第40話 第一次マルナス会戦(3)

 最初の砲撃の後数分すればお互いに球技遊びのように景気よく打ち合う砲兵隊、快晴の青天下に黒光りする鉄球が空を飛翔し、空中で炸裂し大小入り混じった鉄片をまき散らし地面を耕すようであった。土塁で固められた陣地に敵方の二個砲兵大隊が猛烈な射撃を加えており、陣地についている兵士たちは鉄片が降り注ぐ中当たらないことを神に祈るように頭を深く深く下げる。だがしかし砲兵の猛烈な射撃によってちらほらと負傷兵がでているようで、指が千切れたや足をやられたなど様々な声が木霊していた。そんな光景を丘向こうから覗く特務中隊の面々は流石に緊張しきっている。それもそのはず、彼らにとって初めての実戦でありこのような耳が張り裂けそうな轟音と鉄片が足元に飛んで刺さる恐怖が場を支配していたのだから。砲撃が始まって三十分ほどしたころだろうか、砲弾が炸裂する音が鳴り響く中遠くからドラムの叩く音が響いてい来る。その先へと視線を移せばなんと敵連隊の二つが前進を始め、苛烈な砲撃の中こちらへ向かって進んでいた。砲撃が直撃し戦列に穴が開いても後列の人間や隣の人間がその隙間を埋め、直進してくる。そして歩兵隊との距離三百メートルほどの距離で止まり、お互いがそれなりの大きさで見える距離となる。


「諸君、狙え!」


第一ガルフドルフ連隊のアーフ大佐が剣を振りかざし叫んだ。その声は大地を割る砲声の中でも良く届く低い声であった。狙え、撃てという号令と共に彼らの連隊は射撃を開始し一斉射により土塁の周辺は真っ白な煙に包まれ、川向うの敵連隊の姿も覆い隠すのであった。斉射の数十秒後煙の向こうから多数の銃声と共に銃弾が頭上を掠めていく、掠める銃弾に対して耐性のない同級生たちは首をすぼめその恐怖を身をもって感じていた。


「諸君各個射撃だ、やつらを追い返せ!!」


 怒号の様な声はこちらまで聞こえてきて、個々の兵士がそれぞれのタイミングで射撃を開始する。数多の乾いたような銃声が響き、天高く白煙が昇っていく。それはなんというべきか、死んだ者の魂を同時に運ぶ天使のようでもあった。そんな光景をただ見ていれば砲撃が歩兵の身体直撃し丘向こうにいる私たちにも地面から吹きあがった土が降りかかり、時折誰の肉かもしれない肉片も飛んで服に付着する。


 そんなこともあり中隊の同級生たちは出兵時の旺盛な士気は窄み、戦場にいるたった一人の小市民のようにただ恐怖を感じていた。彼らは自分自身が死ぬという恐怖よりも、親友が死ぬか場合によっては跡形もなく”消える”ということに対して恐怖を感じていた。肺に銃弾が入って苦しんで死ぬことも、小指サイズの銃弾が腕に当たり吹き飛ぶことも、砲撃が直撃し言葉道理足を残すことも全て見たくないということである。見てしまえばその現実が自身に及ぼす影響について妄想してしまうからだ。であるからこそ皆降りかかるであろう自身への不幸を他者から伝播するかのように感じるのであった。同級生の多くが感じていることは自分自身も同様であり、恐怖は確かに存在した。しかしその恐怖には鮮度というものが存在しなかった。死というモノは日常に存在している、そんな考えを小さな頃からずっと実感していた彼女にとっては死というモノはすぐとなりに存在する日常の延長線上であった。戦場という超常の力が作用する場所に適応していた人間ともいえるだろう。


