第30話 グラシアムの休日 (中)

 休みの日にすることは大体終わり、勉強も決めた分は終わったし今日はご飯当番ではないために時間が余っている。そういえばあの事をミズキに話たら今度一緒に行こうといわれたか、ちょうどいい時間にちょうどいい気持ちであった。ベットに横になりながらうんうん唸っているミズキに声を掛ける。


「ミズキ、今から一緒に街に行かない?」


「いきなりだね、別にいいけど何しに行く感じ。」


 寝っ転がりながらこちらを顔を向ける。


「いや、この前美味しいって言った店。覚えてない?」


「あーあの店のことね。いいね、ちょうど暇だし。」


 そういうと起き上がり、机の上から美しい漆黒で塗られた櫛を取り髪を梳き始める。その梳く動作はいつ見ても丁寧で、一つ一つの動きも絵になるというものであった。だがあの櫛は不思議な形をしていた、半円の月の様な形をし見たことのない塗料によって黒く塗られた櫛はこちらでは見たことがなかった。 


「そういえばその櫛ってこっちではあんまり見ない形だけど、どこで買ったの?」


「えっ、これのこと?」


 髪を梳くのをやめ、相手に見せるように彼女の眼前に持ってくる。


「そうそう、それそれ。」


「これは、母の形見って奴かな。結構長い間使っててね、もう十年以上は一緒かな。」


 母の形見とは、あまり聞かない方がよかった話題なのだろうか。


「ごめんね。あんまり言いたくないことなら言わなくてもいいから。」


 彼女はどこか遠い過去を見るような目で天井を見上げていた。その姿すらどこか儚げで今にも壊れてしまいそうなものを感じ、また同時にその姿が美しいと感じてしまう。


「いつかは受け入れられるといいな……。」


 何とも重たい空気が部屋の中に充満するのが肌感覚でわかる。突っ込んじゃいけない過去があったかと後悔するも遅いとしか言いようがなかった。


 そうしてまた髪を梳き始めるのであった。梳き終われば曲がりくねった髪もある程度真っすぐとなり、だらしのない姿から学校で見るミズキへと変貌するのであった。


 服も制服とかではなく、最近の流行に乗っかった服装であった。ガチっとしたコルセットをつけたり、針金で形作られたスカートを多く広く見せる部分、フリルといった装飾をふんだんに取り付けた婦人方の服装とは違い、ゆるりとした苦しくないとても現代的な服装であった。コルセットを着用したように細く見えるようにされた上着、それに対して足が細く見えるような大きなスカート、まさしく脱コルセット文化といえよう風体であった。


「へー、最近の流行ってこの前聞いたけどすごいなぁ。」


 ただグラシアムにとっては興味のないことにも等しい服装についてはそれ以外の感想が想い浮かぶことはなかった。


「すごいねーじゃ収まらない素晴らしさだよ。固定概念化されていたコルセット文化を打破したマイヤー女史は歴史に残る偉人の一人ともいえるよ。グラシアムもマイヤーさんのとこで見繕ってあげるからさ、ケーキを食べた後行こうよ。」


 マイヤーさんはあの一件があってから少し行きにくいというのがあったが、まあいつかは謝らないといけないことは間違いなかった。まあ行ってもいいかなと思い、答える。


「まあ服装についてあんまり知らないし、お願いしようかな。」


 そう聞くとミズキはよっしゃ来た!と言わんばかりにガッツポーズを見せる。微かに嫌な予感はするものの、答えてしまったがゆえに撤回は難しいだろう。まあそこまでひどいことはされないだろうから良いかと考えることにした。


 そうしてミフィーネ除く四人は団扇の様なもので風を起こし涼みながらトランプをしている。彼女らに出かけることを伝え寮をでれば、外は快晴であり雲一つない日である。最近雨というものが降った覚えはなく、しばらく肌が蒸れる暑さというのは感じたことがなかった。そして夏の風物詩の野鳥も街路樹に停まって規則的な鳴き声をあげ、本格的な夏の到来を知らせるのであった。


