第23話 苦い”思い出”

 またも明瞭な夢を見た。こんな夢を見るたびに心の奥底が苦しく、今にも泣いてしまいそうな自分がいる。夢の中では泣くことはできないものの、胸が張り裂けそうになるのは何故なのだろう。なんだか私ではない私の体験が脳裏に吸着しているような気持ちの悪さがあった。そして自分と同じ名前の女性の苦悩も過去も夢を経由して流れ込んでくる。彼女には怒りと悲しみが同居していて、悲しみを包み隠すために怒りが膨れ上がっていくのもわかった。この夢はなんなのだろう。このとてもとても身近に感じて、離れがたき存在のような夢は一体。


 レース越しからこもれ出る太陽光が部屋を微かに照らし出し、中央のテーブルの上の予定表が白く輝き見える。昨日ミズキと一緒に部屋をどうするか相談された時の予定表であった。彼女曰くもっと可愛くするためにマイヤーさんのところに行くらしいが、彼女と合うのは何というかバツが悪いと感じる自分がいた。生返事を一つ返し、行くかどうかはぐらかしたものの彼女に会って謝らないといけないのも事実であった。持ってきた手荷物の中から適当な服を選び、それに着替える。今日が楽しみと言っていたミズキは未だ起きる気配はなく、ボサボサの髪になりながらも寝がえりを打ち、熟睡しているようであった。寝ている彼女を見ればその生真面目さからは考えられない姿でもあった、そんな彼女も今では同室の友達である。眠れる姫にいってきますと小声で言い、部屋を出る。今日はお休みの日らしく学校もなく、訓練しかやることはなかった。


 外に出れば運動場の一角でミーシャが剣をもって舞っていた。その白銀の剣の太刀筋は華麗でありながらも力強く、それは舞のようにも見えるほど流れる剣術であった。その域に達するまで何十年と掛かっただろう技なのは初心者の私から見ても明白であった。私と目が合ってもその剣術をやめることはなく、しばらく続ける。その剣術は見れば基礎的な動きが多く盛り込まれており、それ一つで訓練が完結するように作られているようだ。基礎的な技とは言えばその美しい剣術を目を皿にして見つめる。彼女がどのように動いたのか、どのように手首を使ったのか、彼女のすべてを吸収するために。その後数分この剣術が続いたが、最後に一撃を加えその演目は終わりを迎えた。演目を終えたミーシャは額から眼窩めがけて落ちる雫を二の腕で拭い取り、声を出した。


「グラシアム、訓練の時間まではちょっと早いぞ。」


「あっそうなの、ちょっと早起きしちゃってね。今からトレーニングって大丈夫?」


「まあ問題ないさ。ただちゃんと寝るようにしておけよ、運動するのに睡眠不足だと相当しんどいぞ。」


「そうだね、次からは気を付けるよ。


「さあまずはこの学校の周りを三〇周回ろうか。」


 そういうとミーシャは剣術の訓練をずっとしていただろうに疲労の一つすら見せず走りだす。それほどまでに体力があるミーシャは日常からこのような身体づくりをしてきたのであろうか、結構ハードなこのメニューをこうして毎日やっているからこそこれだけの体力がつく気がした。ただ朝から三〇周というのが前座というのは中々苛酷な訓練の幕上げのようにも感じるのであった。息を整え、かなり早いミーシャに並走し、必死に走って二一周したころに寮へとふと目をやるとあの酔っ払いのガッツがいた。彼は私らが走っているのを見ると寮の壁に寄りかかり観戦し始めるではないか、冷やかしのように頑張れよーと声を上げるもののその声音は愉快さすら持っていた。騎士なら訓練しないのかと思ったものの、そんなことを考えればミーシャに少しずつ離されていくではないか。雑念を振り払って彼女について行くことだけに集中するのであった。


 三〇周が終われば次は素振りを一〇〇回することになり、ミーシャから渡された真剣によって訓練が始まるのであった。ただ真剣で素振りするというのは中々体験できそうにない訓練ではあった、普通であれば模造刀によってすることだろうがミーシャはどうにも真剣しか手持ちがないということらしい。こんな危なっかし真剣で素振りするぐらいなら、自分で模造刀を買って訓練に使おうかと思ってしまう。剣の一振りにも細心の注意を払い、何とも重いこの剣を振るのは模造刀を毎日素振りしていた私でさえもひどく苦労するのである。使い方を間違えれば自分の腕か足が飛ぶことを考えると冷や汗ものだった。そんな様子を一喜一憂して傍観するあのガッツという騎士は一体何をしているのだろうか、気にはなるが今は他人のことを考える暇はなかった。なにせこの真剣を振っているのだから。


