第10話

 男子生徒の方は薄幸な顔つきで、感情の読めない奇妙な表情を浮かべたまま、警戒するようにこちらをじっと見つめている。ワイシャツも黒のズボンも奇麗にアイロンがけされており、美男子とまでは言わないが、かなりの清潔感を感じる。

 女子生徒の方は、顔の左半分に——火傷跡だろうか——薄い赤色の模様が大きく描かれており、もし火傷跡がなければかなりの美人だろうということがうかがえる。火傷跡とは対照的な白い肌がより際立って奇麗に見えた。緑のチェックスカートにオフホワイトのベストを着ており、その首元にはスカートよりも少し明るい緑のリボンが結ばれている。

 そして、二人とも左腕の上の方に腕章を着用していた。そこには「朝撒あさまき高校新聞部」と紺地に白抜きの文字で書かれている。

「ああ、どうも。お取込み中すまないね」

 私がいつもの調子で笑いながら話しかけると、二人は少し警戒心を解いたように——そう見えるように振る舞っているだけかもしれないが——柔和な笑みを浮かべた。

「いえ、私たちも先ほど来たばかりなので。失礼ですが、あなたは?」

 女子生徒が丁重な態度で訊ねてきた。高校生とはいえ、さすが新聞部といったところだろうか。人と接することにかなり慣れているように見える。私は少し背筋をピンと伸ばし、いつもより声を張って話す。

「私はこの町唯一の探偵だよ。長谷川暮葉。残念ながら今は名刺を切らしているのだが……もっと社会人らしくきちんとした態度と行動を取るべきなんだろうとは思っているから、その心構えに免じて許してほしい。あいにく、私はそういうのが苦手でね。携帯で私の名前を検索にかけてくれれば事務所の電話番号くらいは出てくるだろうから、それで自己紹介とさせてくれ」

 我ながらなんと適当な自己紹介だろうと思うが、これが最も手っ取り早く、そしてなぜかはよく分からないが信頼を得ることができる。丁寧さやマナーを重んじる現代社会では、逆にこの裏表のない振る舞いが役に立つ時があるのだ。

「長谷川暮葉……あ。あの長谷川探偵事務所の、ですか」

 男子生徒が、一切抑揚のない声で訊ねる。

「ああ。私を知っているのかい?」

「はい。僕が依頼したわけではないのですが、祖父母が飼っていた猫の捜索を依頼したというのを聞いた気がします」

 そこで、ようやく児玉という名字の老夫婦が来ていたことを思い出した。朗らかという言葉が最も似合う二人だった。

「思い出した。おじい様の方はハンチング帽を被っていたね。ご利用いただきありがとうございます、と言付けをしておいてほしい。それで、君たちはいったいここで何を? 少なくとも千駄咲神社の関係者にも、地すべりの様子を見にきた砂防事務所の人間にも見えないが」

 私が訊ねると、女子生徒は手に持ったメモ帳を閉じて自己紹介を始める。

「ああ、申し訳ないです。私、朝撒高校という高校の新聞部の部長をやっております、いけ——ああ、いや。目黒めぐろといいます」

 名前を訂正した際に私が少し怪訝けげんそうな顔をしたことに気が付いたのか、目黒は苦笑いを浮かべて「つい最近になって母が再婚したんです。そんなだから、まだ新しい名字に慣れてなくて」と付け足した。

 朝撒高校とはこの町に唯一存在する高等学校の名だ。この町には電車が通っておらず、遠くへ行こうとすると隣の市にある駅に向かう必要がある。そのため、多くの中学生が朝撒高校へ進学するのだ。公立高校だが特進クラスや進学クラスなど幅広い偏差値による多くの生徒の受け入れをしているいわゆるマンモス校であり、素行や進学実績もピンキリだ。この二人は話し方から察するにそう頭が悪い生徒には見えない。特進クラスの生徒なのだろう。

「同じく朝撒高校の新聞部員で、副部長をやっています。児玉こだまです」

 児玉は深々とお辞儀をした。あまりの慇懃いんぎんな態度に私は少し緊張感を覚える。

「なるほど。取材かな?」

「取材——というよりは、その下見です。あくまで新聞の記事にできそうかどうかを精査しにきた、という感じでして」目黒は背後にある朽ちた拝殿に視線を向ける。

「記事、ねえ」

 私は篤司の勤めている印刷会社のことを思い浮かべていた。確か、彼の会社はある高校の新聞部が作る新聞を印刷する仕事もしていると聞いた気がする。

 ふと思い立ち、私は目黒と児玉が記事にしようとしている内容を当ててみることにした。とはいえ、ここにある記事になりそうな話は一つしかないだろう。

「——幽霊」

 私は最も二人に刺さりそうな言葉を選び、口にした。予想に反して二人の表情はあまり崩れなかった。児玉は相変わらず笑っているのか悲しんでいるのか分からない妙な顔をしたままこちらを見つめている。目黒もまた、貼りつけたような笑みを浮かべたままだ。

