第32話 グラシアムの休日 (下)

 マイヤーの店を出て周りを見回すと、人込みの中にあの帽子が見える。目的の人物は小走りで街を南下しているようで見失わないように、確実に進みながらもこちらも小走りで追いかける。人込みのおかげでこちらには気が付いていない様子でなのか、小走りから歩きへと変わる。人込みの中を進み確実に後ろに近づき、とんとんと肩を叩く。その人は振り返り、こちらを見る。その顔は彼の様には見えなかったが――。


「ちょっとこっちへ、ヒルグレフ。」


「あら、貴方は誰ですか?」


 若々しい女性の声のように聞こえる。だが彼も若干中性的な声質をしていたはずであり、女性に声を質寄せているのだろうか。そして彼の手を握る。その手は細いながら筋肉質で、明らかに淑女の手とは程遠い。深まる疑念にもう一度ドスの聞いた低い声で脅かすよう言う。


「貴方ヒルグレフでしょ、その目にこの手。そのまま腕までまくって確認してもいいんだよ。ちょっとついて来て。」


 彼の手を無理やり引っ張って裏道へと誘う。流石に観念したのか彼は困った顔をしつつもついて来てくれた。しかしこれで間違っていれば赤っ恥物であろうが多分間違いなく彼だと感じたのである。彼は急に頭を下げ、いつもの少し高いながらも低めな声で喋り始める。


「グラシアム、頼むこのことはご内密に!!」


「えっ、いや別にいいけど。そんな恰好をしてどうしたの、何かの罰ゲームでもしてるの?」


「それは、まあなんというか。これは俺の趣味でな、決して罰ゲームとかではない。」


 趣味って、そんな趣味があるといわれても正直どう反応すればいいのだろうか。正直美しい男子が女装するということに対して興味がないというわけではない、女装して愛しの彼女とラブロマンスする昔話を嗜んでいたこともあり非現実の話が現実に介在していたという高揚感を肌で感じ。だが同時に男が女の恰好をするという道徳上良くないとされる教えも二律背反のように感じているのである。どうするべきかどういうべきか内心に悶々としていると彼がさらに言葉を紡ぎ始める。


「でも最初見た時わからなかっただろう?」


 確かにそうであった、正直ヒルグレフだと気づいたのはあの象徴的な目を見てからである。それ以前では綺麗な女性の一人としか感じなかったほどだ。しかしそれは覆い被さった欺瞞の姿であり、本来の姿はあの人によっては美青年とも言われそうな彼であったのだ。その衝撃たるや、筆舌に尽くしがたくあった。だが疑問も同時に湧いてくる、この技術はどこから会得したのであろうか。そういった技術は生来見たこともなかった女子の一人であるがこれほどまでに精巧な影の塗り方、口紅の色合い全てが美しもあった。


「確かに、実際綺麗な人だなって感じた。けどどうやってこのメイクとかできるようになったの?」


「それはちょっと昔話をすることになるけど、いいかい?」


「ああいいけど……。」


 ありがとといい、つらつらと自分の体験のことを話していく。彼自身は姉をもった弟として生まれてきた子だったらしく、生まれてしばらく成長してきたら姉と顔つきがそっくりなのに気づいてな良く姉と服を取り替えっこして遊んでいたらしかった。ただそうして遊んで過ごしていて、十の時に社交界へと風邪の姉の代わりに行って求婚してくるように言われ実行してからこの遊びが趣味に変わったみたいであった。


「――というわけだ。あの人にバレないバレたという憔悴感が、鳥肌が足りそうな緊迫感、全てが騙し終えたあの時の快感。その時全部が狂ってしまったというわけ。おかしいだろ、男が女の恰好をするなんて。」


 確かに普通で考えてみれば可笑しな話ではあった。神の教えには女装してはいけないという教えもあることを考えればそう感じるのであろう。しかし彼は女性としてはある種完成された美しさすらあったのだ、そのような人物が男であろうがただ消えていくというのはなんだか勿体なくも感じる。そしてこちらに来てしきりに感じて止まない事もある、それは美しい姿を作り出すということであった。ミズキもミフィーネも、私と同じ身分であったアイリスだっていつも言ってくるのである。せっかく良い顔が台無しと色々助言をしてくれるのだが要領が悪いのか大半は上手くできなかった。しかしその技術において御業に等しい技を持つ人がすぐそこにいる。ならば行動は早かった。


