第42話 第一次マルナス会戦(5)

 左翼にて戦闘が始まった。王国軍の斉射の後、連邦兵たちは戦列を構築し。人によっては地面を這う蛇のようにも見える巨大な一列として構成していた。


 そして四個連隊、約三〇〇〇人を超える戦列が狙えと指示を出し小銃を丘の上の戦列へと向ける。撃てという号令と共に三〇〇〇人がほぼ同時に射撃を加える。


 ある銃弾は彼方の空へと飛んでいき、ある銃弾は地面を抉り、ある銃弾は人体に入り込み甚大な被害を持たすこととなった。


 銃弾に怯むことなく現状を再確認する。戦列を見回してみればこの一斉射で死んだ人数は一〇〇人にも満たないことに気づく。それもそのはずである、彼らの持つライフルはミニエー弾を使用していない前時代的なラウンドボール、つもりは鉄球であった。


 射撃後正確無比に飛び出すミニエー弾に比べてこのラウンドボールはある意味自由な身の化身のようでもあった。銃弾の機嫌によっては明後日の方向へと飛んでいくのだから今では王国軍では使用をしていなかった。


 だが敵方もただの能無しではなく、射撃すれば前進し装填しながら確実に距離を詰めてきたのである。連邦軍は命中精度が劣っていたとしてもその魔術を込めたマスケットライフルは銃弾を入れて撃鉄を起こせばすぐに装填が完了する関係上接近戦での射撃戦は持ち込まれたくはなかった。


 その上彼らの後続が前線に出現するのならば戦況の針は大きく敵方に傾くことは明白であった。苦しいながらも増援が来るまで耐え忍ぶ、勝利することは最終的な目標であって現段階の目標ではないということは重要だ。


 変に攻勢などせず、こちらの予備の部隊を隠し余力のあるように見せる。この一手しか目的達成の糸口は見えては来なかった。


 第八八連隊は数度斉射したのち、各個射撃の指示が飛ぶ。それを聞くや自身のすぐ前にいる第八八連隊のK中隊の長たる大尉がサーベルを片手で天を裂くように振り回し吠えるように叫び続けていた。


「諸君、各個射撃だ!奴らを好き勝手にぶちのめしてやれ!」


 銃弾が頭上を掠め恐怖を感じたとしてもその怒号にも似た叫びは止まることなく吐き出されていた。その言葉を聞いて調子乗りののっぽの一兵卒が軽口を零す。


「やっと各個射撃か、待ってましたぜ大尉殿。これで奴らを追い返せます。」


「ああ、ああ!無論だ諸君、我々は勝つぞ。我々は栄光の八八連隊のメンバーだ、別中隊に誇って見せようぞ!」


 大尉はできうる限りの鼓舞の言葉を発し、中隊員を何とか引き留めているものの銃弾によって負傷し後方へ行く申請を出す兵士や、左右の民兵には顕著ではあるが逃げだす兵士まで増え始めていた。


 ただそんな状況でも郷土防衛のために未だ戦場に立っている民兵は多く存在しており、そのおかげで未だ民兵連隊は形を維持できているのである。戦場や人殺しは怖くて逃げる兵士たちが多くでると想定していたものの、半島戦役でも郷土防衛の熱にあてられた民兵たちに手を焼かされたことを思い返せば必定ともいえる結果であろうか。


 マイオニー准将はそう考えていたものの、彼らにとって郷土防衛は副次的な物であることは知らなかったのである。彼らにとって一番の恐怖は連邦の二等市民以下になってからの奴隷化、そのような苛烈な奴隷制が存在しており、自身や妻、子供たちがそのような目に遭いたくないからであるのだ。


 だからこそ、今ここで戦って王国の為に命を懸けるのである。そうしなければ自分たちの未来は暗澹たる結果となるのであるから。それを志願していた民兵たちは暗に理解し、共有しているからこそこうして戦列を維持し戦闘しているのである。


 ただそうした現実があっても逃げる人間は逃げるものであり、その分苦しくなることは間違いなかった。


 そう考えている間にも戦闘は激化しお互いに一〇〇メートルを切る距離まで接近しあっていた。この距離までなるとミニエー弾は目に見えて当たるようになり、三個連隊の射撃を食らわせるごとに一五〇人以上は死傷しているようにも見えた。


