第21話 最悪の出会い

 今日の補習も終わり、寮へと向かうために校舎を一人で歩いている。天高く昇った太陽もその姿は半分ほど身を隠し、緋色の輝きをもってこの街を照らし出している。その雄大な街の赤化粧は眺めるだけでもそれなりの暇つぶしになるのがよかった。校舎前を元気に駆けていく生徒たち、店じまいに奔走する店主たち、そして郊外の家々へと走って行く馬車、全てがこの街における血流のように流れていき、それぞれの物語性を強く感じるのだ。ある種の妄想と言えばそうなのだが、マークスベルクの頃からこうして街を見ては考えることが好きであった。あの漠然とした不安感を感じなくて済むのはとても大きな点である。


 廊下を抜け、静かな階段を一歩また一歩と下がっていけば地面を踏む音が声のように響き、その声は水面に石を投げ入れた時の小さな波のように広がる。そんな今をこの小さな眼窩から感じ取ると無性に目頭が熱くなるのがわかる。そうだ、私にはもう賑やかにしてくれた姉も妹たちもいないのだ。その現実がこの静かな校舎を伝って心の奥底へと流れ込むのがわかる。階段に座り込み声を殺してただむせび泣く、必死に押し込めてきたこの強い慟哭が堰き止めていた心を破り現れたのであろう。瞼からも大粒の涙がボロボロと零れ出し、もう止めることはかなわない。そうしてたった一人で泣いている。何十分泣き続けたのだろうか、時間の感覚を喪失するほどに泣き続けたその瞳を上にあげれば、小さな羽虫が一人宙を飛んで回っておりその他の者は見えなかった。彼も出口すら見当たらず弱っていくのだろうと思えば少しは心の中はマシになった。視線を戻し、立ち上がる。溢れ出る過去からの涙を過去を持つこの裾で拭い、一歩を踏み出す。ただこの胸の痛みを抱えて私は進むしかなかった。


 粛たる階段を降り、廊下へと出れば寮のある方向へと歩いて行く。カツン、カツン、と歩く音を響かせ進んでいく。そのまま廊下を進み、女子寮へと雨に濡れない渡り廊下を渡り、寮の中に入ればとても賑やかな声が聞こえる。調理場で複数人の女子があーだこーだと言い合う様子には少し気になってしまう、それとやはりよく調理していたというのもあってどんな料理なのか気になったということもある。調理場へと向かえばミズキと教室で見たことのある二人が本を見ながらあれこれと言い合っていた。


「ちょっとミズキ、これ結構難しいんだけど!半熟ってどのくらいでやれば――。」


「アイリス、火が強すぎだよ。それじゃあ焦げちゃう!!」


「ちょちょミズキ、包丁をこっちに向けないで危ないよ。」


 なんというか、私からしてみれば地獄の様な光景である。ミズキによって雑に切られた食材、その切り方さえもいつ手を切ってしまってもおかしくないほどであり末恐ろしかった。金髪で短髪の少女はフライパンの上でベーコンに目玉焼きを一緒に作っているものの、火がだいぶ強いせいで下敷きのベーコンが焦げかけている様子である。そうしてもう一人の青い髪でポニーテールが特徴的な子はメニューが書かれた本を片手にあれこれと指示していた。だが要領が悪いのか指示は曖昧で、何度も読み返しては指示を繰り返していた。一体全体この調理場はどうしてこうなったのか考えるよりも、先に身体が動く。


