第35話 達成心 (上)

 今日はごはん当番の日であり、せっせとガスコンロでベーコンを適度に焼き、いい感じに焦げ目ができれば卵を割って投入する。油が踊り跳ねてはタップダンスをすればその間に白身はあっという間に真っ白に、黄身も適度に焼けばとろっとろ。あらもう完成、柔らかなパンと共に出来上がり。そんな風に焼き終えれば皿に移し、人数分を作るのである。作っていれば朝の運動を終えたエラッタとミズキが汗を手近なタオルで汗を拭いながら調理場へと入ってくるのである。こうして朝早く起きて自分の練習に付き合ってくれる人が増えるのは意外と嬉しく思う自分があり、鍛錬に身が入るという感じであった。汗を拭いながらエラッタが怒った表情でこちらに近寄ってくれば口を開くのである。


「グラシアム、いくら何でも早すぎるだろう!お前体力バカなのか、そうとしか言えんぞ!」


 体力バカって、体力お化けのエラッタに言われたくないんだけどと心の内で毒づくのであったが、ミズキも何とか息を整えながら言葉を発する。


「そうだよ、外周コース三十周をあんなに早く走るなんて聞いてないって。なんだろ、この結果を見ると心折れそう……。」


「あぁあ!!全くだ、しかも終われば剣術の訓練を始めるしグラシアムの体力はほんとにどうなってるんだよ。」


「あははは、まあ似たようなことずっとやって来てたってのもあるかな。体力だけは取り柄だから。」


「お前は修羅の道歩みすぎだろ。誰か復讐でもしたい奴がいるのかってぐらいだな。」


 復讐、その言葉は正しい。父を殺した人間への恐怖心も、姉を殺した人間への復讐も小さな焔が未だ燻っている。こうして苦しい授業だってついて行くし、何だかんだ苦しい訓練だって成し遂げる。その原動力はでも他人には見せることのでない内面でありただ今は奥底で燻り続けるのである。


「そう?以外と苦しくもないし、何よりいつもやってきたことだし。」


「いつもってことは、編入する前から?」


「うん、こっちに来る前から。」


 その言葉を聞いて興味深そうにへーと言葉を漏らすが、そんな事お構いなしにエラッタが続けて喋るのである。


「そうなんだ、連邦にいた時からやってたのか。そりゃあ強いわけだ、剣術だってミーシャにずっと教わってただろうし。」


「ミーシャはこっちに来てからだから、基礎はほぼ父の型を真似してるだけだよ。」


「えっ!グラシアムの父ちゃんって家族そろって剣術を習っていたのか、はーなるほど。」


 思い出すことも辛いことではあるが、失う前から父の真似っこをして遊んでいたっけ。父の弟子たちと一緒に棒を振ったり、動きを稚拙な動作で真似してみたり、楽しい時期だったのは仄かに覚えている。父がいれば、どれほど良かったのだろうか。そう思ってしまうから子供の頃の記憶は厭になる。


「ははは、そうじゃないんだけどね。はいこの話はここまで、みんなを起こしてきて。ベーコンにハムが冷めちゃうよ。」


「はっ!そうだ、一緒に行くぞミズキ!」


「一人で十分でしょ、さ起こしてきて。」


 そういうとわかったと元気よく返事し、そのまま汗臭い恰好で二階の階段を駆け上がっていくのであった。ミズキはいつものように調理場に並べられた皿をもって配膳しようとする。


「ねえグラシアム、グラシアムって自分の父親ってどんな人だったの?」


 唐突に父親のことを聞かれ、一瞬胸が口から出てしまいそうなくらい驚いてしまう。懐かしい父の思い出に浸ってなおのこと驚いたのであったが、それを見たミズキも少し想定外と言う顔をしていた。


「えっ、ああ。お父さんは剣術が上手くてそこら辺の剣士にだって負けないすごい人だったかな。弟子だって数人とって最低限生活できるほどだったし、ただ顔は不細工だったかなぁ。」


「そうなんだ、じゃあ母親とかは?」


「母は、わかんないかな。顔も見たことないし。」


 そうなのだ、父の記憶はあっても母の記憶はない。多分小さい時にいたことは間違いないものの、姿などは一切見た覚えてなかったのである。まさしく純然たる記憶であろう。それを聞いて申し訳なさそうな顔つきとなり、彼女はそうなんだと言いながら配膳していくのである。


「それはちょっと悪いこと聞いちゃったね、私も似たような人間だけどグラシアムの方がよっぽど大変だったんじゃない。」


「かもね、まあたらればって言うのかな。いるとしたら母はどんな人だったのかなあ。」


「以外とグラシアムにてその白い髪で長髪だったりしてね。」


 そんな父母のことを語っていればエラッタが勢いよく階段を駆け下りてくる。そのあとには良く寝ていた四人が降りてくる。今日は珍しくメライア姉妹も寝坊助だったのだと今気づくのであった。


