第38話 前線(1)

 数か月前に半島戦役が終わった後、王国は気が緩み切った形で安穏とした時間を過ごしているのである。連邦と公国の国境紛争に加担し王国の指揮の元勝利、北方海域の長たる海軍強国であり島国の連合王国との植民地戦争も数年前に王国の対外植民地の獲得という戦略的勝利によって成功に終わった。この国は多くの戦争を行い、勝利を重ねてきた。であるからこそ大きな弛緩が生まれるのであろうか。驕りたかぶる態度は己へと帰ってくるものだとこの時をもって痛感する。


 夜方四時ごろ、連邦領ガルフドルフ州にて行動は始まった。前衛を務める旅団が歩み始め、約四万と少しの軍は移動を開始する。その服装は青い服装を身に纏った連邦式戦列歩兵の部隊たちのほかにも近代には似つかわしくない中世の鎧を身に纏った部隊も多く存在していた。連邦人の類稀なる魔術的素養によって構成された魔術師や冒険者ギルドから安値で派遣されてきた人間たちであった。それらの古臭い人間たちを軍隊に入れる連邦はどのような国家か端的に言い表していよう。そうだ、かの国は前近代的な制度の旧態依然とした愚鈍な国家である。だがしかし魔術というものはそのような国家でも列強の一つとなる最も重要な物だ。化学産業などが勃興したこの時期においても偉大な光は翳りを見せながらも未だ燦々と輝き続けたいたのだった。


 彼らは青い服を輝かせながら連隊旗と共に進んでいく、その先は王国の国境へと続く道でありその先は南に位置する州都マルグフストに向けての行軍であることは明白であり、王国にとってもその地域は保持しなければ絶対の優位性を喪失しかねない地域の一つである。マルグフストを州都とするマルヌ州は古来から古代遺跡以外から採掘される純度の高い鉄の生産地の一つであり、古代にも採掘地として利用されていた有名な場所でもあった。その上炭鉱も存在し、それら豊富な鉄資源や石炭資源を背景に王国北部の本領にはない重工業も発展の兆しを見せる場所であったのだ。であるからして狙うべき要所の一つとなったのだろう。


 さて行軍を続ける青服の軍団を率いる将軍はガルフという男であった。彼は端正ながらも撫でつけるように整えられた上髭をしており、頭は若干の禿模様であった。ガルフはその美しく皺ひとつない軍服を丁寧に着ていた。彼自身この王国との国境紛争に大きな博打をしていたのである。それは自身の名声の向上、つまるところ名誉欲であり天にも昇るほどに激しい向上心からくる支配欲だ。その一手のための行動が国境紛争における英雄的勝利というものであった。そんな彼は馬に跨り、幕僚たちと行軍していれば先頭から一人の若い少尉が早馬で駆けてくるのが見えた。そんな彼はガルフの傍へと到着すれば速度を落とし並走し、片手で手綱を握り空いた右手で仰々しく礼をするのである。そんな彼へとこちらもいつものように礼をして返す。


「将軍閣下、先行した騎兵隊より山道の抜け道を見つけたと報告がありました。現在調査しておりますが今のところ敵の歩哨などいない様子であり、通行はできるものと考えられます。」


 やはりなと不敵にほくそ笑む、その顔つきは貢物を目の前にした悪代官と言われてもおかしくはない笑みであった。それもそのはずである、密輸団の調査から浮上してきたこの道の存在を知ることができ、感謝しかないのだから。


「しかしこの軍勢ですと少し時間が掛かりますが、そのまま調査でよろしいでしょうか?」


「ああ、そのまま調査してくれ。調査が終わり次第騎兵隊は先行偵察もしてくれ、また王国の奴らを見つければ戦闘せずに知らせにこい。戦闘は無しだ、いいな?」


「はっ、大佐にはそのように伝えておきます。では失礼します。」


 言葉言い切るとそのまま馬の脇腹に蹴りを入れ、蹴られた馬は嘶きを上げスピードを上げ先頭を行く騎兵隊の元へと走り去っていく。この一戦で自身の命運も決まる最も重い戦いの始まりであった。