「じゃあ言わない代わりに私に色々教えてよ。綺麗になれるために。」


 彼は言われると思っていた侮蔑の言葉とは違う期待の言葉に困惑を隠せずにいた。


「えっ、本当にいいのか。その、女の恰好する男は嫌いとかじゃなくて?マジで。」


「マジマジの大マジ。それとも嫌われることを望んでるマゾヒストだったり?」


「そ、そんなわけないだろ。あっいやその指摘も間違ってはないかもしれない。うぅ……。」


 彼は自身の心に眠る根源的欲望に気づいたからなのか悲嘆にくれた顔つきとなる。まあ自分がマゾヒストと自覚して落ち込む人間ならマゾヒストではないことは明白だろう、なにせ自虐でもきっと喜ぶのだろうから。そんな項垂れる彼に声を掛ける。


「さ、一回戻ろっか。バレないか試したいでしょ?」


「えっ、マジか。グラシアムって結構チャレンジャーなとこあるよな、あと変に嗜虐的。ほら今だって笑ってるしよ。」


 笑っている?口元を触ってみれば口角が上がっており、確かに笑みを浮かべていた。彼のことがそれほどまでに面白いということなのだろうか、あまり対人関係というのを意識してこなかった弊害ともいえる認識であった。本当の気持ちを知らぬ少女なのだと、この時には気づきようがなかったのだ。


「さ、早く行こうよ。どこまでバレないか楽しみだし~。」


 彼の手を引いて街中へと再度連れ出し、ミズキにバレないための作戦会議を道端で話すのであった。来た道を戻り、マイヤーの店まで到着すれば今度は友人として二人で入店する。


 店内に入れば椅子に座っていたミズキがこちらを見て立ち上がるのがわかる。その顔には憤慨というか、憤怒の炎が燃え盛っているようにも見える顔をしていた。ある種獣の様な直感が警鐘を鳴らす、このミズキは危険であると。


「ちょっとグラシアム!!なにしにいってたのよ、お陰ですっごい恥ずかしいことになってたんだからね。というか急用だからって仕方ないけど、ちゃんと何をしに行くとか教えてもらわないといつまで待ってないといけないかわかんないし!」


 烈火の如く言の葉を紡ぐ彼女にはうだつが上がらないのである。発する言葉それ自体は確かにそれはその通りであり、全面的に非があるのはこちら側であるという。ただただすみませんでしたと頭を下げるしかなかった。


 しばらく怒っていると、ヒルグレフがまあまあと何とも女性的な声で助け舟を出してくれる。ありがたいが、どういう言い訳をするか凄く気になる。向こうの機転次第で苦しい言い訳になりかねないのだから。


「グラシアムさんも悪気はないですから、逃げちゃった私が悪いんです。」


「なるほど、なるほどって貴方グラシアムの友人なの?」


「ええ、グラシアムさんとはここで出会って少し親切にしてもらっています。彼女、少し気まずいことろがあった私を助けてくれたのです。」


 それを聞いてはーはーと急に出ていった訳を聞く。


「なるほどね。二人は知り合いでちょっと前に気まずいことがあったのね。うんうん。でもだからって何にも言わないで行かないでよほんとに。心配っていうかどうすればいいかほんとにわからないからさ。」


 それはその通りだ。はははと苦笑いをしつつ曖昧に、仔細を話すことなく誤魔化すのである。ミズキが気配察知だとか、過去視の目を持っていないという現実に胸を安堵する自分もいたが、バレてしまわないかとヒヤヒヤする自分もいた。自分がバレたって問題ないヒルグレフの問題に緊張しているのはなんというか、不思議なものであったが。


「それで、えーっと貴方。お名前は?」


「エルンスト・ハーフェです。以後お見知りおきを。」


 彼はスラっと嘘をその口から吐き、慣れた手付きと足取りで丁寧な自己紹介をする。これだけ綺麗に礼をしたり、嘘を吐いたりしていることを考えれば彼も慣れた手付きというほかになかった。