 そうして一〇〇回の素振りが終わり、朝の日課が終わりを迎えたのであった。足は疲労の限りによって動きそうもなく、腕も張って酷い有様であった。地面にへたり込み何度も深呼吸を繰り返し、肺へと新鮮な朝露を含んだ冷ややかな空気がどよみきった肺を綺麗に掃除してくれるのであった。二日目ながらこの訓練を完遂すれば非常に心地のよいものであり、この達成感が胸の内を駆け巡るのであった。この達成感こそ苛酷ともいえる訓練を頑張る要員の一つでもあった。


「ほい、お疲れさん。アイツの訓練キツイだろ?」


 こちらに近づいてきたガッツがタオルをこちらに投げ渡し、貰ったタオルを額や胸の間といった蒸れが酷い箇所を中心に拭う。未だ声を出すことさえ厳しいものの、端的に答える。


「やっぱり辛い。でも体力を着けなきゃだめだから。」


「そうかい、お前さんにもやりたいことがあるんだな。なぜ体力をつけているんだい?」


「秘密。」


「秘密って酷いじゃないか、なあミーシャ。」


「私は知る気もないし、本人から直接秘密を知ろうとするのは悪癖というべきだぞ。」


 ミーシャは呆れた様子で応えるがガッツはそうかと興味なさげに返答する。この男は一体何なのだ、何故私のことをこれほどまでに聞いてくるのだろうか。疲れ切っていた脳内では全くもって読めなかった。


「お前さん腕はいいな!手首が柔らかいのは剣を振る時には有利になる。弾く時だって腕っぷしだけでやるもんじゃないしな。」


「どうも……。」


「あんな畜生みたいな訓練をこなす根性だってある。お前さんはいい剣士になれるよ、俺が保証する。だがな――。」


 彼の声音は急に低くし剽軽な声から打って変わってひどく残念な限りと言わんばかりの声となる。


「――そんな曇った目してちゃ死ぬのはお前さんだぜ。」


 私が雲った目をしている?そんなはずはなかった、これほどまでに透き通った感情は生きていてそうそうはないだろう。彼の言っている意味が理解できずにいた。


「それを気づいててこの子の訓練をしてるのかい、ミーシャさんよ。」


 その言葉を聞いてミーシャに目をやるが非難するような目つきでガッツを見ていた。その眼窩に埋まる瞳には殺意すら籠っているのが何となくではあるが感じる。


「おお、怖い怖い。お嬢様がお怒りの様だ、俺は逃げるとするよ。タオルは寮の洗濯物入れに入れてくれればいいから。」


 そういい彼は立ち上がり、黒い外套を深くかぶる。


「あっそうだ、エラッタ殿に合ったら俺はいつもの酒場に行ってるって言っておいてくれよな。じゃあな!」


 彼は言葉を残して外へと向けて歩き出し、殺意を向けられてなお無防備な背中を向けて歩くその悠然さにはただただ鈍感というべき鈍い感性か、斬りに来ないという絶対の自信があるのか判別はできなかった。だが彼の残した曇った目というのが全くもって理解ができなかった、彼は一体何を伝えようとしたのだろうか。そうした思案を深めているとミーシャはこちらを見てくる。その目には先ほどの殺意など一片もない優しい顔つきとなっていた。


「グラシアム、今日の訓練はここまでだ。今度もご苦労様だったな、本当によくついてこられているよ。」


「そりゃあやりたいことがあるからね。そのためなら少しでも強くならないと。」


 そうだ、復讐するために強くならねばならないのだった。あの時の無力感も、何にもできない自分自身がとても憎かった。だからこそこうやって力をつけるのであった。ミーシャの瞳にはどこか物悲し気なものが宿っていた。




 朝の訓練も終わり、厨房に立てば今日の朝の料理を作り始めるのであった。ガッツは朝から酒場に行ったのでそれを除いて全員分の物を用意しなければならなかった。朝取り立ての卵と肉屋から仕入れたであろう塩のまぶされたベーコンを切り落とし、薄くスライスしていく。朝の準備をしているときは訓練しているときよりもずっと心が晴れやかかつ、澄み切っているように感じる。誰かのために役にたてるということがこれほどまでに優しい気持ちにさせるのは自分本来の気質としてあるのだろう。だがこうして料理することが彼女たちに対するある意味での自分の価値の創設に他ならないのである。


 朝の調理をしていると二階からボサボサ髪のミズキが眠たげな眼をこすりながら降りてくる。その髪はいつもなら丁寧に整えられているはずなのに、酷く爆発している髪をみて驚いてしまった。彼女は朝方はこんなにも弱いのだと、今日初めてしったからでもある。