 お互いの砲撃が始まって二〇分ほどであろうか、突如として喇叭の音が響いた。川向こうの敵連隊から響くその音は一定のリズムをもって指示を伝えていた、突撃と。喇叭の音が甲高く響いた後、一向に効果のでない射撃戦に耐えかねた敵方第三七歩兵連隊は奇声にも似た声を上げ銃剣を挿したライフルを握り走ってきている。しかしその直後には悲惨な光景が広がる。丘上に配備された六門の砲が接近する敵戦列へと散弾を放ったのだ。大きな砲口から放たれるマスケット弾ほどの粒子が風を切り、多数の兵士の身体を引き裂く。たった六門が射撃しただけであるのに橋へ接近する敵連隊の先頭は地面に伏せるかバラバラの肉片が転がっていた。数にして百人はゆうに超えるであろう、その死体の山は後続の兵士を恐怖に駆り立てるには十分な数であり後続はその死体の山を越えられずに茫然と眺めるばかりであった。勇敢は兵士はそんな状況に屈せず骸の山を乗り越え接近しようとすれば銃弾によって斃れ、逃げる兵士は背後から銃弾が降りかかり地面に斃れていく。馬車一つが通れるそれなりの石橋はこの瞬間をもって凄惨を極める地獄となっていた。腕や脳漿、鮮血がと共に銃弾が飛び散り、地面に泣きつくように伏せる人間にも容赦なく銃弾は襲い掛かる。橋への突撃を決めた途端加速度的に被害は増え、八百人を超えていた連隊はたった数分で半数を喪失し絶望的な状況となっていた。そのような状況になれば指揮を執る人間が撤退という指示も出すのが常識であろうが、そのような人間は今の連隊には存在していなかった。それは単純明快で、突撃の指示を出した際先頭を走り橋に到着すれば、火砲の散弾によってその数十年勉強と経験を積んだ明晰な頭脳は地面へと液体を垂れ流す結果となっていたのだから。そのほかの士官や下士官も似たような状況となり、銃撃戦で胸を撃たれて護送されていった士官に、ケース弾の直撃によって身体中穴だらけになるか、手足を残して忽然と姿を消した下士官も多くいた。この戦場はもはやお互いにとって筆舌に尽くしがたい凄惨な戦場模様を映し出していた。


 そのような頭を失った連隊は後方に逃げる人間まで続出状態となり、部隊としては最早再起不能という状態といえよう。しかし砲撃によってできた隙は大きなものであり、再度砲撃するには数分ほど必要である。その間歩兵隊は自力で何とかするほかないのだ。射撃戦をしていたもう一つの連隊はその隙を見つけ、自分たちがしなければならないことに対して明確に理解していた。連隊の指揮官の一人がついてこい!と川の反対側まで聞こえてもおかしくないほどに大きく叫び、連隊旗を持った兵士と共に駆け足で接近してきたではないか。急な指示に驚いていた喇叭手も急ぎ高らかに指示を出し彼ら第二十一歩兵連隊の面々は駆け足の行軍を始める。先頭を走る連隊長は逃げてくる第三七歩兵連隊員にも突撃に参加するように声高に叫び、駆け足で接近していた。その間にも銃弾は彼の傍を幾度も掠め、彼に対して最大の恐怖を与えていた、しかし彼はスピードを緩めることなく接近していた。死という存在が介在する銃弾に怯むことなく、銃弾が彼を避けて飛ぶ様はある種神がかった加護が彼には存在しているかのようであり、後続の歩兵隊にとっては彼が灯火のようでもあった。突撃!!その言葉が彼の最後の言葉であった、彼は言葉を発した途端胸に一発の銃弾が入り込み、ありとあらゆる内臓を突き破った後に石橋へと抜けていった。すると彼はよろめいた姿を見せ、先頭を走っていた歩兵の一人に斃れかかり抱えられる。ここに一人の偉大な英雄が一人死んでしまったものの、だがその灯火は消えることなく突撃する歩兵隊へと最大の勇気をもたらしていた。彼らは王国兵を八つ裂きにし、この場から生き残ってやるという気概をもって突撃してきており連隊の斉射が十数人倒したとしても逃げることなく立ち向かっていた。


 彼らが死体の山を踏みつけ、橋の中腹まで来た頃に、それを確認したグラッセル少佐と第一ガルフドルフ連隊を指揮するアーフ大佐は共に叫ぶ。


「「接近戦闘準備!!」」


 第一ガルフドルフ歩兵連隊は装填作業をやめスパイク状の銃剣を取り付けたライフルを槍のように構える。砲撃や銃撃戦によって数を減らし、約六百人強が銃剣を接近してくる敵へと向け銃剣が太陽光によって白銀に照らし出される。その無機質なクルミの木と鉄で出来た槍こそ自身の身を守る最も重要で、生き残るための武器なのである。また同時に特務中隊の教官たち一人が張り裂けんばかりに息を吸い込み、まな板のようなすらっとした胸板は膨らみ吐き出される。


「抜刀、戦闘準備!」


 そう告げらた中隊員は銃剣をつける者や腰に付けた得意の剣を抜く人間もいた。グラシアムはライフルのスリングを肩にかけ、直刀を抜く。銀色に輝く刀身は鞘と擦れる金属音を響かせ、グラッセルに怒られたあの時を思い出すかのように光り輝き、自信たっぷりと言っているようであった。あの時のように生き残るために、私の”夢”を失いたくないから、生き残る。生き残る。それだけが今この胸の内を占めていた。そしてその感情を抱いている人間は中隊には多くいる、ミズキにマックス、アイリスも同様であり、この戦場から生き残るつもりであった。彼らにも”夢”があるのだから。


