第14話 夢現

 それは遠い過去の話で、それはいつの時か忘れるほど昔の話である。――は運命の人と出会った。その場所は王都の薄暗い隘路の一つ、傷だらけの身体を引きずってゴミや糞で溢れた道を進んでいたときに偶然にもパレードから脱走した弱い十八の青年のような悪童と。


「すみません、そこをどいてはいただけませんか?」


 高級そうな服装に狼の模様が特徴の銀時計を腰に掛けており、遥かなる威厳と気高き尊厳を持つ彼は最初に私にそう言う。最初は何故か憎たらしい小僧だと思った。


「お前が先に退くがいい、私はこの先に行かねばならぬのだ。」


「それでは私が困ります、この身なればこそ貴方が退くべきでしょう。」


「お前はどれほどの身であろうが、私に勝てるのか。」


「ええ、勝てますよ。絶対にね。」


 彼は不敵な笑みを浮かべ、手のひらをこちらに向ける。その笑みの裏では一体どんな魔術を行使するのか、確かめてやろうとこちらも対魔術の防御術式を展開する。前面のみに何十にも高質化した壁がそこに現れ、その規模は二つとないほどであり素晴らしき硬さを誇る。そして指先を凝視する、手のひらを見せることによって魔術を起動し、自在に手を動かすことで魔術を行使する人間であろう。ならば行動した瞬間、防御を解いてその手を二度と使えなくしてやるつもりであった。






 ただ何も起きなかった。あまりに何も起きないために視線を指から彼の顔を見ると驚いた表情を見せているではないか。一体何なのだこのガキは。


「……訂正します、たった今わかりました。今の私では貴方には勝てませんね。」


 そういうと彼は素直に道を戻っていく。しかし彼の出そうとした技は一体何だったのだろうか、疑念が深まるばかりであったが今ではもう興味はなかった。


「ふん、わかったか。早くいけ、私も急いでいるんだ。」


「そう急がないで、相当の魔術師とお見受けしますがどこで勉強なされたのですか。」


「生まれてこの方自在に使えているのでな、勉強なぞ魔術が使えぬものがすることだ。」


「なるほど、そういえば急いでいると言っていますがどこか行くのですか?」


 他人の顔色など興味がない様子で聞いてくるこのガキの問いだが、下手に嘘をつく気にはなれかった。正直なところ私も嘘なぞ弱者がするべき行動は不名誉が過ぎるし、生憎奴から逃げるために嘘はつき疲れているのだ。


「……行く当てなどない。私はすべてを喪った流浪の人間だ、どこか雨風さえしのげればよい。」


「なんと!それではいけない、貴方の様な才覚のある人間がただ無駄に時間を使うことなど決して私が許さぬ。」


「決して許さぬか、お前に何ができるんだ。クソガキ。」


「私は神聖なるマルグフスト王国及びドツッム王国国王マグヌスの第一子、王子グラッセルであるぞ。私にできぬことなどこの世にない!」


 彼はこちらでもわかるほどに自信たっぷりに言い放つ。王子、王子と来たか。頭の可笑しな子供の戯言だろう。


「王子様におかれましては何故このような場所にお遊びになられているのでしょうか。この私めにご教授ください。」


「ああ、それは彼から逃げるためだ。偉大な魔術師よ。」


 そう言いながら彼は外にでるや否や王子殿!と声量がとんでもなく大きな怒声が飛んでくる。通路の影から顔を少しだし覗いてみれば、それはお世辞にも顔がいいとは言えない中年ほどで、黒い髪の軍服の男が一人駆け寄ってくる。


「おう、我が騎士アーセナル。私も存分に探したぞ。」


「勝手に抜け出してしまいにゃ存分に探したぞとは、私も怒りますぞ!」


「ははは、迷惑を掛けたな!」


 騎士は息も途切れ途切れで、相当探し回っていたことがわかる。だが彼に見つかれば相当面倒になりそうであった、静かにお暇させてもらおう。抜き足差し足で来た道を遡る。だが――。


「今回は一番の者を見つけたぞ、さあ出てこい偉大な魔術師よ。」


 彼の手が私の黒い外套を力強く握りしめ、逃げようとしたため外套のボタンで締めた部分が喉元に引っかかる。ついぞ彼からは逃げられなかった。


「話せこの痴れ者!私はお前なぞ興味はない。」


 彼の手を放そうと必死に力を込めても一向に離れることなく、その力強い膂力によって抵抗虚しくアーセナルの面前へと引っ張り出される。騎士は不思議そうな顔で私の全身を見た。