「おはよー、グラシアム。早いね。」


「おはようミズキ、髪すごいから整えてきたら?」


「うん、行ってくる。」


 そういうと眠たげな彼女は洗面台まで歩いて行く。その姿は良家の娘であるとだれが認識しようか、それほどまでに昨日のようなミズキの覇気はそこに介在していなかった。


 朝から少し重いかもしれないが私が食べたいものを作っているとその独特な匂いが厨房に充満し始め、換気扇から匂いの塊がもくもくと天へと登るのである。在庫のあった米を研ぎ、炊き上げつつもカレーを作り上げ、具材をコトコトと煮詰めていく。王国ではこの食事が何ていうのかも、あるかどうかすら知らないものの懐かしい味を食べたくなったから作るのであった。そんな匂いにつられてかまたも二人が降りてくるのである。その二人はメライアとメイラであり、階段の折り方も気品を忘れぬ優雅な折り方でもあった。


「まあ、いい匂いですわね。今日の料理はあまり覚えのない匂いですが何を作っているので?」


「カレーっていう連邦ではポピュラーな料理で、こっちではあんまり食べてないの?」


 メイラは興味なさげに洗面台へと向かい、メライアは絹で出来た白銀の寝間着のまま厨房へと入ってくる。そしてくんくんと煮詰めたカレーを嗅ぎ、頭をかしげる。


「多分食べたことのない匂いですね、うちでは食べた記憶はなかったと思います。」


「そうなんだ、じゃあ期待しておいてね。よく向こうで作ってた感じに作れたから味は保証するよ。」


「まぁ!それは楽しみですね、あとメイラのごはんは多めにお願いいたしますね、他人には興味を持ちにくいメイラもご飯だけはすっごく好きなので。」


 以外であった、あんなぶっきらぼうというか興味のきょの字もない女でもご飯には興味深々ということは。基本的な興味の指向性が他人とは違うのだろう、ただ同じ方向なのはご飯という中枢神経を刺激する甘美な刺激というだけで。


「わかりました。じゃあお楽しみに!」


「ええ、楽しみしてるわ。初めのカレー、カ~レ~。」


 そう口ずさんで洗面台へと向かう、入れ違いになるように凄く眠たげなミズキが大きな欠伸をしながら調理場へと入ってくる。やはり昨日の様なハキハキとした姿ではないミズキは新鮮であった。


「んー、なにつくってるの。」


「カレーっていって、南方の香辛料を調合してシチューみたいにしたものかな。」


「へー、そうなんだ。そろそろできそう?」


 煮込み始めから十分二十分経った頃合いだろうか、肉がとろけるように柔らかにするのがこの煮込む時間である。まだもう少し掛けないと口に入れればとろけるような肉にはならない。


「まだもう少しかな、肉がまだ硬いと思うし。」


「肉って何を使ってるの?」


「牛肉かな、そして多くの香辛料まで使うから向こうでも祝いの時ぐらいしか作らないの。」


 ミズキは興味深そうにカレーの匂いを嗅いでみたりしていた。


「たしかに匂いは香ばしいね、ただこれが米と合うんだ。」


「こっちにはないらしいから料理のいい経験になるかもしれないよ。」


「確かに、これ独学で学ぶよりグラシアムから教わった方が早いかもしれない……。」


 真剣な表情のままそうつぶやき厨房からリビングへと歩いて行き、テーブル上におかれた新聞を手に取る。そして手近な椅子に腰を掛けその朝刊を見始めた、その光景はグラッセル邸でもよく見た紳士の朝の日課のようでもあった。家を継ぐ淑女でありながら家を切り盛りする紳士の一部を代行しなければいけないからこそこうやって新聞を読むのだろうか。そうであるなら彼女がどのような教育をされてきたのかが何となくではあるが見えてくる。そして洗面台へといった二人もリビングへと向かえば椅子に座り、姉のメライアがメイラに対してその長い髪を三つ編みにするためにその流れるような美しい髪に手をやっていた。そんな静かな日常の空間の中、ぐつぐつと煮えたぎるカレーの音が響くのであった。


 それから十分ほど経った頃だろうか、そろそろカレーもできたであろう時間であった。試しに肉を掬い上げ口に含むと牛肉は四辺の固形物からほつれて次第にとろけた肉となった。これぐらいであれば問題ないだろう、まだ寝ている数人はまだ降りてくる様子はなかった。


「ミズキ、他の人起こしてきてくれない。カレー出来上がったのだけど。」


「あっ、おっけー。」


 ミズキは新聞を近くのテーブルへと置き、二階へと上がっていき声をあげるのが聞こえる。そして寮での一日が始まるのであった。


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