第41話 第一次マルナス会戦(4)

 視点は変わって最左翼に位置する連隊の一つへと移る。右翼にて砲撃戦が始まったころにはこちらには二個旅団がすでに展開し、ハイムの家周辺へと防衛陣地を築いていた。石橋のように土塁といったものは存在していないものの、反斜面にて多数の連隊を配備し砲撃を受けないようにしている。丘上には石橋と同様の金色に輝く青銅砲のスモースボアの火砲が8門設置され、敵軍の来襲に備えて既に砲撃準備が進められていた。そんなとき、前方の林から数人の若い士官が馬で駆けてくるのが見える、彼らは自身に課せられた任務をこなしてきており、丘上に佇むマイオニー准将の元へと報告に来る。彼は准将の前へと出ると敬礼し、報告を始める。


「閣下、現在敵師団はマラッラ街道を通過中で三〇分もしないうちにここへと到着するかもしれません。それに早馬が東部へと走って行くのも見えたので多分本隊と連絡を取っているものかと。念話の使用を控えている可能性があるかと。」 


 確かに念話というものは現状では無差別的な送受信を繰り返すということを考えれば使用する意味はおのずと正解へと導いてくれる。しかし馬を使うのも理解はできるものの、何故念話を使わないのか全く意図が読み切れなかった。既に右翼では部隊同士が接敵し、念話通信も解禁されているはずであるのだ。ここで一つの可能性が浮上してくる、現在戦っている部隊は連携が取れいないのではないかという考えである。そう考えればおのずと念話を使わないということもスッと理解できる。


 だがしかし念話を使わない理由を思い至ったとしてもそれが正しいというわけではないことは半島戦役にて嫌でも思い知らされた。たかだか民兵部隊と舐め腐っていた王国軍は窮鼠猫を嚙むを体験していたのだ。それに今回の敵は正規軍である、きっと民兵以上に訓練されており何か策があってのことなのだとしておくこととした。小指の先っぽほどに小さくなったメラッハ・シールドの煙草を吐き出し、白い紫煙を大きく吐き出す。正直なところ不味いとすら思ってしまうこの煙草も吸ってみれば意外と味わい深いものであり、戦闘前に感じる心臓が昂り一目惚れの激情にも似た熱い気持ちを抑えてくれるのだ。この煙草戦闘前に嗜む姿は日課の作業のようであり、見る人によっては安心感を感じさせていた。


「わかった、ありがとう少佐。君は元の連隊で指揮を執り給え、協力感謝する。」


 了解しましたと言うと馬を走らせ自分の指揮する部隊へと馬を走らせていく。さてここからが正念場であることは間違いない、二個旅団で一個師団を足止めするというのだから何という無茶なのであろうか。しかしどう言葉を尽くそうともこの現実は変わりようもないリアルである。こうして考えている間にも着々と部隊は進み、危機的な状況が確実に迫ってきてる。


 だがそうした中でも恐れることなく、立ち向かう勇気があった。このポケットの中に存在する煙草そこ私の戦う理由である。それは単純かつ明快な理由であり、人に言ってもお前らしいと言われるものだ。それは簡単だ、この不味い煙草を吸えなくなるということである。結婚してそれなりになった女房みたいに、意外と癖になる味がするものでそれに慣れてしまった自分はそれなしでは生きているという実感がなかったのだ。


 我慢しきれなくなって、流れるようにもう一本取り出しては葉巻を口に咥えて火を探す。近くの士官の一人が煙草を吸っているのを見て、火を借りて煙草に火を点すのである。煙草の煙、それはまるで狼煙のように天高く昇って行き、肺にも紫煙が流れ込んでくるのである。一服すれば靄がかった思考が晴れていくようで、どうするべきか次々と浮かんでくるのである。接敵までに必要なことを伝えるため近場で双方の作戦会議中の第四ガルフドルフ連隊と第二王国狙撃兵隊の士官に声を掛けるのであった。




 そうして必要なことをしていれば三〇分はとうにたち、ついに決戦の時間へと相成った。その間にも右翼の戦闘は砲声に銃声まで多く聞こえており、向こうも激しい戦いを繰り広げていることは間違いなかった。遠くの光景を眺めていればついに銃声が川辺の周辺から散発的に響き渡る。川辺の家に林の中に身を隠した第二王国狙撃兵隊が射撃を開始した合図であった、単発式ではあるものの高精度の後装式ライフルを配備する彼らの射撃によって多くの敵兵が倒れていればいいのだがと祈りつつもも、自分に必要な仕事を始める。


