第16話 二人の政治家

 エリザからグラシアムが倒れたことを聞いたものの執事に対応を任せ、私は外せない用事のためにいつも訪れる南方に於ける美味いと有名な店、その奥の方にある個室の中で一人ジッと待っているのである。ただ漠然と時を過ごすことなく、先の戦いの戦術運用について脳内で論考し続けていたのだ。ゼーリッヒ准将の騎兵運用は先の半島戦役の時でさえ一万の騎兵隊で常に背後を脅かし、相手の騎兵の隙を狙えば補給線を襲撃を続け戦果を上げる。常に冷静で的確な判断によって騎兵師団が運用されており、その運用方法は特務小隊にも使えるものであると彼の指揮下に入り、数年以上培ったその驚くべき執念からなる直感によって理解したのだ。であるからこそ彼の運用思想を入念に、恋人に対しての行為の様に懇切丁寧に知ることから始めたのだった。そんな深く思慮の沼に入りこんでいると内世界と外世界とを繋ぐ唯一の扉が勢いよく開かれる。その顔は我が叔父であり、軍部中枢の一人アルフレード中将であった。


「おうおう、この前はご苦労さんだったなグラッセルよ!」


 あの時のような地面を揺らすほどの低音ではないものの、この低い声はある意味特徴的な人であった。そして六〇歳を超える歳不相応に健啖家でもあるという点も特徴であろう。そんな彼が使い古された軍靴を脱ぎ、畳の上で大きく胡坐をかくのだ。そうなればこの店の酒を飲み干す勢いで飲むこそも容易に想像できる。


「あれは正直疲れましたよ。一介の少佐の出る場面じゃないですよね。あれ。」


「まあそうだな、事態の当事者ってのとおめえもいつかはあの面々になるんだからな、早めに慣れとくことに越したことはないだろ。」


 そういうと個室のドアを二回ノックしたのち、失礼しますと二名の店員が顔を見せ一礼する。そして大きく扉を開け、二人分の食事を運ぶ。その香りたるや、特徴的な肉の香りと香辛料の匂いが鼻孔をくすぐる。


「おぉ、うまそうだな。お前はもっと肉を食え肉を、そうしなきゃあいつらに馬鹿にされるぞぉ。」


「ただ太るだけでは軍務に支障がでますので、これでも身体づくりに余念はないんですけどね。」


「なあに、おめえはまだ若いから食えるだけ食っちまえばいいのよ。ほらこれだってうめえぞ。」


 彼は配膳されたものをどんどんその食べてはワインを飲み、また食べる。動きは流石名のある我が家の血縁だけあって食べ方は上品ではあるもの、食べる速度は父と比べると遥かに早かった。そんな彼が食べ始めたのを確認した後、ナイフとフォークを持ち用意された肉を切り分ける。中から迸る肉汁、仄かに残る赤身がその店の腕前を示していよう。それを口に入れ何度も噛み、飲み込む。いつも食べているものよりも塩と胡椒の味は強いがこれがまたワインと合うのだ。赤ワインをぐいっと一杯のみ、その酸味と肉のうまみのハーモニーを存分に楽しむ。


「それでだ、この数か月前の半島戦役についてはよくやったな。お前のお陰で反対勢力が随分弱り目に祟り目なご様子だ。」


「しかし預かった特務はほぼ壊滅状態にしてしまって、まだ補充要員が来ていませんがね。」


「それについては俺が内々で優先させてやる。何、優秀な奴を送ってやるから機嫌を損ねないでくれよ。しかし今でも思うぞ、あの被害では十分すぎるほどの戦績だ。一個小隊で敵の師団を足止めたぁ考えるじゃねえか。」


「そうしなければ最右翼から崩壊は始まり、優位な戦局の瓦解を招くと感じそうしたまでです。それに森林地帯であれば敵の小銃も当たらずに接近できますから。」


「そうだ、やっぱりお前は全体を見る力があるんだな。そうだ、お前の言う通りあの時は危機的な状態だった。だがみろ、たった一〇人にも満たない特務の連中が旅団の後退支援、後続の師団を投入する隙を作り出した。」


「貴方が進める軍団における魔術師集団、通称特務配備の有効性の証明にもなったということですか?」


「そうよ、最近の若い軍人たちは技術力を過信しすぎておる。確かに最新式の銃や火砲によって連邦の魔術師集団に対して劣勢から挽回することができたのは事実だが、まだ軍事にはまだその段階だ。優位に進められるわけではない。お前もわかるだろう。」


「敵の銃兵は接近戦に持ち込めば完封できる点からもそれには同意しますね。」


「そうだ、そこだよ。逆に接近できないほどに火力と投射兵器を持った瞬間から俺たちがやっと優位にたてるってわけだ。それまでは――。」


「特務の出番というわけですね。」


「そうそう、今は南方軍にしか配備されてねえがゆくゆくは本国にも配備が進むだろうから、俺の権力もアップってな!」


 ガハハハと笑いながら酒を一気に飲み干し、新たなワインの封を開けるのである。こうして話をしていて気分を悪くさせないというのは彼の寝技が上手というより天性の快闊さ故だろう。そしてその有効性も彼は認知しているからこそ、このように政治家を食事に誘い様々な折衷や妥協をさせているのだろう。そんな彼を心底から尊敬をしていた。


