第22話 夢現

 彼の騎士アーセナルと王子グラッセルは王宮の広間にて模造刀を用いて訓練をいた。こうして彼らの訓練をみている私は、王子にこの訓練をみて魔術師としての知見をもって教えてくれと請われたのである。まあ正直剣術というのをしたこともなければ、構造分解から技術を盗もうという気も起きなかったがそんな私で良いらしい。木製の剣の打ち合う鈍くも軽いその音が静かな広場に響き、見ているだけでも激しい剣戟が繰り返されている。王子は使える手を全て使いきるように激しく、一片の隙すら見せないように動きに変えれば確実な一手を繰り返す正確さで斬りつける。たがその一手さえも騎士アーセナルにとっては何の影響も持たない一手でしかなった。


「いけませんぞ王子殿、必殺の一手は確実に一発で決めるものです。何度繰り返してもそれはただの一撃でしかありません。」


 王子は息も絶え絶えで、そんな状態で良くもまあ動き回れるものだと感心する。それに対してアーセナルは息は整っていながら規則的な呼吸をずっと続けていた。その上立ち回りも最低限動くのみで弾けるような攻撃であれば動くことなく受け流すのであった。剣術について知らない私であってもこの二人には隔絶された技術の差が介在していることがわかる。何度攻撃したとしても避けられるか弾き返されるか、そんな状況でも諦めることなく攻撃を繰り返す王子が不思議と応援したくなっていた。あの時に魔術を使えば、ああすればと脳内では彼が勝つための一手を思案していたのであった。そう考えてるときにも王子の攻撃のスピードは段々と緩み始め、アーセナルは大きくため息交じりの吐息を漏らす。


「今日の剣戟はここまでにしましょう。その調子ですとあの一撃も出せないのではないでしょうか王子。」


「うるさい、この一撃で!」


 彼は大振りで剣を振る、その力強さは疲労困憊の身体からしてみれば最後の一撃と言わんばかりであり、剣先が空を切り裂き彼の頭上へと流れる。だがその剣先は彼の剣によって受け流され、最低限の回避をした後剣の鍔を彼の喉元へとやり、切り裂く寸前に止めるのであった。


「これで貴方は喉を切り裂かれ死にました。剣術というのは剣先だけの戦いではありません、鍔、この地面の土塊でさえも武器になりえますので、以後ご注意を。」


 そういうと踵を返し、彼は木製剣を持ち速足でその場を後にする。負けた王子は声を上げ、大の字で地面に寝っ転がるのであった。


「くっそー、強すぎるだろ。しかも全く避けぬとは、私の剣がまだまだ弱いということか。グラシアムにミコト、お前たちはどう思った?」


 私の隣で見ていた白銀の鎧を着たミコトは暫く考えた後に話す。


「ま、王子殿の腕も体力も未だ弱々しいというのもありましょう。身体づくりのメニューを増やすところからですね、まずあのコースを毎日二〇周しましょう。話はそれからです。」


 二〇周と聞いてうげっと声を上げるものの、彼はすぐに受け入れ今日から実践の流れとなった。内心は嫌でも成長するためには努力を惜しまないその姿はグラッセル王子の美点の一つでもある。少しの間こいつと接していてこいつは成長できると感じる点の一つであり、仕方なく魔術の師を演じてやっている訳の一つでもあった。


「さてグラシアム、お前はどうみた?」


「斬った時にできていた隙を潰すために魔術を使ってみてはどうだ。やはり隙を潰せて、攻撃のチャンスに繋がると思うぞ。」


「それはそうだな。だが私の魔術は一体何が使えるのかもわからんのだが。」


「それはとりあえずの魔術を行使してみるほかないな、まあ適正のない魔術を使って苦しむのはお前だからいつでも検査してやるぞ。」


「だな。苦労無くして成長なしともいうものの、お前ではなくグラッセルだ。この意地悪女め!」


 彼は立ち上がり、服についた砂を払う。ただそうしなければ行使できる魔術を知ることはできないことも事実であったが、何故か意地悪女という一言に酷く腹が立つ私も介在していた。こんな気持ちは初めてだが彼がランニングにて苦しむ姿が見れるのだ、それで我慢してやろう。


