第18話 二人の亡き者の歌

 あのあとこっ酷く言われるはめになって、二人はただ黙ってすみませんでしたと言うほかになかった。そのほかで口答えすれば別の方面からなぜダメなのか説教され、市街での剣戟が御法度であるとも口酸っぱく、言葉の隅々で言われることもあった。しかしミーシャは不満ありげにだが私の時代では問題なかったのだがなといい、火に油を注ぎ烈火の如く追加の説教を食らうことになり、ただそれを見ているこちらもややどうしてか申し訳ない気持ちとなる。


「ったく、とりあえずお前らに怪我がなくてよかったよ。特にグラシアム、ああそういえばお前に言っておかなければならないことがあったな。今日からお前の名前はグラシアムだ。」


「えっ名前変えちゃうんですか!」


 連邦に入ってからはグレシアムとよく呼ばれ、十年ほどずっとその名で呼ばれていたのに今となってその名前を捨てなければならない現実がそこにやってきていたのであった。確かにグレシアムは連邦の言い方であり、王国ではグラシアムというのは以前教えてもらっていた。だからといって名前を変えるのは何とも言い難い自己否定に感じる私もいた。


「今後の進展次第でその名前は問題を起こしかねないからな、なに名前全てが変わるわけではないから問題はないだろう。」


「そうですけど、うーん。」


 しばらく考えるものの、確かにこちらで生活する分にはこの名前の方がいいのは間違いないだろう。だがしかし、もうグレシアムと呼ばれないのは何とも心寂しいものがあった。


「……わかりました、グラシアムですね。これからはグラシアムかぁ。」


「一応戸籍もこちらで取れたが、それらは私が預かっておこう。正直なところお前に渡すのは現状だと少し怖いところもあるからな。」


「はい、それだけでしょうか?」


「今のところはな、学校に入学する期間は一年のみであり、その一年間は寮に住むこととなる。今後何かあったらこちらに出向くか電報を寄越すか念話で執事と話を通すように。また一ヶ月分の食費とや交遊費などは纏めて月初めに渡すので考えて使うように。それに――。」


 しばらく魔術学校入学にあたってルールや金銭や貴族の後援されたものとしてのあるべき姿など長々と説明していくものの、あまりに多すぎる情報をすらすらと述べる彼に驚嘆と自身の自信も不安になる。こんなに多くの事柄を注意しながら、ミーシャの剣術の訓練もして、魔術の訓練もするという傍から見れば荒唐無稽で滅茶苦茶と言ってもいいほどの重責であろう。


 だがあの時復讐すると心に決めたのだ、それを今やめるというほどに私の心は柔くはなかった。力がない私に、こうして力をつける機会を設けてくれたのだ、この契機を逃せばいつ成長できるのかもわからない現状もこの重責を前にした私の背中を押してくれるのであった。


「――。ということだ、大方理解できたな?」


「はい、それらのことを気を付けて生活すればいいのですね。」


「わかったのであればよい、さあここでの最後の朝を食べようか。」


 そうすると間を見計らって厨房よりいつものメイドが小走りで料理を運んでくる。そうだ、今日でしばらくここを離れるのだ。そう思えば腹いっぱいに食べていこうと決意した。


 甘いもの中心の朝食と濃い味の珈琲を存分に堪能から、持つべき手荷物や交遊費含めた軍資金を持ち邸宅を出ていく。グラッセルの御見送りをした執事が再度扉を開け、いってらっしゃいませと深々と一礼する。その一礼には中々どうしてか、寂しさを感じてしまう。いやこの気持ちを正しく言うのであれば、住み慣れた場所から巣立つ雛鳥のようであった。そんな彼に行ってきます、と返す。また成長してから帰ってくるのだからそれが適当であると思っていうのである。そうしてミーシャと共に学校まで歩いて行くのであった。


