第36話 乱闘 (下)
あの一件のあと、予想外に衆目の関心を集めることになった。元暴君に優しくするということの意味は想像以上にしつこい結果となったのである。用のあるミズキたちと別れ食堂で食事するにも何とも視線を感じざるおえない、そんな状況でもできるだけ気にせずに食べる。黙々とランチを食べていれば声を掛けられ、顔を向ければいじめっ子としてクラスで有名な同級生の男子たち六人がいた。その中の一人のっぽで醜悪とはいえないものの、ひどく鼻がつくような言葉を吐きそうな顔つきをした細身の男が話し始める。
「よう、グラシアム。今日の一件中々面白かったぜ、いやはやお似合いのお二人って感じだな。なあ教えてくれよ、どうして助けようと思ったんだい?」
自分で考えたら、と短く返し再度口の中に肉を放り込む。柔らかな肉は口に入れば解けるような感触があるものの、そんな状況もお構いなしにすぐ横のテーブルに手を置きこちらを見つめてくる。面倒くさそうに顔を向けてやればそのうざったらしい顔が小馬鹿にしたような笑みでこちらを見つめていた。
「んー、伝わらなかったかな。なんで助けようとしたんだ?」
「人が困ってたら手を貸すのがそんなに悪いの。」
「ああ、みんなを困らせた奴だからなおのこと悪いさ。低俗な生まれの癖して向かってくるというのもあるし、理由を述べればいくらでも言えるさ。なあお前ら。」
その言葉を聞いてそうだそうだと口をそろえて言い、秋場の田舎に良くある生き物たちの合唱のように口々に言い始める。個々の体験を語って言い聞かせるように言われたとしてもただ興味の欠片もない自身にとってしてみれば秋場の風物詩程度でもあった。それぞれが一通り文句を言い終われば再度彼が口を開き、続きを喋り始める。
「わかったなら二度とあいつに手を貸すんじゃない。どうせろくでもない屑だ、屑には屑のような体験をさせて理解させるべきなんだ。わかったか?」
わかったかと言われても何を言っていたか一編も覚えてなければ、覚えるつもりもなかった。ただ静かにご飯を食べたいという日常での至福のひと時であり唯一の休憩時間にも等しい時間に邪魔されるということは苛立ちと面倒くささを同時に感じざる負えず、不快という二文字に集約されていた。ならば返す言葉はいたってシンプルであった。
「うざい、あんたらがどう感じようがどうでもいいし。そういう空洞の頭の中でこねくり回した持論とか言われても興味ない、何より論として成立してないし自分の品性を落とすだけだからやめたら。」
言うことを言えば再度、ランチを口に運ぶのであった。ただ真正面から想定外な侮辱を受けた彼はどうなのであろうか、それは想像に難くないだろう。そして古臭い貴族かぶれの男性が言うことを聞かない女に対してとる行動といえば――。不意に風を切り重い一撃がグラシアムの頬に着弾し、眼窩の下ほうにある骨に衝撃が伝わり右頬が揺れ動く様はその衝撃を物語っていた。口に含んだ肉を思わず飛び出ていき、しばらく茫然としいる。
「わりぃ、手が出ちまったなぁ!」
彼はそのすきにもう一度殴ることはせず、ざまあみろといわんばかりに頷き笑みを零し周囲を見渡していた。それは自分たちの意見に賛同しない者は同様のことになるのだと誇示する猿のように。グラシアムにとって意識外からの一撃は一瞬の隙を作ってしまったのである。
その少しの隙があまりにも重大なミスとなって出てくるとは彼自身も想像していなかっただろう。生意気な田舎娘が口答えしてきたから”わからせて”やった、すぐに泣いて謝るだろうと通常の女の対応そのものであった。しかしグラシアムという存在は普通というにはその判断力も行動力もずば抜けて高いのである。数秒の沈黙ののちに訪れた理解によって行動はなされていた。椅子から飛びあがるように立ち上がり、全身全霊、全力を込めた一撃を彼の左頬めがけて飛び出すのであった。普通であれば避けるや受けるという判断ができるはずであったにも関わらず、油断してよそ見をしたばかりにグラシアムの重い一撃をモロに受けることとなった。グラシアムの拳の一撃を受ければあまりに重たかった。モロに受けたばかりか頭が揺らされる形で殴られたことによって、その細身の身体は自重を支えることが難しくなり塔が根元から崩れるように細身の男が倒れるのであった。そうだ、理性が外れた狂犬がここに目覚めたのだ!