「今日も暇だから敷地内を走って苦しむ様をみてやろう。ただ言われっぱなしでは少々腹立たしいのでな。」


「あっ、グラシアムお前苦しんで走ってる様を笑うつもりだな。この性悪女め~。」


「私はもとよりこんな女だ、誘ったお前が悪いのさ。」


 わざとらしくくっくっくと声を漏らすものの、彼は口をへの字型に曲げ酷い奴だと零す。その光景を見てミコトは笑みを見せるのであった。だがなぜにミコトが笑みを浮かべたのかが全くもって理解できなかったが。


「ご歓談もよろしいですが王子、帝王学を学ばれる時間までもう少しです今から走りに行きましょうか。」


 王子もそうだなと同意し、王宮の広間から庭園へと場所を移す。この庭園は傍から見れば王宮以上の広さが取られており、その雄大さと幾何学模様に編まれた生垣はこの庭園の存在を誰もが至高な存在として認めるものとしているのである。そのような庭園であるからして庭師が一日中手入れをしたり、王宮に用のある官僚や社交界の紳士たちが訪れるような場所である。そのような場所で薄着の王子が騎士と共に走るとはなんという利用方なのだろうかといつも感じてしまう。本人らはそのような考え、あるのだろうが優先事項が自身が強くなるということが第一にあるのか全く持って気にしていない様子であった。


 燦燦と太陽光が降り注ぐ庭園の一区画には前文明の家をモチーフにした小さな家が一つあるのである。私はその家の傍、屋根の下で椅子に座り彼らのランニング風景を見るというのが日常になっていた。時折庭師が仕事に来るぐらいでとても静かな空間でもあり、そこに座ることがお気に入りと言ってもいいほどになっている。そんな場所で用意していた茶を存分に楽しむ、そんな優雅ともいえる時間を過ごしていれば桃色のような薄いピンク色のドレスを身に纏った一人の女性と彼女のために日傘をさすメイドがこちらに歩てくるのが見える。暫く目をやってみていればその女性は王子の母親、つまりは女王陛下であることがわかる。だが貴族などに全く興味のない私にとっては礼などする義理はなかった。そんな様子に彼女は癇癪を起す訳でもなく、私の隣の席までくれば失礼と隣に座るのであった。


「今日も良い天気ですね。」


 その物腰柔らかな言い方に声音は聞く人が聞けばその人柄をすぐに理解できるだろう。だが知ったところで対応を変えるという弱者のような態度をとるつもりもなかった。


「そうだな、今日の太陽は随分と強い。彼らが心配なのか?」


「心配かと言われれば、そうですね。グラッセルは特に身体が弱く外に遊びにいけ無かったのです。その上よく風邪をひいたものもので、ひけばメイドたちが大慌てでしてね。でもこうやって元気にしてる姿をみるだけでも嬉しい限りです。」


 そうだったのか、アイツにもそれなりに苦労してきた過去があったのだな。そう考えれば彼が自分を変えようとする原動力の一部が見えたような気がした。動けないことの反動として動くための身体づくりをしているのだと何となくではあるが理解はできた。


「なるほど、でも今の彼からはそのようなことはわかりませんよ。それどころかその壮健さは何人も理解していなかった訳だ、本人以外は。」


「あらそうなのですか。でも確かにここまで元気になるとはあの時は誰も思ってはいませんでしたね、陛下でさえも。」


 それはそうであろう、外にも出れぬ子供が元気に歩き回る姿など想像は用意だが現実がそうなるとはわからないのだから。一般的な常識内で語るならそうであろうが――。


「まあ未来のことはわからぬのが常だから仕方があるまい。アイツは強くなる、先を”視た”私が保障する。」


「……そうですか。なれば貴方の言葉信じましょう。」


 彼女はその言葉を聞き、笑みがこぼれるほど優し気な顔つきになる。その顔は健やかに成長するという安心させる言葉としての安堵なのか、元気に育つという未来を識ったからなのかがわからなかった。だが彼女と私はいる場所は違えど同じことを思っているのだろう、あの者の先を見たい、その先を知りたいという欲求がそこにあるのだと、わからない尽くめの私にも理解はできた。


 二人は暫く会話もなく、一三周目で息も途絶え途絶えな王子を微笑ましく見守りながら時間を過ごすのであった。この安寧と無風なこの時間を噛みしめながら……。そうして暫く眺めていたところ、庭園には王子の妹に弟が走っている最中の王子を見て一緒に走りだしていた。妹や弟の専属侍従たちは欲の塊の子供を窘めたりせず、どこか諦めにも似た境地に至っているような顔つきでもある。庭師の作業音しかしない閑静な庭園は今では街中の公園のように子供がはしゃぎ楽しむ場となっていた。


