第29話 グラシアムの休日 (上)
こうして士官候補生になってからしばらくが経った。毎日座学に運動から射撃訓練までといったものを詰め込まれたカリキュラムに沿って進められていく。射撃は自体は長い間もっと粗悪なライフルで命中させる訓練してきただけあって命中率自体はトップを争っていた。王国の前装式ライフルは連邦のライフルと比べてとても操作がし易く撃ちやすかったし、何よりミニエー弾という銃弾の命中精度が高かったのだ幸いである。運動自体もミーシャの訓練のお陰で好成績を維持できていたし、剣術だって道楽で訓練を続けてきた名門貴族たちの中でもトップを張れる技術はあった。だがしかし三年で学ぶべきことを一年と数か月で学ぶというのはあまりにハードスケジュールであった。今もエリザ先生や他の先生方の居残り授業を二人で集中して聞いているのだから。
「先の半島戦役のマゼルローン会戦においてわが軍右翼の崩壊に際し、第一魔術特務小隊が敵師団に対し――。」
現在戦のことについての勉強であったが、ヒルグレフも真面目に勉強をしている様子であった。真面目に勉強している彼をみて珍しいと零す戦史の先生をよく見てきたが、もともとあまり勉強をしない人間だったのだろう。それが何故今勉強を始めたのかはわからなかったが。
可能性からその戦闘における問題点など様々な視点から物事を俯瞰して見つめる。それが重要だと何度も口酸っぱく言う戦史担当の先生は今日の勉強の分を終わりスタスタと教壇を降り、自身の行くべき場所へと歩ていく。今日の居残り授業の終わりということである。
ヒルグレフは少し遠くでも聞こえる程度に息を吐き、大きく背伸びする。外は日が暮れる頃、太陽もその姿を月に交代する時間近くであった。
「お疲れ様、ヒルグレフ。」
「あぁ、ほんとに疲れたよ。あの先生いっつも疲れんだよなぁ。」
「まあ確かにね、こう四角四面というか。硬い人だからね。」
「違いねえわ、っしょっと。」
彼は荷物をまとめ始め、私も同様に荷物をまとめる。すると彼が裏返った声をしつつ声をかけてくる。
「ぐ、グラシアム!!」
「そんな裏返っちゃって、どうしたの?」
彼はこそばゆそうに頬をかき、顔を下に向け話してくる。
「こ、今度少し付き合ってはくれないだろうか。いや、その付き合ってというのは少し行きたいところがあるというか。断じて好きだというわけではないのだ、断じて。」
「んーどこに行きたい感じ、言ってみて。」
「ああそうか。なんていうかな、最近できた菓子店があってな。男一人だと入りにくいというか、だから一緒に行ってくれると嬉しいんだが。いいか?」
「なんだそんなこと、いいよ。最近知り合いも社交界に行ったりして暇だしね。」
「ありがとう!!いやー楽しみだよ。」
そういうとそそくさと急いで帰る彼であった、そういえば今顔を見てわかったのだが顔の傷が絶えなかった彼の傷は何故か少なくなってきているようにも感じた。
休みの日の三時過ぎ、待ち合わせ場所の学校前で連邦の制服を着て待っている。太陽も最も高い位置に来たぐらいであり、そよ風のお陰で涼しいものの太陽が燦々と照らし出しことによって少し熱くも感じた。王国南方も夏真っ盛りとなってからはやはり暑い日々が多かったものの、マークスベルクと同じような暑さであった。
そんな中で学校の門に背を任せ、待っていると男子寮の方向から小走りで走ってくるヒルグレフが見える。
「待たせて悪かったな、いやしかし暑いな。」
「そう?向こうもこんな感じだったからあんまり感じないよ。さあいこっか。」
二人は中心街に向かって歩いて行く、街はいつものように賑やかで活気づいていた。そんな中を歩いて行くのだが、特に会話という会話はなく彼が先導するのであった。市内の中心地へと到着すればとある店の前で止まる。確かに新しい店が開かれており、外に置かれている椅子には婦人や若い女子学生たちが多く座っており美味しいねと談笑しているようであった。
中に入れば少しひんやりした空気が肌に触れ、熱気の中に感じる空気は気持ちよさすら感じる。さて店内は高級風味というより至って普通の装飾であり、店内の席には誰一人として男性がいない空間である。確かにこれでは来難いというのも理解できる。そして出されている菓子は小さく可愛らしいものが多く、アフタヌーンティーという不思議な文化に則ってやっているらしかった。
「へーここが新しくできた店なんだ。結構いい雰囲気じゃない。」
「だな、ささ座ろう。」
適当な椅子に二人とも座り、店内のメニュー表を見る。値段を見ればなんとケーキ六個当たり七百メルヒもするものばかりであり最高級は二千メルヒもするものまであった。グラッセルからそれなりの交遊費は貰っているもののあまりに高級なものには手が出なかった。それもそうであろう、ついこの前まで普通の家庭で普通の料理を作っていた子である。四時のお菓子が六人分の食事に匹敵すると感じてしまう庶民感覚が未だ抜けないのだから。
「た、高い……こんなに高いのケーキって……。」