 ミズキも丁寧に自己紹介をし、言いたいこと言い出す。


「ハーフェさん、うちのグラシアムに何か用なんですか?戻ってこられたところを見るにそうだと思いますけど。」


「あら、よくお分かりで。グラシアムさんにいい服装を見繕ってほしいと頼まれまして。ご友人も伴ってという形とは聞いております。ええ。」


「へーそうなんですね。しかし、グラシアムぅ……」


 黙って聞いていれば急に彼女が深刻そうな顔つきでこちらを見つめてくる。私は何もしていないぞぉ。


「そんなに私のセンスが微妙かな?」


 低い声、密かに見え隠れする怒りの声音、そして悲しそうな目つき。頼む、そんな目で見ないでくれ。私はミズキのことも信じている!!


「えっいやいや、意見する人は多ければ多いほどいいって言わない?!うちの方では良く聞いたけど!」


「そうですか、わたくしの母はそのような話は聞いたことがないような。多分ないですね……。」


 その言葉を聞いたミズキは呆れた顔つきになり、こちらを見つめてくる。急な言葉の刃がヒルグレフから飛んでくるとは思わず、ただ誤魔化す言葉を濁しただ声にもならない声を零すしかない。


 何てこと言うのと小さく彼の傍で呟き、肘で突っつく。こちらを見てくるものの、彼の目には何故怒られたのが全く理解できてない様子であった。そんな様子にただただ茫然とするしかなかった。


「まあちょうどいいか、どっちがセンスがいいか勝負としましょう。折角誘ってもらったのに無碍にするのも悪いしね。」


「あら、いいですね。色々試してみたい服装もあることですし、私も構いませんよ。」


 着々と話が進み色々な条件だとか話し合っている。そのように衣装バトルの火ぶたが切って落とされたわけだが、完全グラシアム本人のことはどこか傍に置かれたように無視されていた。だがついさっきしてしまったこともあり声を出す気に離れなく、ただただ早く終わるといいなぁと漠然と思うほかになかった。


 店内の奥へと入れば二人はマイヤーがいくつか作った服をあーだこーだと言い合いながら、似合う服を模索し始める。あーだこーだ言われているその本人はマイヤーと共にテーブルに腰を掛け、彼女が傍で待っている様はただどうにもバツが悪く感じてしまう。以前マイヤーさんに怒られてしまったことを思い出してしまうのだ。


 そんなことを考えながらも服を必死に選んでくれている二人を見て、思うことが一つあった。それは自身の幸福さである。姉を失ったり、故郷から遠く離れた場所にいるものの、こうして信頼して任せることのできる友人という存在が不安な生活を安定安心させた要因の一つであろう。そんな自分の周りに感謝をしてもし足りないのである。まあまだ感謝の言葉は言えてはいないが、いつかは言いたいと思っている。そうして考えることができるようになったのも、マイヤーさんの一言があったからである。


「マイヤーさん、ありがとうございます。」


「……なんだい急に、感謝されることは何にもないが。」


 視線は二人へと向かったままいつものようにぶっきらぼうな声で応答する。


「貴方にとって感謝は無価値かもしれませんが、今の私には言う価値があるのです。あの時のあの言葉、言われたときに強く感じたんです。自身がない風を装って他人のことも信じてなかったんだと。あれはしょうがなかったとも言い訳はしません、ですがありがとうございます。あの言葉のお陰今の幸せが噛みしめられそうです。」


 今胸の奥底から湧き出る嬉しいという感情を全て言語にして彼女にぶつけるのである。その言葉を聞いてどう思ったのか、考え事をしていそうなしかめっ面から推しはかることは難しかったものの伝わったと信じるほかになかった。


「……そうかい、あんたはやっと自分も信じれたんだね。」


 小さくポツリと言葉を零す。その目は慈母のような優しい目つき、あの時に見せた顔そっくりであった。その言葉を聞いて何故かポツリポツリと彼女を見つめる眼から雫が零れる。零れ落ちる雫を必死に止めようとしても零れ続け、感情の昂りを心を通じて強く感じる。ただただ生まれてからずっとひた隠しにしてきた感情というのを強く感じるのである。そして初めて父の言葉に逆らって感情的になったのだ!初めての事でどうすればいいのか全くわからなかった。どうやってこの苦しくも嬉しい感情を制御すればいいのかわからなかった。わかることはただ今は嬉しいということのみである。


