第25話 社交界デビュー

 グラシアムの一件で自室へと運んだ後、その自室内にいつもの三人が集まっていた。先ほどの伝えた内容の件について話があるということだ。アイリスとミフィーネは床に座り、報告を始める。


「ミズキが伝えてきたことやってみたけど、特に反応がなかったっぽいぞ。なぁミフ。」


「うん、気配を察知して動いてるわけじゃないと思う。でもなんでこんなことを調べてるの?」


「そうだね、やっぱり気になるからかな。見てていて何だか出が早いように感じてね、もしかしたらって。」


 あの時の戦闘を思い出せば彼女の回避も受け流しであっても防御率が高すぎると感じてしまう。所謂じゃんけんで勝ち続けるというのに近い違和感であった。


「そういえば、まるでそこに来るとわかってたみたいに感じたな。ほら最後の膝蹴り、あんな綺麗に入るなんてそうそうないからすげえって思ったけど。」


「言われてみればそうよね、初見の相手に一発も攻撃を食らわずに倒すなんて荒唐無稽というか、お話の世界ぐらいだし。」


「やっぱり感じたのね、そこで気を放つ魔術を準備してもらったわけ。わかった?」


 二人はなぜそんなことをさせたか、あーと声を口を揃えて漏らし理由を理解していた。


「じゃあ、反応がないってことは気配察知型ではないってことよね。」


「そういうこと、じゃあその他で相手の動きを知れる術といえば?」


「じゃ未来視か。」


「そういうこと、ただ未来視ってのは事実上の魔法の域にあるとされているの。理由はわかるよね。」


「それは、未来視の眼を持つ人間が確認されてないからだったかな。」


 確かにそれも一つの理由ではあるが……。


「もう一つ理由があって、使用者の脳を破壊しちゃうから。先天的、後天的なりで未来視を持った魔術師は幾人といるけど、どれも短命で一年も生きられた人はいないの。」


「だがグラシアムはもう二十を行く年齢だろうし、ってそれって不味くねえか!!」


「気づいた?一番の危惧は無自覚に使って科学魔術省に見つかること、見つかりでもしたら国まで動きかねない事態ってことなのよ。」


 アイリスとミフィーネもその重大さはよくよく理解していた、特にミフィーネの当主も国家科学魔術省に目を着けられてややこしい目に遭っていたのだから言わずもがなであった。


「あとこの話は他の人には決して話さないでね、メライアとかには特にはだめ。父親が国家科学魔術省の重鎮の一人だし、国家科学魔術省に行く予定の人間だからね。」


「そうだな、この件は絶対秘密だなこりゃ……。」


「そうよね、秘密を知ってるのは少ない方がいいけど。グラシアムにはどう伝えるの、貴方は未来視なんですって言っても信じてくれるかな。」


それはそうだ、普通であれば未来視なんてもの神の御業にも等しい存在を持っているといっても信じる人間はどれほどいるのだろうか。そう考えるのであれば気配察知型の人間というのがいいのだろう。


「じゃあ気配察知型ってことにしましょう、結果までの過程が違うだけで結果は一緒だから受け入れらるはずよ。」


「そうだな、まあそれならまだ受け入れやすいだろうしな。でエリザ先生にはどうする、このことは秘密か?」


 それは、正直なところ言うべきかとても悩んでいたのである。エリザ先生であればこのことを言ってもいいのか判断がつかなかったのだ。私の知っている限りのエリザ先生では言ってはいけないと思うが、それだけが彼女でもないことは肌感覚として感じてた。だからこそ話すべきか悩んでいたのである。


「私としては正直話すべきじゃないと思う、あんまり言語化ができないけど。なんていうか、言うべきじゃないと感じたかな。」


「ミズキがそういうならうちもそうするよ、なミフ。」


「うん!私もそうする。」


「なら今後のことについて考えようか、どう庇っていくか。」


 そうして数十分と今後のことについて話すのであったが、ただ今後の問題について話していて常に感じるのはグラシアムの秘密であった。いや彼女が故意的に秘密にしてない分余計に厄介な一面を持っており、いつバレてもしょうがない事態である。しかし何故このような力が彼女に内在していたのか、そして彼女の髪色も疑問であった。白い髪や銀の髪は本来的には高貴な印、つまりは王族や豪族の色とされているのである。まあ近代化のせいでそのような人間が下人となって生活しているというのはままよくある話ではあった。なんなら名だたる名門貴族たちも父の土地を相続するだけで数千万メルヒもの巨額の負債を負わなくてはならない上、農民たちも減る一方で収入が先細りしかなかったのだから。そんな末の娘という可能性もあるが、それについてはまた考えるつもりであった。正直今調べたところでまともな結果になるかすら怪しいのだから。