 しかし、それでも二人の頬にわずかながら動揺の色が見えた。探偵をやっていると動揺という心の機微を判別する能力が養われるのかもしれない。

「やっぱり」

「知っているのなら、教えてほしいです。これが最後なので」

 食いついたのは、意外にも児玉の方だった。彼は一見すれば情熱という言葉からはあまりにもかけ離れた存在のように思えるが、その実は好奇心旺盛のようだ。

「あいにくだが、私もよく知っているわけじゃないんだ。ただ、幽霊調査の依頼がうちに舞い込んで来てね。それでここへ来たってだけで」

「探偵の方が、幽霊調査ですか。まるで漫画や小説のような話ですね」

「私もつくづくそう思うよ。まあ、楽しいから別にいいんだが」

 私がそう言うと、児玉は明らかに怪訝な目で私を見つめる。確かにこのタイミングで現れると怪しい人間にしか見えないだろう。夏だというのにロングコートを着ていることも、その奇異の目を加速させているに違いない。

「あなたはどこまで知っているんですか?」

 いつからなのか分からないが、児玉の手元に手帳とシャーペンが握られていた。目黒の方を見れば、相変わらずの笑みを浮かべたまま私と児玉のやり取りを見守っていた。取材開始といったところか。

「私が知っているのも、たぶん君らが知っている情報となんら変わらないはずだよ。千駄咲神社の拝殿の裏にある小屋——というより、本殿だね。その本殿の中に幽霊がいて、『りんが』という言葉を口にする」

「『りんが』ですか」

「ああ。知らなかったのならメモしておくといい。それで、君らに訊いてみたいんだが、『りんが』とは何か予想がつくかい?」

 児玉はしばらくの沈黙の後、不安げに口を開いた。

「最初に思い浮かんだのは臨画——絵の模写です。ですが、あまりにも脈絡がないのでこれはあまり意味はないと思います。『りんが』という言葉だけを口にしていたのだとしたら、それ単体で必ず意味があるはずです。その幽霊は何か理由があって本殿から出られず、『りんが』と言うことで外界に何かを求めているのではないでしょうか」

 児玉が唐突に饒舌になったので、私は少し戸惑った。

 外界へ何かを求めている——ふと、私の脳裏に仮説が浮かんだ。もっともらしいのは「りんが」のは実は誰かの名前で、かつ「りんが」という言葉が大切な言葉であるということを加味すると「リンという名の人間を連れてきてほしい」と訴える言葉なのではないだろうか。

 いや、それだと「りんを」の方が自然な言葉になるだろう。それに——瞭大相手では違ったようだが——幽霊は私と普通に会話することができていた。であれば、「リンを連れてきてほしい」と声に出して言えるだろう。やはり「りんが」はそれ単体で機能すると考えるのが妥当だ。しかも、私だけでなく、児玉も同じように考えたうえで答えらしい結論が出ていないのだから、臨画やリンガ崇拝のような広辞苑にある意味ではないのだろう。

 やはり、一人で考えてもそれらしい仮説は立てられないようだ。ここは出し惜しみをせず、「りんが」とは大切な言葉で、ある人にとっては呪いの言葉だと幽霊が言っていた、ということを児玉と目黒に伝えるべきだろう。

「なるほど。あともう一つ、君らに言い忘れていたことがあった。私が初めてここを訪れたとき、幽霊が話しかけてきたんだ」

「幽霊と、話したんですか? 『りんが』と言われてだけじゃなくて」

 児玉は面食らったような表情で私の言葉を反すうする。目黒も先ほどまでの笑みはどこかへ消え、手帳に視線を移して何かを考え込み始めた。

「どうしてそれを——いや、それよりも、なんて言われたんですか?」

「『りんが』とは大切な言葉で、誰かにとっては呪いの言葉だと、そう言っていたよ。どちらもかなり曖昧な表現だったから、私にも見当はつかない」

 その瞬間、目黒も児玉も凄まじい勢いで手帳にメモし始めた。その鬼気迫るような表情に思わず押し黙ってしまう。

「他には——えっと、他には何か言ってませんでしたか?」

 児玉が私の顔を覗き込むように前傾姿勢になって訊ねてくる。私は一歩後ろに下がり、苦笑いを浮かべながら話を続ける。

「他には……『りんが』のことは誰にも教えてはならないという約束があって、その約束は誰にも捻じ曲げられないと、確かそう言っていたかな」

「なるほど」

 再びその場から会話は消え、紙にシャーペンが擦れる音と蝉の鳴き声だけが響き渡る。

 ——自分で言っていて、その言葉に少し違和感があった。しかし、その違和感は児玉の言葉によってすぐに頭の片隅へ追い込まれてしまった。

「これは、試してないかもしれませんが——本殿の扉をむりやりこじ開けることはできないんでしょうか」

 どうやら児玉も昨晩の私と同じ結論に至ったようだ。私もそれを考えたことはあったが、そのたびにあの地方紙に載っていた「不可解な事故」という見出しが脳裏を掠めていく。決して呪いや祟りを信じているわけではないが、専門家も疑問に思うような現象が起きた過去がある以上、拝殿を取り壊したり、本殿の扉をこじ開けるような罰当たりなことをしようという気にはなれなかった。

「まあ、やったことはないが……君らも千駄咲神社については多少調べているだろうから、知っているだろう? ここは取り壊し工事中に不可解な事故が相次いで起きた結果中断を余儀なくされ、廃神社となった場所だ。無理に幽霊と会うのはあまり実行を——いや、オススメすらもしたくないね。それに、シンプルに器物損壊罪として訴えられてもおかしくはない。そもそも、道を阻む有刺鉄線が誰かに撤去されているからあまり意識しなくなりがちだが、本来であれば千駄咲神社は立ち入ることすら許されていない場所だ。私と君らはひそかな共犯者だよ」

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