 そんな風景を遠目から眺めていれば彼女は笑みをこぼし、楽しそうに見守っていた。自身の子供の成長というのは不思議なもので、母親となったものは辛酸をなめさせられることも多くあったとしても成長した子を見る目は優し気なものが多かった。どれほどまでに苦労し、苦痛に思ったとしてもその目は誰しもが持っているものなのだろうか、いや後天的に得た機能の一つなのかもしれない。母性という言葉が女性にあるように、慈しみ育てる機能が妊娠と共に生まれ出てくるのであろうか。彼女の笑みを見てそう考えてしまう自分がいた。自分には、これは難しいだろうなとも背もたれに身を任せただこの光景を見守っていた。私という存在に母性があるのであればきっと微笑ましい生活があったのだろうか、だが今が示す現実は冷酷なまでに不可能と示している。だからこそ無性にその現実を変えられない自分自身が歯がゆくもあった。


 そのような思案に耽っていればグラッセルは二十周を終え、激しくも規則的な呼吸を繰り返し地面に座り込み息を整えていた。彼女は椅子を立ち、彼の傍へと歩いて行く。喋り方も貞淑な女性なれば歩き方でさえ気品を感じざる負えないほどであり、社交界のトップを走る女性だからこそああして貞淑になっているのだろう。ミコトは深く礼をし、彼の傍へとたどり着けば汗だらけの彼に対して手持ちの純白のハンカチを一つ渡す。


「お母さま、ありがとうございます!」


 彼は渡されたハンカチを持ち、首元や額など溢れ出る汗を拭う。彼女は微笑ましくもにこやかに笑い、我が子に対して最大の慈しみをもって接している。そして侍従が日傘で彼女とグラッセルを包み込むように二人の間の太陽光を防ぐのであった。


「怪我はないのねグラッセル。」


「はい、このグラッセル怪我一つもないですよ。」


「ふふふ、元気な子になったわね。とっても健やかに育ってくれて嬉しいわ。」


 彼の頬を絹の手袋越しで撫で、大きく抱きつく。美しい磁器に触れるかのような撫で方も、慈母の様な全てを包み込む抱擁、彼女から彼への愛がそこにはあった。彼がああして強くなれたのはこうした甲斐甲斐しい世話や愛情があってこそなのだろう、私にもそんな時があればこんなにも捻くれた人間にならなかったのだろうか。そう思えばぶわっと過去の後悔にも似た記憶が溢れ出る。母は生まれてから死に、その影響か父は酒場で飲み潰れ、家では自分一人であったあの頃を。思い出すだけで虫唾が走る大っ嫌いな弱い弱い子供であった昔の話である。弱いから好き勝手にむしり取られる、弱いから好き勝手に殴られる、弱いから好き勝手に凌辱される、思い出すたびにイライラしていた。そして彼は私と似ているのだ、なぜかそう思った。彼は生まれながらにして潜在的に強者であり、先天的な弱者でもあった彼がどうにも昔の自分と合致する点が多かったからだろう。だからどうしたというわけではないが、ただ彼の成長を見届けたいという気持ちが強く強固なものとなるのはわかる。彼が成長すればどのような人間になるのか、私のように世界を呪うか、世界に希望を見出すか興味本位ではあったが……。


 すると彼女はグラッセルを強く抱きしめ、声を殺して嗚咽を零す。彼女には何が視えたのかは知らないが、この先に待つ苛酷な運命を何となくではあるが察知したのだろうか。遠目で観察する私からではわからなかったが、グラッセルが優しく手を握り返す。その光景を一言で言い表すのであれば騎士が淑女に対しての誓いの様子ともとれるであろう。


「お母さま、僕は強くなります。王として誰もが認める存在になります。ですから今は静かに応援してください。」


「ええ、ええ……私のグラッセル。私は貴方を信じています、ですから今は存分に勉学共に励んで頂戴。貴方が元気なら私は大丈夫です。」


 彼女は昂る感情を抑えきれずに頬を伝る一滴を零す。そんな母を強く抱きしめるグラッセル、そんな深い事情も知らずに遊ぶ妹や弟たちの楽しむ声が庭園に響いていた。

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