場は騒然としていて悲鳴の一つすら上がらない不思議な空間であった。近くで食べていた学生はそそくさとランチをもって逃げ、食堂のおばちゃんたちは職員を呼びに走って行く。その一撃をもって必殺の技は武闘に関心がある人間であれば感嘆の声すら上げるほどに鋭くあった。取り巻きの人間たちもその光景をみて言葉を失ってしまい、その上半分の意志虚弱な取り巻きはしっぽを巻いて逃げる有様だ。しかし腐っても教室内カースト上位を暴力と恫喝によって積み上げた人間の中にも意志の強靭な人間はいたのだ、リーダーに殴りかかってきたグラシアムに対して何をしやがると吠えるように叫び殴りかかってくるのである。一人が行動すれば残りの一人も同様に参戦し、戦場のようであった。最初に食って掛かってきた男子学生の右こぶしから繰り出される彼なりの一撃をいともたやすくいなし、空虚を殴りつけその反動によってよろけた身体の鳩尾に重たい一撃をぶち込むのである。
「てめえ!!なにしやがる!!」
その隙に二人目は後ろからグラシアムの分が配膳されていたトレーをグラシアムの頭へと思いっきり叩きつける。金属トレーがべこんと音を立て頭の形に凹むと共に、鈍い衝撃と脳が揺れ不愉快な振動がグラシアムを襲いよろけてしまう。
「いってえ!!」
口を荒くし言葉を漏らすと背後へ殺意を込めた目で、大きな熊が攻撃を加えてきた人間に対して向けるその殺気に似た目で彼をにらみつける。振り向けば彼の襟を掴み、思いっ切り頭突きを食らわせ白い髪がはらりと靡かせながらもは激しい一撃を相手の頭へとぶつかったのである。衝撃によってよろけた二人目の男子学生に対してグラシアムは握った襟を手放し、一瞬ぼうっとした。頭突きの衝撃によって生じた隙に聴衆は何故止まったのか理解はできなかった。これからどうなるのかと一喜一憂している中、いなされ一撃をもらった一人目の男子学生が復帰しグラシアムを羽交い締めにするのである。頭突きの衝撃から復帰するその瞬間を狙った行為は、的確な一手であり羽交い締めにされたために行動ができなくなったのである。脳への振動から回復すれば必死に脱出しようと藻掻き後頭部で相手の顔めがけてぶつけてみたり、足を相手の股間めがけて蹴りを入れたりしても必死に逃がさないと羽交い締めを続けていたのである。男子学生はその股間への一撃に震えあがり、女子学生たちは白い髪が血で染まっていく光景をハラハラと見ている。
そうしている間にも二人目も頭突きの衝撃から復帰し、羽交い締めされているグラシアムに対してまずはその顔を一撃殴るのである。
「このクソアマが!!」
拳の一撃は頬に命中し拳から顔に伝わった衝撃で殴られた側と反対に顔が向き、口の中には血の味がし始めるのである。もう一撃反対側の頬に対して殴ったであろう拳は逸れて鼻に衝突する。その一撃によって綺麗な鼻から雫が零れ落ち始め制服を汚す。それでも今にも羽交い締めから脱出することを諦めないグラシアムは彼らにとっては恐ろしい存在だ、二人が相手でもここまで手を焼く存在というのは全く想定すらしていなかった故でもある。しかしそのような存在ですら二人には勝てなかったのだ、男子学生によるリンチの様な殴り方はグラシアムを気絶させることもなくただ痛みを徹底的に味合わせ戦意喪失を考えていたのである。顔から腹へと目標を変え最大限力を込めた横蹴りをぶつけてきたり、左右の拳で殴り続ける。
数発受けてなおも暴れるグラシアムを抑えることは難しく、今にも抜け出しそうなほど暴れるのである。その時顎を揺らすように右ストレートが右の頬へと突き刺さった。顎へと入った拳は脳を揺らし、急激に視界が狭くなり力が次第に抜け落ちていくのである。つまるところ脳震盪を起こしたといえよう。
ああ負けるんだな、と赤く熱された鉄が元の鋼色に戻るように意識は薄れていく中、彼の姿が見えるのである。その姿を見て何故か安心する自分がおり、ただ迷惑を掛けちゃうなと濁った思考の中へと潜りこむのであった。
「おいテメエら、何してるんだ。」