「そういえばおめえ、嫁さんはどうするのさ。あの時以来全然決まってないって色々言われてるぞ。」


 正直なところ一番嫌な点を指摘された。確かに三〇にもなって嫁の一人もいないというのは色々裏で言われてもしょうがないと思ってはいるものの、これといって気になる子もいないことも事実であった。


「うっ、それはどうするか考え中です。まあなんなりといい子でも見つけて結婚しますよ。」


「次期公爵なら三〇でも引く手あまたなのに断ってばかりだそうじゃないか、どうだ俺が見繕ってやろうか?」


「いいです!貴方が選ぶと胸と尻のデカい女性ばかり来るじゃないですか!!」


 アルフレード中将は文句ありげな顔でえーと言う、私は美しい女性と出会いたいのになぜにこうも出会えないのであろうか。常々あの子の顔を思い出してしまう自分の弱さに顔を顰める。


「俺はいいと思うけどな、胸と尻のデカい女。だって俺の嫁さんは随分と可愛いぞ、胸だって触り心地がいいしよぉ。しかも甲斐甲斐しくも色々な世話までしてくれるんだぜ、あの見た目で。いやーお前もそれを理解できないたぁ、お子様だねぇ。」


「はいはい、結婚のことについては父からこっぴどく言われてるんです、これ以上言われても現実がこうだからどうしようもありませんよ。」


「またまた、彼女っぽいそれなりに可愛い子を宛がったのに断った癖に。」


「あれ割と私からしてみれば嫌味に見えたんですけど、正直やめてほしかったですけどね。」


「結婚しないお前が悪いんだよ。兄貴からもこっぴどく言われてるのに結婚しないなんておめえもすげえな。怒ると怖くて俺でも言えないことがあるのによ。」


 まあ確かにそうであった、一見温厚な父ではあるものの、怒れば烈火の如く苛烈を極める恐るべき父でもある。そんな父から結婚について何度も怒られて耳にタコができそうでもあったが、まあ気が向いたら探そうかと脳の片隅で思う。


「それで叔父さんは何故ここに誘ったんですか、こんな話をするために時間を割いた訳ではないでしょう。


「あーそうだったな、お前に少し話しておきたいことがあってな。あの白銀の騎士様を持った少女のことだ。入学に必要な書類についてはこの中に、お前の方で準備した書類もあるだろうからごっちゃにならんように注意しろよ。」


 彼が手荷物として持ち込んだ黒い革製のカバンをこちらに渡してくる。それを受け取り、中身を確認すると確かに戸籍から住所など完璧に記載された書類が数枚入っている。


「お手数をおかけします。これだけですか?」


「まだあるぞ、そうだなあの学校に入れるのは精々一年ってところだ。一年後お前の特務にて白銀の騎士と共に配属することになった。」


 あまりに唐突なことに驚愕するしかなかった。たった一年で特務に配属だって、しかも白銀の騎士まで連れて。そのリスクを考えれば。


「まさか早々に戦死させ、契約石を回収するつもりなのですね。南方軍司令部としては。」


「そうだな、俺としちゃ乗り気ではないんだが上奏組との妥協点ってところだ。何、俺としてはなんも痛くはないカードを切ったまでだから恨まないでくれよな。」


 その折衷案を決める会合に参加できなかった自分自身に非力さと、無力さを痛感するしかできない。こうしてただ上で決まったことに従わねばならない自分自身が何とも憎かった。


「お前もきっと理解してるだろ、力も権力も持たない人間ができることと言えば祈るばかりだと。だがお前には強くなるための手札が偶然にも回ってきた、ならどうするべきかわかるよな?」


 そうだ、まだだ。まだ挽回できる機会はあるはずだ。グラシアムの素性を暴き出すまでに死なせてはならない、これが今の私の勝利条件だ。相手方はグラシアムの死こそ勝利条件、ならば。


「そうですね、彼女が死ぬなんて未来は今後ありませんからね。がっかりしてくださいな、中将殿。」


 彼にその確固たる勝利の意志を持って、その悪辣な政治家の顔を見つめる。この勝負に私が勝てれば上奏派も黙らせられるのだ、なればこそ確実な勝利のための一手を打つ。それが中将にこの固めた意志を認めさせることであった。


「っくっくっく、そうだその目だグラッセル。おめえはその意志の強い目こそが最も価値のある人間よ。見ていて昔の俺を思い出すよ、政治家が嫌いだったのにいつの間にか政治家になってるんだからよ。現実ってのはよくわからんもんだ、さあ精々俺らを驚かせてみろグラッセルよ。」


 そういうと彼は最後のワインを飲み干し、大きく笑いながら立ち上がりその場を後にする。そうだ、私はあの政治家殿の駒ではあるが、逆に政治家を動かしてやるのだ。彼女の価値でもって!!

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