第37話 頭の痛い人間たちの閑話休題

 そろそろ探偵屋に依頼して一ヶ月と少しが経った頃であろう日となり、ついに第一報がグラッセルの元へと届くのであった。いつものように朝食と共に朝刊の新聞を読むのが日課ではあったものの、まずは調査の報告書を読むことにした。細やかな文様のついた蝋で封をした手紙をナイフで切り、そして中に入っている手紙を読むのであった。冒頭にはつらつらと時候の挨拶が述べられているものの、簡単に流し読みをし本題へと視線を移す。


  アーセル・グラシアム様についての調査報告の第一報をお知らせいたしたくこの手紙を出させて頂きました。まず調査依頼の一つ目である連邦における彼女の足取りなどを確認したところ、彼女は十代の頃に孤児として現地の魔術講師のガーネット氏に引き取られたようです。その後ガーネットの魔術学校にて生徒として入学しており、先の公国軍の襲来した際誘拐されたのではないかとのことです。また孤児となる前のことをガーネット氏より聞いてみたところ、彼の父親らしき人物についても判明いたしましたのでここに記します。彼の父親はアーセル・クラシュタインという人物らしく地元ではかなり有名な剣術の師だったらしいです。またアーセル・クラシュタインについて別途調査中ですが、小さなグラシアム様と共に越してきた移住者であるということらしいことは確認が取れました。しかし二つ目のご要望の白銀公については一向に出てこないということもここに記します。またわかり次第おって連絡致します。


 達筆な筆遣いで綴られた文字列はその言葉と共に締めくくられていたのだ。グレシアムが銀狼公と繋がっているのはミーシャの存在から明らかであり、しかしその足跡すら見当たらないということはあり得ないのである。正直なところこれ以上の推測は憶測でしかなく、想像で語るに等しい虚無の世界であった。手紙を閉じ、思案に耽る。


 銀狼公周りにクラシュタインという剣士がいた可能性だって考えられる、そうだとすれば何故王国から連邦へと移住をしようとしたのだ。数々の可能性が溢れかえり一つ一つあり得ない仮定を排除するその様は、陸軍学校における戦術学のレポート課題をこなす学生の気分であり、非常に頭の痛い作業であった。そうした熟考をえて考え付いた答えは、グラシアムに秘密があるのではないかという漠然とした答えであった。ただそうでなければ王国から連邦へと逃れる意味が考え付かなかったからでもあった。そうしている間にもメイドのベリエットがいつものように厨房からドヤされながらも運んでくるのであった。


「グラッセル様、お待たせいたしました。前失礼します!」


 いつもながらそそくさと配膳する様は小動物のように忙しそうに行動する因子が存在するかのようでもあった。そんな彼女へといつものように声を掛ける。


「ありがとう、でもそんなに急いでいたら零しちゃうんじゃないのか?」


「そっそれは大丈夫です。これでもお傍について三年ちょっとですよ!」


 その三年ちょっとを思い返せば時折零していたような気がするが、あえて言わないこととする。そういえばあの時グラシアムのことの仔細を聞きそびれていたか、今の内に知ってる限りのことを聞いておくこととした。


「そうか、なら気を付けてくれよ。そういえばべリエット、この前のことでまた聞きたいことがあってな。いいか?」


「はい、何なりとお申し付けください。」


「グラシアムのことについては覚えていることを話してはくれないか、知ってることは全部話す感じでな。」


 そう聞くとそうですねぇと茶色の髪を指先でくるくる巻いては解き、しばらく考えこめば話を始めるのである。


「どこから話せばいいのか正直私には難しいですけど、グラシアムさんが初めて来たときは町のみんなも珍しい人間が来たなって感じてましたね。連邦でも衰退している町の一つではありましたし、そんな町はみんな出ていってばかりで入ってくることは本当に珍しかったんですよ。」


「なるほどな、そのグラシアムの親はどんな感じだったか思い出せるか?」


「ええ、それはまたブサ、とっても特徴的な顔つきの男性に連れられて来たんですよ。ただ髪の色も顔つきも全然似ているところのないってことで変な噂は流れてましたね、他人の子供を攫ってきたとか色々。」


 以外な情報が出てきたではないか。グラシアムさんとその父とはかなり違うというのは重要な情報であり、やはり父親は別に存在すると考えるのが自然であろうか。その後も話を続けるのである。


「それでまあ、グラシアムさん自身結構活発でやんちゃな子でしたね。ただ彼女の父親が通り魔に遭ってからはめっきり内向的というか、後ろ向きになったというか結構暗い感じでしたね。ガーネットさんのところへ行った後は知りませんけどそんなところですかね、でも今から思えば結構他人行儀な父親だなぁ。」


「他人行儀とは、そこら辺もよく聞かせてはくれないか。べリエット。」


「ああ、はいグラッセル様。その、うちで買い物するときとかは結構感じたんですよね、グラシアムは結構父親のように接してたんですけど、その父親が子供に対してグラシアム様なんてつけるなんておかしくないですか。それがずぅっとわだかまりのようにつっかえてしょうがなかったんですよ。」


 確かに子供に対してそのような言い方をする親は早々いないだろう。そう考えればグラシアムがどのような立場であるかは大方予想はつくものの、その結論は逸ることはしてはならないと激しい回転する頭脳を一度停止させるのであった。


「そうかわかった。ありがとうべリエット、また疑問があったら聞かせてもらうよ。


「わかりましたグラッセル様、では失礼致します。」


 一礼するとせわしなくそそくさと自分の仕事に戻るのであった。そうすればいつものようにテーブル上に置かれている純白のティーカップから芳醇かつ温かな薫りを放つ特産品の一つの薄い輝く茶を堪能しながら朝食を頂くのであった。ただグラシアムの喧嘩の話を受け取って酷く頭を痛めることとはなるとは知らずに……。