 長い道のりを歩いて学校まで来る頃には日も高く昇り、吸い込めば肺の奥まで清らかなで暖かかつ朗らかな空気が街を覆っていた。そんな空気が流れ込む街も次第に活気づいており朝方通った時には閉まっていた店もシャッターを上げ、街を通行する人間たちも徐々に見え始める。そうした中、学校に行くであろう生徒たちらしき姿もちらほらと見えるのであったが、やはりその服装の傾向から貴族の子か庶民の子が明白に理解できた。庶民の子は学校が一応設けている制服というに近い身だしなみで登校しており、制服で可能な限りコーディネートを変えていたりしている。だが貴族の子たちはそれぞれ自弁で気に入った服装をしており、それだけで気品を感じざる負えないものであった。純白の高級そうなシャツに、マイヤーさんのところで見た最新のファッションを盛り込んだ意匠であったり、明らかに服装の違いを感じるのである。その中に朝方であったばかりのマックスとミズキが一緒になって登校しているではないか、ただ今話すのは例のことで迷惑を掛けたばかりでなんだか億劫な気持ちになりなんとも喋りかけ辛かった。そうやって悩んでいるうちにマックスがこちらに向き、おおっという声と共に大きく声を張る。


「今日からよろしくなグレシアム!」


 彼は衆目を集めることになり、隣のどこか恥ずかし気なミズキは大声を出すマックスを制止しようとしても、マックスはそのまま手を振りこっちにこいと合図をする。少し恥ずかしいものの、なんだか彼の行動によって気難しい心の内がが五里霧中となったようにも感じる。そんな気恥ずかしいさを吹き飛ばす快闊さは彼の良い点なのだろうなと思いながら彼の傍まで小走りで走って行く。彼の右隣にはミズキがマックスにガミガミと何か言っており、近づくとそれが衆目を集める行動は恥ずかしいからやめてくれということであった。


「っと、ようグレシアム。朝ぶりだな!」


「おはよう、グラシアムちゃん。朝から会ったっていってたけど、こいつ迷惑かけなかったよね?」


「おいおい、そんなわきゃねえだろ。編入生いびりをする上級生じゃあるまいに。」


「一緒に走った程度だから問題ないよ。あと今日からグラシアムになったからよろしくね。それにしても二人って仲がよさそうだね、いつもこんな感じなの?」


「そうだな、寮にいるのにいっつも俺が変なことしてないかとかいってついてくるから困ってるんだよ。なあグラシアムぅ、あいつの説得に協力してくれ。ずーっと監視されてんだよ俺。」


 監視と言われて不機嫌そうなミズキがむーっと零しながらマックスを鬼の形相で睨みつけていた。こちらとの対応の差に何とも言えない関係であると思うものの、下手に触れないだろうなと感じてしまう。


「あんたこの前のこと忘れてないでしょうね、変な事使うのが目に見えるっていうだけよ。あと私みたいな被害者を増やさないためでもあるから諦めなさい。」


「そんなぁ、今だって別段悪いことしてねえだろ。あの力だってもう一度使えるかどうかもわからんし、なぁグラシアムさぁん!」


 あははと彼のぐいぐいくる会話に口元が引きつる。いやそれしかできようはなかった、正直なところ何と答えるのが正解なのかこういう関係を持ったことのないグラシアムにとっては難しい判断であった。そんな風に難しく考えているとおもいっきりミズキの素早いげんこつがマックスの後頭部にヒットするのが見える。いったーっと声が上がり、ミズキは呆れた様子であった。


「グラシアムちゃん、こいつの戯言は別に放っておいていいからね。アンタもグラシアムちゃんが困ってるでしょ、少しはデリカシー持ちなさいよ!」


「そうなんだ、まあでもつきまとうのはどうかなって思うね。ちょっとストーカーっぽい。」


 ミズキはなっと言わんばかりの驚愕の顔をするが、すぐさまそれはないと断固として否定する。


「グラシアムちゃんって結構ズバッと切り裂く言葉が好きなのかな……。」


「しかしマジで痛ってー、ミズキお前力入れすぎだぞ。あーそうだグラシアム、入学前に一つ忠告だ。うちのクラスは庶民派と貴族派でグループがあってな、庶民派のリーダーヒルグレフって奴には気を付けろよ。アイツは大の貴族嫌いで色々もめごとを起こしてるから。」