「一番のもの、ですか。これが?」


「いかにも、蚤が付いてそうだが一番の収穫だ。なんせ王国随一の魔術師であると私が感じたのだからな。」


 はあそうですかと騎士は言い、私の方へ顔を向ける。そして申し訳なさそうに。


「王子はこうなったら言うことを聞きませんから、諦めてご同行くださいな。」


「ふざけるな!放せ!」


「さあ行くぞ我が家へ!」


 あの手この手で必死に逃れそうとするも華奢な身体では筋肉質な青年の手には勝ちようはなかった。ある時は従順な振りをして逃げても追いつかれ、何とか掴む手から逃れても瞬時に再度捕まえられ、散々な結果であった。その上第一王子に魔術行使などすれば私が切られかねないために得意の技も使えずにいた。どうあっても逃げられないこの宿命にただついていくしか他はないだろう。


「しかしこの者、どこの馬の骨すらわからぬ者を陛下は魔術の師匠になどしますかね王子。」


「何、私が認めさせる。この者の才覚は我が王宮においてもそうはおらんであろう、そうだな魔術師よ。」


「はいはい、そーですよ。世界に二人といない究極の魔術師ですよー。」


 不貞腐れな態度で彼の回答に答える。言っていることは何一つ嘘ではないが、本質でもなかった。


「そうかそうか、そういえば其方の顔も名前も知らぬな。その名前とその外套を脱いではくれんか?」


 名前か、名前など孤高の存在である私にはなかったものだった。外套についてはどのみちその顔を見るまであきらめずにつきまとうことが想像に難くない、顔なぞいくらでも見せてやるつもりで深く被った外套を上げ、顔を出す。それを見た王子は激しく目を輝かせているではないか。


「其方、相当に美しいな……」


「私が美しいとは、相当酔狂な者だな。」


 ポニーテールの括り方をし、一般的ではない白く流れるような髪が空を舞い、明るく黄金色に輝く瞳は人を寄せ付けない力を持つ。普通の人ではないのが私であった。それを美しい表現するこの王子には正直なところ困惑が占める割合が多い。


「それで其方の名は、なんというのだ?」


「名などない、生まれてこの方付けられたこともない。」


 アーセナルが心の琴線に触れたのか、手を震わせ怒りの声音で言葉を発する。


「子に名前を着けぬなど、相当にひどい家庭で生まれたのですか!」


「そうなのか?」


 正直なところ彼がそこで何故に怒ったのかが全く理解できずにいた。名前がないことがそんなに悪いことなのだろうか。


「アーセナルも名前のない子供であってな、陛下が直々につけた名なのだ。」


「なぜそこまで名がないだけで怒るのだ。それも他人のことだというのに。」


「自分は聖書の教えを信じているからというのがありますし、名前がないことに色々苦労してきましたから。名前があればどんなに楽だったのかと思うわけです。」


 この者も少なからず何かで苦労してきた人間なのだなと理解する。彼女から逃れるため人間界の宿屋に行く際、言われてみれば各所で名前を要求されることが多かったが名前さえあれば楽に過ごせたのだろうか。そう思えばこんなに苦しい思いをしなかったのかもしれない、こんな風に泥水を啜ってでも生きなくてもいいのだろうかと思ってしまう。だがそれを純粋に信じられるほどに純朴な者ではなかった。だから少し意地悪気味に青年に問うてみることとした。


「もし、もしもだ。名前があれば人は救われるのか?」


 しばらく考え込み、笑顔で答えを言う。


「無理だな!」


 やはりそうだ、現実が甘いことはない。あの辛く苦しい日々は名前があれば逃れることのできることではなかったのだろう。ならば――。


「だが!」


「救われる契機にはなりえるな。アーセナル。」


「救われる契機……?」


「ええ、この名を頂いてからは色々救ってもらえましたからね。」


 彼の言った意味が全く分からなかった、いや言っている意味合いは理解している。だがなぜに救われると彼は言いきったか。彼ほどの年齢であれば人と接しているならば救われぬ者も多く見てきたであろうに、そしてなぜそこまで純朴に救われることを信じているのかが全く持って理解外である。こんな意味不明なほど真っすぐで、裏表のない人間もこの地に逃げおおせてから初めて見た。出会う人々は下心に忌み嫌われるこの髪を嫌ったり、私にひどい仕打ちをしてきた。だがこの男は私に気持ち悪い感情をぶつけることなく、ただ一人の人間として扱ってくる不思議な人間であった。この男がどうなっていくのか、この先の成長を見たくなってしまう。心の奥底で、他人への興味が初めて花開く瞬間であった。


「そうだ、お前の名前を決めてやろう。いいよな魔術師よ。」


「えっ、ああ。」


「そうだな、其方は美しい。ならばグレシアム、あのグレシアムだ!」


 そうして私は初めての名前をもらい、初めて人間としての生を彼に貰ったのだ。

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