第43話 第一次マルナス会戦(6)

接近戦闘は第八八連隊が切り込んでから民兵隊も同様に切り込んでいったものの、双方甚大な被害を被っていた。第八八連隊は八〇〇人ほどの連隊員であったが戦闘中の人間は六〇〇人を切っていたのであり、もうすぐ五〇〇人を割ろうとしていたのである。


 それに付随した民兵隊も同様に損害を被り、ひどい状況と言わざる負えなかった。しかしながら敵方も同じ状況となり、突撃してきた敵方の連隊は四〇〇人を割っており戦闘から逃げだす兵士も多く出始めていたのであった。


 一時的な戦局はこちらに針が大きく傾いたといえよう。ただ安心するには早計だ。未だ動かない敵連隊が前線に存在しており、未だこちらの戦況を観察しているのである。


 もしあの予備兵がこちらに接近することがあれば最悪この前線が崩壊しかねない。そして我々の持つ無事な戦列は二個連隊程度である。それに対して敵方は四個連隊以上、どう考えたって耐え忍ぶのは難しい。


 必死に思案を重ねているうちに敵方から撤退の喇叭が鳴り響く、二十年以上生きた血肉によって構成される津波の様な肉弾戦は敵方の前面的な撤退によって勝利したのであった。


 勝利は確実と予測していたとしても勇者連隊が筆頭に獅子奮迅の活躍を見せ、民兵隊を引き連れ敵の顎を噛み千切る様は感動的な勝利とも感じる。 


 だが局地的な勝利でしかなく、未だ戦術的、戦略的勝利には程遠いというのが現実であった。このあとどうするべきか、多くの可能性の中から正解に近い選択は一体何なのだろうかと思案しつつ、作業を開始する。


 この局地戦で稼いだ時間は四、五十分ほどであろうか。ならばこの陣地は放棄するのも選択肢としてアリなのではないだろうか、現状ここで戦闘していたとしても敵方の戦力からしてこちらの戦力がわかれば突撃を仕掛けてくる可能性が高い。


 なら川向うへと撤退して戦闘を続ける方が接近戦闘はなりにくいだろう。そう考えると自分の中では他の選択肢はほぼあり得ないものとして、脳内の隅に追いやられていくのである。


 人という物はこうして選択肢を誤ってもおかしくない現状に苛まれ、戦場で取り返しのつかないミスを犯すものである。半島戦役だって王国側も半島勢力も多くのミスを犯し、崩壊の危機というのは多くあったのだ。


 そうした不安がつきまとっていたものの、判断するしかなかった。


「よし、いいだろう。喇叭手、連隊を呼び戻せ。丘陵に撤退させる。」


 そう聞くと喇叭手は甲高い音色を響き渡らせ、次の指示を待っていた。


 おい、と近くにいる馬に跨った参謀へと声を掛ける。彼は何でしょう閣下と尋ねてくる。


「センマ少佐、君が第五、六ガルフドルフ連隊に殿を務めてもらうという旨を指揮官に伝えていってくれ。撤退は喇叭の音を鳴らすという合図も添えてな。」


 センマ少佐は了解しましたと敬礼し、馬で駆けて後方戦列へと向かってゆく。


「ガーフン少佐は家の砲兵隊に砲を捨てて撤退するように伝えてくれ。もちろん発射に必要な装備は持ってくるように、反転して発射されれば災難だからな。さあ行ってくれ!」


 ガーフン少佐は同様に敬礼し、無言のまま砲兵隊の元へと駆けていく。


 もしここに念話者がいるなら便利なのであろうが、現在第八八連隊の念話者は銃撃戦の末流れ弾によって負傷し後送されていったのである。民兵部隊に念話者が付いていないということもあり、現在頼れる伝達手段は伝言ゲームのほかにはなかった。


 そうして指示を飛ばしていれば突撃を敢行した第八八連隊含め三個連隊が所定の位置へと小走りで戻ってくるのである。


 指を無くした大尉やのっぽの兵士たちも戻っており、八百人もいた連隊は半数近くが消えた状態でありながらも担えつつの体勢で待機をしていた。その列の中へと大きな声を掛ける。


「マインズ曹長、マインズ曹長いるか!」


 その声を聞いて第八八連隊の戦列の中から一人の老齢の男性が出てくる。その男性は非常に小型であり、平均的な身長である百六十センチを下回る百四十センチほどである。


 そしてその特徴的な蛙の様な顔つきをしており、伸びに伸びた白い無精ひげがその年齢を物語っていた。彼は銃を担えつつの状態で水平に敬礼し、何でしょうと若干低い声で答える。


「マインズ曹長、すぐさま五個連隊の指揮官たちを集めてくれ。今直ぐに。」


「了解いたしました、ああそういえばうちの連隊は大佐が死傷しまして、今度は少佐が指揮を執られたのですがこれまた被弾して死んでしまいましてね。――。」


 そんな報告は今は必要ないのだが、と不機嫌な顔つきで彼の報告を聞いていれば彼は顔つきをみて物事の大事さを察したのか途中で区切る。


「っと急いで呼び掛けてきます。」


 再度水平に敬礼し、他の連隊長の元へと駆けていくのである。


 しばらく敵方の動きを警戒していれば三個連隊隊の指揮官たちが駆け足で駆け寄ってくるのである。


 前線を維持していた民兵隊の指揮官の二人は大佐と大尉、狙撃部隊の大佐が走ってきており、大尉の方は指揮をしていた大佐も少佐も接近戦闘で戦死または負傷して指揮を引きついだことは間違いないだろう。