「よし、こんなもんだな。ミズキとしても大丈夫だよな。」


「あっうんそうだね。今のところ共有すべきことは全部話したから。」


 あの精神世界における攻撃の件も話したのは話し過ぎかと考えたものの、一応話しておくことにした。知っておく人間は少ない方がよいが知っている人が多ければその分助けられることもあるだろう。


「よしじゃあ解散しますか、もし何か思いついたりしたらミズキに教えるからさ。ミズキももし何かあったら教えてくれよな。」


「はいはい。ま、また今度何かあったら集まりましょ。」


 そういうとアイリスとミフィーネは立ち上がり、それぞれ別れの言葉を掛け自室を後にするのであった。この静かな空間にグラシアムと私だけが残り、視線をグラシアムへと向ける。あの戦いのあと眠っているグラシアムの姿がそこにあり、そんな彼女に花を添え、純白のドレスなど着せればあまりに美しい絵のようにも感じたのだろうが今は彼女の秘密のことの方がひどく気になるのであった。時間を見ればもう午後の三時を過ぎようとした時間であった。


 しばらく何かあったようなと熟考する。少し前に何か約束したような気がしてきたのである。そんな微かな心の警鐘に耳を傾け、少し前のことまで思い出そうと唸っている。そうだ!今日は父の元へと行かなければならない日ではないか、そのことを思い出して全身から血が冷えるように感じる。時間は三時過ぎ、家までは二時間あれば到着するものの上等な服を着こんで走れるとは到底思えなかった。貴族として厳格な父のことだから分不相応な服装では文句を言うかもしれないが、この学生服のまま急いで出発することとした。間に合わない方がよっぽど怖いのだから。


 部屋から飛び出し階段を軽快な音を出しつつ降り、急いで寮を出るのであった。馬の一つでもあればいいのだが、生憎そんな財力のないうちにはそんな上等な移動手段はなくそのまま道を駆けていく。




 日は最も高い天上から半分ほど降りてきたころ、馬車がそれぞれの行くべき場所に走り回り人々も動き回っている街を走って行き、二時間と少しほどした頃合いにマルグフスト郊外にある小さな別邸に到着するのである。他のお金のある貴族とは違い中心街に家を用意することさえできず、こうして中流や下流階級のように振舞わねばならない家の現実が明白なまでにそこにはある。そんな家へと戻ることは少し心苦しさを感じざる負えなかった。それは貴族という特権階級でありながら父の代にて多くの所領を手放さざる負えなかった現実、手元に残るであろう所領を考えてしまうからなのだろうか。それともこの落ちぶれたにも関わらず未だ上流階級であるという自負が消えないこの家に対して辟易としているのかはわからなかった。そんな家の戸を開ければ長い間父の執事をしているガルフさんがその日雇いのメイドに色々説明しているようで、ガルフは簡単に一例だけしてまたも説明へと戻っていた。この感覚は私をイライラさせるには十分すぎるものであり、次期当主であっても継ぐべき領地も少ない私への軽蔑ともいえるその態度には何度も侮蔑の言葉を心の中で吐き捨ていた。お前なんか私の代で首にしてやるだとか、息子は出来損ないの地元の牧師風情がなどと。そう思いながらも権力は何もない小娘には何もできることはなかったのである。


 そうして狭く先祖から継いだ家宝がいくらか展示されている廊下を小走りで抜け、当主のいる書斎の前へと到着する。軽いながら三回規則正しくノックし、ミズキが来ましたと短く端的に声を掛けるのであった。そうした後入れと言われ、ゆっくりと扉を開け、入れば深々と一礼する。こうした儀式的にも見える礼儀を重んじるのは我が家の厄介事でもある。この無駄にも等しい礼儀作法はこの家にとってしては重要で重大な問題の一つであり、この儀礼あっての貴族であるという特権階級的な思想をもとに当主の自己肯定感を上げるためだけに存在していた。そうした悪法にも等しい家庭内の規則に渋々付き合っているというのがこの家への私からの状況であった。


 父はその精悍ともいえる髭を撫で、その神経質そうな顔つきをできうる限り親の顔のよう柔和そうに見せていた。これといって仕事をしている訳でもなく、少ない領地での経営をどうしようと考えている彼への禁句を気を付けながらどう会話するか頭を悩ませている間に彼から声をかけられる。


「ミズキよ、帰ってきたか!」


「はい、只今戻ってきました。御父上も壮健そうでなりよりであります。」


「壮健そうとはなんだ、壮健そのものだ。この馬鹿者め。」


 笑顔で言うもののその目を見れば座っているあの目をしてた。初っ端から機嫌を損ねる地雷を踏みぬいてしまった、その現実に今まで考えていたことが五里霧中となり手が震えてくる。しまったという感情が脳内から手先、最も遠い足先まで縛り付け、言葉を紡ぎ出そうと苦心してもあ、あ、と単音しか漏れ出すことはなかった。


