第39話 第一次マルナス会戦(2)

 十二時前に到着すれば先行していた工兵たちは戦闘の準備を整えている最中であった。最右翼に存在するアーフの石橋を守るために土と木でできた簡単な歩兵用の土塁を構築し、砲兵隊用の簡単な陣地をこしらえており防衛準備は着々と進んでいる様子である。そんな中第三マルヌ旅団の歩兵隊は陣地制作を手伝う人、野原でカードゲームをしつつ休憩している人、双眼鏡で警戒を続ける士官まで様々な人がいた。そんな中特務中隊は現時刻をもって到着したのであった。中隊は士官の停止命令と共に足を止め、全員が規律正しく同時に足を止めるのである。全員が規律正しく直立不動の形をとり、次の指示を待っている。彼らを最前線で指揮する士官へと声を掛ける。


「カーゼル少佐、彼らには戦闘が来るまで休憩を。私は後方で少将閣下と作戦のことについて話し合うことになっている。もし私が戻ってくる前に敵軍が見えたのなら君の判断で部隊を指揮し給え。わかったか少佐。」


「はっ!命令を承りました。」


 鍛え抜かれた胸板に整えられた髭が特徴的な彼は儀式ばった挙動をもって大仰に一礼する。その大仰な一礼は彼が実戦を得たことのない人物であるのであろうか、それとも自分よりも位の高い人間と知っているからこのような敬礼をしているのか、今は後者を祈るばかりであった。言うことを言えば彼らに一礼を送り、馬の腹を蹴り上げ大きく嘶きを上げ本陣に向かって馬は駆けていく。


 西へと流れるハイレ川に繋る石造りの桟橋を走り抜け、ハイムの家から見て南に位置するもう一つの小高い丘、ヘリーの家の丘へと急いで向かうのである。橋を越えすぐに道から外れ丘の頂上へと馬を走らせる。十分もしないうちに丘のてっ辺へと到着し家の周りには司令部を防備する兵士たちが多くおり、多くの予備の早馬も数多く括り付けられていた。本部に到着し北に位置する前線へと目を向ければ、なだらかに傾斜する平原に数個連隊がマルゲス丘へと向かっており長い縦隊が進んでいく様が見える。彼らを遠くから見ていれば彼らは民兵部隊であるというこことは明白であった。それは何故か、簡単なことであり王国の制服を着こんでおらず最低限の外套も支給されていない兵士たちであり、着の身着のままといった風体であるからだ。それぞれが黒い服装であったり、正規軍の正しい服装をした人間もいれば、敵軍と同じような青いジャケットに赤い帽子をかぶっている人間までいた。そうであればライフルだって支給された上等なパーカッション式ライフルや後装式ライフルではないのであろう、七十年前に正式採用されたスリングフィールドを持っている兵士や、タッキーライフルといった言わば猟銃である。だがしかし今ここで彼らの義勇兵が居なければと考えれば時代遅れ甚だしい存在であっても相当に嬉しい増援であろう。彼ら義勇兵たちの雄姿を見た後は馬の管理をしている兵士に愛馬と手綱を渡し、指令部が現在置かれているヘリ―の家へと入る。


 家に入れば護衛の兵士と共に数人の将軍たちがテーブル越しに、あれやこれやと議論をしていた。右から左翼軍の指揮官たちメンドーラ大佐、マイオニー准将の二人に、総司令官のリチャーズ少将、右翼軍の指揮官アーフ大佐が熱中した様子で卓を囲み地図を指さしていた。こちらの様子には気づいていなかっため、ふっと息を吸い、正しく敬礼をする。


「グラッセル少佐、只今参上致しました!」


 若々しくも透き通ったその声は彼らの議論を一時的に止め、全員がこちらへと振り向く。そのうち旧知の中のメンドーラ大佐はいつものように気だるそうな顔つきでこちらを見つめ、齢七〇を超えるリチャーズ少将もグラッセルに気づけば困った表情で言葉を発する。


「よく来てくれたグラッセル君。現状と考えている作戦について話しておかねばな。」


 そういうと彼はこの周辺の様子を書かれた地図へと向き、現状の説明を始める。


「現在ゼーリッヒの騎兵連隊が敵軍を偵察していてだな、一個師団は現在マラッラ街道を使いハイレ村を下って来て左翼へと向かってきている。そしてもう一個師団は右翼側に位置するガイレス街道を使って南下中だ、敵の本隊二個師団はその二つの中心にいる。あと一時間もすれば右翼の一個師団が街道を下って接敵するということであり、非常に不味い状況だ。川の上流を抑えている中央に位置する第七師団は過半の部隊をこちらに向け出発したとのことで、彼らがこちらに到着するまで凡そ四時間ほどだ。次に最右翼も部隊もこちらに増援を送っているらしいが到着するのは五時間後だ。まずはこの三時間をどう作り出すかが我らの勝利の鍵であろう。」