 だがしかし、それは敵の連隊にも言える話であり、いくら自由奔放のラウンドボールとはいえよく当たり始めることとなった。第八八連隊含め前線を張っている三個連隊はその人数を加速度的に減らしていくこととなる。


 ああっ!!と大尉の叫び声と甲高い金属音が一体に響く、そちらへと視線を動かせばK中隊の大尉の右手の人差し指が根元から消えており、サーベルも柄の一部が弾き飛んでいたのである。


「ああ!クソ!!」


「大尉、大尉殿大丈夫ですか!」


 後列にいる別の兵士がすぐさま射撃をやめ、手をじっと見つめ悪態をつく大尉に寄り添う。だがそんな彼を彼は一喝する。


「貴様はさっさと射撃に戻れ!俺のことは何とかするから貴様は奴らを追い返せ、この馬鹿者が!!」


「はっ、わかりました。」


 物わかりの良い優等生だったのだろう、そういうと彼は戦列に戻り射撃を開始するのである。


 小川のようにくすんだ白色の革製の手袋に流れていく血液、大尉は右手の革手袋を脱ぎ捨て、ポケットに入っている妻からのプレゼントのハンカチを人差し指に巻き始め括るのである。


 花柄が何とも可愛らしいそのハンカチは元人差し指の場所から流れ出る血液によって紅い彼岸花の様な色合いとなっていく。何とも不吉な予兆のようにも見えるとは准将は見ていて感じた。 


 出血を一時的に止めれば大尉は再度怒号にも似た声を上げ、中隊の指揮に就くのである。


「貴様、怯むな!撃ち続けろ!」


「やつらは怯んでいるぞ、そのまま射撃を続けろ!!」


 また一人、また一人と数を減らしていく歩兵隊。銃撃の応報は果てしなく続く戦場の霧を作り出し、丘一帯には濃い硝煙と鉄の臭いが充満し始めていた。戦闘を始めて一〇発以上連続で射撃している丘上に佇む二門のライフル砲は紅く加熱し始め、もう撃てませんと悲鳴を上げていたものの、砲兵隊員はそんな彼女に容赦なく砲弾を挿入し射撃を続行している。いつ炸裂したとしてもおかしくない状態であったが、悠長に冷却できる時間なんてものは砲兵隊にも存在しないのである。


 そんな火砲も砲撃を続けおり、そのうちの一発が敵連隊の頭上で爆発しその下にいた連邦兵はズタズタというには余りに酷い惨状となる。


 敵方も半数近くが死傷し、壊滅的被害を負ってなおも引く事を知らず戦闘を続けていた。腐っても正規兵というだけあり、旺盛な士気の高さが見えよう。


 王国兵が負けるとは思っていないものの、現状を鑑みれば非常に際どい綱渡り状態といってもいいほどである。もしここで敵連隊が現れてしまえば――。


 敵の連隊に対して一喜一憂している間にも森の奥側より藍色にも似た服装を見つけた連邦兵たちが行進しているのが見える。ついに彼らの予備戦力が現れたのだ!


 彼らの予備兵を見た時の気持ちたるや、絶望にも似たあの苦虫を嚙み潰したような味わいはなんとも形容しがたい気分でもある。もし彼らが居なければと何度想ったことであろうか、しかしこの現実は変えようもないリアルなのだ。


 しかし彼らは前線の拡張へ行くわけでもなく、前線で戦っている連隊の後方へと戦列を形成し待機の状態へと変化していた。何故彼らが我々の側面へと向かわないのか理解はできなかったが、千載一遇のチャンスを手に入れることが出来たと言えよう。


 何故にこうして前線を広めようとしないのか、それは相手側の事実誤認という結果であることは今の准将には分らなかったのである。連邦軍右翼師団の指揮官は半斜面に隠れた場所に旅団規模が隠れていると考えており、下手に手を出してハチの巣をつつけばどうなるか恐れていたのであった。


 だが結果は一個旅団程度の戦力であったというわけである。准将が活用した反射面での戦い方という行為は敵軍の事実誤認という副次的な結果をもたらし、敵軍にとって重要な時間というものをただただ浪費するのだ!


