第15話 幸福な時

 時は夕暮れ時、だいぶ日が暮れた頃合いにふと目が覚める。この光景をいつの時か誰かと一緒に見るのだと言っていた気がする、私は……。


「グラシアム起きたか、急に倒れるから随分心配したぞ。」


 声のした方へと向くとエリザが椅子に座ってこちらを心配げな顔つきで見つめていた。私は何故ここで寝ていたのだろうか、尋ねることにしてみた。


「えっ、ああ。えっとエリザさん、ですよね。私はどうしてここで寝ていたのでしょうか。」


「覚えていないのか。あんなに苦しんでいたのに?」


 あんなに苦しんでいた、そうだったっけ。思い出そうとするものの右側脳内にズキンと鈍い痛みが走る。余りの痛みに咄嗟に右手を頭でかばうように手を置く。


「”グレシアム”、思い出せないなら無理をするな。」


「グレシアムって、私はグラシアムですよ。名前を間違えるなんて酷いじゃないですか。」


「そうか、そうだったな。いや悪い、そうじゃないならいいんだ。」


 エリザが一体何を言ってるのが要領を得ないが、正直この頭の痛みの方が気になることであった。私に一体何があったのだろうか。


「あとお前が倒れたとグラッセルには連絡を入れたからな、手配した馬車がしばらくしたら来るらしいから今は安静に。あと帰ったなら今日はゆっくり身体を休めて明日に備えろ。」


「わかりました。」


 そういうとエリザはその場を後にする。彼女も他の仕事をほっぽり出してきたのだろうか、寝ていた間の記憶は特に掘り返さないことにした。いくら考えても頭が痛くなるだけであり、思い出すことがないからである。迎えの馬車が来るまで特にすることもないため、ぼうっとオレンジ色に染まり暮れていく太陽を眺めていた。あの太陽を見ていればなかなかどうしてか、胸が締め付けられる気がする。どうしてこんなにも胸の奥底が痛みだしたのか、どうして私はこんなにも胸にぽっかり空いた穴を感じるのだろうか。喪ったものはないはずなのになんでこんなにも苦しいのか。一粒の雫が眼窩より零れ落ちる。私はなんでこんなにも悲しいのだろう、その原因が全くもってわからなかった。


「どうしちゃったんだろ、こんなに涙があふれてくるなんて。」


 あえて答えを導き出せば姉が死んでしまったということだろうか、直近での悲しいことと言えばそれぐらいであるはず。こんなにも姉のことが胸に来ているなんて全く予想ができなかった。斜陽の世界の中、遠くの道から黒く塗られた箱状の馬車が校庭へと一台走ってくる、迎えが来たのだと保健室の外へと歩みを進める。廊下に出ればすぐ隣にミーシャが壁を背にもたれ掛かっていた。


「大丈夫か?」


「今のところは大丈夫、いこっか。迎えが来たみたいだし。」


「そうだな、もし何かあったら私を頼るといい。一人で抱え込むのはなしだ。」


「わかったって、さっいこ。」


 大丈夫だ、私は私でまだ何とかできるはずである。いやそうしなければならない、他人に迷惑を掛けるのは良くないことだから。ほら頭痛だって収まってきた、自分でまだやれるじゃないかと。彼女の言葉はただの一つも響かず、二人は馬車に向かって歩いて行く。馬車の御者が外開きのドアを開け、その中へ入る。中に入れば両側に椅子が設けられており、反対側には小窓が取り付けられている。その上備え付けの椅子には明らかに高級そうな革で装飾されており、低反発の椅子は座り心地が最高であった。


「すごい、あの公爵の馬車ってこんな椅子をしてるんだ。」


「ああ、かなりいい馬車に御者を持っているのだろうな。この感触懐かしい。」


「そういえばミーシャって王族だよね。こういうのにも乗ったことあるんだよね。」


「ああもちろん、話せば長くなるがよいか?」


 王族から生活のことを聞けるなんて初めてのことで少しばかり興奮してしまう。うんと言い、若干前かがみで聞こうとする。


 彼女の話を聞いていると相当に浮世離れしたといってもいい話であった。王室には代々伝わる秘宝があるだとか、自分の食事や生活のことを聞いていてそう感じない人間はそうそういないだろう。特に食事のことについて、昨日のことのように取り留めもなくあれやこれやいう彼女は相当に食事が好きであったのだろうことが推察できる。そして王女なのに相当やんちゃであったのは話を聞いていて想像に難くない。


「……でだな、兄と一緒に剣術の稽古をしていたんだ。その剣捌きは疾風の如く素早く、鬼神の如く苛烈な攻撃には良く手を焼かされていたよ。」


「へー、でもミーシャもその剣術に追いつけたんだ。すごいじゃん。」


「兄と比べれば手首はそんな柔らかくなくてな、それはそれは腕に勝る相手を超えるのは艱難辛苦であったな。だがこの腕っぷしだけは兄には真似できなかったのさ。一度兄の剣を叩き切った時の快感たるや、その時の奴の顔よ!グレシアムにも見せてやりたいな。」