 地図と簡単な兵士の駒を使って現状を説明していく、なんという絶望的な状況なのか!たった一個師団と少しの連隊で四個師団を相手取るわけである、その数の差は優に二万人にも上る。物量を適切に運用するのであれば確実に相手に軍配が上がるのである。


「それでだ、私としてはヘリーの家周辺で防備を固める案を考えている。利点としてはこのラインでは背後に砲撃から身を隠せる森林地帯、相手は渡川しなければならない上に桟橋のない川を渡る以上展開力も遥かに鈍くなるだろう。これが私の案だが、マイオニー君としては不服らしい。」


 マイオニー准将、撫でつけたような流れる艶やかな黒髪、奥底に熱い信念のあるとても力強いような黒い目をし、北部的な不機嫌そうな口をしている髭をしており、顎日もも首元に届きそうなほどに長かった。彼は王国軍の高級将校が着用する紺の軍装をしており、首元の両襟には金色の糸によって枝葉と共に彫られた星が一つ輝いていた。それはまさしく准将である証であり、彼の戦歴を物語っていた。


「ええ!あまりに現状に一致していない戦術ではないか。我々には一個師団しか使える部隊はいない、ヘリーの家周辺は広大でなだらかな平地が広がっている畑であり敵軍が展開すれば物量差によってすぐさま撃破されるでしょう。であるならばあえて狭い場所にて戦うほかにない、ハイムの家の前には林が残っており戦列のスムーズな展開は不可能に近い。そして小高い丘にある家は砲撃地点としても最適であり、敵方の砲兵は最適な場所に布陣するまで撃つことができないわけです。つまりハイムの家にて防衛地点とし、敵一個師団をここで迎え撃ち、本隊も同様に撃退こそ最も成功に近い作戦かと!」


「しかしその作戦では敵の二個師団をメンドーラ君に相手することになるのではないか、その上増援に来た二個師団を半包囲や戦列を作り出すにも川の存在が足を引っ張りかねない。その間に撃破されるのがオチであろう。」 


 確かに少将の懸念は最もであった。敵軍を包囲するというのは戦場における鉄板であり、いたって普通の方法である。一時的な重点を作り敵軍を撃破できればその分余力は増えるわけであり、数的不利であるならば猶更必要でもあった。行き詰まりを見せていた作戦であったが、長い間論争をしていたからか仕方が無いといい言葉を発する。


「今回の作戦はマイオニー准将の案でいく、増援部隊はそちらに行くように指示を出そう。アーフ君とグラッセル君、君たちはまずは右翼から来る敵軍を抑えてくれ、増援が来るか敵軍が引くまでここは絶対死守だ。この丘が取られればヘリーの家周辺で戦闘する際、我々は半包囲される形となる。よって君たちの戦いがこの戦闘を左右するものだと知ってくれ。」


 グラッセルとアーフ大佐はそれぞれ了解したと言う。


「よし、作戦は決まったな。君たちはそれぞれの部隊の指揮に就き給え。もし作戦の変更などあれば適宜念話か早馬を出して通達する。頼むぞ諸君。」


 少将がこなれた風に緩慢としある種適当にも思える敬礼をし、グラッセルのほかの指揮官たちも同様に敬礼しその場を後にする。最後に少将と二人が残るのであった。少将は彼らが馬に跨り、最前線へと駆けていくのを窓から眺めていた。その目には厳しい戦況を見つめながらも泰然自若というべきか、能天気というべきいつもと変わらぬ表情をしていた。


「さてグラッセル君、今回の特務についてだが右翼の防衛線には最悪の場合を除き戦闘に参加はするな。君たちは序盤戦で繰り出してよい戦力ではないことは重々承知の上だろう。であるからこそ、最も重要で必勝であらねばならない、わかるね?」


 つまりはこの周辺で起こるであろう後半戦まで体力を残して切り札とするということであろう。特務という敵冒険者含めた接近戦に強い部隊へのカウンターとして使うことは明白であった。