「喇叭手、集合を鳴らせ!」


 近くで休憩していた喇叭手は急ぎ腰につけた喇叭を手に取り、立ち上がりながらもリズムよく集合の喇叭を鳴らすのである。その喇叭を音を聞いて兵士たちは士官にどやされながらも素早く戦列を形成し、数個の戦列がこの反斜面陣地に生まれたのである。その位置も絶妙な位置であった。腰以下は丘に隠され、胸以上しか露出されないという天然の土塁をここに即時完成させたのである。しかしこれだけで敵一個師団を防ぐのは流石に厳しいためのは明白な事実だ。だが現在取れる手段は取りつくしたという現実がそこにはあった。


 今現状でできる手はできうる限り行い、あとは天に身を任せるのみであった。いつだってこの時間は苛立ちと緊張がぐちゃぐちゃに織り交ざり、心地の悪いこの感触が心臓から喉元へとせりあがってくる。


 この嘔吐するときのような感触は実態をもっていないものの、正常であったこの身体を蝕むように身体全体へと這っていく。もう一度煙草を口に咥え、ポケットからマッチの箱を取り出し慣れた手付きで火を熾す。戦闘前の手癖というべきか、これがなければまともに戦闘ができないほどに精神は摩耗しきり、衰弱していたのである。


 それでも震える手で戦う理由は単純明快で、父の汚名を濯ぐためであった。かの銀狼蜂起の乱の際反乱軍たる銀狼公に肩入れした父、しかし戦力差を理解していなかった父は黒王軍に敗北し公開処刑されたのだ。


 結果は御家取り潰しまではいかなかったものの、不名誉は黒王軍として戦った息子の自分自身へと向かってきたのである。だからこそ、自分の息子のために少しでも名誉を回復させるというのがもっぱら軍隊に身を置く彼唯一の野心といってよかった。


 煙草をフカし、紫煙を上げていればそんな過去の話や今降りかかろうとしている戦場という霧の中で戦う恐怖というのを中和してくれるようであった。並んでいる民兵たちも正規兵みたいに日々訓練は受けているわけではないが、並々ならぬ精神性によって死という超常的な恐怖を乗り越えているようにも見えた。


 彼らの持つ精神性というのは一体何から生まれてくるのであろうか。国家を守るためなのか、それとも生まれ故郷を守るためなのか。いやきっとそんな崇高な精神の持ち主はこの連多の中でも一人居れば重畳であろう。


 ならばその他に思い当たることは、自らの父母を守るためのか、それとも自身の妻子を守るためなのだろう。大半の人間が民兵部隊に志願するのはこの理由というのも多いのであろう、実際何気ない休憩中の会話を聞いていれば多くは自身の妻子の写真や惚気話が聞こえてきていたからだ。


 民兵部隊には早々見ないものの戦歴を重ねた精鋭部隊となれば常備軍の兵士と同様に、隣に立っている友の為に戦場に立つという答えが多くなる。これは実際に半島戦役で指揮していたころに実感した事柄である。隣に立つ友の為に数倍の敵に対して果敢に戦ってくれた兵士たちがいた。最後まで果敢に戦い抜いた兵士たちに深い敬意を未だ胸の奥底に眠っているのだから。


 そんな過去のことを思い返していれば、川辺からの銃撃戦の音は数を減らし林の中から散発的な銃声が響き渡り始める。つまるところ戦局が変わってきたことをピリピリと肌で感じてくる。


 そろそろかと小さな実包サイズから弾丸クラスにまで小さくなった煙草を吐き出し、金色に光る双眼鏡を腰の収納箱から取り出す。


 そして覗き込めば深い木々の中では迷彩色ともいえる少し暗い緑の服を着用し、後装式ライフルを持った精鋭部隊は鉄の規律をもって散兵隊の仕事をしていたのである。


 前列が屈んだ状態で射撃すればすぐさま数歩後ろに走り、後列となった前列の兵士たちは屈んで弾薬盒から紙で包まれた実包をライフルに放り込み慣れた手付きで装填する。


 また前列となった後列の兵士は狩人が獲物を見つけて素早く撃つように手早く照準し射撃を加えては後列にさがり装填するのだ。


 そのような戦法は教練通りの戦い方であり、撤退するときに活用する戦術である。つまり彼らは撤退してきており敵連隊がすぐ目の前に存在しているということであった。


 その第二狙撃兵隊の面々は指揮官の号令と共に斉射したところで全員が反転し、散開状態の兵士たちが喇叭の撤退命令と共に丘を全力で登り始める。その光景は士官学校で学んでいなければ壊走や遁走と見ていてもおかしくはなかった。