「ミズキ、メライアってこんな遅起きするの珍しくない?」


「まあ確かに、いつもは早起きして朝の小新聞を読んでいるだろうし。何かあったのかな。」


 そんな話をしつつも、全員がテーブルを囲んで席に着く。そうしていつものように神への感謝を丁寧に述べ食べ始めるのである。ただ今日はいつにも増して静かな食事だ。誰一人として必要最低限しか喋らない不思議な日であった。メフィーネは朝に弱い人間だしエラッタは食うに忙しいからいつもの光景だが、メライアとアイリスが一向に喋らないのは珍しかった。


「ねえメライア、昨日なんかあったの?」


 ミズキが二人に対して聞いて見れば、いささか珍しい答えが返ってきたのであった。


「私は遅くまで夜更かししちゃいましてぇ……連載小説をまとめ読みするといいと聞いたのでやったみたらこの有様。」


 確かにメライアにしては髪はボサボサで寝間着のままであり、妹のメイラも起きたままの姿であった。今なおも相当眠いことは想像に難くなった。


「ウチはメフィーネと復習をしてたらこんなことに、まあほどほどにしてればよかったけど。分かってきたら意外と楽しくってね。」


 ミフィーネも凄く眠たげな声でうーんとどっちとも聞こえる言葉を発する。何というか、休日最後の夜にやることではないことも混じっていたものの、それぞれの休日の過ごし方が見えるような気がした。


「もう、今日から授業なんだからしっかりね。っとご馳走様。」


 ミズキのその言葉から朝は始まるのである。学校に向かいそれぞれの教室に入ればいつもの学生たちがこぞって入ってくる時刻であった。授業が始まるまでそれぞれのグループで喋り始めたり、授業の為の予習を今始めたり様々な光景が見て取れる。その光景を何度と見ている自分にとっては日常といっても差し支えないほどであった。後列側の窓側の席、ミズキのすぐ隣へと座るのである。今の時期は暑い太陽光が照って不人気な席であるがいつもミズキたちは固まってそこにいるのであった。その他同じ士官候補生たちのアイリス、エラッタ、マックスがおり、最近以外と話題の中心になっているヒルグレフも同じ教室にいるのである。庶民派の問題児は敵対者にはガンをつける程度に落ち着き、授業を真面目に聞き始めたからというのは注目を集めるには十分な話題性を持っていたらしかった。そんな様子を訝しげに見つめるマックスは隣の席に座るミズキへと言葉を漏らしていた。


「なあミズキ、あいつ最近おとなしくなったんじゃねえか。あの狂犬のヒルグレフ、今日だってなんか言われるんじゃって横を通ってもなんもなかったしさ。」


 そのことを聞いて確かにと視線をヒルグレフへと向け、冷ややかながらも興味ありげなその瞳には好奇心というものが宿っているようである。


「多分何かの心境の変化でもあったんじゃないの、ほら人が変わるときは何か事件があるっていうじゃん。それとか。」


「だがな、あの変わりようは豹変って言ってもいいぐらいだぞ。一体全体何なんだが。」


 マックスは彼の豹変ぶりに困惑をしつつも、あまり興味というものを示そうとはしなかった。彼にとってヒルグレフという存在は喧嘩相手でしかないのだから。私自身もふーんと彼へと視線を向ければ熱心に教材を読み耽る彼が見える。喧嘩番長が勉強を熱心にするのは確かに不思議な感覚である。


 そんな教室も一限が始まり先生が現れれば先ほどとは打って変わって静かな空間となり、授業を行うのであった。先生たちは現代的な歩兵戦術からどのように魔術を生かすのかという座学から王国の歴史を知ることまで多くの事柄を数時間学べば、次に来るのは肉体的な訓練であった。戦列歩兵士官としての教育を含めた訓練や、体力をつけるための体育などをするのである。そこでもヒルグレフは真面目に授業に参加し、その肉体を余すことなく使用し肉体を使う授業では悉く上位に食い込んでいくのであったものの、ただ射撃に至っては肉体的優位性を活かすことが難しく下手であった。


 黒色火薬が爆発し、上がる白い噴煙と共に鈍いドラムの様な低くもくぐもった音を出し飛んでいく銃弾は五〇m先の的飛んでいき、結果は的の外側、つまるところ土壁へと着弾の煙を上げるのが見えるのであった。それを教官が確認し、声を出す。


