ。最近の部活動はどこも厳密なのだろうか。

「徹底してるんだね。いや、無理に教えろとは言わないんだ。君らと違って私は仕事でやってるから、自分の足で調べてみるよ」

「——あ、それなら」

 目黒は携帯を取り出し、私に画面を見せた。そこにはメールアドレスが表示されていた。

「新聞部で使っているアドレスです。取材内容を共有するという話は西川先生——顧問の先生のことです。あの人に訊いてみないと分からないので、もし許可が下りたら文面で取材内容を伝えられるかと」

「いいのかい? 私みたいな不審者にメールアドレスを教えて」

「私たちにとって重要なのはあなたの正体とか素性ではないので。あくまで情報だけが欲しいのです」

「感謝するよ」

 私と目黒は妙に似ているところがある。境遇や見た目ではなく、その本質の部分がどこか似ているような気がする。

「それでは、私たちはこれで失礼します」目黒がそう言うと、児玉も自身のリュックにメモ帳を入れて帰る支度を始めた。

「おや、もう帰るのかい」

「はい。あくまで下見なので」

「そうか。君らが幽霊について記事を書くのか分からないが、お互い頑張ろうじゃないか」

「はい」

 目黒は顔いっぱいに笑みを広げ、小さく会釈してから私の横を通り過ぎていった。児玉も同じように小さく頭を下げ、「何かあればすぐにご連絡いただければ」と独り言のように言ってから目黒の後をついていく。

 私は二人を見送り、その足音が完全に収まったのを確認してから、本殿の側へ近寄った。ここに来るまではうだるような暑さを感じていたにも関わらず、本殿の前は鬱蒼うっそうとした木々に囲まれており、寒さすら感じてしまう。

「やあ。前言った通り、また来たよ。君は元気かな? この暑さだ。君が——まあ、幽霊が体調を崩すのかは分からないが、熱中症にでもなっていたらと心配でね」

 私は時折振り向いて誰も来ていないことを確認しながら、本殿に向かって話しかける。普段から人目を気にしてしまう私にとって、不審者のような行動や態度を誰かに目撃されることは必ず避けなければならない。


「りんが」


 そよ風のような声がわずかに聞こえた。幽霊だ。私の体が金縛りのようにこわばっていくのを感じる。

「すまないね。『りんが』の謎はまだ解けていないんだ。君が直接教えてくれればいいんだが、それはできないというのが君の言うルールだったね」

「別にいいです、私はずっとここにいるだけで」

 幽霊は冷淡に言い放つ。

「寂しくはな——」

「寂しくない」

 彼女は少し声を張って、食い気味に答えた。私の口から発されるその言葉を聞きたくないようだった。そして、その口調がどこか幼く聞こえた。

「……そうか。きっと私だったら、そんな暗い廃墟の中に閉じこもっているのは耐えきれないだろうね」

「あなたがそうでなくとも、私にとっては幸せです」

 幽霊の声から先ほどまでの感情的な色は消え、淡々と、まるで台本があるかのように言う。

「君は、海に行きたいんじゃなかったのかな?」

 私がそう言うと、小さく息を呑む音が聞こえた。例えるのであれば、部屋の中に虫を見つけてしまったときのような、短く怯む息遣いだ。

「どうして、それを」

 予想と違う答えに出力がバグを起こしたロボットのように、幽霊は片言で呟いた。

「どうしても何も、君がこの前言っていただろう? 海に行くことのできない私を思い出の中だけでも、みたいなことを。いや、てっきり君は海に行きたがっているものだと思っていたのだが」

「願っていますが、絶対に叶いません」

「そうか。君が言うのならきっとそうなのだろうね」

「はい」

「私は君と会ってみたいがね」

 私がそう言うと、幽霊は押し黙ってしまった。静けさがその場に広がる。

「あなたは」

 声がひどく震えていた。悲しんでいるような、何かに怯えているような声色にも聞き取れた。

「人の想いの力がどれほど凄まじいものか、知っていますか」

 唐突な質問に私はしばらく返答に困った。きっと道徳的には「人の想いは素晴らしいものだ」などと言うべきなのだろうが、扉の向こうにいる幽霊がそんな陳腐ちんぷな回答を求めているようには思えなかった。

「……まあ、生霊やうしこく参りなんてものがあるくらいだからね。大体は悪意を伴うが、強い想いが実を結ぶ例の一つだ。あるいは宗教戦争なんかもそうかな。あれも、それぞれの神に対する強い想いのぶつかり合いだ。想いを原動力とした現象や行動は、それはもう常軌を逸したものになるのは相場が決まっているね。それらが実を結ぶかどうかはまた別問題になるだろうけれど」

「——では、想ったことがそのまま成就したら、あなたは何がしたいですか? あの人と会いたいとか、あの人がいなくなってほしいとか」

 何がしたい、という曖昧な質問に私は再び口をつぐんだ。もし想いの力なんてものが本当に効力を発揮して何かできるとしたら、私は何をしたいだろうか。いや、そもそも私にそんな欲求があるのかさえ疑問だ。今の私は——。

「幸せになりたい」

 思いがけない言葉が、私の口をついて飛び出てしまった。頭で考えるよりも先に行動してしまうのは、生まれて初めてのことだった。まるで私の体が、もう我慢ならないといった具合に私の声帯をむりやりに震わせたかのようだ。

「それが聞けて良かった」

 呆然としている私に追い打ちをかけるように幽霊はそう言って、それから完全に黙り込んでしまった。私はいつの間にか、誰かが来ているかどうかなどの警戒も怠り、ぼうっと本殿の扉を見つめていた。

 少しの間を置いてから私は、今日何度目かの思考の渦に呑まれながらおぼつかない足取りで千駄咲神社の鳥居をくぐった。


 探偵事務所に到着し、私は食事や睡眠のように日課となっていた行為をする。郵便物の確認だ。

 流れ作業のようにドアポストに手を入れると、かさり、と音が鳴った。

 指先に何かがぶつかったのと同時に、乾いた音がした。どうやら一枚の紙が入っているようだ。私はそれをつまみ上げ、引っ張り出す。

 それは広告紙などではなく、子どもが落書きに使うような、一枚の折り畳まれた白い紙だった。

 きっと小学生のイタズラだろうと思っていたところで、ふと夕日に透けて中に何か書かれているのが見えた。

 そこには不気味なほど整った文字で

「リンガ・フランカ」

 とだけ書かれていた。

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