 しかしその撤退が彼ら実戦経験豊富な散兵隊によって計算し尽された御業の一種なのである。半島戦役においても片翼の崩壊の時間稼ぎをした経験が強くこの戦いにも反映されていることは疑いようのない事実だ。


 だが歩兵隊がどこまで戦闘できるかというのが未知数であったのが不安要素であった。彼らが狩人上がりの人間もいれば、都会で暮らしていた武器をあまり知らない人間たちも多くいる。幸いなことに武器庫に残っていた武器を全て吐き出し半数以上は銃剣を持った兵士たちであった、だがしかし残りの半数は持参の武器を持ってきていたのである。


 十年以上前の骨董品ともいえる球体弾を撃つマスケット銃に、装填に一分以上かかるお荷物のライフルまで存在しているのだ。彼らは撃つことができたとしても接近戦闘は極力避けるべきであること疑いようもない。幸い半島戦役にて指揮していたことのある正規兵の第八八連隊が存在していたことにより、接近戦闘や射撃戦へと若干希望が持てたというのはここだけの話であった。


 そうしたことを考えていれば連邦兵たちが赤と青で彩られた美しい軍服を輝かせ、赤白青の三色旗をはためかせながら林の中から出てくる。その数凡そ二〇〇〇人ほど。合計して三個連隊ほどであったが、姿を見せた途端にその数を減らすとは彼らも思ってみなかったらしかった。


 二百メートル先に備え付けられた青銅で出来た砲が数問戦列に向かって照準されていたのだ。砲兵隊指揮官が射撃の号令を出すとともに左から順番に射撃を開始するのである。白煙を上げ飛び出した砲弾は戦列に2,3発直撃し、その部分にいた兵士たちは血しぶきを上げ文字道理消し飛んでいた。それと同時に歩兵隊へと命令を下すのだ。


「歩兵隊、狙え!」


 その言葉は喇叭を通じて前線にいる第四ガルフドルフ連隊、第五ガルフドルフ連隊、第八八連隊の総員が戦列を再形成している彼らに向け照準をつける。だが戦いを知っている第八八連隊以外の民兵たちは人を狙うことが初めてであったのだ。


 どのようなことにも動じない鉄の心臓によって正確無比に獲物に対して撃ったことのある歴戦の猟師でさえも、心臓が昂りによってかその銃身が揺れ動いているのだ。彼らにとって狩りの対象は人ではなく動物なのだ、決して人を撃つためではなかったのだ。


 市民上がりの兵士たちも同様の状態であり、ただでさえ思いこのライフルを構えることが厳しいのに相手を狙うことを求められるのだ。彼らだって人を撃つことを躊躇いを隠せない人間である。


「撃て!!」


 マイオニー准将の命令と共に戦列中央に位置する第八八連隊はほぼ同時に射撃し、左右に転換するガルフドルフ連隊たちは疎らな射撃を開始する。同時に射撃した第八八連隊の射撃はもっとも効果的に敵連隊へとダメージを与える。士官含め前列を構成する王国兵が百人単位で膝から崩れ落ちてゆき、地面へと伏せる。だが左右の連隊は五十人も倒れていれば御の字と言わんばかりに全くもって当たっている様子はなかった。


 それもそうであろう。彼ら民兵たちには人を殺すことはいけないという道徳心が備わっている上に、まともに銃器の訓練なんてしてこなかったからである。彼らはこの超常の地にはあまりに正常すぎるのであった。


 その事実が目の前に付きつけられれ、無性に苛立ちが募っていた。それはその可能性を考えつつも排除しようとして自分自身に対しての怒り、無意識的に不利な条件を除外していた自分の愚者ぶりに対しての呆れを含んでいた。


 迫りくる敵連隊、後続にもまだまだおかわりは存在していた。さらに彼は知らなかったがこの時さらに二個師団も戦線に急行しているとしらないのである。こうして最左翼における最悪の時間稼ぎが始まるのであった。


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