 遅れて八八連隊臨時指揮官の少佐と後衛の二個連隊の大佐たちが遅れて走ってくるのであった。全員に向け一度敬礼すれば指揮官たちは同様に敬礼した。


「さて諸君、まずは初戦の戦闘はよくやった。今は時間が重要な局面だ、ここからの作戦を説明する。まず敵までの距離が凡そ三百メートル、敵方はこちらの方が兵数有利と見ているのか動かないようだ。そして現有戦力では勝利するのは難しいだろう。だから接近されにくい川向うへと撤退してさらに増援の時間を稼ぐのだ。まず第一に第八八連隊と民兵二個連隊が撤退し、殿は第五,六連隊が対応してくれ。」


「撤退した連隊が渡河に成功したら頃合いを見て殿の連隊も撤退だ。いいな、これが作戦の第一段階だ。撤退が終われば敵が丘周辺を確保しに動くだろう、できれば五,六連隊は切り込みを駆けてくる冒険者部隊に対しての切り札にしておきたいから八八連隊筆頭に苦しい戦いをしてもらうこととなる。君たち、部隊は半壊しているから民兵隊は部隊を合併するように。それで残弾はいくら残っている?」


 前線で戦っていた第八八連隊の少佐へと尋ねれば、規律正しくうわづった声で言葉を発する。それは自身の過剰ともいえる責任という重荷がそうさせているのだろう。


「はっ、現在残っている残弾は残り三〇発あればよいほうかと、兵士によっては二〇発を切っている者もいます。」


 その言葉は頭を痛くさせるに十分は破壊力を持っていた。あの戦いで一〇発以上射撃をしており、残弾が残り少ないという事実がそこにはあった。


 部隊の補給を受ければ問題なのだろうか、この急ぎ準備もままならなかった戦場にはそのような物資などないに等しかったのだ。


 敵は輜重兵を持っていることは疑いようもない、侵攻してきて何も持ってきていないことはほぼほぼないと言っていいだろう。


「八八連隊と三,四ガルフドルフ連隊は残り一〇発を切った頃合いで撤退してくれ、突撃はナシだ。また冒険者部隊が接近してきた場合も同様の撤退するように。奴らは後衛の部隊で対処する。


 さて後衛の部隊はさっき言った通り、君たちは冒険者部隊に対する抑止力でもある。そして前線を維持するためにも重要な戦力であることは理解しているな。友軍が到着するまで絶対に死守だ。」


 死守、その言葉を聞いて指揮官たちの目つきがうって変わって映る。その言葉の意味するところは自分たちに前線維持の為に死ねということであったからである。


「死守だ、絶対にこれ以上の尾根へと登らせてはならない!敵が尾根に上ることがあれば我々はこれより先の丘という丘は存在せず、平原で敵方の兵数有利ですりつぶされることとなるだろう。」


 現有戦力で防御しやすい地形を相手に渡すこととなればその先は我々の敗北という苦い二文字が存在しているのである。第一の防衛ラインは維持すれば敵方の兵数有利ですりつぶされる。


 ならば少しでも時間を稼いで、相手の有利を少しでも消していかなければならない。そうしなけば数キロ後ろに存在しているガルフドルフが連邦の手に落ちることは自明の理であろう。


「我々の勝ち筋は増援が到着するまで何が何でも耐え忍ぶことが必須である!だから時間を稼ぐために戦うんだ、だからその命を私に預けてはくれまいか。故郷を、家族を、子供たちを守るために戦ってはくれまいか?」


 そうだ、我々がここで負ければその結果は惨憺たる結果となって王国の人民を揺るがす事案となろう。人民たちが連邦の軛に囚われることは決してなってはならないことだ。


 自身が放った言葉は各連隊の指揮官たちに届いたかわからないものの、指揮官たちは自身がなさねばならぬことを理解していた。


 それは郷土を守るという壮大な理由、家族を守るという身近な理由とも言える。ここでの敗戦は自分の故郷が他人に侵される結果となることを無意識的に理解していた。


 指揮官たちの中には頭を上下させ頷いて聞いている者もいれば、両腕を組んで瞑想しているように目をつぶる人もいる。その中、長く白い威厳溢れる髭をこさえる第五ガルフドルフ連隊の大佐が逞しい長く白い髭をさすりながら呟く。


「それしかないだろう、奴らに好き勝手されるのは腹立たしいしな。」


 その一言が指揮官たちの決意を決めることとなる。


「そうだな、連邦のクソ野郎に負けるなんて我が家の末代の恥となろうな。」


「やってやりますよ閣下、この命は王国の為にあるのですから!」


 ただただ彼らが王国の為に命をなげうつ覚悟を持ってくれたことに対して、勝利の道筋が若干でも見えた気がした。意志での勝利、つまるところ強力な意志は作戦成功のカギの一つと参謀部の導きだした戦訓であったからだ。


「よし、では諸君、各員の奮戦努力を期待するものとする。後衛部隊は喇叭の音と共に撤退を開始せよ、王国狙撃部隊は稜線裏で射撃戦をし続けてくれ。できるだけこちらの動きを悟らせるな。」


 王国狙撃部隊の指揮官たる大佐は仰々しくも若干こなれた敬礼をし、すぐさま自分の連隊へと駆けていく。またそれぞれへと的確ともいえる指示を飛ばして戦いの準備を進めるのであった。

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