 ミズキは図書室にて科学魔術省が刊行する魔術書を読み耽っていた。長い歴史と積み立てられた信用によって成り立つ先行研究をまとめた厚手の紙を一ページずつ、流れるように書かれ美しさすら感じざるおえない筆記文字の一つ一つ、それぞれの意味を脳内に保管し真剣に読み進めていたのである。王国の最新魔術を取りまとめた先行研究の集大成ともいえるこの魔術書はかなり興味深い分野についてより深く紹介されていた。それは深層心理内に於いての防衛魔術と攻撃魔術についての先行研究であり、これらの現象は現代における魔法の領域とされて百年弱で今もっとも研究が盛んな分野の一つであった。だが読み進めてつくづく実感するのだがこの先行研究には大きな問題を介在していたのである。それは小難しい言い回しが流れるように使われており、その上に若干わかりにくい比喩まで添えられていたのであるからだ。この研究の危険性は峻険な山を上るのと同等のようだと言われても、大抵の読者は理解が難しいのではないだろうか。


 そう思いながらも研究にふさわしい堅苦しく余地の少ない文章を読み進めるのである。この先行研究はグラシアムの様な攻撃型の魔術防壁について簡単にまとめられているページを発見したのである、そこには至ってシンプルにこうか書かれていた。それは現代の技術においては再現不能な代物であり、存在自体が疑わしいとしか考えられないと。その一文で締められたその項を読み終われば背もたれへと身体を任せただただ深く息を吸い込むのである。夏の太陽によって温められた空気はひどく固まった肺を洗い流すように感じ、一緒に背筋を伸ばす。グラシアムは一体全体どのような人物なのだろうか、最新の技術でも再現不能な魔術を行使する彼女の存在は謎に包まれたままで道筋は見えずして遥か彼方へと続く山道のようであった。


 グラシアムのことを考えていれば向かいで物楽しげに見てくる子がいた。急に現れたものだから非常に驚いてしまった。特徴的な三つ編みのおさげを携えたその子は窓から差し込んでくる光に照らされ、美女と言っていい顔に他人への純粋な興味からくる物柔らかな顔つきは男子を誑かして落としてきた言われてもおかしくないものであった。


「うわっ、いつからいたのさ。メーラ。」


 メーラと呼ばれた子はやっと気づいたのと言わんばかりに笑みを零し、頬杖をつきながら先ほどまで読んでいた本へと視線を落とす。


「ミズキがそんなに興味深々に調べものなんて珍しいと思ってね、こんな魔術書を読むなんて何か疑問でもあるのかな?」


「そんなところかな。」


「最新の魔術書、確か深層心理においての云々がメインテーマなんだっけ。私もちょっとぐらいならわかるかな。」


 謙遜気味に彼女は答えているものの、それらも十二分に理解しているといいたいのだろう。彼女は国家科学魔術省へと就職することが決まっている人間であり、警戒対象ではあった。


「でも以前のミズキってその分野については全然興味がなかったよね。急に本を貸してほしいなんて言われてびっくりだよ。」


「それはそうだね。まあちょっと興味が出てきたからって感じ。」


「……ふーん、興味が出てきたんだ。なんでそんなに興味を持ったの?聞かせてくれない。」


 興味深そうに眺める彼女の目は深い藍色をしており、瑞々しくも力強く輝くその目には見つめていれば全て言葉にして吐き出したくなる魔法の様な力があった。だが言いたくなったとしてもグラシアムのことを言ってしまうことはグラシアムの検体化という現実に到達するのである。何とか言いたくなるこの気持ちを抑えて、嘘をつく。


「ちょっとマックスから相談されてね、兄から発想が欲しくて尋ねられたってことで相談されたの。それがさぁ、この分野ってわけ。ねえ聞いてくれる、ほんとに面倒な事をもってきてさ!」 


 それを聞いて彼女はあらまぁと心配そうな顔をして、燎原の火の如く続く文句の数々をそうなんだねと言葉を返すのであった。大変だねと言葉を返されても気は休まらないのである。それは彼女生来の特徴であり――。


「――。ミズキってわかりやすいよね。大体嘘つく時って規則性があるし、何より惚気に当てられちゃいそう。で、何があったの?」


 心配する声音でありながら、芯では冷ややかな声付きには背筋が凍るものがあった。子供の頃からの付き合いのある彼女はとても感に鋭く、たった一つの事象から答えを閃きで導き出すことに長けていた。それが今でも末恐ろしかったのだ。全てを見透かされたような言葉に対して言葉を失ってしまった。どういえば正解なのか道筋が全く見えなくなってしまったというべきであろうか。


「っそ、それは。考えすぎだよ、マックスから聞けば答えてくれるはずだからさ。」


 それの言葉を聞いて彼女なりに考えがあるのだろうか、仕方がないと諦め心底つまらない顔つきで立ち上がるのであった


「……そう、じゃあ今は聞かないでおく。」


 制服の上にもう一枚温かそうな動物の毛皮からできた変な外套らしいものを羽織り背を向ける。そういえばと付けたし。


「でもいつか聞かせてもらうからさ、面白そうな事を独り占めはだめだよミズキ。あっあとその本また週末遊びに行くからその時返してね。じゃあねぇ。」


 言いたいことを言い彼女はその場を後にするものの、執拗に尋ねられなかったことに心の底から安堵するのであった。自分の興味のあるものに熱心になるミズキも人のことは言えないものの、それよりも常軌を逸した熱意を込めるのが彼女なのである。しかしあの毛皮の外套を羽織るのは一体なんなのだろうか、ふとした疑問がよぎるのであった。

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