第33話 楔の記憶

 こちらに来てから数週間たって大体のことを理解できてきたのである。この街の構造は放射状に広がる特殊な街であり、マークスベルクの様な建物が不規則ながら寄り集まってできた町とは全く違うのである。集落から街になったというより、最初から街になるべくして生まれてきたかのようだと思う。そんな街の南側、主要道と主要道の間に中流階級の民家が所狭しと詰め込まれている。その区画の一つに食料品を扱う店が何件が集まっており、二人はそこで今日の分の食料品を買い求めるのであった。


「それと、この魚十四匹をお願い致します。」


 メライアは非常に高い上に小ぶりな魚、この種類にしては大きく育った旬の魚を指さしして言う。嗅げば独特な女性の色気の様な甘い匂いがし、特徴的な旨味が好評と言われるアユらしいが私自身あまり見たことのない魚の一つではあった。だが似たような魚(どの川魚も似ていると思う)は見たこと自体はある。煮つけからそのまま焼いたスタイル、漬物にしてみたりと似た魚筆頭のマスは色々な料理として使ったものだ。同じようにこのアユという魚も調理するのだろうか。


 すると顔見知りとなった鮮魚店の逞しい髭面の店主があっそうだそうだといい尋ねてくる。


「あんた生かしたままでいいのかい?」


「ええ、うちには腕のいいシェフがいますので。」


 ふふふと口元を東洋的な意匠が込められた扇子で口元を隠すのである。さてこの行為にどういった意味があるのかはさっぱりわからないものの、言っている内容としては自分のことを言っているのだろうなとは薄々理解はできた。なにせまともに調理できる人間が私とアイリス程度なのだから。いやアイリスもまだまだ未熟というほかになかったか。それを聞いてか店主は感嘆の言葉を零す。


「へぇ、グラシアムちゃんって結構腕がたつんだね。どうなんだい、今日何を作るとか決めてるのかい?」


「えっ、いやぁ。ちょっと初めの魚ってのもあってどうしようか悩んでましてね。そうだ!どんな食べ方がおすすめですか、このアユって。」


「そうさねぇ、新鮮なアユなら塩焼きとかが一番だね。ガスで炙るとかじゃなくて炭でゆっくり焼くのがいいね、学校じゃ炭焼きの器具ないだろおじさんのを貸してやろうか?」


「本当ですか、それなら嬉しいです!!」


 正直なところ彼が言っているように最新の技術のガス式のコンロというものを使っていて感じたのだが、薪を使っての焼き物とは全くもって味が違うのだ。なんというか、ガス臭いというかなんというか。このことをミズキたちに話してもそうなのと疑問にすらならないのである。アイリスだけがそうだよなぁと同意してくれたものの、この悶々とした気持ちは如何様にもし難かった。だが人間不思議なもので数週間もガスで焼いた物を食べていれば割と慣れてきたが、炭焼きや薪で焼いたものが恋しくなる時期でもあった。所謂週末の甘味不足病と似た症状いうべきであろうか。


「じゃあもう一度来て――。」


「そんな水臭いこといわんでうちの荷車で持って行きな!炭だっておまけであげるしさ。」


「ありがとうございます!!なんとお礼すれば……。」


「継続して買うことこそ一番のお礼ではなくて、グラシアムさん。」


 確かにそうである、いつも買ってくれる顧客という存在はこのような地域密着型の商売においてはとても重要な要素である。そのことは間違いなかった。


「それじゃあ待ってな、お嬢さんがた。」


 そういうと店主は店の奥へと入っていき、裏手の倉庫へと向かうのである。そういえばこのアユを買おうとしたメライアはどのように調理するなど決めていたのだろうか、気になって聞いてみることにした。


「メライアさんってそのアユって言う魚、どう調理するつもりだったんですか?」


「そうですね、やはり定番の塩焼きとかでしょうか。うちの父が大変好んで食べていたのを思い出しましてね。偶には食べてみたかったんですよ。」


 メライアの実家は男爵家と貴族としては小さな家ではあったが、歴史が何とも長い家であった。本人はあまり言いたくないようであるが、ミズキ談によると十七代まで遡れる家柄であり大体王国の官吏として仕えてきたらしかった。そんな家でも食べられるアユの塩焼きとは一体どれほどに美味しいものなのだろうか、庶民特有の想像力からマスの美味しさを彷彿とさせるものの楽しみであった。


「お父さんが好きなんだね、うちはジャガイモを煮詰めたシチューにパンばっかりだったなぁ。」


「あらそうなのですね、それはさぞかしその日食事に困っていたのでしょうね。だからよく料理されるようになったのですか?」


「んー違うかな、別に食事はあれで満足していたしそれ以上も求めていなかったからさ。ただある食糧で自分なりに考えて作ってたらいつの間にかこんなに料理できるようになった感じかな。」


「なんと、それは苦労も多かったでしょうに。」


 まあ確かに苦労はしてきたことは多かった。最初の調理なんて思い出すだけで恥ずかしい極みのようなものであり、ジャガイモを茹でて皮を剥いたのを料理と言い張っていたほどだ。そう考えれば苦労を掛けているというのは間違いはなかろう。今思えばこのゴロゴロ野菜が入ったスープとパンで育った舌で良く育ったものである。


 そんな思案をしていれば指定の野菜や果実と肉たちを詰めたであろう鞄を引っ提げ若干疲れた顔のエラッタが合流する。


「ねえグラシアムぅ。青果店のお兄さん元気良すぎじゃない、あれこれお勧めされても全くわからんのだけど。」


 まあ確かにそれはそうである。青果店の若い店主は精力的であり、それゆえなのか入荷したお勧めの果実だとかをあれやこれやと勧めてくるのである。意外と生真面目なエラッタのことだ、全てのことを真面目に返答しようとしたのだろうことは簡単に理解できよう。彼女の鞄の中身を見てみればイチジク以外に桃などが入っているではないか、彼の売り文句に押し切られて買ってしまったことが目に浮かぶ。