「ミズキ、包丁貸して。」


 急に後ろから声を掛けられて三人は声にもならない声を出し、驚いた様相でこちらへと振り返る。


「ひぇっ!」


「うおっ。噂の編入生じゃん。」


「うわっ、びっくりした。もう急に声かけてこないでよグラシアム、びっくりしちゃうじゃん。」


「それはごめん、でもなんだか見てられなくて。」


「で、包丁ならいいけど今日の当番じゃないでしょ。」


「それはそうだけど、ミズキはもうちょっと包丁の使い方を知るべき。そのままだと綺麗な指先が傷ついちゃう。」


 彼女から包丁を取り上げ、手慣れた手付きで既に剥かれたジャガイモを切っていき、皮むきも一切のよどみなく薄皮かつ途切れることなく人参を丸裸にしてゆく。そして鳥肉やワインといった準備されたシチューの具材たちと順番道理に入れて調理を進める。そして加熱し過ぎて焦げかけた目玉焼きを皿に移し、まだ熱を持ったフライパンに残っているベーコンを投入し加熱する。油が飛んでくるものの、適度に焼き目を入れれば火を中火にし卵を投入してその白身がその名の通りの白に染まるまで加熱したのち、キッチンテーブルにタオルを設置しその上にフライパンを置き余熱で調理すれば半熟の目玉焼きができるわけである。その光景をみていた二人も感動の声を漏らしていた。


「すっげーっす。目玉焼きづくりも超絶上手いじゃん!」


「よく見ないで作れるなぁ、私なんてよく見てもわかんないのに。」


 恍惚としたその表情を向けられると何とも恥ずかしいような気がするが、調理において気を抜くことは――。


「グ ラ シ ア ム、今日の調理当番私なんですけど。」


 後ろから怒りを含ませた声色が聞こえ、後ろを振り向けば笑顔で腕組みするミズキが見える。


「いやだけど見てることもなんかいやだったから。」


「じゃあ指示だけ頂戴、調理の一つぐらい私たちでいけるわよ。」


「まあうちらこの寮では料理下手くそ組だけどな!」


 そういうとミズキはどこか恥ずかしそうな顔をしてアイリスの肩を何気なく肘でつつく。


「えーだってミズキは一度も調理したことなかったじゃん、私なんて母親の見様見真似でやってるみたいなもんだし、ミフィーネに至っては調理自体知らないぐらいだったからな。」


「ちょっと!それは言わないって約束でしょアイリス。」


「でも噂の編入生がこんだけ調理が上手いなら下手だって言って教わりたくない?」


「そうだけど、下手ってのは次からは言わないでよね。」


 グラシアムを差し置いて二人で和気藹々と掛けあいをしているが、その間にもどんどん調理を進めることにした。正直目を離したすきに焦げられても食べる自分が困るからでもあった。隣で二人を見ていたミフィーネは手に持ったレシピを机に置き、小さく笑う。その笑顔は微笑ましいものを見てそれが伝播したといっていいであろう。そしてこちらに振り向く。


「グラシアムちゃんだっけ、調理すっごく上手いんだね。あとで私たちに教えてくれない?」


「えっ、別にいいけど正直大変だよ。」


「何にもできないより断然マシかな。何にもできないのって辛いから。」


 笑みは空元気のように光り、ただどうにも彼女の体験を如実に表しているようにも感じた。調理も知らない点からも相当の箱入り娘というか、俗世も知らなかったのだろう。そう考えると何かしようとする彼女の勇気に応えるほかなかった。


「じゃあ次は一から教えるからね。でもまずは簡単な物からだよ。」


「はい!!よろしくお願いいたします!!」


 はち切れんばかりの笑顔には見ているこちらも胸が明るくなるようで、自然とこちらも笑みをこぼしていた。彼女は笑っているのが一番であり、空元気の笑顔なんて悲しすぎると思ってしまう。


「何々、二人だけで調理の特訓っすか。いけないねぇ、お姉さんたちにも教えろー!!」


 アイリスはミフィーネに対して脇をくすぐり始め、彼女は最初の数秒は何とか耐えていたもののついにアハハハと声を上げ笑い転げながら周りへと助けを求める。ミズキもそれを見てやれやれという顔をしてアイリスに対して同様にくすぐり攻撃を開始するのである。アイリスは堪らずすぐに笑い始め、心配をした他の寮生が様子を見に来たり若干大ごとになっているようだ。正直なところ調理するところで遊ばないでほしいが、見ていてなんだか暖かなな気持ちになったので今回はそのままにすることにした。暫くすれば三人とも疲れたのかくすぐりあいは終わり、それぞれ立ち上がる。遊んでいる間に調理は終わり芳醇な匂い漂わせるクリームシチューにカラッと上がった半熟目玉焼きにベーコン、そして柔らかなパンが出来上がっていた。