「うん、わかった。注意しておくよ。」


 そんな他愛無い会話をしつつもやっと学校前に到着すれば、学校前に生徒たちが入っていくのが見える。そういえばこの荷物はどうしようかと悩んでいた時。


「そういえばグラシアムちゃんって寮生活、だよね。こんだけ荷物持ってるってことは。」


「そうそう、これどうしようかなって。」


「なら私の部屋には相方がいないし、寮母さんに話してみてからだね。さあいこっか。」


 そういうと教室にいく方向から寮へと向き直り、その先を歩いて行く。寮に到着すれば入口の受付で待っていた寮母と話をしているようで、おおよそ話の方向は決まっているようであった。彼女と話終えたミズキはこっちを向く。


「やっぱり私の部屋だって、前にも紹介したからわかるよね。じゃあいこっか!」


 彼女は階段を軽やかに上がっていき、私はそれなりに重い荷物を片手に持ち共に上がる。そして右の一番端の部屋へと進んでいき、ミズキと名前のプレートが張られたドアを開けると、やはりあの時見た可愛らしい部屋であった。


「私のベッドは左側、右側のベッドと机がグラシアムちゃんの。荷物はそこら辺においておけばいいよー。ささ、授業が始まっちゃうし行こうか。」


「うん、じゃあここに置いておくね。そういえばミーシャはどうするの?」


「私は、まあ少し用があるからな。晩までには戻るさ。」


 そういうとミーシャは先に部屋を出て、それから私のベッド横に手荷物のバックを置き、ミズキと一緒に部屋を出る。そうして学校へと向かうのであった。そうであった、自分の行くべき教室などを先生から聞き忘れていることを思い出す。


「ミズキ、エリザ先生ってどこにいるかわかる?」


「エリザ先生ならたぶん職員室にいるから一緒にいこっか。」


 二人で一階の職員室へと向かい、扉を開けると教員たちはみなそれぞれの仕事に忙しそうに対応している。そんな中失礼しますと一礼し、ミズキは入り込む。その声に気づいたエリザがふとこちらに顔を向けるのが見える。グラシアムへと視線を移せば、あっと言わんばかりの顔つきになり今している作業を中断し、小走りで走ってくる。


「ごめん、グラシアム。思いっきりいうの忘れてたね、君は士官候補生クラスでミズキと一緒にクラスだ。あと君には本来であれば二年間の教育課程があるんはずなんだけど、一年しかないから補習も受けてもらうことになるから授業が終わっても残ってて頂戴ね。じゃミズキ、後は任せた!」


 そういうと自分の席に戻り再度仕事を再開するのであった。ミズキは失礼しますと再度言いその場を後にし、ミズキの案内によって二階の教室へと向かうのであった。教室にはちらほらと生徒たちが知り合いたちとおしゃべりをしたり、遊んでいたりしていた。グラシアムにとってはその異質な教室に緊張するばかりであり、どのように過ごせばいいのかが全く見えてこなかった。椅子はミズキの後ろが空いているということで、とりあえずその椅子に座る。


「そういえばグラシアムちゃんってなんか他に呼び方とかあるの?」


「特にはないけど、グラシアムちゃんはちょっと恥ずかしいかな、グラシアムでいいよ。」


「わかった、グラシアム。それでだけど、今日の授業は近代戦史概論と魔術発展実技に……」


 つらつらと講義や実技が説明されるものの、初めて聞く物が多かった。これでも一応は連邦で授業を受けていた身だが、果たしてこの授業についていけるのか甚だ疑問に思ってしまうものの頑張るしか他はなかった。


 一通りの授業が終わり、今日の授業はすべて受け終わったころには三時頃となっている。全ての授業が終わったために生徒たちもぞろぞろと帰宅する人が多く見え始めるのだが、ただこの結果に項垂れるしかなかった。