「いやー熱いなぁ、グラシアムのその制服って連邦制の物だよね。それ夏服じゃなくない?」


「うん、暖かいから結構冬には重宝してるよ。まあ夏は腕を捲ったりして体温調節するし、何よりお金がなかったからさ。」


「あーお金の問題は切実よねぇ。うちも似たようなもんだからわかる。」


「へー、貴族でもお金に困ることってあるんだ……。」


 貴族が金銭的に余裕がないというのは初めて聞く事であった。常に食料のなる木が傍にあるのに飢える人間の様で、所有する土地があっても苦しいというのは不思議な感じであった。


「まあその辺は近代の貴族とのパワーバランスというか、近代社会になってからそういう傾向があるって感じ。細かくいうとそれこそエリザ先生の授業見たくなっちゃうよ。」


 そう聞くともう腹いっぱいの外付け追加授業を思い出してしまう。皆は早く終わるのに自分たちだけ居残り授業しており、正直授業と聞くだけで拒絶反応が身体の各所にでてくるようであった。


「あーいいよいいよ、今日は正直何にも考えたくないからさ……。」


「そう、なら言わないでおくね。ねえグラシアムってさ、夢って何かあるの。その、社交界に出てから強く思うようになっちゃってね。」


 夢か、夢はすごく簡単なことであった。


「姉妹の元に帰りたい、かな。帰って一緒に毎日を過ごしたい。」


「へー、姉妹がいるんだ。いい夢じゃん、そういえばなんでこっちに来たの?連邦出身ならそっちの方でも就職できたでしょ。」


「そうだよね、本当ならそうなるはずだったんだけどね。」


 思い返せばただ無性に悲しくなる記憶、知らぬうちに喪った物は大きくなるばかりであった。最初は小石みたいな小さい物だったのに、時間が経てばたつほどにそれが巨大な岩のようにも感じる辛さ。


「あっ、言いたくないなら言わなくてもいいんだよ。ほら私も言わなかったしさ。」


 この苦しみは、日々大きくなるこの苦しさは夜を迎えるたびに大きく心の内を刺激するのである。全てを吐露したかった、誰かにこの苦しい気持ちを理解して欲しかった。だが迷惑を掛けてはいけないという教えが喉元で吐き出そうとした苦しみを堰き止める。喉元まで言いたいよいう欲が支配するがそれ以上には絶対に行くことはなかったのである。


「……そうだとよかったなぁ。」


 外は快晴で清々しいまでの澄み切った空気なのに心の内は曇天模様であり、想定外の地雷を踏みぬいたと理解したミズキは失敗したなと愛想笑いをするのであった。


「まあまあ、いい物食べて楽しみましょ。せっかくの外食なんだし、何よりケーキ!楽しみだなぁ。」


 彼女のせい一杯のフォローは今の自分には空虚なものに感じてしまうが、こちらも何とか笑みを見せ。気にしていない風に装うのであった。




「あっまーい!すっごく美味しいじゃん!!」


 そういいながらもお淑やかに食べる姿はその技術を生来から会得した技のようでもあった。これが育ちの差なのであろうが、そんなことを気にもしないグラシアムはいつものように食べるのであった。


「意外とグラシアムも侮れないところがあるなぁ。こんな美味しい店を見つけ出すなんて。」


「あー、私もここは教えられたから知っていたというわけじゃないかな。」


「あっそうなのね、じゃあメライアからとか?」


「うんうん、ヒルグレフだよ。」


 それを聞いてえっと酷く驚いた声を出す。何か驚く要素があるのだろうかと思案を巡らせても特に思い当たる節はなかった。


「それマジ、アイツが?うっそでしょ。」


「うん、多分彼相当な甘党っぽいよ。まだ別の店のお菓子とか色々紹介してくれたし。」


「へー、そうなんだ。あの喧嘩っ早いアイツが相当が甘党なんだ、以外。えっ、待って。いまスルーしちゃったけど紹介してもらった?グラシアムってあいつと結構一緒に出歩てたの?!」