 そうしているうちに第三七歩兵連隊が橋を渡り切り丘上へと走ってくる。接近戦闘準備をしたのちも各個射撃は続き、数を段々と減らしていた。そしてその足取りは数百メートルを小走りで走ってきたために息切れ寸前であったものの、煌びやかな栄光を背負って突撃を続けている。連邦軍の最も苦戦した部族の真似をし、彼らは奇声にも似た高音の声を上げ走ってきていた。彼らの狂気の宿ったその突撃がついに土塁へと到着し、盛り上がった土を声第一ガルフドルフ連隊と接敵する。刹那拳銃を片手にアーフ大佐は叫ぶ。


「突撃!!」


 第一ガルフドルフ連隊員も彼らの奇声に負けじと声をあげ、接近戦闘へともつれ込む。土塁を超えて連邦兵が王国兵へと銃剣を腹に刺し、絶叫が響き。土塁を超えてきた連邦兵を拳銃で迎え撃ち、次々と倒していく士官たち。クルミと鉄でできた棒で連邦兵の顔をぶん殴る王国兵。銃弾の入っていない銃剣付きのライフルを王国兵に投げつけ、残っている腕で別の王国兵の目を親指で潰し、痛みのあまりに絶叫する王国兵。接近戦闘にもつれ込んだ部隊は言葉にすることさえ憚れる恐ろしい戦闘へと変貌したのであった。突撃を受けた王国、突撃した連邦兵は接近戦闘へとなった時からお互い凄まじい被害をたたき出す。彼らが数十年の時と温かな記憶の持った命はこの一瞬の地獄の業火のような戦闘へとくべられていき、その炎は瞬く間に大きく空へと燃え広がるようであった。だがしかし圧倒的不利のはずの連邦兵たちはその勇気と最後の馬鹿力を引き出し、防衛を固めていた王国兵たちを飲み込まんとしていた。その時、ついに中隊に初めての命令が下される。


「突撃!!」


 中隊の喇叭手がリズム良く指示の音楽を鳴らす。二十も行かない若い兵士たちはそれぞれ胸の奥底から全ての力を引き出すように声をあげ、それぞれの戦い方で接近する。ある人は遠くから氷の礫を連邦兵にぶつけ、八つ裂きにする。炎をもって連邦兵を焼き尽くす。神速の如く素早く剣を振り、最大の力をもって骨ごと断つ。その中でもグラシアムはミーシャと共に人込みの中へと入りこみ、連邦兵を切り刻んでいた。泥濘のように柔らかな地面、踏ん張りのしにくいと思っていれば連邦兵の槍の一突きで仕留めようとする。彼の槍先を巧みに剣先で方向を変え、流れるように喉元を切り裂く。ミーシャもライフルごと連邦兵を斬り裂き、その圧倒的力の差を見せつけていた。一人、また一人と確実に連邦兵を斬っていく。父やその弟子たちの集大成がそこに存在していた。グラシアムはその巧みな剣捌きにより個々の戦闘は圧倒していて、柔らかな手首を使った剣術で敵を捌くその小さな肩には歴戦の古強者の貫禄さえ見せつけている。彼女にとって初めて王国兵を殺した瞬間と変わりない、死ぬことについては悲しいと感じながらも死を恐れないその姿、それこそ彼女の最もしなやかかつ剛性を兼ね備える素晴らしい精神性である。そうだ、戦場という超常の場所が彼女を最高の殺戮マシーンと仕立て上げたのだ!


 そうした光景に一人表情を曇らせる人がいた。彼女にとってはあの人の忘れ形見の一つであり最も愛すべき存在である子でもある、あの子が人修羅の道を突き進む光景は僅かに残った母性が強く反応する。本当にこれでいいのか、本当に裏切ってしまってよいのか。あの方の唯一の願いを踏みにじってしまう現実に酷く胸を痛めていた。グラシアムが十人ほど斬った後、ついに連邦兵たちは土塁まで追い詰められ降伏する人間が出始めるのである。だが接近戦闘を繰り広げ、未だ混迷を極めるこの戦場には降伏という行為は念頭に介在しなかった。降伏していた過半の兵士は押し返してきた王国兵に刺殺され、撲殺され、射殺されていく。


 指揮官を失い、勢いを失い、勝機まで失った一個連隊と少しの部隊はたちまち恐慌状態となり、降伏を選んでいない兵士たちは次々へと戦場へ背を向け渡ってきた石橋へと逃げていく。だが王国側もタダで逃がす訳もなく、逃げていく連邦兵に対して猛烈な射撃を浴びせかけ次々に地面に倒れ込む。戦闘が一段落したころに回りを見回せば多くの死体の上に私たちがいることに気づく、戦闘中は泥濘に足を取られるように感じたのはこのせいであったのだ。そんな地獄のような戦いの中、最左翼のハイムの家にて王国軍の危機的状況へと戦況が変わっていくのであった。

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