 意外な事実であった、こんなにも柔らかな身体から鉄の剣を叩き切るほどの膂力があることに驚きを隠せなかった。だがマイヤーの店で着替えた時の記憶を呼び起こし、よくよく彼女の体つきを再確認してみれば全体的にがっちりした体躯に筋肉質な腕や足をしていたような。そうなると私自身の観察眼のなさが露呈したような気がするが、気にしないことにした。


「ま、その実績もこの業物のお陰でもあろう。遥か過去の遺物、聖剣ゴルガーンのな。」


 その佩刀に優し気に手をやる。鞘に納められたその剣はいたって普通の刀の様に見えた。だが過去の遺物となればそうそう手元に置いていいものなのか疑問に思う。


「ほんとに、それって国宝とかって奴じゃないの?」


「ああ、これ一つで国が動きかねないほどの国宝だな。だがこの剣の真の姿は今の世では知るものはそうはおらんがな。」


「真の姿、ってことはその剣はあくまで仮の姿ってこと?」


「ああそうだ、真の姿は、まあなんだ。そんなかっこいい話が裏にある剣ってだけで、今では存在しない鋼によって作られた匠の一品の剣って感じの剣。この剣についてはそれだけさ。」


 そういうと彼女は車窓から街を退屈そうに覗き込む。ふーんそうなんだとまあちょっとした話程度に聞いておくことにする。今はない鋼によってできた剣というのは剣術を多少嗜む私には少し気になるが、そうだ!忘れていることがあるではないか。


「ミーシャ、ちょっといい?」


「どうしたんだい。」


「さっきの話を聞いていて、ミーシャって剣術の達人ってことだよね。」


「まあ、そうとも言えるかもな。」


「なら剣術を教えてもらえない、私もっと上手くなりたいの。」


 あーそうだなと零し、こちらを見つめしばらく考え込む。エリザさんに言われたことも守りたいものの、もっと強くなるために修練がしたくもあった。彼らに復讐するためにも。姉の無念を晴らすために。


「条件付きでならいいだろう。まずその一、無理はしないこと。今日の一件もあるし、魔術師としても勉強をしなければならなくなる。だから無理をしないこと。」


 それはそうだ、だがその程度で立ち止まれる程度の覚悟でこの道を選んだわけではないのだ。私は私のための力をつけるのである。


「その二、私のトレーニングに文句をつけない。その二つを守れるか。」


 トレーニングに文句をつけないといっても、そのトレーニングが相当辛いのだろうか。まあいつものようにやれるだろうと、うんと答える。


「そうか、ならば明日の朝から練習に入るからな。また寝るときに起きる時間は伝えるからな、さて到着の様だ。」


 そういうと馬車は緩やかに歩みを止め、見慣れた邸宅の前に止まる。後ろに乗っている御者の一人が外からドアを開け、ミーシャは彼へ一礼しそのまま外へでる。私自身もミーシャに習い御者へと一礼すると相手も一礼する。二人を降ろした御者は再びドアを閉め、後部の手すりにつかまり、足を後部に取り付けられている足踏みの上へ乗り不思議な体勢のまま市街へと走り去っていく。そんな初めての高級な馬車体験をしたのちグラッセルの邸宅へと入っていくのであった。


 中に入れば金持ちの邸宅であるのに瀟洒な風体のこの邸宅は、自分にとっては行動一つ一つに萎縮しなくて済む気楽さがあった。だが入ったら大体執事がいるのだが今回に限ってはその姿が見えず、奥の食堂から何やら声が聞こえる。グラッセルも心配しているだろうから声の元へと歩いて行く。そして何やら声のする食堂へと入れば、執事のメーフィスとメイドの一人と喋っていたようである。メイドは私たちの姿を見て、メーフィスに対し仕事ができたのでと一礼し厨房へとそそくさと隠れるように小走りで入っていく。そしてメーフィスはグラシアムに対して深く一礼する。


「おかえりなさいませ、グラシアム殿。体調は如何でしょうか。」


「あっはい、大丈夫ですよ。少し休んでいるうちに治ったんじゃないかな。」


「そうですか、そうであればよいのですが。それとお坊ちゃまより言伝です。今日の帰りは遅くなるから明日の朝話したいということです。」


 確かにそれはそうだ、グラッセルだって後援する者として体調だって知りたいはずであった。だが覚えていないことをどうやって話すか、後のことを考えるとどうしても頭が痛くなってしまう。


「ではグラシアム殿、今シェフが体調不良に良いとされている物を作っております。しばしこちらで座ってお待ちください。」


 そう勧められ、椅子に座ることにした。そういえばグラッセル公爵のことを全く聞いたことがなかったなと思い、暇なこの時に聞いてみようと考える。


「メーフィスさん、少しいいですか?」


 別の仕事があったのか別室へ移動していた彼を呼び止める形となる。彼は再度綺麗な歩き方で私の横まで移動してくれた。


「はい、何でしょうかグラシアム殿。」


「グラッセルさんって公爵のお仕事が忙しいんですか、まだ帰ってきていない様子ですけど。」


「そうですね。父君の公爵の次期後継者としての伯爵の家業も、陸軍の特務小隊小隊長も兼任なされているので何かと忙しいというほかありませんな。」


 そうであったのか、だが公爵として身分を騙ったことについては間違いなかったのだが、正直なところ伯爵も公爵もどう違うのか、どれほど偉いのか全くもって理解していなかった私にしてみればあまり気にはならかった。ミーシャもまあそうだろうなと零すのみであった。