 マイヤーは包み込むようにグラシアムの肩へと手を乗せ、優しくも力強く肩を寄せる。ヒルグレフもミズキも何が起こったのか理解できない風に見ていたがグラシアムは泣き続けるのであった。




「これは違うなー、レースが少ないのはいいけど、このリボンとは合わないか。ちょっとここ持ってて。」


 ミズキに言われた通りに喉元の襟の部分を持ち上げ首元の明るい青色のリボンを外す。そして近くに置かれていた明るい縞模様が特徴的なスカーフを代わりに巻き始める。簡単な締め方をして、良しと声を上げる。


 マイヤーが用意してくれた鏡を通して自分を見てみればなんというか、あまりに現代的価値観とは遠く離れた服装であると感じてしまう。紳士が着用するような白いシャツを着用し、ピッチリした黒いズボンに裾を入れていた。ベルトだってしているのである。その上にマフラーとヒルグレフがかぶっていた婦人向けの黒いハットを被っている。これが王国最先端の服装なのだとわかっていても、保守的な服装観念が心を不安にさせていた。


「よし!これで完成、紳士コーデの完成だよ!!」


 紳士の恰好をするのは本当に良いのだろうか、そんな不安を感じながら全体を俯瞰するように視線を落とし事細かに観察してみる。チクチクとした繊維の問題はなく、それどころか擦れても痛くもなんともなかった。マイヤーも全体を眺めてから驚いた表情でいいセンスだなと零す。


「よっしゃ!!マイヤーさんに褒められたぁ。」


 感極まった高い声で嬉しそうにガッツポーズする彼女がそこにはいた。あれほどに丁寧な彼女も服装のことになるとこれほど若々しい若者の顔になるのだ。何というか、学業としている彼女からは想像がつかない様子でもあった。


「お前の衣服の使い方は気に入った。うちでのコーデの手本の一つにしても問題なさそうだな。」


 マイヤーはグラシアム全体を見てそう判断するものの、その言葉の影響はとても大きなものである。それはつまり一流の店に取り入れられるという意味でもあり、服が好きな一端の若者にしては最高の名誉でもあった。


「えっ!?それって本当ですか、本当にマイヤーさんの店のコーデの一つになるんですか!!」


「そうだ、そうだから声のトーンを少し落とせ、少しうるさいぞ。」


 うざったそうな顔をしつつも、言葉を続けて言う。


「だが、紳士服の領域を侵すというのは批判も大きかろうな。まあ私が何とかしてやるから安心しておけ。」


 やったやったと嬉しそうに零す後、次はヒルグレフの番であった。次に着せられるのは一体何なのだろうかと思いまた用意されたものを着るのであった。




「うん、うん。これぞ可愛いという奴ですね。」


 着せられたものはなんというか、潤沢なレースやフリルを活用された婦人服であった。確かに普通にそこら辺にいそうである婦人感ではあるものの、ひざ丈ほどの小さなスカートから見えるガーターストッキングが何とも言えない不安感を募らせる。


「これ足こんだけ出てるのいいの……?」


 着て思ったことを呟いてしまう。膝まで出ているのが何とも不安を募らせるのである。それはそうであろう、足を見せつけるということになれていなければ見せつけること自体御法度側であるのだから。


「それがそうやって細い足を見せつけることが一番男受けがいいんですよ。みんなそこら辺は馬鹿ですからねぇ。」


「まあそれはそうだな、だが中々に攻めている格好ではあるな。面白くはあるが、まだまだ改善の余地ありってところか。」


 えーマジかと零すヒルグレフ、それでもミズキに負けじと必死に頭を回転させ自分の可愛いを絞りだそうと唸り続けるのである。


「ハーフェさん、負けを認めたらどうですか。私は全然構いませんが~。」


「ちょっと今考えてるんだから、まだ負けてないよ!」


 二人が激しい熱戦を繰り広げている間今日一日何着も服を着替える羽目になるなったグラシアムという被害者がぽつんと残されるのであった。まだ終わらないのかな……。


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