「できた物をどんどん食卓へ持っていってくれない。私がシチューは分量を考えながら注ぐから。」


「はいはい、さあみんな運ぶよ!」


 ミズキはパンの入った籠持って行き、人数分の目玉焼きなども二人が分けて持って行く。その間の用意されていた合計六人分の皿にシチューを盛り付けていき、最後にバジルをひとつまみ分入れて自分自身もいくつかの皿を持ち隣の部屋の食卓へと運ぶ。大きな卓を囲むように六人の席が用意されており、それぞれの前にシチューを置くのであった。ミズキとあの二人以外の人はどんな人なのだろうか。あの一瞬見た時ではわからなかったからこそ強く気になってはいた。いい匂いだと言いながら二人がリビングからのそのそと歩いてきて、準備ができたとミズキが上の階へと声を出し呼び掛ければ返事と共に二人が階段を下りて食卓の椅子に座る。ミズキたちも座り、まあみんなが座ったために自分も空いている席に座るものの、中々に気まずい空間であった。そうするとミズキが笑顔で語りかける。


「というわけで、神へと感謝を述べる前に編入生の紹介をしたいと思います。最後に座った彼女は今日から編入生として寮生にもなるグラシアムです。さ、自己紹介を。」


 そういわれて催促されるものの、中々こうした他人への自己紹介というのは苦手であった。自分の内面をさらけ出すことについて弱みを見せると考えているからというのもあるが、ただ単純にやり慣れていなかったのだ。ただ黙っているのも問題なので、思いつくままに言葉を発する。


「えーっと、私はアーセルグラシアムです。好きなことは、料理とかですかね。こっちはあまり知らないことだらけなので、どうぞよろしくお願いいたします。」 


 そういって一礼するとミズキが拍手し、周りの人も同様に拍手する。そういえば姉たちに最初であった時もこんな感じだったけ、昔の曖昧な記憶を掘り起こすものの、間髪入れずに長髪で黒髪の淑女らしき子が喋る。


「グラシアムさん、今後ともよろしくお願いいたします。私はメイラ・アインシュタットですわ。その喋り方かなり訛りが強いですわね何処の出なの?」


「私は連邦のマークスベルクってところです。」


 そういうとふーんといい、どこか冷めた目でこちらを見てくる。その目はまさしく興味などないといわんばかりであり、結構失礼だなと感じる。すると隣の茶髪で前髪を斜めに切り、お嬢様のように流れるストレートが特徴の女子が優し気な声を出す。


「メイラ、他人に対してそんな顔はいけませんよ。グラシアムさん、私はメライア・アインシュタットですわ。以後お見知りおきを。メイラは私の妹で、ちょっと他人への興味が薄いの。これからよろしくね。」


 やはりそうなのか、言葉使いが似ていると最初まず思ったことは間違いではなかった。だが姉妹で士官候補生とは中々珍しいようにも感じる。そして最後は白銀に輝く綺麗な髪をしている少女であった。


「えっと、エラッタ・フォーエンシュタインです。以後よろしく……。」


「あっうん、よろしくね。」


 可愛らしい声ではあるが何とも捻りのない自己紹介であろうか、まあそれを言えば自分自身も捻りはなかったが。


「ごめんね、エラッタちゃんはいつもはもうちょっと元気なんですけど今日は魔術の特訓で疲れちゃってて、明日の朝が楽しみね。」


 明日の朝が楽しみとはどういうことなのだろうか、気にはなったがまあこの場で聞くのも無粋であろう。あえて聞かないことにした。


「うちはアイリスディーナ・マクデーレ、あんたと一緒で普通の家の出さ。」


「私はミフィーネ・マクデブルグです。これからよろしくね!」


 この二人は一緒に調理をしていたのでわかるが、やはり貴族の出が多いのだと名前を聞いて改めて実感するのであった。地名の名前が後ろについている人はその土地の貴族であることは何だかんだ知っていて、こうして助けれられることがあるのだ。