 朝も終わり昼前の一〇時ごろ、連邦軍が行軍を始めて数時間が立ち、山道を抜けた頃に王国軍にも連邦軍進撃の知らせが届くのであった。マルグフストで最も連邦に近い位置にある小規模な炭鉱の街、田舎の駅からの一報からである。通報者の御者は野菜の収穫をしようとした時、山の隙間から連邦軍の旗が見えたということであり、その勇敢な小市民からの通報は駅駐在の電信係に伝えられ、電信の担当者も不信ながらも報告したことによって事は始まったのだ。この報告を受けた駅の電信部からマルグフストの軍司令へと早馬で通報を知らせに向かうのであった。


 この知らせが軍本部に入ってからは司令部は大慌てで対応を始めるのである。総司令官の中将は現在本部に出向中であり、次席の副司令のリチャーズ少将が臨時南部司令として動き始めたのである。リチャーズ少将は現在残っている参謀たちを集め、自身も礼服から戦闘時の簡易的な士官の身なりへと変えていた。


「本部には電信は出したから、君は今直ぐに第七師団と第十一師団に電信を、マルグフストへと強行軍にて急ぐように。今動員できるマルグフストの兵力はどうなのだアルフレッサ大佐。」


 頭の中では不安で溢れかえっていたものの、落ち着き払ったその声質は士官たちにとってしてみれば心強い人間であった。また命令を聞いた直属の若い士官は急ぎ電信室へと駆けていく。また質問されたアルフレッサ大佐は直立不動の形で答えるのである。


「現在公国の兵士も動員するならば一個師団がすぐさま用意できます。また時間的猶予から考えますと徴兵では間に合いません、すぐさま動員可能な予備役のみ動員と言う形になります。」


 やはりかとただただ零すしかなかった。報告によれば敵軍は四個師団ほどの軍団が一つ、この数的不利に置いては厳しい戦況としか言いようがなかった。この如何せんともしがたい戦局を覆すには動員できる人間全てが必要であることは明白の事実である。


「ガーニッツ少佐、魔術士官候補生たちにも動員令を出せ。彼らと特務は臨時で中隊を編成し特務に指揮させる。その旨を伝えてこい。」


 ガーニッツ少佐と呼ばれた四〇代ほどの士官はその命令を聞くや否や了解しましたと部屋を後にし、厩へと向かい馬の準備をするのであった。


 一〇時頃も終わりを告げる時刻になって魔術学校へと早馬が到着する。王国軍より動員令が下されたことが伝えられ、全ての授業を休止、全クラスの学生も運動時の学生服に身を包みそれぞれ弾薬盒や水筒、道具一式を詰め込んだ背嚢を背負い戦闘の準備が整えられることとなった。グラシアムは謹慎の身なれど動員令が出れば一兵士として参上しなければいけないのである。だからこそ学生服に身を包み、全ての準備を終え校庭にて整列した状況で待っていた。またミーシャも白銀の鎧を身に着け、ミズキたちも不安げな様相で列に並んでいる。それもそのはずだ、こうして国境紛争が自分たちのすぐそばで発生し動員されるなんてことを一体だれが考えるのであろうか。そうした現実が、死というもっとも原始から続く不安の大本が目の前へとやってきたのだから誰しもが不安に感じることは不思議ではない。しかしそんな中でも小声で戦場を見られると喜ぶ声も存在していた。声を出す人の多くは男性たちであり、以前ぶん殴ってやった男子学生もそこにはいた。彼らは男らしく戦場へ征けるという普遍的な価値観がそこにはあった。男であるならば戦場を体験しなければ男ではないという束縛にも等しく、男であるという自己証明を抱えているのであろう。他人へと興味を向けていれば校庭へと約三〇人ほどを連れたグラッセルたちが現れるのであった。グラッセルは馬に跨り、指揮下の特務小隊も同様に我々の目の前へと見事な馬の制御を見せ制止する。そうすれば馬上にて一度敬礼を見せる。