「うん、そうだけど。」


 何もおかしいところはない。ただ甘味を紹介してもらっているだけなのだから。彼女の中ではそうなのだろうが、ミズキにとっては別の意味を持っていた。


「グラシアムって結構怖い物知らずなところあるよね。物怖じしないところはすごいけど……。」


 基本的にどんな相手でも物怖じしないというのはグラシアムの特異な点であろう、マークスベルクでの軍人を撃った時でさえ必要なら殺すという判断に切り替え、その殺す恐怖殺される恐怖すら二の次になる彼女の行動力の早さも才能の一つであろう。ただその物怖じせずもここまでくれば最早無謀ですらあったのだ。


「そう、これでも結構怖いもの多いけど。エリザ先生とか、戦史の先生は怒らせないようにしてるし。」


「男女でも喧嘩してたアイツに近づくのは中々すごいことだけどね。っていうか最近アイツの話題聞かないな、男子寮で喧嘩の喧騒も聞こえないし。」


 そうなんだと言いケーキを口に含む。ミズキはまあいいやとグラシアムに続いてケーキを食べ、至福のひと時を過ごすのであった。


 食べ終わればマイヤーの店へと向かい、歩き始める。マイヤーの店はお金のある若者たちが数人見える。服を仕立てに来たのであろう彼ら彼女らは備えられた椅子に座って待っていた。順番に並んだ最後尾の椅子へと座り時間を待つこととなった。


 ふと甘い香りが鼻孔をくすぐるのがわかる。柑橘類の仄かに酸っぱいようで甘い匂いが漂う、その匂いは隣の女子からであった。香水の匂いを漂わせる彼女は婦人方と同じような服装をしており、そんな服装に似合わない黒いハット型の帽子をかぶっていた。帽子の下には美しくウェーブがかった流れる金髪がそこにはある。顔も若々しく端正に整っていて、淡いピンクの口紅も含めて女性の魅力を最大限持っているようであった。


 そんな彼女に美しいという物事に興味関心が薄いグラシアムでさえも綺麗だなと思うほどであった。順番を待つために足組している姿勢でさえ、その美しさを醸し出していた。そんな彼女を見てミズキが小声で話しかけてくる。


「隣の人すっごい美人さんだね、きっとあれは相当なご令嬢だよきっと。」


「そうなの?美しいのは確かだけど。」


「だってあのお上品さと荒々しさの共存する人だから実業家の娘さんだよ。いや絶対に。」


 その言葉は正直正しいとは思えなかったが、まあミズキの言葉を信じてみることにした。いや、決して日々深く考え事をしているからこんなことで深く考え事をしたくないというわけでは決してない。


 ひそひそと話ていると彼女がこちらを見てくる。そうすると偶然彼女と目が合ってしまい、その眼は透き通るような淡い青で美しいと感じる目をしていた。そういえばこの目、少し前に見たことがあったような気がする。


 そんな思案をすれば彼女は急に驚いた顔つきになり慌てた様子で席を立ち、スタスタと歩き外へと出ていく。そうだ!!一ヶ月前に見たヒルグレフの目そっくりではないか、姉妹か何かなのだろうか。いやそうであればこちらを見て驚いたという理由には不適である、驚いて逃げなければならない理由、私たちをみて驚いた、知っている人間、つまりは――。


「ちょっと急用を思い出した、ちょっと待ってて!!」


 結論を出せば行動は早かった、彼を追いかけるために自身も席を立ち唖然とするミズキを置いて追いかけるのであった。


「おい、うるさいぞ!静かに待ってられんのかドアホ!!」


 部屋の奥から怒鳴り声が聞こえ衆目の目線がミズキを刺すように見てくる、連れの突然の行為にすみませんとしか言えず小さく縮こまるミズキがそこに残されていたのであった。


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