闘技場のように組まれた円陣の外から一人の男子学生が現れる。取り囲む生徒たちもざわざわと言葉を漏らし、その生徒のことをしきりに注目していた。端正な顔だちに、美しいその瞳、中身を見なければ多くの女子はイケメンの男子だと見間違えるほどである。しかしその者はそんなやわな男ではない、肉体は幾千と戦った実践で編まれた強靭な肉体であり、戦闘経験も並外れている漢であるのだ。そんな漢が鬼の形相で二人を見つめているのであった。
「ヒ、ヒルグレフ。てめえ何しに来たんだ。」
誰かを羽交い締めをしている男子学生が小型犬が恐怖のあまり吠えるように若干裏返った声で言ってくる。それに気づいてか殴っている男子学生が振り返れば、その瞬間その生徒の顔が見える。なんとグラシアムがうなだれているではないか、何故殴られているのだ、何故このようなことになっているのか疑問が噴火の如く噴き出してくるものの行動は早かった。数メートル離れた場所から走りだし、最大限の威力をもって殴っている男子学生に向けて拳で殴りつける。その拳は鼻っ面にヒットし、その細いながらも引き締まった図体が後ろへと倒れ込む。鮮血が噴き出す鼻を抑え、いてええと叫ぶ彼の次は羽交い締めしている男子学生だ。殴られると理解してかグラシアムを放し急ぎ防御の体勢へとなるのである。防御したことにより彼の一撃を防げたものの、烈火の如く飛び出す彼の拳の連撃は防ぐことが難しく確実にダメージを受け続けていた。腹に顔に肩に腕にただ殴られる彼は反撃というモノをしないままである。いやできないのである、その烈火の如く繰り出される拳たちにはその隙すら一切介在しなかった。
羽交い締めをしていた男子学生を殴り倒しのである。余りの連撃により地面に倒れ込み、悶々と痛みに耐え忍ぶしかなかった。激しい息遣いを整え周辺を見渡せばあたり一面大変な有様であった。そこらかしこに血が飛び散り、曲がったトレーと共に気絶した男子学生が三人とグラシアムが倒れているのあるから。戦闘が終わればグラシアムの傍へと向かいすぐに容体を確認する。鼻から血が垂れていたものの、それ以外はいたって問題なさそうである。なんというか、リンチされていたにしては倒れている人間の数と彼らがすでに受けていたダメージから手ひどく反撃を食らったことは明白だろう。仕方がないかと、ハンカチでグラシアムの鼻血をふき取り、グラシアムを抱え上げそのまま歩き出す。そうしているうちに人込みの中から数人の教師たちが現れ、この場をみて騒然としていた。そんな中中年の冴えない教師の一人に簡単な敬礼をして要件を伝えるのである。
「先生、とりあえずグラシアムを保健室に預けてきてもよろしいでしょうか。」
間違いなくこの場を荒らした張本人なのだが、抱えているものを見て困った風に薄く表れている頭皮を掻く。
「えっ、ああ。いいけど……あとで事情を聞きますからね。」
了解いたしました!と再度簡単な礼をしてその場を後にするのである。だがしかしグラシアムを抱え廊下を歩けば注目の的であった。それがあの暴君のヒルグレフが編入生を抱えているというのは話題性に富んでいるのだ。色恋が芽生えただの、片思いだの好き勝手に零す言葉が耳に入ってくるものの無視して保健室へと急ぐ。注目に晒されながらも保健室に到着すればいつも暇そうにしている校医のガーネット先生がいた。どうしたといわんばかりに緩慢な動作で書類から目をこちらに向ければ突如驚いた顔つきとなる。
「な、一体何があったんだ。とりあえずそこのベットに寝かせてくれ、一体全体どうしてこうなったんだ……。」
どうしてリンチされていたのかわからないものの、知っていることを話すのであった。そうしている間にも血を拭いたり、傷の感じを見ているようであった。
「それは、男子学生にリンチされていたので。思わず助けただけです。」
「お前が?不思議なこともあるもんだ。とりあえず後は任せろ、事情聴取が待ってるんだろ。早く行ってこい。」
確かにそうである。了解いたしましたと一礼しその場を後にするのであった。
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