「まあそれは仕方ない、それにさアフタヌーンティーってのは貴族の文化だったからやっぱりその傾向があるのかもな。」
「貴族ってすごいなぁ。なら私は一番安いのを頼もうかな。」
「じゃあ自分もそうするよ。」
店員に声をかければ小走りでこちらに寄ってくる。その二〇代ほどの店員の服装は何とも可愛らしく小さくフリルのついたエプロンをしており、その下に来ている服装も花柄が特徴的な服をしていた。彼女の口から元気一杯に声がする。
「お決まりになりましたでしょうか!お客様。」
「二人とも七百メルヒの奴、セットの茶はミストルの紅茶で。」
「かしこまりました!しばらくお待ちください。」
そういうと彼女は伝票に注文内容を筆記し、急いで厨房へ駆けていく。なんとも元気が溢れ、せわしない店員なんだろうか。
「ははは、元気な人だ。」
「うん元気な人だったね、ヒルグレフは元気な人が好きなの?」
彼は意外そうな顔になり、しばらく考えていたことを吐き出すように言葉を発する。彼の目にはどこか懐かしくも遠いものを見るように、天上を眺めていた。
「自分の初恋の人にそっくりでね、故郷の地主の娘さんだったんだよ。元気で、闊達な人だった。勉強はからっきしだったけど、よく整った顔つきで笑みが絶えることがなかったんだ。」
「でもある時えらく暗い顔で泣き出しそうな彼女がいたんだ。それを見た自分は何故そんなに悲しんでいるのか聞いてみた。そしたら自分の許嫁について悩んでいたんだよ。初恋の人がいるのに許嫁と結婚しなければならない現実にね。それを聞いた自分はこう考えたんだ、まさか僕と結婚したい、ってね。ああ、今思えば痛い話さ。それで彼女の言う通り手助けをしたんだ、そうして後で合流すれば自分の友人とキスしてるのを見てしまってね。」
「まあそれでなんだ、自分の夢が潰えたっていう痛い話さ。聞いていてしょうもないだろ。」
「それは、ご愁傷様としか言えないかな。でももう気にしていないんじゃないの、そこまで言えるなら。」
「さあなぁ、多分そんなに気にしてないけどああいう元気な子を見るとふと思い出すんだよ。あの子のことを……。」
そんなしんみりとした空気を読まず、店員が三段に分かれた塔のような食器に乗せられたケーキと紅茶を運んでくる。
「へいお待ちどう!お会計は千四百メルヒとなります。」
二人はそれぞれ七百メルヒずつ出し、それを店員は受け取り次第別の客の元へと駆けていく。何とも騒がしい店員であった。
ケーキを一つ口に含めるとその甘さたるや、口の中に入れば甘美な甘味が圧倒的暴力によって口いっぱいに広がっていく。なんという美味さであろうか、筆舌に尽くしがたくその甘味に舌が取り込まれていくようであった。
「なにこれ、めっちゃ美味しい……。」
「だろ、結構美味いんだよここの店主のケーキはよ。」
彼もケーキを食べながら笑みを見せる。ティーを時折飲みながらもケーキを口に含んでいく。これほどに美味しい菓子を食べてきたことがなかったグラシアムにとっては日々の食事のインスピレーションがたまり始めるのであった。
二人はケーキを食べ、満足した様子で店を出る。七百メルヒの贅沢も時にはいいものだと感じるが、やはり一人では未だ行くには敷居が高く感じる。こうして交友関係を深めるときにまた来るつもりであった。
「いやー、ティーもケーキと合って美味かったな。」
「確かに、そういえばここって何で知ったの。男関係ではないだろうし。」
「あーちょっと散歩してるときに偶然な、美味しいっていう声も聞こえてきたってのもある。」
「そうなんだ。」
二人して街を歩いていると、道の反対側にあるとある店の展示されてる服を見つめている様子であった。なんだろうと目を凝らしてみてみれば、マイヤーの店であり新商品の婦人服や若者向けの斬新な服が並べられていた。
「なんか気になってるのでもあるの?」
「えっ、ああまあな。最近の流行にはちょっと興味があって、今時の女子ってどんな服を好むんだろうなって。」
あー、女子の服か。ただ私は服については正直どうでもいいというのを感じてしまう質であり、向こうの魔術学校の制服で履き慣れたスカートでもこちらの学校の制服のズボンでも興味がなければ服装を気にする心の内など介在しないのだから。
「どうなんだろう、私はあんまり詳しくないしミズキとか友達に聞いてみようか?」
「マジか、友達にあのミズキまで聞いてくれるのか。わりぃな……。」
「全然問題ないよ、でもなんで女子の服の傾向なんて聞くの、ちょっと気になる。」
「えっ、まあそのなんだ。エスコートの仕方も服によって決めてるからさ、服の傾向でその人の傾向までわかるって新聞に書いてあってな。」
そうなんだと呟く、最近の新聞って結構女子の服装までも乗るようになったのだなと感じる。そんなことを話ながらも歩き、談笑を続ける。どこかぎこちないながらもこの楽しい時間は心に深く残るであろう。この一日は忘れることのできない一日の一つとなるのであった。
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