 しかし前線で未だに前進してきていた敵連隊は今眼前に存在しており、その距離を確実に詰めてきていた。敵方は三割程度の損耗をしているにもかかわらず、その勢いは収まることなく接近すればするほどに圧というモノを感じざる負えなかった。その距離五〇メートル、肉眼でも相手の黒い目が若干見え始める距離、突撃を掛けてくるならこの距離からであろう。ならば――。


「総員着け剣せよ!!」


 水平線の彼方まで届きそうな腹の底からの声を出し、同時に喇叭手が指示を音楽に変え部隊に伝える。連隊ごとの喇叭手が呼応する形で戦場へと指示が飛びかう、前線を張っている第八八連隊とガルフドルフ連隊たちは右の腰についている鞘から白銀に輝くスパイク状の銃剣を取り出し、銃身の先へと取り付ける。銃剣を取り付ければそれは槍となるのだ。


 こちらの喇叭が鳴り響いたすぐ後に敵方もついに突撃という言葉と共に喇叭が鳴り響く。こちらも右翼と同様にイェイェイェと半狂乱の奇声に近い甲高い声を上げ駆け足で突撃してくる様は東方の原住民との戦いを彷彿とさせるものであった。奇声を上げ突撃してくる連邦兵たちに王国兵は踏みとどまるので精一杯というのに近しく、戦場の空気が一変するには十分であった。


 このまま衝突を受ける形になれば第八八連隊は受けきれたとしても左右の民兵隊が士気で負けかねないということもあった。人の精神は受け身で物事を受ければ恐怖というものを克明に感じ取る癖が存在している。


 銃撃というのもを恐れる人間は多くいるだろう。それは銃弾がいつか自身に当たるという恐怖が銃弾を伝って伝播しているからであり、回避のしようもないからだ。


 しかし接近戦闘など自身が能動的に動ける戦いにおいては敵を撃破できれば自身たちは助かるという道筋がそこには間違いなくあるからである。こうした理由は王国科学魔術省も発表している例から間違いないだろう。


「接近戦闘準備!」


 喇叭がなる。全ての連隊が小銃を槍のように構える。全ての兵士や士官たちは一番の緊張が走る。


 この後に来るのは筆舌に尽くしがたい凄惨な戦場をこさえる死神たちが襲い掛かってくるのだから。だがそのうちに一片の勇気というものが戦場に立っている兵士たちには存在していた。


 それはこのお先真っ暗の人生であっても、苦行のような人生でも変化を齎す最も原初から介在する重要な存在、それは未来への期待ともいえる希望という二文字である。


 今はこうして酷い時代でも明るい未来がこの先にあると信じて三十年生きてきたこの身を戦場という大きな炎の中、ちっぽけな薪としてくべるのだ。自身がきっと未来の礎になると信じて。


「突撃!!」


 賽は投げられた、ここに左翼の無謀ともいえる決戦が始まるのである!


 喇叭は甲高く、天高く鳴り響き、第八八連隊は奇声を上げる連邦兵に対して関の声を上げ最初に突撃を仕掛ける。連邦兵の攻撃は全体的な津波であるなら王国の攻撃は局地的な濁流のような勢いが存在していた。槍を腰の高さに持ち、全速力で敵に向かって刺しに行くその姿は半島戦役と同様最も勇気ある連隊、勇者連隊と言われら彼ららしくもある。


 突撃命令が発せられ、戸惑っていた民兵隊も第八八連隊の突撃を見て、同様に関の声を上げ突撃をし始める。バラバラではあるものの、第八八連隊が築いたこの勢いは民兵隊を大きく勇気づけることに成功したといえよう。


 射撃戦とは全く違う凄惨な戦場がここに現れるのである。右手の指を無くした大尉は左手で拳銃を撃ちまくり、突撃を仕掛けている連邦兵を殺害していく。最初に声を上げたのっぽの兵士も銃剣で相手の胸に向かって突き、銃剣が胸に刺さっていく。銃剣が胸に二十センチほど刺されば絶叫というべき声をあげ、連邦兵は胸に刺さった銃剣を抜こうと必死に銃剣を握っている。


 その顔は苦悶の顔となり、残された妻子のことで必死に生き残ろうとしていた。そんな彼から銃剣を抜けばぽっかりと空いた穴から鮮血が零れ落ちていき、青い綺麗な軍服がどす黒い黒へと変色していく。


 彼は空いた部分を必死に手で押さえ、生き残ろうとあがいていたものの出血に耐えられずそのまま地面へと転がっていく。そして無数の王国兵に踏みつけられ原型を失うのであった。

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