「わかりました、閣下。では私自身も部隊の指揮へと戻ります。」


 風を切るように手を額の傍へと持って行き正しい敬礼をする。そしてその場を後にするのであった。




 グラシアムたちは教師たちの命令によって休憩を取っていた。みんなそれぞれやりたいことをやって過ごしていた中、私は野原に寝っ転がり時間が過ぎるのを待っていた。燦々と照っている太陽は昼頃を知らせる位置であり、暖かを超えた若干の暑さを持った熱気が青々とした清涼感感じ果てしなく真っ青に感じる大空からやってくる。こんな時はいつもの懐かしい記憶を呼び出すには十分な要素をもっていた。父親と剣術の稽古のあと野原で寝っ転がったあの時を、あの時もこんな空をしていてちょっぴり風が出ていたから涼しかったけれど、こんな日であった。そして連邦でも同様に昼休みに寝っ転がって青々とした空を眺めていた事も多かった。その時は今ここに父親がいないという現実がいつも空色の雫を零すことになっていたものの、今はそうはならなかった。


「グラシアム、大丈夫か?」 


 ふとミーシャが黒く芳醇で苦みを鼻孔に感じる珈琲が入ったコップを片手に近づき、隣へと座りこむ。金属の鎧がぶつかり合い鈍いながらも頼もしい金属音が響く。


「うん、大丈夫。ミーシャって珈琲飲むんだ、以外。」


「まあ最近のトレンドというものも気になるからな。最初はほんとに不味い泥水かと思っていたが、飲んでいれば次第に美味いんだこれが。私の飲みさしだが飲むか?」


「いいよ、ただ懐かしいなって思っちゃうな。言ってなかったと思うけど私のお父さんも珈琲が好きな人だった、けど連邦では珈琲がなかなか手に入らなくてね。紅茶で代用してたの、そしたら飲むたびにまっずいなって渋々飲むわけなの。」


 ふふふっと彼女が笑う声がする。その色っぽい唇をコップに付け、湯気が立つ黒にも似た奥深い茶色の色をした珈琲をゆっくりと飲んでいく。彼女にとっていつもの飲み方なのであろうが、見る人によっては優雅とも気品があると言われても良いほどに丁寧に飲んでいた。


「不味いのに飲むなんてよっぽど変な奴だったんだろうな。まあそれを言っちゃ私も変な奴か、不味い不味い言いながら珈琲を飲んでいたんだから。」


「確かにね、でもさ珈琲って不思議だよね。最初は不味いのに飲んでいたら美味しいってなるなんて、舌が慣れちゃうのかな。」


「そうだな、多分そうだとは思うが。如何せん私も何故好きになったかと聞かれれば困ってしまうな。何事も慣れてしまうのだろうな……。」


 彼女はただ昔のことを思い返すような憐憫と後悔を持った目でこの巨大な大空を眺めていた。そうしてただただぼうっと二人して大空を眺めていた。そうしている間にも小さな雲が流れ、大空という大海を泳いでゆく。緩慢ながらもその動きには何とも何かが宿っているのではないかと考えてしまう、彼はこの大海へと旅立った何者かでたった一人小さなその身でこの大海を泳いでいくようである。そんな彼は必死に風を背に受け流れていく。それは彼方の桃源郷へと向かって……。


 突如喇叭の音が静かな野原へと甲高く響いた。それは訓練の時いやというほど聞いた招集の喇叭であった。すぐさま放り出していた小銃を手に取り、スリングを肩へと通し。銃剣の代わりの腰に掛けていた剣を確認する。二人は集合場所へと走って行けば、ほぼ全員がすでに集合し二列横隊の形となって整列していた。また他の歩兵隊も工兵たちが用意した防衛陣地へと配置につき、ライフルの装填を始めている。同様に砲兵隊は榴弾を砲口へと入れ、棒で押し込んでいた。


 さて東の川向うへと視点を移せば連邦軍の旗を掲げた一団が次々へと現れては何十という戦列を形成し、どんどんとこちらに近づいて来ていた。その数は優に八千人を超える戦列であり、その姿は巨大な壁がそこに現れたかのようである。そして馬に曳かれた野砲が草原を歩き所定の位置へと到着したためか野砲の設置へと入り始める。凡その距離にして八百メートル弱くらいか、まず開戦の火蓋を切って落としたのは最右翼に展開していた友軍砲兵隊からであった。撃てとの号令の後、スモースボアの旧式野戦砲から大地を響かせる怒号のような爆発音と共に、人ひとり全身を隠せるほどに大きな白煙が砲口より出たかと思えば人の拳ほどの鉄球たちが空を切り、金切り音を上げながら敵戦列に飛翔すれば敵の頭上六メートルほどで爆発するのである。砲撃が戦列のど真ん中に直撃ではないものの、頭上で爆発したため破片が乾いた土を宙にまわせ、多数の肉塊を製造する。


 遠巻きから爆発地点付近をみていても優に三十人は斃れたまま起き上がることなく、後続の戦列へと踏みつけられ群衆の中へと姿を消した。砲兵隊は射撃後、棒に取り付けられた綿で砲口を掃除し次弾の準備を始める。そして第一次マルナス会戦が始まるのであった。

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