「そんなに畏まってちゃ話もできないじゃないか。なぁ。」


「……そ、そうですね。そ、それはその通りです。はい。」


 震えを抑えるのに必死なあまり捻りだした声が裏返ったりしていた。彼はその怒りを含んだ目をもってこちらを見ていたものの、呆れたような軽蔑を含んだ目でこちらを見下すように見てくる。


「まあいい、勉強をよくしているらしいじゃないかミズキ。」


「は、はい!次期当主として学ぶべきことを学んでおりまして――。」


「お前に必要なのは社交界でいい男を連れ添ってくることだと何回言ったらわかるんだ。この馬鹿娘が!!」


 手元にある分厚い本を投げつけてくる。その本の固い装丁と重い重量物が腹に命中する。その衝撃自体は直ぐ引く痛みであったが、怒られたという傷みが胸を引き裂かんとしている。怖い、恐ろしいという子供の頃から感じる恐怖心が身をすくませる。


 父は本を投げつけたあと立ち上がり、こちらに向き烈火の如く言葉を発する。


「お前がいいところの実業家と結婚すればうちは復活できるのだ。だがなんだ、勉強していますだ。女が勉強したっていい男の連れ添いが生まれるのか。現実をみろ!!頭の良さでいい男が惹かれるのか、そんなことより社交界で落とす技術を学んで男を連れてこい。なぁミズキ、お前はせっかくいい顔をしているんだ、身体だってあの女のように美しい。だからお前はできるはずなんだ、だから頼む、家のためにそれなりの実業家でもいいから結婚してくれ……。」


 最初は雷が轟くように烈火に怒っていたが、次第に声を震わせ己の苦心さを必死に醸し出すその言い方はミズキに伝わることはなく、部屋の隅で身を守るように小さく、丸くなっているミズキがそこにはいた。父親、家庭内暴力装置たる父親から身を守るためとはいえその光景は父との隔絶された絆であるといえよう。ミズキはただ小さく泣くしかなかった、父にバレないようになくしかなかった。バレてしまえばまた家督を継ぐものとしての資質云々でぶたれるのだから。そしてミズキ自体ただ不甲斐なく泣くしかできない自分の弱さにも泣いていた。もしも自分が力があれば、きっとこんな苦しい思いをしなくてもよかったのだろうと思いをはせることは何度あっただろうか。このように激しく叱責し続ける癇癪を見せつける父親から身を守るためにただただ無力に縮こまるしかないこの現実を何度も何度も受けるしかなかった。


「お前ならきっとできる、なあミズキ。お前はあいつと俺の子だ、頭脳明晰で聡明なその頭ならわかるはずだ。今は勉強の時じゃないということぐらいは。女は若ければ若いほどいいってこともわかってるだろう。だからお前は社交界に行くんだ、いいなこの血筋なら十分に名門貴族ともいえる血筋を信じろ。お前ならできるミズキ。そして実業家でもいい資産を持つ貴族の子と懇ろになれ、そうしたらお前は一人前の人間になれるんだ。このままだとお前の代では資産という資産を残してやれんのだ、だから少しでも資産のある人間と懇ろになってくれ。この家の存続するためにも頼むぞ。」


 彼は言うことを言うと、椅子に再度座る。年期のはいった手紙入れから手紙とペンを出し、黒いインクに羽ペンを浸しさらさらと手紙を書き始める。


「俺の伝手で社交界に紹介してやるから行ってこい。服はあいつの部屋の中にあるからそれを着ていけ、今度こそ男と懇ろになってこい。」


 そう言うと彼は書き上げた手紙を封書に入れ、蝋で封をする。そして椅子から立ち上がり一階にいるであろう執事の元へと歩ていくのであった。ただ部屋の隅で小さくなったミズキを置いて。


 しばらくしあと、涙を必死に裾でふき取り母の部屋へと歩いて行く。言われたことを、父の指示を無碍にはできない自分の弱さを悔いながらもやるしかなかった。母の部屋に入れば、ぶわっと懐かしい匂いが鼻孔の中に充満するのであった。この匂いはグラシアムの花、美しく儚かった母が好きであった花の匂いであった。可憐ながらも力強く咲くあの花、甘くも甘すぎない良い匂いの花、全てが懐かしかった。父と母の記憶も濁流のように溢れ出てくる。父と母との美しくも可愛げのある馴れ初めから、母方の実家での数か月、領地で家族旅行など全てがあったこの部屋の中。何とか耐えていた涙腺が脆くも決壊し、眼から大粒の涙が一粒、二粒と流れ出てくる。もうあの頃には戻れないという現実、あの頃に戻りたいという後悔にも似た苦悩、ただ父の想いが積もったこの部屋でただ泣くことしかできなかった。

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