「中隊敬礼!」


 士官である教師の一人が命令を下すと同時に彼に対して敬礼をするのである。その光景は彼からしてみれば良く訓練されただけの兵士に違いなかったであろう。グラッセルは敬礼を解き、重々しいその口を開き言葉を発する。


「諸君、諸君らは一時的に我々特務小隊の指揮下に入る。それにあたっていくつか言わねばならぬことがある、我々は非常時に投入される予備部隊の一つであるが投入される場面は最も激しい鉄火場となることは明白だ。今ここで死にたくない奴は手を上げろ、ついて来ても邪魔になるだけだ。」


 その言葉が校庭の全生徒に届くものの、誰一人として手を上げない。それはこの学校には行っていれば後方組のクラス以外は前線に投入される人間たちであり、未熟ながらもその覚悟は持ち合わせていたのであろう。そのことを確認したグラッセルは次の言葉を発する。


「医学魔術部はこのアルフレース大尉の指揮下に入ってもらう。彼は後方の任務を主体とする士官であり、重要な部隊の一つだ。君たちには一般の負傷兵、それも前線歩兵部隊の治療に当たってもらうこととなるだろう。そのほかの魔術産業部の人間たちには前線の通信における補助をしてもらう。諸君には最大限の力を発揮することを国家は、人民は須く期待していることを胸に刻め!」


 言葉を言いきればこなれた風に敬礼し、それに対して敬礼を返す。そうして始まるのであった、連邦との国境紛争が、私たちの初陣が……。


 グラッセルが演説をした後は士官である教師が先頭に立ち、四列横隊の形から二列縦隊の形へと素早く変形し最前線へと向かって足を進める。足取りは規律正しく、全員が一歩たりともズレがない美しい行進であった。街道を進めば多くの人間が興味深そうに眺めては言葉にしていた。そんな中先頭を馬に跨り手綱を握る二人の内、アルフレース大尉が後ろの若き兵士たちを見ていつものように戦場を前にしても泰然自若とした様子で話しかけてくる。


「あいつら、綺麗な学生服に規律正しすぎる動き、こいつらで行けますかね。少佐殿。」


 確かにそうであった、学生たちの中に感じる熱い感情というのを薄々感じとり、不安に感じていることは確かであった。


「”訓練”は上手くても実戦ではどうなることやら、それに医療魔術部を私に預けたのも最悪のことを考えてなのでしょう?」


「そうだ、今回は少し変則的だが二人の少尉には医療魔術部の支援されるのもそのためだ。前線でパニックを起こされても困るからな。」


「なるほど、私の役目は大体理解しました。ああ、そうそう。医療サポートや物資の補給などは私抜きでも動くように指示はしておきましたので、代理のバックレ少尉に指示を出していただければ。」


「わかった。バックレ少尉だな、いつものことならが感謝しかないな。」


 話しも終わり、黙々と一時間と少し歩けば街道も郊外の簡単な舗装道へとなり、貧困層が住む地域へと足を踏み入れる。作戦で前衛は西へと流れるハイレ川向うに佇む小高いマルゲス丘とハイムの家へと布陣し邀撃の体勢へと移行するということであり、州都への侵入を防ぐ最終防衛地点の一つでもある。ここには州都で動員した民兵部隊、合計マイオニー准将とメンドーラ大佐の二個旅団五〇〇〇人弱が布陣。右翼の北に延びる本流のハイレ川に繋る石橋、その地点に一個旅団と六個の火砲と九十人ほどの人員をもつ一個砲兵隊を配備し防衛をする。そして後続の第七師団などの増援を待つというのが作戦の第一段階であった。


 我々は最も圧の強い可能性の高い右翼戦線へと送られることとなる。右翼は突破されれば要衝となるものは少なく、増援路へと敵軍の侵入を許すことになるだろう。だからこそ少将は我々をその地域へと配備したということで、我々は玉砕覚悟で突撃しなければならない事実が確かに存在していた。そんな戦場へと私たちは足を運ぶのであった。

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