「再度ヒットなし、何をやっているんだヒルグレフ!貴様は常日頃の訓練をサボっているからこうなるんだ。わかったか!」


 そう吐き捨てるように教官から怒鳴られた彼はただすみませんと零すのである。できなかったことに対して悲しいとも違うその哀愁を誘う悔しそうな顔つきは彼の表情に浮かび上がり、そして訓練の番を待っている学生、終わった学生たちもくすくすと笑い声が聞こえる。その光景はなんと惨めなものなのであろうか、その光景を見た一般的な生徒たちは嘲笑のような声を漏らし元暴君の凋落ぶりに笑みを零すのであった。そんな空気がどうにも胸糞悪く感じてしまう、被害を受けたのであろうことは理解するが人が頑張っている姿を嘲笑うのは違うのではないかと。ならその姿を見てただ見ているということは本当に良いのだろうか。改心したというのであればその機会は均等に与えるべきではないだろうか、そう思えば行動は早かった。笑いともいえる声を上げる聴衆の中一人立ち上がり教官に向かって提案をするのである。


「教官殿、ヒルグレフは射撃苦手というのであれば私が教えてよろしいでしょうか。」


 その声を聞き、その鷲のように鋭い眼光がこちらへと向く。いつみられても胸が竦むほどに恐ろしかった。恐ろしい顔から重々しく言葉が発せられる。


「なんだグラシアム、教えるだって。その必要があるのかねこの馬鹿に?」


「はい、もしこの状況で戦場に出れば足を引っ張るからです。銃を使えない人間は己の身すら守れないからです。」


「確かにな、ただ卒業はできんと思うが。さて、よかったなヒルグレフ、馬鹿なお前に助けてくれる人間がいて。いいぞグラシアム、教えてやれ。」


 そういわれると笑いがどよめきへと変貌した同級生たちの間をぬってヒルグレフの傍へと歩いて行くのである。傍に付けばヒルグレフが小声で囁く。


「どうして来たんだこの馬鹿。来なくたって俺はやれる。だから戻れ。」


「なら最初からして、まずは装填して。弾薬盒から実包を取り出して……」


 彼は迷惑そうな顔をしながらも渋々指示に従って装填を行う。弾薬盒から白い紙で包まれた実包を取り出し、お尻の紙の口を切りとり銃口へと注ぎ込む。槊杖棒で押し込め、雷管を交換し狙いをつける。そこまの動作は良かったものの先ほどの射撃が何故外したのか、その点については見当がついていた。


「狙う時は息を整えて、静かに息を吸って、ゆっくりね。」


 彼の肩に手をやれば、彼は黙って息を静かに小さく長いながらも深い息を吸い込んでは吐いている。照準は吸っては吐く息によってズレてしまうものの、深く長く息を吸うことによってその効果が薄れるのだ。次に彼の問題は――。


「照準は片目でやるんじゃなくて両目で見て撃った方がいい、落ち着いて。」


 彼は片目で照準するのではなく両目を開け、照準をつけるのである。あとは息を吐き切った時に撃つのである。そのタイミングを計り、彼の呼吸のペースで確実に来る吐き切るタイミングで言葉を放つ。


「撃って。」


 その瞬間引き金を強く引き絞り、途端ライフルより鈍い破裂音の様な銃声と共に白煙が銃口から上がり銃弾が飛翔するのである。彼にとっても私にとってもその銃弾は集中力によって感じられる重い空間を引き裂くようで、撃った瞬間全ての情景が異様に早く感じるのである。高速で飛翔した銃弾は的のど真ん中とはいかないものの、中心点に近い位置にヒットするのであった。


「ほらできた。やればできるじゃん。」


 そういえって彼の顔を見る。その顔は笑っていた。いや正確に言えば初めての的確な射撃に対しての感動ともいえるだろうか。達成というものを感じたことのない赤子のようであるからこそ、最高点ともいえる中心近くに当たったということが感動であるのだ。そんなことなど知らぬグラシアムにとってしてみれば当たったことが嬉しかったのだと感じるほかになかった。


「ヒット、ふむグラシアムは優秀な射撃手だといえるだろうな。さあヒルグレフ列に戻れ、後が詰まっている。」


 はいと、心ここにあらずともいえるぶっきらぼうに答えるのであった。そしてグラシアムにも戻るように首を振って催促され、ミズキたちのいる元の列へと戻るのであった。列に向かって歩いているとき、ヒルグレフが列の誰にも聞こえない程度の小さな小さな声で言ってくるのである。


「……ありがとう、な。」


 急に耳元で囁くものだからびっくりして顔を向ければ、困ったような顔をしていたのである。感謝をどう伝えればいいか彼なりに考えた結果、必死に紡ぎ出した言葉なのであろうことは明白である。ただ自分の信念に基づいて助けただけではあるが、中々やるじゃんと小さく笑みで返すのであった。

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