「さ、じゃあみんな神に感謝を述べましょうか。」


 ミズキの言葉を聞いて皆は目をつぶり、ぶつぶつと神への感謝の言葉を紡ぎ出していく。連邦と王国は宗教はほぼ同じと言っていいのだが、千年の前に宗教分裂によってその教義も神でさえも違うものとなっている。紡ぎ出す言葉を片耳で聞いているとつくづく宗教の違いについてより深く実体験がたまっていくようである。感謝の言葉を言い終わればそれぞれが並べられた食べ物をそれぞれの食べ方で食べ始める。貴族組のメライアとメイラ、ミズキ、ミフィーネは丁寧にナイフとフォーク、スプーンを適切に使い目玉焼きや、シチューを摂るのである。ただこの中で一般人のアイリスはパンの上に目玉焼きを置き口いっぱいに食べるといったとても美味しそうな食べ方をしているではないか。こう考えてしまうというのがなんというか、私も庶民なのだと痛感する。


「そういえばグラシアムさん、おひとつ聞いてもよろしいでしょうか?」


「あっはい、なんでしょうか。」


「グラシアムさんはどんな魔術をお使いになるので?」


「私はまだわかんないけど召喚術っていうのかな、それを使ってるらしいです。今は彼女はいませんが。」


「あらあら、一体どんな獣を召喚できるのかしら。狼とか熊ですか?」


「騎士ですね。」


 彼女は騎士という単語を聞いてか目を見開き、口をぽっかりと開ける。しばらく蛇を目の前にした蛙のようにとどまった彼女だが見渡せばアイリスとミズキ、エラッタ以外は驚きの顔をしていた。ミズキは困った顔でそうなるよねぇと零す。今だ騎士というのがなぜ困惑されるのか一向に理解が追い付かない。


「騎士を召喚するなんてエラッタちゃんと合わせて二人、私ってとんでもない時代に生まれちゃったかな。それでその騎士は何処へ行かれましたので?!」


「うーん何か用があるって出ていったかな、多分戻ってくると思うんですけど。」


 そう言った途端、廊下を二人が歩てくる音がする。視線を入口に向ければミーシャと無精ひげを生やした胡散臭そうな若い男性が酷く酔っぱらった様子で帰ってきたではないか。ここって女子寮だよね、女子寮に若い男性が入っても問題ないのかと考えた時。


「おー、我が主エラッタ殿ではないかー。貴方の鉄腕剛腕豪胆騎士こと英雄のガッツが帰ってきましたよ~。」


 呼ばれたエラッタはんーと非常にやる気のない返事を一つだけして、今にも眠ってしまいそうな目をしながらもっそもっそとパンを齧っていく。なんと彼女が言っていた騎士とは彼のことだったのか。髭は整えられておらず、上髭も下髭もひどく乱れており、髪までも癖の強いもじゃもじゃ頭であった。強いて騎士である証左を見つけるのであれば彼の体つきであろう、黒い外套で隠すようにしているものの二の腕の太さも足の筋肉も常人では考えられないほどに大きく誇示しているのが服越しからでもわかる。間違いなく騎士なのであろうがその風体は酒場にでも行けば昼でも飲んでいそうな親父そのものであった。そのとなりのミーシャは今にも崩れんばかりの体勢になり、手を口に当て苦悶の表情をしながら言葉を零す。


「グレシアムぅ、水を一つ頼む。吐きそう……。」


 は?こんなところで吐かれても困るのだが、そして今直ぐ食事を中断し厨房へと向かい残飯入れの籠をとり彼女の口の先へと置く。口の中から強烈な酒臭さと毒々しくも独特な腐敗臭までするではないか、一体全体何を食べればこのような臭いになるのか見当もつかなかった。後でミーシャに詰問することになりそうであった。


「あはははは、あいつ等結構独特な奴らっすね。」


 アイリスはドタバタ寸劇を見て非常に楽し気に笑っているものの、こんな寸劇を見たミズキはただ苦笑いし、残りの三人はこの強烈な出会いに茫然として見ることしかできなかった

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