「そういえば次期公爵であれば許嫁と結婚しているのか、この邸宅を見ていればそのような様子がないのだが。」


 その問いをミーシャがぶつけるとメーフィスは暫く苦悶を感じさせる顔つきになり、どう答えるか思案している様子であった。


「えー、あー、それがですね。許嫁が可愛くないと言い切りまして……ご婚姻を破棄されたのですよ。」


 私はあんまり許嫁とか世襲だとかそういう仕来りがない世界に生きている分、そうなんだ程度であったがミーシャが中々に見ない驚愕の顔をしていた。常に冷静沈着かつ大胆な彼女がそんな顔をするほどに驚くことなのだろうか。


「それはなんと。いや、次期公爵候補がそのような暴挙に、その許嫁はどこのご令嬢なので?」


「それは百年も王国に忠誠を誓い続けたされるガルフドルフ伯のマイヤネット・アルフドルム伯爵のご令嬢です。」


 なんということだ、と彼女は頭を抱えている。彼女がなぜに頭を抱えるほどの問題なのだろうか。


「グラシアム、何やらわかっていない様子だが。お前の後援者はとんでもない人間かもしれないぞ。」


「どうしてなの、別に婚姻なんて自由でしょ。」


「まあしがらみのない者同士ならそう問題にはならないがな。次期公爵ともあろう人間が農民の娘と結婚してみろ、それこそ他家を巻き込んだ大紛争に発展しかねない事件になる。」


「その上、北方の名だたる家の一つとの婚姻破棄だぞ、それだけでどれほどこの頭が痛くなるや。そのご令嬢もグラッセルの父君も災難だったろう。」


「それがですね。あとからわかったことなのですが、そのご令嬢がとある大佐と家から抜け出し、駆け落ちをしてしまったのですよ。」


 またもミーシャの顔が変貌する。今度は呆れにも等しい何とも言い難い顔つきであり、聞いていてこの話自体はそんなに面白くはないがミーシャの驚く反応を見る方がとても面白く感じ、思わずくすっと笑ってしまう私がいた。


「そのことを知っていたお坊ちゃまは婚約破棄の前に相手方に知らせたのですが、何分その家からしてみれば何の確証もない話で婚姻破棄を迫ったと受け取られ、結果それがそのご令嬢まで伝わってしまったのです。そして急いでご令嬢が駆け落ちをしたというわけです。」


「何ということだ。それは双方にとって蓋をしたい醜聞であるな。」


「えぇ。ですが彼女を心から信じていたお坊ちゃまは相当にショックだったのか、今まで行かれていた社交界はめっきり行かなくなり、こうして軍務にのめり込むように仕事をしているのですよ。公爵閣下も叔父も早く結婚をするように急かしているのですが。」


「その、なんだ。聞いて悪かったなメーフィス殿、そんなことがあったなんて全く想像できなかったよ。」


「まあお坊ちゃまを調べればすぐわかることですよ。私も随分と心配してるんです。あっくれぐれもこのこの事はご内密に、これを言うと非常に悲しい顔をされるんですよ。」


「相分かった、ご忠告痛みいる。」


 そんな話をしていると厨房へ入ったメイドが料理を両手に持ち、食堂へと戻ってくる。そして二人の前に好い匂いが香る料理が配膳される。


「お待たせしました、こちらがグラシアムさんの料理で、こちらがミーシャさんの物です。グラシアムさんは体調がすぐれないということで消化の良い物を御造りいたしました!」


 銀の蓋を持ち上げれば、なんとひよこ豆に葉のモノの野菜を入れたシチューが大盛で出てくるではないか。貴族の家でもこんな料理を出すのだと初めて知ったし、とても懐かしい匂いであった。私自身が作ったものはもっと香りが単調で、ジャガイモなどの腹にたまるものが中心であったがここでは葉のモノ野菜が中心なのは文化的な違いなのかと考えてしまう。事前に用意されていたスプーンを使い一口飲んでみればその味は特徴的なものであった、塩コショウによってこの濃厚なスープに深みが生まれいくらでも飲めるほどに旨いではないか。そんな風にこのスープを飲めば、柔らかなパンを濃厚で甘味の強いスープに浸し滴り落ちるパンの下から口いっぱいにほうばり噛み千切る。これもまた耽美な味であった。本来では硬いパンを柔らかく食べるためにする技法だが、その技はこの柔らかなパンにも通用するのである。


「こりゃ少しマナーも教えないといけないかな、メーフィス殿。」


「まあ、知っていて損はないでしょうね。ええ。」


 そんな目にも気にせずに美味しいものを腹いっぱいにしようと食べ続けるのであった。

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