「授業難しすぎない……。正直言ってることは理解できるけど、それを自分の物にできてる気がしないんだけど。」


「まあそうだろうね、これ二年生向けの授業だし。でも追いつけてるのはすごいよ、前提知識が結構必要なのに。」


「まあ、そういってもらえると嬉しいな。」


 一応これでも向こうの魔術学校にてそれなりに教えてもらっていたが、最低限追いつくことしかできなくて正直なところ凄く大変であった。急に専門用語が飛びかうわ、現象の説明分が連邦とは違っていたり追いつくだけでも大変以外何とも言いようがなかった。そしてこれから補習もあるのだからそこで何とか巻き返せればよいのだが。


「そういえばミズキはどうするの、私は補習があるからしばらくここにいるけど。」


「私はどうしよっかな。あっ今日の食事当番私じゃん、ちょっと買い出しに行かなくちゃいけないからここで一端お別れだね。また晩に会おうね!」


 彼女は今日配布された教材を持ち、急いで寮へと走って行く。私一人教室に残っており、ただ静かなこの空間にただぽつんと座っているだけである。この森閑とした空間はある意味のこうなる未来の一つでもあるのだろうと思う、最初はみんなにちやほやされても時間が経てば私への興味が薄れていき一人になる。私はずっとあの時の姉妹で囲む卓のように誰からか必要にされたい、あの時の欲がずっと心にあったが他人に発露するのは気が引ける。そんな私だからこそ、静かに時間を過ごすことになるのだと感じるころにはすでに手遅れである。ただどうすればいいのかと机に腕組みをして、その中に顔を埋める。そんな風にしばらくぼうっとしていると、教室前で立ち止まる足音がした。顔を上げ、その顔を見てみれば男子生徒が一人佇んていた。その顔は誰かと喧嘩でもしたのか非常に腫れており、その透き通るような美しい目はこちらをずっと見つめていたのだ。ただなんと声を掛ければいいのかと、じれったそうに視線をずらしたり、わざとらしく後頭部をさすってみたり、そうして彼は恥ずかしげに一言やっと言葉を紡ぐ。


「お前も、補習なのか?」


 あんなに悩んで悩んで出た言葉はお前も補習なのかと、すこし恥ずかしそうに話す彼をみて思わず小さく笑ってしまう。その様子は彼には見えなかったらしく、そのまま適当な椅子に荷物を下ろし座るのであった。


「うん、そうだよ。私も補習、君もなの?」


「そうだ、嫌でも出ねえと卒業できねえからな。」


 ただそっかと興味なさげに返答する。しばらくお互いにダンマリとなり、男子生徒はその静かな空間に耐えられなくなったのか口笛を吹き始める。その口笛は歌詞のない歌のようであり、とても綺麗で、艶やかで美しい音色であった。ただ静かな教室はその音色によって暗く暗澹たる空気から朗らかで晴れ晴れしい空気へと変貌する。そしてその歌はどこかで聞いたことのある曲調であった、それはとても懐かしいあの時の。


「その歌って白きエリチカ?」


 ふと言葉が出てくる。姿勢をそのままに視線だけ男子生徒に向けると非常に驚いている顔が見える。


「お前この歌知ってるのか?!」


「まあ、昔聴いたことがあるから多少は。やっぱりそうなんだ、白きエリチカかぁ。懐かしいな。」


「お前も好きかエリチカ。」


「うん、大好きだったよ。」


 そうだ、大好きだったのだ。今は大好きな音色で歌ってくれる人がいない、もうあの声が消えないという現実が痛く胸を刺激する。


「俺もだ、昔っから母ちゃんがよく歌ってくれてな。今でもこうして歌ってしまうんだよ、今でもこの歌を聞くと涙が出てしまうな。」


 彼が本当に泣いているかどうがわからないものの、瞼を手の甲で擦ったことからも泣いていることは違いないだろう。


「貴方のお母さん、貴方にこうして歌ってもらって嬉しいんじゃないかな。歌えない私のためにも続きを歌ってくれない。」


「……おう、任せな。」


 そういうと再度口笛を吹き、あの華麗なメロディーを再現し始める。今度は気まずい空気のための口笛ではなく、美しも儚い私たちのための幻想的な音楽としてこの森閑とした教室に響きわたるのであった。

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