「ははは、真面目に答えようとするからだよ。でもそんだけ言われたなら、結構気に入られたようだね。」


「んー僕は同い年の男の子以外から気に入られても嬉しくないんだけどぉ。」


「ふふふっ、エラッタちゃんはいつも年上の男キラーって奴ですね。」


 そんな他愛無い会話をして入れば鮮魚店の店主が荷台に必要な器具を乗せて運んできたのであった。


「おおう、待たせたなグラシアムちゃん。この荷台は今度来た時に返してくれたらええからな。」


「ありがとうございます、あとこのアユ美味しく食べさせてもらいます!」


 渡すものを渡せば店主はすたすたと小走りで店に帰り、また別の客の対応をするのであった。この活気に満ち溢れた市場はいつも元気がもらえるようである。マークスベルクにいた時でも町に下って行けば小さいながらも同様であり、あの時が今ではとても懐かしもあった。


「さ、行きましょうか。鞄は持ちますからエラッタちゃんはこっちをお願いしますね。」


 そういうとエラッタから食材の入った鞄をもらい、エラッタはなくなく道具と鮎が入った桶入りの荷車を曳くのであった。その重そうな車輪が動き始めれば力仕事を任せられたエラッタが文句を零す。


「これじゃあ人足みたいじゃないかぁ!!楽できるからって来たのに、メライアのあんぽんたん!!」


「あらあら、これも訓練の一つですよ。ガッツだって似たような事はやってきたはずです。つまり頑張ればガッツのように強くなれるはず!」


「なんと!ガッツもやってきたのであればやるしかないじゃない、行くぞおおお!!」


 ニコニコ笑いながらしれっとエグイことを言う。綺麗なその様相から言葉巧みにエラッタを誘導する様はよく物語に出てくる頭の切れる悪女というほかにあろうか。まあエラッタ本人も乗り気な様子なのであまり追求をしないものの、あれ程度の言いくるめで乗せられるエラッタもエラッタではあった。


 そんなことを考えつつも、ガラガラと音を上げる荷車と共に三人は寮へ向けて歩き出すのであった。若干暑いこの空気、暦では今日が最高潮となって次第に下がり始めるということが書かれていたものの、本当に暑くてたまらない空気である。何度も額から落ちてくる汗を拭ってはハンカチを団扇のようにはためかせ、何とか涼もうとする。


「なぁ、グラシアム。お前ってどうしたいの?」


 突然のエラッタの言葉に困惑してしまう。どうしたいとは一体何を指していっているのだろうか。


「どうしたい、ってどういうこと?」


「将来の夢のこと。皆に聞いて回ってて、まあいわば趣味ってやつ。グラシアムはどんなことを考えてるの。」


「確かに、グラシアムさんっていつも未来のことは一言もしゃべらないよね。何か心配事でもあるんじゃないの?」


 将来の夢、未来のこと、心配事。あの時の姉の死によって得るべきで、何事もない平凡で静かな生活というのがなくなったのである。ただ悲しかった、未来のことを考えるたびに姉の姿が出てきて苦しい想いを抱えてしまうのだ。だから未来のことも考えないようにしてきた、復讐するという漠然とした不安定に揺らぐ感情に任せて。


「……そうだね、不安っていうのかな。苦しいの。未来のことを考えることが。」


 二人は黙って聞いている。私の感情の吐露を真面目な顔つきで聞いてくれている。第二の姉妹たちのようになりつつある彼女たちなら少しは話してもいいような気がしていた。緊張という紐はいつしか切れていたのであろう。


「ミズキも知らないのだけど、私の姉が王国兵に殺されちゃったの。家族のだれにもみられてない場所で、それが意外と、辛くってね。」


 あの燃える赤く燃える町、人々の悲鳴、連続して聞こえる銃声の数々、確かにあの時の光景はどれほど時間が経とうとも克明な描写が脳裏に浮かぶのである。姉の受けた痛み、家族を置いて先に逝く無念、全てを想えばポタリと綺麗なその瞳から雫が零れ落ち始める。言葉を必死に紡ごうと脳内を整理しようとして、ふと咄嗟に射殺した兵士の顔が浮かびあがる。何故撃たれたのか分からぬまま死ぬ彼の顔が、腹に拳銃弾を食らって苦悶の顔を浮かべていた彼の顔が。姉もきっとそのようなことにあっているのだと連想のように繋がってしまい、そう思ってしまえば涙が止まらなくなる。


「王国軍が殺したって、グラシアムはマイネ半島出身なの?」


「違う、連邦。話して、なかった、思う。」


「連邦、それはいつごろですか?」


「二カ月前の春の頃。」


「……まさかお父様は知っていて。」


 メライアは同情したのか苦しそうな顔となる。


「まあそう泣くなグラシアム、ほら他の人も見てるしさ。」


 エラッタの言う通りちらほらと衆目から視線は確かにあった。連想を一端やめ、ハンカチで瞼から零れる雫たちを拭いとる。


「お前の苦しみも理解はできる、言えるようになったら言ってくれればいいさ。あくまでも趣味だからさ。さあ帰って上手い飯を作ろうぜ!!」


 エラッタは上機嫌な様子で荷車を曳いて行く。自分の過去についてはいつか笑って話せる時が来るのだろうか。こうして心の奥底へと大きな楔が撃ち込まれたこの傷は一体いつ癒えるのであろうか、ほどなくして三人は寮へと到着するのであった。

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